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「富山県立富山中部高等学校」改善試案
[編集]富山中部高等学校 | |
過去の名称 | 神通中学校 →神通高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 富山県 |
設立年 | 1920年 |
教育目標 | 学力の充実 品性の陶冶 心身の鍛錬 |
教育方針 | 健全な心身、優れた知性、 豊かな情操を培い、 民主的で自主性・創造性に満ちた 人間の育成に努める |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制による教育 |
学科 | 普通科 理数科 |
所在地 | 〒930-0097 |
富山県富山市芝園町3-1-26 | |
電話番号 | 076-441-3541 |
FAX番号 | 076-441-3543 |
外部リンク | 公式サイト |
富山県立富山中部高等学校(とやまけんりつとやまちゅうぶこうとうがっこう)は、富山県富山市芝園町にある県立高等学校。
概要
[編集]1学年に普通科6学級と理数科1学級、計280名の募集人員である。富山県内では高岡高校、富山高校の2校と並び御三家と呼ばれる、県内有数の進学校である。2003年度には、県内の他8校と併せて学力向上フロンティアハイスクールに指定された。
沿革
[編集]経緯
[編集]富山中部高等学校は、1920年に神通中学校として設立された。その後、1922年に富山市古手伝町に移転し、1933年に現在地の同市芝園町に移った。太平洋戦争降伏後の学制改革によって、神通中学校は、神通高等学校となり、同時に普通課程を設置した。学校はまもなく現在の校名に改称した。1969年、理数科が設けられた。現在富山中部高等学校は、学力向上フロンティアハイスクールに指定されており、指導力向上の面で注目されている。
年表
[編集]- 1920年2月 - 富山県立神通中学校として設立される。
- 1920年4月 - 富山市山王町の仮校舎にて開校する。
- 1922年3月 - 同市古手伝町の新校舎に移転する。
- 1933年7月 - 同市芝園町の現在地の校舎に移転する。
- 1948年4月 - 富山県立神通高等学校と改称し、普通課程を設置する。
- 1948年9月 - 富山県立富山中部高等学校と改称する。
- 1969年4月 - 理数科を設置する。
- 1977年9月 - 現校舎および至誠会館が竣工する。
- 1986年5月 -第二体育館が竣工する。
- 1991年4月 - 全天候型テニスコートが完成する。
- 1996年12月 - 第一体育館が竣工する。
- 1999年5月 - 中国遼寧省の東北育才学校と友好校提携協定を締結する。
- 2002年10月 - OBの田中耕一がノーベル化学賞を受賞する。
- 2003年4月 - 学力向上フロンティアハイスクールに指定される。
教育方針
[編集]- 伝統的精神 - 鍛錬 自治 信愛
- 教育目標 - 学力の充実 品性の陶冶 心身の鍛錬
- 教育方針 - 健全な心身、優れた知性、豊かな情操を培い、民主的で自主性・創造性に満ちた人間の育成に努める
教育上の特徴として、平日に4時間、土曜日に6時間(学校がある場合)、休日に8時間という家庭学習時間を習慣づける指導を学年に関係なく行うことが挙げられる。目的の達成度合いをチェックするために1日の生活を1週間記録する生活実態調査を定期的に行っている。
2000年度からは新入生を上記の学習習慣に慣れさせるため、入学直後に2泊3日の日程で国立乗鞍青少年交流の家(岐阜県高山市)において新入生合宿を実施している。また、2001年からは2学年の夏季休業中に実施していた宿泊学習に替えて、OBの協力やオープンキャンパスを利用して大学見学やOBとの懇談を行う大学探訪を実施するようになった。
全ての科目を総覧的に学習するように指導をしていることから、進路指導では自ずと国公立大学への進学を重視したカリキュラムとなる。
主な学校行事
[編集]- 4月 - 入学式、新入生合宿(1年)
- 5月 - 遠足
- 6月 - 校内競技大会
- 7月 - 大学探訪(2年)、理数科実習(1年)
- 9月 - 体育大会
- 10月 - 進路講演会(1・2年)
- 11月 - 文化祭
- 2月 - 理数科課題研究発表会(2年)、コーラスコンクール(1・2年)
- 3月 - 卒業式
太字で示した行事は三大行事と呼ばれることがあり、特に毎年9月10日前後に行われる体育大会は1年で最も盛り上がる行事である。唯一校外に公開される行事であり、付近住民やOBなども多数観戦に訪れる。文化祭では3年生は合唱、1・2年生はクラス展示を行う。
生徒会活動・部活動など
[編集]生徒会活動
[編集]生徒会執行部
[編集]生徒会長1名を筆頭に、副会長・書記・会計を各2名、学年委員を各学年2名ずつ設ける。また、代議員会・保健・体育・図書・選挙管理・新聞編集・ボランティア・神通(年1度発行の冊子)編集・美化・アルバム・文化祭実行の各委員会を設ける。各ホームから1名ないし2名が委員となる。
ホーム役員
[編集]生徒と担任で家族のような共同体を作り上げようという狙いから、学級はホームと呼称される(例:1年1ホーム、11H)。ホーム長・副ホーム長各1名を筆頭に、書記1名、会計・ホームルーム運営委員各2名を設ける。
部活動
[編集]- 学芸部 - 書道部、映画部、地歴部、演劇部、写真部、放送部、茶道部、文芸部、物理部、化学部、生物部、美術部、英会話部、コーラス部、吹奏楽部、華道部、家庭部、囲碁・将棋部、コンピュータ部
- 運動部 - 野球部、卓球部、柔道部、剣道部、山岳部、陸上競技部、サッカー部、テニス部、アーチェリー部、ソフトテニス部、バドミントン部、バスケットボール部、バレーボール部、ハンドボール部、ソフトボール部
交通
[編集]- JR北陸本線・高山本線富山駅、富山地方鉄道本線電鉄富山駅、富山ライトレール富山港線富山駅北駅より徒歩15分
- 富山地方鉄道富山市内軌道線(市電)県庁前・安野屋両電停より徒歩5分
- 富山地方鉄道バス中部高校前バス停より徒歩1分、安野屋町バス停より徒歩5分、愛宕小学校前バス停より徒歩8分、市役所前バス停より徒歩10分
- 富山市コミュニティバス「まいどはやバス」中央ルートサンシップとやま前バス停より徒歩3分
著名な出身者
[編集]括弧内は卒年を表す。
実業
[編集]- 角川源義(1935年) - 角川書店創業者
- 数土直方(1953年) - エスエス製薬名誉会長
- 高木繁雄(1967年) - 北陸銀行頭取
- 永原功(1967年) - 北陸電力社長
- 木村剛(1981年) - 経済学者、経済評論家、日本振興銀行社長
映画監督
[編集]学者
[編集]政治
[編集]- 広野允士(1961年) - 民主党参議院議員
- 谷内正太郎(1962年) - 外務省事務次官
- 石井隆一(1964年) - 富山県知事、元消防庁長官
- 井上義久(1966年) - 公明党衆議院議員、公明党政務調査会長
- 森雅志(1971年) - 富山市市長
- 高橋はるみ(1972年) - 北海道知事
- 林則清 - 警察庁刑事局長、元警視庁副総監
関連項目
[編集]外部リンク
[編集][[Category:富山県の高等学校|とやまちゆうふ]]
[[Category:日本の公立高等学校|とやまちゆうふ]]
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