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Snapenさんがウィキペディアにおいて実り多き執筆・活動をなされることを楽しみにしております。 --R28Bot 2008年9月20日 (土) 09:29 (UTC)[返信]

「規則どころかスポーツマン精神さえ踏みにじる破戒的行為として、後の評価では・・・」との件について

[編集]

「『F1レーシング日本版』 6月情報号、三栄書房、2008年、64頁」の記事たったひとつを以って、後の評価とするのはいささか乱暴だと思います。また「規則どころかスポーツマン精神さえ踏みにじる破戒的行為」というのは、貴方の判断でしょうか?それとも貴方の言う後の評価でしょうか?仮に一般的に「規則どころかスポーツマン精神さえ踏みにじる破戒的行為」と思われているのでしたら、F1関係者や一般人からの投票で「史上最速のF1ドライバー、史上最高のF1ドライバーに共に1位で選出される」などあり得ないと思います。確かに非常に危険な行為ですが「規則どころかスポーツマン精神さえ踏みにじる破戒的行為」と言う私見に基づいた感情的な表記には問題があると思います。私見を挟まない表記に変えない限り、削除の対象になると思います。--Sdesenna 2008年10月16日 (木) 17:16 (UTC)[返信]

私の主観ではありません。加筆した箇所『規則どころかスポーツマン精神さえ踏みにじる破戒的行為として、後の評価ではセナは偉大だが不完全だった』は、提示した出典に掲載されています。--Snapen 2008年10月16日 (木) 17:49 (UTC)[返信]
さまざまな見解があるなかで、「『F1レーシング日本版』 6月情報号、三栄書房、2008年、64頁」の一方的な文面ひとつをもって出典とし、後の評価とすることには問題があると思います。この出典を執筆した方が、どれほどの権威があるのでしょう?「セナは偉大だが不完全」と評価しているのはいったい誰でしょう?ちなみにセナを「史上最速のF1ドライバー」に選出したのは、エクレストンやモズレー、ブリアトーレやジョーダンなど、当時一線で活躍していた人たちです。同じくベストドライバーに選出したのは、「F1 Racing」の読者です。「『F1レーシング日本版』 6月情報号、三栄書房、2008年、64頁」の執筆者がどのような方か存じませんが、貴方の主観でなくても、この記事自体が執筆者の主観で書かれた記事であれば、出典としての価値はないと思います。いったいどのような統計・調査に基づいて執筆者が「規則どころかスポーツマン精神さえ踏みにじる破戒的行為として、後の評価ではセナは偉大だが不完全だった」と判断を下したのかが分からなければ、削除の対象になると思います。あるいは、ある程度の統計や調査に基づた出典をご提示下さい。--Sdesenna 2008年10月17日 (金) 06:45 (UTC)[返信]

出典元は史上最高1位にセナが選ばれ、その寸評に掲載された記事です。執筆者はF1レーシング編集部ですね。出典に『発表!読者が選んだ歴代ドライバー100傑』を追記しておきます。 Wikipedia:中立的な観点では、『この方針の言い換え:事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くな』とあります。また、Wikipedia:信頼できる情報源では『多くの記事は論争上のさまざまな立場を記述するものである、ということを心にとめておいてください』となっています。我々は百科事典の編集をしています。一方の意見だけを執筆するのは中立的では無くなる為、賛否併記するべきです。そして、それらをどう判断するかは読者自身ですよ。--Snapen 2008年10月17日 (金) 08:42 (UTC)[返信]

賛否双方を記載し、読者の判断に委ねる。まさにおっしゃるとおりだと思います。ですので、後の評価という、セナの評価を既に断定している表記には、ことさら慎重な出典・根拠が必要だと思います。まして「規則どころかスポーツマン精神さえ踏みにじる破戒的行為」という『F1レーシング日本版』の表現も、読者の判断に委ねる百科事典としては不適切に乱暴で過大です。「スポーツマン精神を欠く危険な行為」程度に留めるべきところを、とんでもない極悪非道な人物かのような表現で、主観が見られます。なぜあえてこのような表現を記載なさろうとするのか疑問です。明らかに否定的意見を助長しており「中立的な観点」や「賛否併記するべき」と言うには度が過ぎています。また『発表!読者が選んだ歴代ドライバー100傑』を出典に選ばれましたが、こちらの出典内に『規則どころかスポーツマン精神さえ踏みにじる破戒的行為として、後の評価ではセナは偉大だが不完全だった』ことに関して信頼のおける統計・調査などがなされているのでしたら、そちらを出典となさって下さい。そのような信頼のおける統計・調査などがない限り、F1レーシング編集部の主観的な表記に過ぎず、出典として有効ではないと思います。おっしゃるとおり、我々は百科事典の編集をしています。賛否を読者の判断に委ねる内容の記載は結構ですが、その内容を記載する表現が過大では、一方の見解を助長することになりますのでご注意下さい。これは、出典があればよいというものでもありません。出典の表現や信頼性にも充分注意を払ってください。仮に「セナは偉大だが不完全」という表現が、アンケート調査等に基づいた結果であったり、あるいはF1において権威ある人物の表現として記載するのであれば結構だと思いますが「F1レーシング編集部」に記載があるだけでしたら、その執筆者の主観と判断せざるを得ません。この執筆者に一定の権威がない限り、これを出典として認めてしまえば、いくら「賛否併記するべき」とは言え、何もかもが出典としてまかり通ることになってしまいます。「危険な走行」の記事内に、ロズベルグやスチュワート、ラウダらの発言や「その速さやテクニックは評価されている一方で、人格者またはクリーンなレーサーであったかのような紹介には上述の通り、否定的な意見も出ている。」という表現がありますが、発言者にも信頼があり、主観を挟まず誇張をせず、非常に公正な記載だと思いますのでご参考になさって下さい。賛否共にあまり誇大な表現を記載してしまうと、読者の混乱を招く結果にも繋がります。セナの「スポーツマン精神を欠く危険な行為」を中立的な表記をし、読者の判断に委ねるのであれば、別の表現を用いるべきでしょう。--Sdesenna 2008年10月17日 (金) 09:51 (UTC)[返信]

「出典の表現や信頼性にも充分注意を払ってください」とのことですが、Wikipedia:引用のガイドライン/草案のテキスト引用の方針にある、1.~7.に反していません。特に6.では『表現の書き換えをしてはいけません。そもそも、そのままの表現を必要として引用するのですから、改変する必要はないはずです』と決まっています。Sdesennaさんは「極悪非道」と取るのでしょう。他の読者はあなたと同じように取るのか、または「非常識」と取るのか、もしくは第三、第四の捉え方をするかは千差万別です。全ての人があなたのように捉えるかはわかりません。

あなたは「F1レーシング編集部の主観的な表記に過ぎず、出典として有効ではないと思います」と仰ってますが、そうすると、F1レーシングが集計した投票も有効でないということになりますよ。編集部が作成、実行した同じ企画、寸評を「一方では投票結果だけ出典して、その投票結果に付随する各ドライバーの寸評の出典はダメ」と言うのは、あなたが仰った不適切に乱暴で過大な主観ですよ。

F1レーシング編集部が、責任を持って編集して出版している記事、企画を、あなたの主観で「この企画は正しいから出典できる。この記事は正しくないから出典はできない」と判断することは、Wikipediaの方針と矛盾していませんか?Wikipediaを執筆する人自身の意見、考え、持論を書いてはいけないんですよ。Wikipedia:独自研究は載せないも参照してください。また、あなたが主張する

  • 出典基準に「信頼のおける統計・調査」とは、Wikipediaのどこに記載されているのですか?
  • 出典基準に「権威ある人物」とは、Wikipediaのどこに記載されているのですか?

Sdesennaさんの主張は、Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:引用のガイドライン/草案Wikipedia:独自研究は載せないに則っていないですね。今一度、この4つと今まで私が回答したものをご理解した上で、併せて返答してください。--Snapen 2008年10月17日 (金) 12:49 (UTC)[返信]

【追伸】Sdesennaさんへ。(「その速さやテクニックは評価されている一方で、人格者またはクリーンなレーサーであったかのような紹介には上述の通り、否定的な意見も出ている。」という表現がありますが、発言者にも信頼があり、主観を挟まず誇張をせず、非常に公正な記載だと思いますのでご参考になさって下さい。)と書き込んでもらいましたが、左記の「」内の文は私が編集したものです。参考にするまでもないのでお気遣いは無用です。--Snapen 2008年10月17日 (金) 13:15 (UTC)[返信]

ですから主観だの客観だのが曖昧な上、全てを読む人の判断に任せることになる以上、必要以上に強調された表現を用いることが危険だというのが分かりませんか?それでしたらどんな表現もまかり通ることになってしまうのが分かりませんか?「必要以上」というのが私の主観だと言うのなら、それは屁理屈と言うものです。「踏みにじる」「破壊的行為」がことさらに乱暴で必要以上に強調する表現なのは明白です。百科事典には不適切です。例えば「スポーツ精神に反する・・」と表現するのと「スポーツ精神を踏みにじる・・」では、同じ批判的内容でも、表現の意図がまるで違うのが分かりませんか?読者に判断を委ねる百科事典でしたら、必要以上の表現は避けるべきです。なぜあえてこのような表現の記事を選択なさったのでしょう?批判的意見を充分に助長しています。
  • F1レーシングが集計した投票も有効でないとおっしゃってますが、こちらはアンケートなどに基づく統計ですので充分有効といえるでしょう。それは屁理屈です。「あなたの主観で「この企画は正しいから出典できる。この記事は正しくないから出典はできない」と判断する」には当たらないでしょう。
  • 一方では投票結果だけ出典して、その投票結果に付随する各ドライバーの寸評の出典はダメ」とは言っていません。その寸評が、統計的なものであれば充分に効果を持ちます。言っておきますが「アンケート」というのは票が集まって総体として意味を成しますが、寸評は、それをバラバラにした一つ一つの票の傾向で、いわばそれぞれが個人的な意見で、集合して統計としての効力を持つものではありません。まして、アンケート自体が、貴方の言う寸評を目的とせず、ドライバーのランキングを目的としている時点で、寸評の内容を出典とするには効果が薄すぎます。
  • Wikipediaを執筆する人自身の意見、考え、持論を書いてはいけないんですよ。」と言いますが、あなたの持論でなければ、特定の個人の持論、それもことさら一方の見解に偏った持論を記載してもいいとは到底思えません。あなたのやり方では「テレビで誰々が言っていました。」程度で出典になってしまいます。巧妙にガイドラインの目を縫っているだけの、卑劣な手法です。
  • 他の読者はあなたと同じように取るのか、または「非常識」と取るのか、もしくは第三、第四の捉え方をするかは千差万別です。全ての人があなたのように捉えるかはわかりません。」とおっしゃっていますが、それが分かっているのでしたら、このように一方の主張を必要以上に強調し明らかに助長する表記を、なぜあえて百科事典に掲載する必要があるのか、理解に苦しみます。充分削除に値します。
我々は百科事典を編集しています、とはあなたの言葉です。これをもう一度よく考える必要があるでしょう。
ちなみに、あなたはガイドラインを頻繁に持ち出していますが、このガイドラインは受け取り方で様々な解釈ができる上、主観と客観は論争し始めるときりがありませんので、ガイドラインよりも百科事典の本質から考え直してください。例えば、ガイドラインに「礼儀」とありますが、礼儀の判断など人によって異なります。そういったことを踏まえれば、ガイドラインに抵触していなければどんな表現でもいいわけではないと思います。ガイドラインに記載されていないからと言って、口語で執筆したり、英語で執筆する人がいますか?これは良識の範囲です。ガイドラインを全て読まれているのでしたら、ガイドラインを持ち出して中立的な表現の議論をすることがいかに難しいものかは、ガイドライン自体に記載されています。
【追伸】「その速さやテクニックは評価されている一方で、人格者またはクリーンなレーサーであったかのような紹介には上述の通り、否定的な意見も出ている。」の表現は、出典を要求したのちに変更されたものですのですね。私の気遣いが役に立ってよかったです。参考にするまでもないのでお気遣いは無用です。とおっしゃりますが、今回も気遣いが無用とは思えません。このように中立な表記に変更ができるのでしたら、そのようになさるべきだと思います。この表記は、まさに読者に判断を委ねるものと言えると思います。--Sdesenna 2008年10月17日 (金) 17:47 (UTC)[返信]

あなたは私の回答と指定したWikipediaのガイドラインをとても理解しているように見受けられませんね。残念です。

>必要以上に強調された表現を用いることが危険だというのが分かりませんか?なぜあえてこのような表現の記事を選択なさったのでしょう?批判的意見を充分に助長しています。

だから出典元を明記するのです。出典元がない記事は独自研究、曖昧な表現、大言壮語として訂正されるわけです。

>あなたの持論でなければ、特定の個人の持論、それもことさら一方の見解に偏った持論を記載してもいいとは到底思えません。

個人でも私でもなく、F1レーシングの発表内容ということが理解できませんか?F1レーシングが責任を持って投票結果やドライバー個々の評価記事を掲載して、出版しているのです。彼らは雑誌の中に記載されているもの全ての責任を背負うのです。『規則どころかスポーツマン精神さえ踏みにじる破戒的行為として、後の評価ではセナは偉大だが不完全だった』が社会的に問題となるのなら、もしくはセナの関係者が名誉毀損と考え訴えたら、F1レーシングは責任を持って対応するのですよ。彼らが責任を担って発表した記事を、あなたの主観でどうしても信用できないと言い張るのであれば、投票結果もWikipediaに載せるべきではありません。

>このように一方の主張を必要以上に強調し明らかに助長する表記を、なぜあえて百科事典に掲載する必要があるのか、理解に苦しみます。

セナ1位だけ載せるほうが、一方の主張だけで必要以上に強調しているのではないですか?そちらのほうが理解しかねます。あなたは、自分が中立的でないことに気づいていませんね。6月情報号の同じ企画である投票と記事の出典を、あからさまに差別する根拠が論理的ではなく、あまりにもあなたの主観が強過ぎます。私はセナの1位を載せる事も賛成しています。

>あなたのやり方では「テレビで誰々が言っていました。」程度で出典になってしまいます。

私の出典の仕方でどこが間違っているのかをWikipediaの基準(ガイドライン)を基に、具体的に説明してください。今までのあなたの主張は、あなたの主観であってWikipediaの基準に則っていません。なぜ、私があなたの主観に従わなければいけないのですか?私はWikipediaのガイドラインに基づいて今後も編集していきます。何の根拠もなく、テレビを持ち出す支離滅裂な発言は控えてください。

>その寸評が、統計的なものであれば充分に効果を持ちます。言っておきますが「アンケート」というのは票が集まって総体として意味を成しますが、寸評は、それをバラバラにした一つ一つの票の傾向で、いわばそれぞれが個人的な意見で、集合して統計としての効力を持つものではありません。アンケート自体が、貴方の言う寸評を目的とせず、ドライバーのランキングを目的としている時点で、寸評の内容を出典とするには効果が薄すぎます。

Wikipediaの出典基準のどこに「信頼のおける統計・調査」、「権威ある人物」と記載されているのですか?あなたは私の質問にいまだ明確な回答をしていませんよ。どこに記載されているのでしょうか???なお、私の記述に寸評と記事と二つの単語を使用していたので、記事に統一します。正確にはセナの評価は1ページ丸まるの記事なんですよ。短い文で書かれているのではなく、セナの評価をF1レーシングが記事として綴っているのです。肯定的な意見と否定的な意見がそれぞれ載っています。F1レーシングでも賛否併記しているんですよ。既に回答したように彼らは記事にも発表責任をもっているわけです。その記事からの引用を載せてはダメで信用できないのと強行に主張するのなら、投票だって信用できないと考えるのが自然ですよ。同じ編集部で集計されてるんですからね。私は投票結果と記事をそれぞれ信用しています。

>このガイドラインは受け取り方で様々な解釈ができる上、主観と客観は論争し始めるときりがありませんので、ガイドラインよりも百科事典の本質から考え直してください。

あなたは自分の主張が矛盾していることがわかりますか?あなたが言う「百科事典」とは何ですか?Wikipediaのことを言ってるのなら、Wikipediaのガイドラインに則って編集していくべきです。私やあなたが個々に本質を考えることではないのです。ガイドラインを基準に編集していかなければ、何をよりどころに執筆していくのですか?あなたが考える百科事典の本質でWikipediaを執筆することは、Wikipediaの方針やガイドラインに反していることがわかりませんか?ガイドラインに従えないのでしたら、あなたはWikipediaの編集をするべきではありません。

>このように中立な表記に変更ができるのでしたら、そのようになさるべきだと思います。

出典から引用した文章を改変してはいけないというのがまだ理解できませんか?あなたの過去の投稿記録を一通り見ましたが、セナに対しては、情熱的ですね。Wikipedia:ウィキケットでも「あまりにも情熱を持っている事柄については執筆を避けてください。このルールは中立的な記事を書くためのものです。偏っているときに中立になることは難しいのです」となっています。賛否の記事を掲載することが中立ですからね。上述したとおり、あなたは中立的ではありません。

>出典を要求したのちに変更されたものですのですね。私の気遣いが役に立ってよかったです。このように中立な表記に変更ができるのでしたら、そのようになさるべきだと思います。この表記は、まさに読者に判断を委ねるものと言えると思います。

既に出典タグがついてた記事を曖昧な表現だったから、直しただけです。私が編集した記事を「参考にしてください」と、勘違いして持ち出してきたあなたのほうが非常に心配です・・・・・・。もう一度、Wikipedia:基本方針とガイドラインWikipedia:ガイドブック、私が既に内部リンクした各項目、これまでの私の回答を熟読することをお勧めします。あと、質問には必ず回答してくださいね。今までのやり取りは、あなたが屁理屈というか反対の為の反対をして、主張も論理的ではなく幼稚な印象を持っています。小中学生ですか?どうしてもWikipediaのガイドラインに納得できないのであれば、ヘルプやFAQを参照して問い合わせしたらどうですか?私にはあなたの理想とするガイドラインへの変更はできませんよ。--Snapen 2008年10月17日 (金) 21:44 (UTC)[返信]

申し訳ありませんでした。あなたが日本語の理解力の乏しい方とは思いませんでしたので、長々と文章を書き込みましたが、全く理解できていないようですね。これ以上分かりやすく表現することも無理ですので、何を言っても無駄なんでしょうけど・・・。どうしてもWikipediaのガイドラインに納得できないのではなく、あなたのガイドラインの解釈が歪んでいるんですよ。はっきり言って、論理的ではなく幼稚な印象を持っています。小中学生ですか?はそのままお返ししますよ。そのような稚拙な表現で相手を罵ること自体、愚かだと気づいて下さい。やめたほうが今後のためですよ。セナに対しては、情熱的ですね。は貴方の主観ですか?主観を挟んだ意見は迷惑です。わたしが「セナが危険な運転をするドライバー」であることに異論を唱えましたか?ちゃんと読んでますか?読んで理解していますか?もう一度全て読み返してください。『規則どころかスポーツマン精神さえ踏みにじる破戒的行為として、後の評価ではセナは偉大だが不完全だった』は、自己責任で発行している雑誌の記事としてはよいのでしょうが、出典があろうがなかろうが、百科事典には不適切に誇張された表現だという、こんな簡単なことが理解できないんですね。あなたが出典元を選ぶんですから、出典元の表現にも充分な配慮をすべきだと言っているのです。あなたはその1ページに渡る賛否両論の記事を全て読んでいるのでしょうが、Wikipediaを閲覧する人には、その1ページが『規則どころかスポーツマン精神さえ踏みにじる破戒的行為として、後の評価ではセナは偉大だが不完全だった』という極めて否定的な一文になって伝わるのです。まして、前後の文脈もあわせると、一方の見解としてというよりは、確立されたセナの評価であるかのように記載されています。読者に判断を委ねるような出典を選択できないのであれば、あなたこそWikipediaの編集をするべきではありませんね。同じ内容を記載するにも、表現が違うと伝わり方が変わってしまうということが理解できないんですね。書店で百科事典を一度購入されてみてはいかがですか?勉強にもなりますよ。このように不適切に誇張された表現がされている百科辞典があったら教えて下さい。あなたが私の言っていることを一切理解していない、理解しようともしていない、というか理解できないようですので、これ以上の議論は不毛でしょう。
ちなみに、私は普段このような論争にガイドラインを持ち出すことは、あまり意味がないことを経験的に知っているのですが、あなたの聖典ガイドラインのWikipedia:中立的な観点には「偏りのない記述をするということは、ある論争についてその特長を説明しつつ、特定の立場をとらない記述をすることである」とあります。もう一度「F1ブームの中で、特に日本では「純な好青年」という像がナイーブなファンを中心に作り上げられていった。しかし1990年の日本GPでスタート直後にライバルのプロストと接触して両者リタイヤした事件(セナは後に故意だったと告白)は、規則どころかスポーツマン精神さえ踏みにじる破戒的行為として、後の評価ではセナは偉大だが不完全だったとされ、故意に危険な走行をする場合がある点も広く知られており、FIAから重いペナルティを課せられたこともあった。F1デビュー当時は、レース関係者の中から「あいつ、そのうち死ぬぞ」とささやかれたこともある。」という前後の文脈も含めて、「特定の立場をとらない記述」かどうか読み返してみることですね。
Wikipedia:大言壮語をしないを読んでください。「規則どころか」「スポーツマン精神さえ踏みにじる」「破戒的行為」がそれにあたります。「規則とスポーツマン精神に背く行為」あたりが適切な表現と言えるでしょう。「事実としての情報なしに・・」とありますから、この場合あなたの出典では、ここまでの誇大表現が事実であることを検証できません。出典文献の記事自体が大言壮語をしています。ですから出典は慎重に選択するべきだと言っているのですが、きっとあなたには理解できないでしょう。何度も言いますが、出典を提示すれば何でも記載できるわけではないんですよ。出典自体が大言壮語してるんです。あえてそれを選択することが疑問なんです。分かりました?分かりませんよね・・はい残念。
【追伸】あなたは私がF1関連記事を編集するために取得したアカウント名を見てセナに対しては、情熱的ですね。と思ったのでしたら、大きな間違いです。とりあえずセナから始めているだけですからあしからず。私はF1にたいしては、情熱的です。だからこそ中立性をもとめているんですがね。賞賛されるべき賞賛し、非難されるべきは非難する、しかし必要以上の表現は、中立性を欠きます。人の意見に耳を傾けることもできず、自分の意見や見解を変えることもできず、いい加減理解もできないのでしたら、論理的ではなく幼稚な頭で利口ぶってWikipediaの編集なんてしない下さい。みんなが迷惑しますから。ちなみにもう返事は要りません。おそらく何も変わらないでしょうから。あなたの文面から察するに、あなたは人を論破することに必死で、人の意見に傾聴する気なんてサラサラないという傲慢さが伺えます。不毛ですので、返事は不要です。あなたに教えて上げられることはもう何もありません。--Sdesenna 2008年10月18日 (土) 00:17 (UTC)[返信]


話を摩り替えるのは止めましょう。「ちなみにもう返事は要りません」って・・・・・・。ここは私の会話ページです。あなたが土足で上がり込み勝手に暴れていただけで、私は被害者なんですよ!本来ならノートで話し合い、第三者の意見をもらってもよかったのですが、あなたがあまりにも支離滅裂だから、セナのノートが荒れるのであえて止めました。それと返事ではなく、今までの議論を総括する上で書きます。Sdesennaさんこそ、建設的な話し合いができないのなら、ここに書き込むのはご遠慮ください。


>あなたのガイドラインの解釈が歪んでいるんですよ。はっきり言って、論理的ではなく幼稚な印象を持っています。小中学生ですか?はそのままお返ししますよ。そのような稚拙な表現で相手を罵ること自体、愚かだと気づいて下さい。

あなたは今まで

  • 「ですから主観だの客観だのが曖昧な上、全てを読む人の判断に任せることになる以上、必要以上に強調された表現を用いることが危険だというのが分かりませんか?」

一点張りですが、出典を明記された記事そうでない記事を混ぜ合わせて論じることが、矛盾していることをいつ理解できるのしょうか・・・?

それを防止する為にウィキペディアの記事における三つの方針があるのです。「Wikipedia:中立的な観点」、「Wikipedia:独自研究は載せない」、「Wikipedia:検証可能性」です。「編集者はこれら三つの方針を併せて理解するよう努めてください。この三方針は議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません」となっているのです。Wikipediaの方針やガイドラインに則っていないし、論理的でないあなたの主張は、幼稚であり稚拙と言われても仕方がないんです。

それと私は別に罵っていませんよ。そもそも「不適切に乱暴で過大です」、「それは屁理屈と言うものです」と、最初にあなたが私へ罵り始めたのを忘れてしまいましたか?私が小中学生と申し上げたのもWikipedia:児童・生徒の方々へという掲載があるように、編集に参加すべきでないという子たちもいるわけです(もちろん、Wikipediaのガイドラインを遵守できる小中学生は、全然問題ありません)。


>出典があろうがなかろうが、百科事典には不適切に誇張された表現だという、こんな簡単なことが理解できないんですね。

これまた「出典があろうがなかろうが」とは、暴論がでましたね。まずは落ち着いてください。出典がなければ、独自研究として削除されるんですから、問題ないんですよ。そのために出典を明記するわけです。左記を何度も私は上述で申し上げてますけど、理解していますか?


>「事実としての情報なしに・・」とありますから、この場合あなたの出典では、ここまでの誇大表現が事実であることを検証できません。

また、あなたはWikipediaを理解していないことを露呈しましたね。大言壮語とは「事実としての情報なしに、記事を単に引き立たせるための表現」と定義されています。そして、Wikipedia:検証可能性ではウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。つまり、私たちがウィキペディアで提供するのは、信頼できるソース(情報源)を参照することにより「検証できる」内容だけだということです。

今回の件ではF1レーシングが信頼できるソースです。これで3回目の回答ですが、彼らは記事にも発表責任をもっているわけです。その記事からの引用を載せてはダメで信用できないのと強行に主張するのなら、投票だって信用できないと考えるのが自然ですよ。同じ編集部で集計されてるんですからね。私は投票結果と記事をそれぞれ信頼できるソースとして思っています。


>Wikipedia:大言壮語をしないを読んでください。「規則どころか」「スポーツマン精神さえ踏みにじる」「破戒的行為」がそれにあたります。「規則とスポーツマン精神に背く行為」あたりが適切な表現と言えるでしょう。

そのように書き換えたら、出典を改変して引用したことになるのがまだ理解できませんか?ここも3回同じことを申し上げてるのですが・・・・・・。仮に「規則とスポーツマン精神に背く行為」と書き換えるならあなたの独自研究になると説明したはずです。そして出典を明記していても改変されている為、Wikipediaの基準にクリアしていません。なぜ、基準にクリアしないことを執拗にごり押しするのでしょう?あなたの意図が全く理解できません。


>出典文献の記事自体が大言壮語をしています。ですから出典は慎重に選択するべきだと言っているのですが、きっとあなたには理解できないでしょう。

出典文献の記事自体が大言壮語でNG」というSdesennaさんの主張は、“史上最速”、“史上最高”もNGとなるんですよ。あなたが中立的でないということがここでも証明されましたね。あなた自身が矛盾を主張していることに、いつになったら気づくんですかね・・・・・・?


>ちなみに、私は普段このような論争にガイドラインを持ち出すことは、あまり意味がないことを経験的に知っているのですが、

意味がないという発言はWikipediaの方針に則って編集する気がないというあなたの考えを表しているのですね。普段ここまでガイドラインや方針を持ち出して、話し合うことは確かにないですよ。あなたような「正論を謙虚に受け止め、自らの間違いを認められない」、「Wikipdiaの方針や理解を全くしていない」方と巡り合うことは滅多に無いですからね。


>あなたの聖典ガイドラインのWikipedia:中立的な観点には「偏りのない記述をするということは、ある論争についてその特長を説明しつつ、特定の立場をとらない記述をすることである」とあります。

またまたWikipediaを理解していないこととやはりあなたが中立できないということが明白になってしまいました。「特定の立場を取らない」というのは今回の場合、投票結果とその記事をそれぞれ記載することなんですよ。


>「F1ブームの中で、特に日本では「純な好青年」という像がナイーブなファンを中心に作り上げられていった。しかし1990年の日本GPでスタート直後にライバルのプロストと接触して両者リタイヤした事件(セナは後に故意だったと告白)は、規則どころかスポーツマン精神さえ踏みにじる破戒的行為として、後の評価ではセナは偉大だが不完全だったとされ、故意に危険な走行をする場合がある点も広く知られており、FIAから重いペナルティを課せられたこともあった。F1デビュー当時は、レース関係者の中から「あいつ、そのうち死ぬぞ」とささやかれたこともある。」という前後の文脈も含めて、「特定の立場をとらない記述」かどうか読み返してみることですね。

あなたは話し合うテーマをいつも摩り替えますね。この段落は3つの文に分かれているわけですから、それぞれ議論する内容が違うんですよ。あえて言うなら、

  • 「しかし1990年の日本GPでスタート直後にライバルのプロストと接触して両者リタイヤした事件(セナは後に故意だったと告白)は、規則どころかスポーツマン精神さえ踏みにじる破戒的行為として、後の評価ではセナは偉大だが不完全だったとされ、故意に危険な走行をする場合がある点も広く知られており、FIAから重いペナルティを課せられたこともあった。」

のみで話し合うべきです。私が引用した文章の前後には既に、表現は違えどF1レーシングでも同じ内容のことが掲載されています。そして表現的には内なる狂気偏執性とかもっと過激ですよ。これらを引用しても構わなかったわけです。では、なぜ前後の文章を書き換えなかったか?他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてくださいに従って編集しているからです。詳しくはWikipedia:編集方針をご覧ください。

ちなみに「F1ブームの中で、特に日本では「純な好青年」という像がナイーブなファンを中心に作り上げられていった」「F1デビュー当時は、レース関係者の中から「あいつ、そのうち死ぬぞ」とささやかれたこともある」をそれぞれ、あなたは出典依頼をされていますが、それでいいのではないですか?ガイドラインに則って対応してください。


>何度も言いますが、出典を提示すれば何でも記載できるわけではないんですよ。出典自体が大言壮語してるんです。あえてそれを選択することが疑問なんです。分かりました?分かりませんよね・・はい残念。

「出典を提示すれば何でも記載できるわけではないんですよ。」というのはあなたの主観なんですよ。だから、意見が分かれる記事には出典を明記すると定められています。Wikipedia:出典を明記するを読んでください。

これ以上あなたの主観は結構ですから、主張の根拠となるWikipediaのガイドラインを提示してくださいよ。未だに

  • 出典基準に「信頼のおける統計・調査」とは、Wikipediaのどこに記載されているのですか?
  • 出典基準に「権威ある人物」とは、Wikipediaのどこに記載されているのですか?

の返事をなぜもらえないのですが。3回目ですよ。早く答えてください。


>セナに対しては、情熱的ですね。は貴方の主観ですか?主観を挟んだ意見は迷惑です。

私があなたのことを「セナに情熱的」と言っていいんですよ。私の思っていることをWikipediaの記事に執筆しているわけじゃないんですから。よーく考え直してください。頭の中、整理できていないようですね。大丈夫ですか?


>【追伸】あなたは私がF1関連記事を編集するために取得したアカウント名を見てセナに対しては、情熱的ですね。と思ったのでしたら、大きな間違いです。とりあえずセナから始めているだけですからあしからず。私はF1にたいしては、情熱的です。だからこそ中立性をもとめているんですがね。

やはり、あなたは私の回答を読んでませんね。私はあなたのアカウントのことなんか、一言も言ってないですよ。もちろん、あなたの全ての投稿がセナを贔屓にしたとは言ってないです。ただ、残念なことにあなたの編集は理由を記述されていないものがほとんどです。個人的に気になった編集として、

の3点が中立的でないと思いました。上述したとおり、あなたの主張には矛盾が多すぎますので中立を求めているとは到底思えません。あしからず。


>賞賛されるべき賞賛し、非難されるべきは非難する、しかし必要以上の表現は、中立性を欠きます。人の意見に耳を傾けることもできず、自分の意見や見解を変えることもできず、いい加減理解もできないのでしたら、論理的ではなく幼稚な頭で利口ぶってWikipediaの編集なんてしない下さい。みんなが迷惑しますから。ちなみにもう返事は要りません。おそらく何も変わらないでしょうから。

Sdesennaさん自身のことを言っているのですか?あなたの主観を他人が受け入れないから、あなたが駄々をこねているだけでしょう。あなたが小中学生でないなら、もう少し大人になったほうがいいですよ。あなたはWikipediaのメインページを一から読み直して、よく理解してから編集を行なわないと、私以外の他の人からも同じように指摘されますよ。今回のような自分の主張を強引に押し付けることを各記事の編集やノートであなたがしないことを切に望みます。と心配したにも関わらず、あなたの会話ページ見たら、とっくに他のユーザーへも自分の主張をごり押ししますね。相手の主張が、Wikipediaの基準に即していると第三者の私が申し上げておきます。だめですよ、みなさんに迷惑かけては。


>あなたの文面から察するに、あなたは人を論破することに必死で、人の意見に傾聴する気なんてサラサラないという傲慢さが伺えます。不毛ですので、返事は不要です。あなたに教えて上げられることはもう何もありません。

そっくりその発言をお返しします。あなたの主観的主張は明らかに間違っているから、受け入れなかっただけです。あなたがWikipediaの方針に則った建設的な意見が言えるようになれることを切に願っていますよ。「あなたに教えて上げられることはもう何もありません」なんて仰ってますが、あなたこそ、傲慢以外の何者でもありません。私を指導していたつもりですか?何様ですかと言いたいですね。私はあなたに対して教えていたつもりなんか全然ないですよ。結果的にはいろいろWikipediaの各定義を説明したことには成りましたけどね。

Sdesennaさん。2~3日後に上から改めて読み直してください。あなたの主張がとても矛盾していることがよくわかりますよ。

--Snapen 2008年10月18日 (土) 12:25 (UTC)[返信]

ここは私の会話ページです。あなたが土足で上がり込み勝手に暴れていただけで、私は被害者なんですよ!って、それが嫌ならWikipediaの利用をどうぞおやめください。ある意味、あなたに対話を求めるために、私たちに用意されたページなのですからね。まるで自分の部屋のように言わないで下さい。
そして、あなたがどれほど感情的になっているかいりませんが、ガイドラインを尊重するのであれば「幼稚な印象を持っています。小中学生ですか?」などの人を馬鹿にした「Wikipedia:礼儀を忘れない」に反することからやめるべきですね。こんなことはガイドラインがあろうがなかろうが、良識的に大前提です。返事がいらないのは、あなたにはこの大前提である「良識」が欠落しているからです。
  • 出典基準に「信頼のおける統計・調査」とは、Wikipediaのどこに記載されているのですか?
  • 出典基準に「権威ある人物」とは、Wikipediaのどこに記載されているのですか?
にそんなに答えて欲しいなら最後に教えてさしあげましょう。「Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい」を熟読されることをお勧めしますよ。これもガイドラインの一部です。こんなことは、それこそ「良識」の範囲です。これがないなら「テレビで誰々が言っていました」どころが「学校で先生にならいました」程度と何ら変わらないんですよ。まさに「Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい」の重要性はこの「良識」に委ねられているわけですよ。あなたの「良識」では、ゴシップ誌やタブロイド誌まで立派な文献なんでしょうね。ちなみに今は出典元の信頼性を論点にはしていませんがね。【「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です】って、こんなことはあたりまえなのに、あなたが理解していないんですよ。記載があることを「検証可能」であっても、その「検証元」「出典元」が「大言壮語」をしている以上、さらにその「検証」は不可能だと言っているんです。これをやってしまうと「出典元」に記載があることを理由にさえすれば「Wikipedia:大言壮語をしない」が全く意味をなさなくなるんですよ。それが分からないんですか?だから出典もとの選択には充分な注意が必要だと何回も教えてあげているんですがね。「F1レーシング」が信頼できるソースなのは同意しますが、今問題にしているのは信頼がおけるソースであっても、その表現が「大言壮語」である以上「出典元」として、この記事に関しては不適切だと言うことです。
Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいは、Wikipediaのガイドラインが、いかに不完全なものかを象徴しています。だからこそ論争にガイドラインを持ち出すことは、あまり意味がないと言っているんです。従う気がないんじゃないんですよ。もう少し頭を柔らかくしたら如何です?
もう何度言っても理解できない人と話をするのは面倒臭いので「返事は結構です」。このくらいの日本語は理解してくださいよ。「返事は結構です」。感情的になって他人を侮辱するような良識のない人からの「返事は結構です」。そんなことをするあなたの人格で、Wikipediaの編集されているのかと思うと、気持ちが悪いです。返事があっても絶対に読みませんので、もし書き込まれるのでしたら、自己満足になってしまうことをご了承下さい。--Sdesenna 2008年10月18日 (土) 14:03 (UTC)[返信]


今まで書いたことに全て網羅してあります。理解できなければ、100回でも200回でもわかるまで読んでください。声を出して読み上げるといいかもしれませんね。今回のレスで、あなたがWikipedia:ルールすべてを無視しなさいを理解していないことがよくわかりました。


>その表現が「大言壮語」である以上「出典元」として、この記事に関しては不適切だと言うことです。

これも既に私は明確な回答をしていますよ。この前の私の書込みを熟読してください。


>だからこそ論争にガイドラインを持ち出すことは、あまり意味がないと言っているんです。従う気がないんじゃないんですよ。もう少し頭を柔らかくしたら如何です?

あなたの恣意的で一方的、そして傲慢な主張を理解するには「頭を柔らかく」というより異常になるしかないんでしょうね。

--Snapen 2008年10月18日 (土) 14:57 (UTC)[返信]

謝罪

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Snapenさん、初めまして。Ocreofvitと申します。まず先にお詫びします。どうもすみませんでした。実はノート:アイルトン・セナの私とSdesennaさんのやり取りで、SdesennaさんがSnapenさんと私が同一人物だと言い張りました。私からはっきり否定しましたので、もう問題ないと思いますが。履歴はお時間があるときに、ご確認ください。本当にとんでもないことに巻き込んでしまい、どうもすみませんでした。取り急ぎ謝罪の書込みです。

それにしてもSnapenさんの会話ページ、驚きました。大変だったんですね・・・。失礼します。--Ocreofvit 2008年10月19日 (日) 20:43 (UTC)[返信]

はじめまして、Snapanです。セナノートみました。こちらこそ申し訳ありません。私の会話ページで起きたことに巻き込んでしまい、言葉もありません。Ocreofvitさんが謝ることじゃないですよ。お気づきでしたらいいんですが、Ocreofvitさんへ言ってきたIPユーザー122.29.137.172と125.207.249.101はホストが東京OCNです。エスドセナの会話記録も覗いたんですが、その2つのIPの他に118.8.13.84、123.225.7.223らも東京OCNです。東京OCNはノートでOcreofvitさんに絡み、一方でエスドを煽ってますね。くれぐれも気をつけてください。今、私が出て行くと東京OCNとエスドが荒らしそうなので、暫くセナの編集は控えます。では失礼します。--Snapen 2008年10月20日 (月) 11:40 (UTC)[返信]