利用者:あはむず/sandbox
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概要
[編集]京都府最大の淡水湖で、網野市街地の東側にある。網野、島津、小浜の三地区にまたがる。離湖は「かつみ」とも呼ばれている。植物プランクトンの多い富栄養湖[1]。 海岸から約500mの距離にあり、湖の北西側から流出する水路で、かつては日本海とつながっていた湾入の一部であったが、砂州・砂丘の発達により、外海から閉ざされ潟湖になった[2]。
湖の中央部には離山(蓬来島)とよばれる半島部が突き出ている。離山には、現在京都府京丹後市網野町木津にある湖秀山龍献寺が建っていたと言われている[3]。
水位を低くして、離湖の洪水を防止するために [4]、この湖から万畳山の下をくりぬき、澄之江に水を流して湖の水位を調節する樋越川(「マブ」とも呼ばれる)というトンネル水路が延宝2年(1674年)から3年がかりで掘られた。漂砂のため閉塞されやすかったため、昭和27年(1952年)には新しい水路として新樋越川が開削された[5] 網野町上水道の水源地である[6]。
湖畔には、八重桜やソメイヨシノなどの桜が約300本植えられており、桜の名所となっている。3月下旬から4月上旬にかけて、離湖桜まつりが開催される。4月から6月にかけて源五郎鮒釣り、鯉釣りなどで知られている[8]。
- ^ 『京都大事典 府域編』上田正昭・吉田光邦、平成6年3月15日、433頁頁。ISBN 4473013278。
- ^ 岩田貢・山脇正資『地図でみる京都 知られざる町の姿』海青社、2019年1月10日、6頁頁。ISBN 9784860993443。
- ^ 梅本政幸『丹後路の史跡めぐり』梅本政幸、昭和47-12-01、117頁頁。
- ^ 『丹後新風土記』丹後広域観光キャンペーン協議会、2008年7月1日、48頁頁。ISBN 9784990351205。
- ^ 梅本政幸『丹後路の史跡めぐり』梅本政幸、昭和47-12-01、118頁頁。
- ^ 網野町史編纂委員会『網野町史』京都府竹野郡網野町役場、昭和35-04-15、62頁頁。
- ^ “離湖(はなれこ)”. 丹後広域振興局 丹後土木事務所. 2015年10月15日閲覧。
- ^ 『網野町史』山下光太郎、昭和35-04-10、62頁頁。
- ^ “離湖公園 はなれここうえん”. 日本海トラベル. 2015年10月15日閲覧。