コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

利用者‐会話:Tokinokawa/sandbox

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

信念

[編集]

宇宙と人間

[編集]

・内宇宙と外宇宙

宇宙には意識の働く宇宙と物質の宇宙の二つの世界があるとしている。[1] 

人間は小宇宙を形成している。小宇宙とは大宇宙の縮図である。大宇宙に展開する無数の星々は、人間の肉体を形づくっている細胞数とほぼ同数である。[2]    ・大宇宙の意識・中道

この大宇宙は神によってつくられた。大宇宙が発生する以前の大宇宙は、光明という神の意識だけがそこにあった。[3]

意識の働く宇宙と物質の宇宙は、光と影という相関関係を通して、永遠の調和を目的としている。神の意識は調和の要である中道という法秩序の中に住まわれているとされる。[4]


宇宙即我
[編集]

最高の悟りにおいては、現実の拡大がなされ、個人の意識は拡大してゆくとされている。宇宙が自分の意識の中に入ってゆき、大宇宙の意識と同体となってゆくとされている。[5]

さとった人より見るならば、もともと人は宇宙大の意識をもって生活しているけれども、肉体にその意識が小さく固まり、とどまるためにその自分を見失ってしまっている現実が見えるとされる。[6]

宇宙即我の大悟は、心の根元部に表面意識がつながり、発現された姿である。『心の原点』P218

人間の在り方
[編集]

人間の目的と使命

神の意志である調和という仏国土を建設し、そうした建設を通して、人々の魂は永遠の進化をめざしている。[7]

宇宙即我ということを悟るならば、人間と大自然というものが常に一体となって呼吸し、大自然に存在しているということ。人間とは神の子であること。自然を離れて人間は無く、人間はその自然を、神の経綸にしたがって調和してゆくものであることを知るとされる。[8]

永遠の生命 実在界

実在界とは、あの世・意識界のことである。心に思ったことがすぐに現れる世界。[9]

肉体と心・人間の苦悩

人間は肉体のほかに心(生きとおしの意識・あるいは魂)を持っている。その心は肉体という魂の仮の宿を通して、物質界・現象界に調和をもたらすことを目的とする反面、大宇宙の心に導通し、それぞれの役割に応じた使命を担っている。[10]

五官六根に頼る人間は目に見えた姿、形にとらわれるものである。人間の本当の姿は、想念の中で生活している。想念という心の動きがその人を支配し、その人を動かし、縛っている。人間の苦悩、憎しみ悲しみはこうした想念の在り方に問題がある。[11]

自然と人間

[編集]

自然の恵み

自然の指導

社会と人間

[編集]

正見・正語


--Tokinokawa会話2021年9月6日 (月) 00:42 (UTC)[返信]

ゴータマの人格神信仰

[編集]

第100経 清らかな行いの体験   サンガーラワァ経 原始仏典  中部経典3

このようにいわれて、サンガーラヴァ青年は尊師にこのようにいった。 「ゴータマさんのつとめ励みは堅固不動の人のそれです。 ゴータマさんのつとめ励みは善き人のそれです。 尊敬されるべき人、正しく覚りを開いた人のそれと同じです。

ところでゴータマさん、神はいるのですか」

「パーラドゥヴアージャよ、道理から『神はいる』とわたしは知る」
「ゴータマさん、『神はいるのですか』と聞かれたとき、道理から『神はいる』と、わたしは知ります、というのですか。

ゴータマさん、そのようにいうならば、それは嘘、偽りではありませんか」

「パーラドゥヴアージャよ、『神はいるのですか』と聞かれたとき、『神はいる』と答えるであろう。または、

『道理から〔神はいると〕わたしは知る』と答えるであろう。 しかし、この点については智者によって一方的に結論されるべきである。『神はいる』と」

「ゴータマさんはわたしに、どうして最初にそれを説明しなかったのですか」

「パーラドゥヴアージャよ、『神はいる』ということは世間では声高に同意されているものだからである」


・・・離脱を離脱としてありのままに知ったので、修行僧たちよ、神々を含み、マーラ(魔)を含み、ブラフマー神(梵天)を含む世界の中で、沙門・バラモンを含み、神々や人間を含む人々の中で、「わたしは無上の正しいさとりに目覚めた」とはじめて言ったのである。 『原始仏典Ⅱ 相応部経典第三巻』 中村元監修 春秋社 2012年P48

(解脱した人々について)・・・・有情の世界の限りをつくして、有頂天にいたるまで、〔この〕世間においてこれらの人々が第一であり、これらの人々が最勝である。すなわちそれが尊敬されるべき方(阿羅漢)たちなのである。・・・尊敬されるべき方たちは、・・・・世間に汚されることなく、梵天(最上の存在)となった者であり、漏煩悩がない。 『原始仏典Ⅱ 相応部経典第三巻』 中村元監修 春秋社 2012年P144

〔世尊は修行者たちにつぎのように〕いった。・・・・ 修行僧たちよ、如来が世間に出現される。〔その方は〕尊敬されるべき方(阿羅漢)、正しく覚った方、智慧も行いも備わった方、善く逝った方、世間を知る方、無上の方、人間を調教する御者、神々と人間の師、ブッダ、世尊であり、その方が法を説くのである。 『原始仏典Ⅱ 相応部経典第三巻』 中村元監修 春秋社 2012年P147

(ここにはゴータマ以外の如来が、現在か将来かにおいて世間に出現するというもう一つの意味がある。)

・・・・・・・・・・・・

このように心が解放されている修行僧を、インドラとともなる神々やブラフマー神とともなる神々や、生主神とともなる神々はかなたから礼拝するのである。 『原始仏典Ⅱ 相応部経典第三巻』 中村元監修 春秋社 2012年P157

尊者サーリープッタは尊者ヤマカにこういった。「友、ヤマカよあなたは「漏煩悩を滅尽した修行僧は、身体が滅ぶと、破壊されて消滅し、死後には存在しない、とこのように世尊によって教えは説かれたと理解しております」と〔いうが、それは〕本当ですか。・・・・「しかし、友、ヤマカよ、現在において真理として真実としてここで如来はあなたに得られていません。・・・」 『原始仏典Ⅱ 相応部経典第三巻』 中村元監修 春秋社 2012年P198

・・・・・・・・・・・・

如来は各修行者にとって、悟った人のことであると同時に、真理として真実としてここで得られるものという性質を持っている。

・・・・・ --Tokinokawa会話2021年6月26日 (土) 02:38 (UTC)[返信]

  1. ^ 『人間釈迦 1』高橋信次著 三宝出版 1973年 P172
  2. ^ 『人間釈迦 1』高橋信次著 三宝出版 1973年 P175
  3. ^ 『人間釈迦 1』高橋信次著 三宝出版 1973年 P172
  4. ^ 『人間釈迦 1』高橋信次著 三宝出版 1973年 P172
  5. ^ 『人間釈迦 1』高橋信次著 三宝出版 1973年 P170
  6. ^ 『人間釈迦 1』高橋信次著 三宝出版 1973年 P181
  7. ^ 『人間釈迦 1』高橋信次著 三宝出版 1973年 P175
  8. ^ 『人間釈迦 1』高橋信次著 三宝出版 1973年 P184
  9. ^ 『人間釈迦 1』高橋信次著 三宝出版 1973年 P291 用語解説
  10. ^ 『人間釈迦 1』高橋信次著 三宝出版 1973年 P176
  11. ^ 『人間釈迦 1』高橋信次著 三宝出版 1973年 P79