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利用者‐会話:Yuu6676

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ウィキペディアにようこそ!

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こんにちは、Yuu6676さん、はじめまして!夏見ゆりと申します。ウィキペディアへようこそ

  • ウィキペディアで活動する際にはガイドブックを是非ご一読ください。きっとご参考になるものと思います。
  • よろしければ自己紹介してみてください。
  • お隣の利用者ページは、ご自身の自己紹介の他、作業用のスペースなどとして利用することができます。
  • 執筆の際には中立的な観点および著作権にご留意ください。
  • 何か疑問点がありましたらWikipedia:井戸端で質問することができます。

あなたが実り多き活動をされることを楽しみにしております。夏見ゆり 2006年10月5日 (木) 21:33 (UTC)[返信]

Welcome to Japanese Wikipedia. If you are not a Japanese-speaker and expect further information, visit Wikipedia:Chatsubo for Non-Japanese Speakers. Enjoy!

なお、このメッセージは主に利用者‐会話ページに何も記入されていない方に投稿しております。Yuu6676さんが、すでに活動を開始されてから期間が経っていらっしゃるのでしたら、ご存知のことばかりをご案内したかもしれません。不明をお詫び申し上げます。--夏見ゆり 2006年10月5日 (木) 21:33 (UTC)[返信]

「現実」の整理ありがとうございます。

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 それで、差延がやや冗長になってしまっているので、見ていただけるとありがたいです。ついでですが、現実を不可能性との関係で規定するならば、現実と可能性との関係にも触れたほうがよいようにも思います。現勢、潜勢などあたり。このへんちょっとドゥルーズがかってきますが。では。--Clinamen 2006年10月29日 (日) 02:03 (UTC)[返信]

こちらこそありがとうございます。「ありそうにないこと」はimprobabilityの意です。「ありそうにない」と判断していたことが現実化した時、人は驚きを感じ、驚きは哲学の始まりとも言われます。では。--Yuu6676 2006年10月29日 (日) 05:25 (UTC)[返信]

カントへの加筆

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批判期等集中的な加筆をいただき、嬉しいです。ありがとうございます。ところで、私も、Yuu6676さんのいま加筆しておられる認識理性についての記述を初期に書いたのですが、そのときは純粋理性批判に依拠して書きましたので、出典として段落の最後に括弧いれしてKdrVを挙げております。現在の加筆は直接にはプロレゴーメナによっておられる(とコメントアウトしたところから推測したのですが)ということなので、大きな異動がないとはいえ、出典の整理を少し考えたほうがいいのではないかなと思いました。見えるところに示している文献参照とコメントアウトで付けられている文献参照が食い違っているというのは、いささか混乱してくるかな。と。

またKdrVでなく、とくにProlegomenaに拠る意図をお聞かせいただければ幸いです。これは個人的な興味から。

上記のこと、まだ深くは考えておりませんが、御念頭においていただければ幸いです。現在は検証可能性という方針もあり、出典を明示せよという方向に向かっておりますので、あるいは将来的にはアカデミー版の頁付をいれることになるのかなとも考えております。--Aphaia 2006年12月24日 (日) 05:03 (UTC)[返信]

こんにちは。今回の加筆では、たまたまプロレゴメナを使わせていただいたものですが、加筆によって混乱の生じた部分、ご訂正をお願いできればと思っております。未熟者ですが、よろしくお願いいたします。--Yuu6676 2006年12月24日 (日) 14:12 (UTC)[返信]

さっそくの加筆ありがとうございます。構成を変えていただいて、だいぶんすっきりしましたね。ご指摘の箇所も含め、プロレゴメナのほうがすっきり説明できている箇所も多くあるので、Yuu6676さんがなさったようにうまく使えると、読者の方にもなじみやすくなってよいのかなあと思いました。
なお、Portal:哲学というページがありますので、大規模な加筆や新規の立稿をされた際には、ぜひお知らせください;-)
こちらこそ未熟者ですが、今後ともよろしくお願いします。Aphaia 2006年12月24日 (日) 16:14 (UTC)[返信]

ウィキマネーのご案内

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ご挨拶遅れましたが、批判哲学関連のご投稿に応援をとおもいまして、Wikipedia:月間感謝賞でYuu6676さんに一票を投じました。すでにお気づきかとも思いましたが、ご案内申し上げます。

Wikipedia:ウィキマネーというものを媒介にしておりますので、よろしければこちらもご覧ください。なお感謝賞は毎月20日から26日夜までの投票となっております。今回は締め切り後で残念でしたけれど、次回はぜひご参加ください。

これからもご活躍をお祈りしております。どうぞよいお年をお迎えください。--Aphaia 2006年12月27日 (水) 17:30 (UTC)[返信]

ありがとうございます。非才のため、ご期待にお応えできるかどうか分かりませんが、よろしくお願いいたします。どうぞよいお年を。--Yuu6676 2006年12月29日 (金) 19:31 (UTC)[返信]


Yuu6676さん楢篠と申します


私がウイキに書いた文書を肯定するつもりはありませんが、一歩先行く文章はウイキでは無理かなという気がいたしました。 やはり本にしていくべきだと感じた次第です。

貨幣が人間社会に取り入れられた時点から現在の格差社会の発生が貨幣の中に潜んでいたのであり、やがてはそのことにより人間社会は崩壊していく。マルクス主義ではこれを止めることはできないといえます。なぜなら今の人たちはマルクスではどうにもならないと感じているからです。 Yuu6676さんに、今の社会をどのようにしたら変えられるのかをお聞きしたいです。【利用者 楢篠賢司】2007年2月12日(月)7:05

 == 貨幣に進む前に労働を根底から書きたかったわけです == Yuu6676さん文明・文化それらを読ませていただきました。ただ私が書きたいのは人間の労働を掘り下げて書いていくということから、その労働の交換を貨幣が仲介しているだけであるという理論を展開していくためでした。貨幣が労働の交換の仲介物であるという時、そしてそれ以外は人間社会にとってそこにはすべての人が労働に参加することができる世界が広がります。つまり失業者のいない世界です。当然デフレ・インフレもありません。なぜならそれらを作り出しているものが本来の貨幣の使われ方ではないということから発生しているからです。

ただ私自身はウイキから現在のところはあまり得るものはありません。例えば「信用創造」という項目、確かに素晴らしく書いてありますが、なぜ信用創造を起こすことができるのかということまでは書いてありません。「一物一価」にしても検索してみると反論が多く出ております。一物一価は資本主義社会では絶対にありえないことです。ウイキの限界はかっての社会主義国と同様に仲間「同士」で一つの理論を守ろうとしてしまう傾向が出てくるのではないかと思っております。 --222.13.176.31 2007年2月13日 (火) 07:10 (UTC)[返信]

はじめまして

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どうも、はじめまして。Tantalと申します。イスラーム分野で、執筆作業をしているものです。

今日、ノートに書きこまさせていただいたのは、現在、ノート:タウヒードで、一つ、議論が起きているのですが(といっても、当事者はイスラーム側の私とKotoitoさん、キリスト教側のAphaiaさんの3人ですが)、私が詳しく知りたいのは、スピノザの聖書解釈についてです。私自身、イスラームの肩を持つきらいがあるので、どうしても中立的にならない気がするので、スピノザの編集に携わったYuu6676さんにコメントを依頼したしだいです。

また、タウヒードは、現在、査読依頼もかけているので、そちらも参照してください。

突然のご案内ですが、失礼します。--Tantal 2007年2月18日 (日) 04:12 (UTC)[返信]