利用者‐会話:Syam965
1876年(明治9年)4月22日の宮城県磐前県の境域変更について
[編集]Syam965さん、始めまして。 最近過去の都道府県の人口一覧の項目で、磐井県の廃止の明治9年4月18日から遅れること4日目の4月22日に、改めて宮城県から磐井県へ管轄の移動があったとの編集をされましたが、これに関しては幾つかの情報と矛盾します。例えば『法令全書』によりますと、明治9年4月18日の太政官第53号布達の中で「磐井県ヲ廃シ 陸前国ハ宮城県ヘ 陸中国ハ岩手県ヘ合併 宮城県管轄磐城国ヲ磐前県ヘ合併」とあり、明治9年4月18日の段階で既に磐城国の刈田郡・伊具郡・亘理郡・宇多郡は総て磐前県へ合併することが決まっており、『地方沿革略譜』でも同様の記述となっています。また『国史大辞典』では「管轄は行方・標葉・楢葉・田村・磐城・石川・菊多・白河・磐前・宇多の一部、以上十郡で石高四十二万石余、戸数四万二二四八戸、人口二四万二九〇六人。同九年四月十八日亘理・伊具・刈田の三郡を統轄した。同年八月二十一日廃県となり、亘理など三郡は宮城県へ、他は福島県に編入された。」とあり、こちらでも明治9年4月18日に一括で移管となっております。
確かに現行のwikipediaの磐前県等の項目ではすべて明治9年4月22日となっており、もしかしたら角川地名辞典など?では4月22日という記述になっているのかも知れませんし、もしかしたら中央から地方への達の時間のずれにより、4月22日に実施されたという根拠があるのかも知れませんが、現状ではソースがはっきりしないので、4月18日に一斉に管轄変更が行われたとする法令全書等の記述に基づく内容に戻します。Orichalcum(会話) 2017年8月1日 (火) 10:31 (UTC)
Orichalcumさん、はじめまして。 ご指摘ありがとうございました。確かに明治9年4月に宮城県刈田郡・伊具郡・亘理郡および宇多郡のうち9か村(現:新地町域)が、磐前県の管轄となった日付については議論があるようです。『国史大辞典』でも「磐前県」では18日ですが、「刈田郡」では22日となっています。過去の都道府県の人口一覧の項目では『法令全書』等に基づく4月18日で問題ないかと思いますが、宮城県刈田郡・伊具郡・亘理郡および宇多郡の一部が磐前県へ移管されたことの記述は、誤解をさけるためにも必要なことと思われます。差し支えなければ追記してしまいますが、いかがでしょうか。--Syam965(会話) 2017年8月3日 (木) 12:23 (UTC)