利用者‐会話:Vetosteed
翻訳についてのおねがい
[編集]Vetosteedさんはじめまして。㭍月例祭と申します。プロジェクト:競馬に参加しています。ノーザンダンサー、ニジンスキー (競走馬)、セクレタリアトなどへの加筆をしていただきありがとうございます。
ただ、英語版からの翻訳加筆をいただいていますが、その内容にはいろいろ問題があります。翻訳元の英語版自体に問題があります。
ひとまずニジンスキーのことでいうと、あげられた出典に書かれていないことが大半を占めています。具体的な問題点はノート:ニジンスキー_(競走馬)#英語版の移入についてにまとめておきましたのでご参照ください。
- Wikipedia:検証可能性を満たしていない。
- Wikipedia:中立的な観点(#良質な研究、#注意を要する用語あたり)
- Wikipedia:言葉を濁さない・Wikipedia:大言壮語をしない・Wikipedia:避けたい言葉
- Wikipedia:信頼できる情報源(#情報源の評価、#特別な主張には特別な証拠が求められる)
Vetosteedさんがどの程度、海外競馬史に通じてらっしゃるかわからないのですが、海外競馬史についてある程度知識があれば、「ニジンスキーは20世紀の最高の競走馬だ」という話が出たら、「え?なにか変だぞ?」と思うはずです。こうした「特別な主張」には、それ相応のしっかりした情報源が必要です。
こういう話は「何をもって最高と判断するか」というところから意見が分かれるようなテーマですから、大抵の場合は、こうした主張は帰属化して、「誰それはこうだと述べている」と書くのがセオリーです(検証可能性・中立性)。ただしその主張が世間一般で受け入れられているかどうかも問題で、どこかの一人の人物の個人的主張が、あたかも世間一般の評価であるように書いてはなりませんし、あまりにも世評とかけ離れた主張は、そもそも書くに値しません。もっともポピュラーな評価を主要な評価として長く記述し、例外的なマイナーな評価はちょっとだけ紹介する程度でいいのです(WP:DUE)。
「20世紀の競走馬の評価」については、タイムフォーム等のレーティングが広く知られており、シーバードが図抜けたトップである(あった)ことも有名です。示された情報源にもそのことが明記されています。ニジンスキーをトップとしたのは、テレグラフ紙における年配競馬ファン4名の対談の中での印象論でして、これを書くなとは言いませんが、まずは「よくしられた代表的な評価」を書き、そのうえで少数意見を示すべきです。また、「アイルランドの生物学者」の個人的意見を、世間一般の評価であるように書くのもダメです。
ほかにも、そもそも情報源に書かれていないことがたくさん書かれています(捏造です)。
これらの問題点は、英語版に起因することなので、翻訳しただけのVetosteedさんに直接的な責任があるわけではないです。
とはいえ、翻訳元に出典が示されていて、それが検証可能であるなら、きちんと裏を取るべきでした。(これは翻訳かどうかに関係ないことで、Wikipediaの基本です)。また、詳しくご存知なければ仕方がないことですが、競馬についてよく知っていらっしゃれば、「なんかへんだぞ」と気づいたかもしれません。いずれにしても、英語版に出典付きで書かれていると言っても、無批判に導入するのはやめたほうがいい、と私は思います。
ノーザンダンサー、セクレタリアートについてはまだ検証していませんので、個々の具体的なことについては各記事のノートに書いておきます。--柒月例祭(会話) 2021年4月6日 (火) 08:46 (UTC)
- 数十年に一頭の三冠を取っている、有名な新聞に「Why Nijinsky rules supreme as the greatest champion of all」とする記事が載っていたというだけで最も偉大な馬とする人もいると書いて何の違和感も感じないですが。多くのという表現は不要だったかもしれませんが。この馬は誰が見ても客観的に20世紀の最高の競走馬だったとは誰も書いていないでしょう。競馬オタク以外は競馬関連の記事を書くなと匂わせるのは非常に不快ですね、管理者からしてこのレベルということはウィキペディアってそういう個人攻撃が普通に行われているのでしょうね。--Vetosteed(会話) 2021年4月6日 (火) 15:15 (UTC)
- 返信 Wikipediaの基本となる三大原則は、Wikipedia:検証可能性・Wikipedia:中立的な観点・Wikipedia:独自研究は載せないです。これは執筆分野を問いません。どのような分野であれ、記事を書くにはその分野に関するある程度の知識が必要ですし、調査能力も必要です。情報源がどのようなものかを判断することも必要です。これは「翻訳」であっても責任を逃れられるものでもありません。
- Wikipedia:言葉を濁さない・Wikipedia:大言壮語をしない・Wikipedia:避けたい言葉はお読み頂いたでしょうか?「史上最も偉大な」「記録的な」のような言い回しが登場したら、それはまず要注意なのです。「物議を醸した」のような表現も百科事典的でなく、具体的にどのような事が起きたのかを説明すべきです。これらは分野を問いません。
- 今回は、情報源にはそんなこと書いていないのに「最も偉大と多くの専門家が評価している」と加筆なさいました。実際には、4名の競馬好きによる対談での与太話、程度です。こうした場合には帰属化する必要があります。同時に使われた別の情報源ではタイムフォームやレーシングポストの評価が適切に示されているのに、何故かそれらを無視しています。
- これらを自分で書いたなら「虚偽」「偏向」情報源の取り扱いに対する真摯さが足りないですし、翻訳であれば検証不足です。「知らなかった」「翻訳にあたって出典を確認していなかった」としても、誤った情報を加筆したという結果は変わりません。今回は、見る人が見れば「あからさまにおかしい」のですぐ修正できました。
- セクレタリアトの検証もしたところ、失格と降着の違いをご存じない・定訳をはずしている(これらはある程度の知識を要する)箇所や、「牡馬が子馬を産んだ」とか明らかな間違い(競馬のことを知らなくても誰でも間違いだとわかる)がみられました。知識を要す部分についてはしかたがないですが、誰でもわかる間違いは、単なる確認不足でしょう。
- ご自身の間違いを指摘されて「オタク」「非常に不快」「個人攻撃」と逆ギレされてもこまります。時間をかけてもいいので、まずはご自身の編集の問題を自省なさってください。--柒月例祭(会話) 2021年4月7日 (水) 02:45 (UTC)