利用者:あるふぁるふぁ/サンドボックス3
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河原町のジュリー(かわらまちのジュリー、生年未詳 - 1984年(昭和59年)2月5日)は、1960年代から1980年代に主に京都府京都市四条河原町付近を徘徊していたホームレスの愛称。本名は不明。フケ・油・埃などで固められた長髪を特徴とする。
人物
[編集]独特の思慮深そうな表情をしていたことから、「良家の子弟だったが世をはかなんで身をやつした」「本当は大金持ちだが趣味で浮浪者の振りをしている」といった噂が立てられるようになり、一種の都市伝説的な存在と化していた。いつしか地元出身の歌手・沢田研二のニックネームを冠され「河原町のジュリー」と呼ばれるようになり、同時代の京都市民ならば知らない者のいない有名人だった。当時を知る文化人が少なからず彼について触れた文章を著している。
1984年2月5日早朝に円山公園で凍死した。その死に際しては有志による追悼式が開かれ、京都新聞が大きな死亡記事を掲載するという異例の扱いがなされた。一介の浮浪者にニックネームが付けられて親しまれていたことを、京都の左翼的な市民性の象徴とする評もある。
「河原町のジュリー」を取り上げた作品
[編集]エッセイ
[編集]マンガ
[編集]- うらたじゅん 「河原町のジュリー」『幻燈7』 北冬書房、2007年。
- グレゴリ青山 『ナマの京都』 メディアファクトリー、2004年。
楽曲
[編集]- ローザ・ルクセンブルグ 「だけどジュリー」『ぷりぷり』、2000年。
参考文献
[編集]- 飯倉義之 「奇人論序説-あのころは『河原町のジュリー』がいた」『世間話研究』第14号、世間話研究会、2004年。
- 小林浜子 「河原町のジュリー達」『貧乏-現代風俗'90』リブロポート、1989年。
- 「ア・ペン」『京都新聞』1984年2月22日付夕刊。
- 若島正「現代のことば-河原町のジュリー」『京都新聞』2007年2月5日付夕刊。
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