利用者‐会話:Sergei semenovich/20090811
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存続終了した項目の削除タグの件
[編集]こんばんは。東京特許許可局です。 ご指摘どうもありがとうございました。順次対応させていただきます。また何かありましたらよろしくお願いいたします。--東京特許許可局 2008年10月7日 (火) 13:32 (UTC)
- どうも、いつもお疲れ様です。今回はKurihayaさんがやって下さったようですね(ありがとうございました!)。こちらこそよろしくお願いします。--sergei 2008年10月7日 (火) 16:04 (UTC)
出展の明記について
[編集]こんばんは。どうか助けてください…。出展の明記をしようと確認のためウエブサイトを見たら、そのサイトがいきなりリニューアルで特設サイトに変わってしまい、元の文面が全部無くなってしまってた場合は、どういうふうに加筆説明すればいいでしょうか。まだまだ不慣れで、わからないことだらけで質問が多くなりますが、宜しくお願いします。--Mocckey 2008年10月11日 (土) 10:53 (UTC)
こんばんは。まずは、太陽 (ラクライ)のほうの脚注や外部リンクを入れて編集してみました。やりかたが間違っていたら教えてください。チェックしていただけると助かります。m(__)m---Mocckey 2008年10月11日 (土) 10:53 (UTC)
- 初めまして。利用者‐会話:Mocckeyにメッセージを書いておきましたのでご覧下さい。--sergei 2008年10月11日 (土) 14:30 (UTC)
シネイド・オコナー
[編集]記事を移動した後はやりっぱなしではなく、特別:WhatLinksHere/シネイド・オコナーをご覧になった上、二重リダイレクトの解消をよろしくお願いします。--211.19.218.199 2008年10月20日 (月) 09:34 (UTC)
- 言われなくとも承知しています。移動に伴う本文の修正に手間取っていました。人に指摘している暇があったら自分でするという選択肢もありますよ。--sergei 2008年10月20日 (月) 09:40 (UTC)
逆切れしてしどろもどろな言い訳を書き連ねている暇があったら自分の尻拭いはまず自分でするという選択肢もありますね。--211.19.218.199 2008年10月20日 (月) 21:25 (UTC)
- 移動を終えて項目本文の修正とノートへの報告を行っている最中の利用者に二重リダイレクトを解消しろなどと要求するのは執筆妨害以外の何物でもありません。十分に反省して下さい。--sergei 2008年10月21日 (火) 09:08 (UTC)
フジコ
[編集]「あなた宛のメッセージ」とやらを読んだ。おそらく自分宛だろうと解釈できた。そして、会話をしたいがWikipediaの使い方が良くわからないので、ここに。
フジコの記事について出典を求められたわけだが、提供する情報が全て他人の調査の受け売りだとでも思っているのか? 例え書籍になっていようと、WEBサイトで公開されていようと、元は誰かの調査に過ぎない。自分の調査結果をそのまま無償で提供しようという人間がいたら、むしろ理想的ではないか。書籍からの引用だと言いつつ出典を書かないなら問題だろうが、そうは言っていない。
そしてそれ以前に、「ほぼ周知の事実」とも言える内容にもかかわらず「個人の感想」だと判断したなら、それこそが個人的見解だと言える。演奏ミスや楽譜の改訂などは誰でも知っていることであり、今さら本気でそれを疑うなら無知というもの。生演奏を聞いた聴衆がその場で気づく事実であり、体験者のそういった報告はgoogle検索でも簡単にヒットする。一々誰かが雑誌なりWEBサイトなりにこれを書くまで待てば良いということにはならないはずだ。間違っていると思うなら、コンサートに足を運んで確認すればよい。または、ネット上で「フジコの演奏ミスを体験した人はいますか?」と呼びかけてみればよい。
「出展が必要なほど疑わしい内容」は書かないようにしている。そもそも半分は元からあった記事を残している。元の記事があまりに一方的な「フジコ寄りの見解」に終始していた(それでも削除されないで残っていたわけだが)ため、むしろ私の修正は責められるいわれはない。最終的には公平になったと言えるはず。ところが一方的な「フジコ寄りの見解」でなくなったとたんに削除とは、なんともおかしな話ではないか。
◆誰かかフジコをいじめた理由が「彼女の才能を妬んだから」というのは、どの程度信憑性のある調査によって出てきたのか。当時のいじめっ子達にアンケートでも取ったのか。いじめっ子の心理など、いじめた本人しかわかるまい。完全な個人的解釈が事実であるかのように書かれているが、そこは問題ないのか?
このように、疑い出せばきりがない。
◆なぜ『成功しなかったのは不遇な運命のせいであると考えている』がそれほど疑わしいと考えられるのか理解に苦しむ。フジコ自ら不遇だという認識があったのは、『同じく不遇だった偉大な芸術家たちの伝記を読んで』によって裏付けられているではないか。
記事の合否判定に論理的一貫性がない。
◇ホロヴィッツの「指を不自然に伸ばして演奏するスタイル」は演奏における音色、技巧、刺激的な熱情をしめす。彼が行ったドメニコ・スカルラッティやアレクサンドル・スクリャービンのピアノ作品演奏は伝説的と言われる。その一方で、批判派によれば彼の演奏は一様にホロヴィッツ風の味付けに解釈されており、時には気取り過ぎ、また多くの場合は作曲者の意図(強弱、長短、速度など)を歪曲して弾いている。こういった事はホロヴィッツであるから受け入れられるのであって、他のピアニストが行うと再現音楽の歪曲として非難を受けることになるであろう。 この彼独自の演奏法で、演奏中にコントロールを失うことがあり、テンポが非人間的なほどに加速する事も珍しくはなかった。ヴラジーミル・ホロヴィッツ#ピアノ演奏技法
これは削除しなくていいらしいが、何が違うのか、納得できる説明をして欲しい。
現時点では、完全にフジコ擁護の立場としか解釈できない。フジコに対する批判的見解を記述すれば、それはアンチフジコによる悪意の中傷なのか? ホロヴィッツに対する批判的見解を記述すれば、それは冷静な分析であり公平な記事なのか? その程度の、非論理的対応ではないのか?--以上の署名のないコメントは、122.29.91.121(会話/Whois)さんが 2008年10月25日 (土) 06:54 (UTC) から 2008年10月25日 (土) 09:45 (UTC) にかけて に投稿したものです(sergeiによる付記)。
- 書き込みの位置をWikipediaの習慣に従って一番下に移動し、マークアップを修正させていただきましたのでご諒承下さい。
まずはWikipedia:検証可能性とWikipedia:独自研究は載せないをよくお読み下さい。Wikipediaでは自分の調査結果を記載することは認められていないのです。Wikipediaにおいて「ほぼ周知の事実」といえるのは信頼できる情報源によって第三者が検証できることに限られます。体験者によるウェブ上の報告や自らコンサートに出向いた体験は「信頼できる情報源」とは見なされません。フジ子の演奏にはミスが多いと記載したいのなら専門誌のレビューなどを元に出典を明示した上で記載して下さい。
元の文章自体も出典のない称賛になっていたのは確かなのであなたの文章だけでなく節ごと削除しました。現在の文章でもなお問題だとお考えなら出典の提示されない部分は削除するといいでしょう。ただし{{要出典}}をあまり多量に貼り付けると何が問題であるのかがわかりにくくなる上に、閲覧者にとっての可読性にも問題が生じますので、冒頭に{{出典の明記}}を一つだけ貼付してノートで議論しながら進めていった方がいいと思います。
ヴラジーミル・ホロヴィッツについては私は編集に関わっていませんので何ともお答え致しかねます。必要ならノートで問題提起してみるといいでしょう。
ここで紹介した方針文書をお読みいただければおわかりいただけますが、Wikipediaは知っていることなら何でも書いていいというわけではありません。各種の方針をよく理解した上で参加して下さるようお願いします。またノートページでの発言には署名をすることを忘れないで下さい。--sergei 2008年10月25日 (土) 09:56 (UTC)
なるほど、基準が検証可能性とは。不慣れなため大変失礼を。指導感謝。その上で今一度聞きたい。ルールに厳格にというのは理解したが、フジコの記事全体を見渡したとき『他の部分に関しては{{要出典}}で済ませたが、演奏に関する節(?)は優先的に削除』と、対応を分けた理由は何か知りたい。『現在の文章でもなお問題だとお考えなら出典の提示されない部分は削除するといいでしょう。』との事なので、他も削除されていてもおかしくないと言えるわけで、余計に気になる。
さて、ピアニストなどに関する記事で演奏の評価などはウィキペディアでは決して珍しくなく、当たり前に見られるものだと思う。出典無しでも。そしてそれらは、その演奏家について知りたいとここを訪れる人(その演奏家のことを今は良く知らない)にとって有益な情報だと信じる。フジコに関しても同様。まれに見る技術力の低さと同時に熱心なファンを短時間で得た特異な存在。賛否両論あり、真っ二つに分かれると言っていい。この独自の魅力は、彼女を知る上で外せない情報と考える。他の情報より優先的に削除しなくても良いのではないか。悪意で言っているのではない。「削除」と「{{要出典}}貼り付け」のどちらでも構わないという事ならば、後者を選んで欲しいという意味。(あれが無意味な内容なら言わない)122.29.91.121 2008年10月27日 (月) 08:52 (UTC)
- 私の申し上げたことについてはご理解いただけたようで感謝します。フジ子・ヘミングは確かに全体的に問題のある項目なのですが、私もこの項目には最近気がついたばかりで、フジ子について特に詳しいわけでもないので大幅に手を入れることもできず、取り敢えずあの節だけでも削っておけば多少ましにはなる、という考えで暫定的な処置として削除を行いました。演奏家の項目に評価についての記載があれば閲覧者にとって非常に有益であるというのはまさに仰る通りで、特にフジ子のようなクラシックのピアニストの中でも極めて特異な立場にいる存在についてはそうした事情が的確に説明されていることが望ましいのは確かです。ただ削除したあの節は率直に言ってあまり質のいい文章には思えませんでした。適切な典拠に基づいた上でもう少し練り上げた文章によってそうした事情を説明していただけたら、と思います。それからもしそうした加筆を行うとしたら、場所は「経歴」の節の後に配置した方がほかの項目との様式の統一がとれていいように思います。Wikipedia:中立的な観点にも配慮して賛否両論あることを適切に解説していただく分には決して反対は致しません。--sergei 2008年10月27日 (月) 09:21 (UTC)
- (追記)音楽の内容についての記述の仕方の例として、最近私が英語版から抄訳したものですがサラ・ブライトマン#音楽をご紹介しておきます。このように誰がどこでどのように発言したのかが明記されていれば閲覧者はその記述を信頼して読むことができるはずです。--sergei 2008年10月27日 (月) 16:02 (UTC)
お礼
[編集]ヴィチェプスク現代美術館とても読みやすくてわかりやすいです(^-^)sergeiさん翻訳ありがとうございました。--コッペリアの柘榴 2008年10月27日 (月) 06:37 (UTC)
- どうも、わざわざのご挨拶、恐れ入ります。美術には明るくないもので苦労しましたが、自分でもとても勉強になってなかなか楽しい作業でもありました。コッペリアの柘榴さんに喜んでいただけてうれしいです♪--sergei 2008年10月27日 (月) 08:52 (UTC)
Tiyroringoさんの管理者立候補質疑のコメントアウトについて
[編集]こんにちは。MLにてClubpathさんご本人より、Cproさんによるブロックに対する抗弁があり[1]、Cproさんの判断でブロックしたとはいえ、誤認かもしれず、現状はとりあえずの追認依頼という段階です。ご本人の抗弁にもあるとおりかなり微妙な案件であり、MLの主張についても審議ではまだ触れられていないという状態です。今後審議も長引く可能性もあり、現段階ではこのような早計な他者のコメントアウトは方針違反に該当します。お手数ですがご自分で元の状態に復帰させておいていただけませんか?方針違反の編集はご自分で訂正されるのが最良ですし、仮に他の人間がやると編集合戦の火種にもなりかねませんのでよろしくお願いします。--119.228.167.146 2008年11月23日 (日) 02:43 (UTC)
- こんにちは。コメントアウトしたのはWikipedia:投稿ブロック依頼/Clubpath 追認にCU権限を有する海獺さんを含む複数の利用者から追認票が寄せられていることから、対処を行ったのはcproさんであるとはいえ事実上はWikipediaで慣習的に認められているCU権限者による即時裁量ブロックと見なせると判断したためでした。しかしその後有意な編集履歴のある方から無期限ブロック者のソックパペットであることに疑問を呈する意見が寄せられていることを確認したためコメントアウトを復帰致しました。どうぞご確認下さい。--sergei 2008年11月23日 (日) 09:50 (UTC)
- 11月中旬以来、議論を半ば投げ出し状態で放置してあったこと、sergeiさんお1人に議論を押し付けてしまっている現状の2点に関して、sergeiさんにお詫びを申し上げなければならないと痛切に感じ、投稿させて頂きました。
- 私はちょうどあの頃、サラエヴォの議論でかなり疲れていたので、議論終了時点で「これで終わりにしたい」という気持ちがありました。ですので、再び改名提案が成された際には驚き、「これまで1か月近くかけて成してきた議論、投稿ブロックという犠牲まで出しながら議論したにも関わらず、また改名提案が出るとは…」とかなり議論参加に抵抗があったのですが、このままだと折角の議論が無駄になりかねない、という思いから、ああいう投稿(私の「サラエヴォ事件」のノートページにおける最後の投稿のことです。)をさせて頂きました。
- その後も議論に参加するつもりだったのですが、ちょうどあの頃風邪を引いたこともあって、それを機会にウィキブレイクを取りたいという思いが強くなり、こういう放置状態を作り出してしまいました。また、大変申し訳ないのですが、今はまだWikipediaの編集に携わる意欲がまだ湧いてこないのが現状です。そのため、今後もしばらくROM専状態を続けることになろうかと思います。
- 議論を事実上投げ出してしまっている私から比べれば、議論に参加されておられるsergeiさんには、本当に頭の下がる思いです。ですので、議論を放置したこと等に関して、sergeiさんからのご批判は甘んじて受けなければならないと思っております。批判等々、何でも結構です。何かありましたら、会話ページへ是非ご投稿頂ければと思います。できるだけ返信するようにいたします。--Awakko 2008年12月7日 (日) 03:09 (UTC)
- わざわざこのような丁重なメッセージをいただきまして恐れ入ります。「お詫び」ですとか「批判」などとはとんでもないことで、私の方こそこの2件への参加が中途半端だったことを申し訳なく思っている次第です。サラエヴォの方は最初の改名提案からずっとウォッチしていたのですが、私は地理・歴史関連の文献に詳しいわけでもなく、AwakkoさんやPeccaflyさんが非常に説得的な議論をされていて、またПРУСАКИНさんやKliment.A.K.さんのような碩学がお出ましになったので私如きの出る幕ではないと思い、あまり活発な意見表明をせずに(できずに)いました。またサラエボ事件の方ももう少し早いタイミングで私がコメントしていたらあのような無駄な議論の拡散を防ぐことができていたのではないかと反省しているところです。
サラエヴォの改名論議は本当に不毛なもので、あまり活発に参加していたわけでもない私でさえうんざりさせられるものでした。Awakkoさんがブレイクをとりたいとお考えになるのも無理からぬことと存じます(Peccaflyさんも一週間ほどブレイクされていたようですね)。お風邪の具合が早くよくなるよう祈っております。リフレッシュができたらぜひまた活発にご活動下さい(サラエヴォ関連は気が進まなければ無理にとは申しません。私も微力ながら熱くなり過ぎないように気をつけつつうまく議論がまとまるよう努力するつもりです)。
もし何かご相談したいことが生じましたら(ご迷惑にならないよう注意しつつ)そちらの会話ページにてご意見を伺わせていただくことになるかも知れません。その際はどうぞよろしくお願いします。--sergei 2008年12月7日 (日) 09:10 (UTC)
- わざわざこのような丁重なメッセージをいただきまして恐れ入ります。「お詫び」ですとか「批判」などとはとんでもないことで、私の方こそこの2件への参加が中途半端だったことを申し訳なく思っている次第です。サラエヴォの方は最初の改名提案からずっとウォッチしていたのですが、私は地理・歴史関連の文献に詳しいわけでもなく、AwakkoさんやPeccaflyさんが非常に説得的な議論をされていて、またПРУСАКИНさんやKliment.A.K.さんのような碩学がお出ましになったので私如きの出る幕ではないと思い、あまり活発な意見表明をせずに(できずに)いました。またサラエボ事件の方ももう少し早いタイミングで私がコメントしていたらあのような無駄な議論の拡散を防ぐことができていたのではないかと反省しているところです。
はじめまして。分割提案の最中になってしまい申し訳ないのですが、同ノートに著作権上の問題(歌詞の転載)がありましたので、該当する版以降の特定版削除を現在依頼しております。この削除にそちらの提案が巻き込まれる可能性が高いですので、いったん本件の進行を保留した上で、削除終了後に再度ご提案頂けませんでしょうか。よろしくお願いいたします。--Nukkie 2009年2月7日 (土) 17:53 (UTC)
- はじめまして。ご連絡ありがとうございます。削除依頼提出の件、了解致しました。分割は急ぐ話ではありませんので削除依頼の終了を待って進めていくことにしたいと思います。--sergei 2009年2月8日 (日) 08:42 (UTC)
説明が足らず、また、メッセージに気付かずにお返事が遅れてしまい、大変申し訳ございませんでした。 では、改めてご説明致します。まず「トリプルA」というのは、本田さんが「ボンド企画」の倒産後の'90年代の半ばに僅かながら籍を置いていた、新宿区新宿1丁目に所在した芸能プロダクションの名前です。(これは、VIPタイムズ社刊『'95 日本タレント名鑑』の713ページや、宝島社刊『NIPPON アイドル探偵団'96』の184ページにも記載されています) ですので、私も書き間違えていたのですが、正確には「BMI」→「トリプルA」ではなく、「トリプルA」→「BMI」という順序でした。 また、「バックバンド遍歴」という節名が分かりづらいとの御意見を頂きましたので、改めて分かり易く「歴代バックバンド」とし、更に説明文も付け加えてみましたので、どうか御査収下さい。--Zattsu 2009年2月8日 (日) 18:42 (UTC)
- ご説明ありがとうございました。元々の記述だとBMIの後にどこか別の事務所に移籍したかのように読める内容だったので何かのいたずらかと思ってしまってました。そういう順序だったのなら納得です。
バックバンドというのはアイドル時代の伴奏者たちの名義のことですよね? だとすると Wild Cats をこれに含めるのは適当でないと思いますので除外しておきたいと思います。それからもしこれらの名称についても出典をご存知でしたらご教示いただければ幸いです。
それからこれは私の好みの問題ですが、百科事典において矢印を用いた説明を行うというのはあまり相応しいことではないと思いますので、適宜記述を改めておこうと思いますがどうぞご諒承下さい。--sergei 2009年2月9日 (月) 08:45 (UTC) - ◆「舞」という名称にちょっと引っかかるものがあったので調べてみたのですが、確かに某動画サイトに「the Cross -愛の十字架-」の映像で「演奏: 舞」と表示しているものがありました。しかしこれ、どう考えてもオリジナル・カラオケに当て振りしているんですよね(あの“泣き”のギターはアイドル歌手専属のバックバンドに所属する無名のギタリストがおいそれと再現できるようなものではありません)。従ってこうしたバンドが本当に実体として存在していたのかは極めて疑わしいと言わざるを得ません。これらのバックバンドについての記述は一旦削除しておきます。もし復帰させたいとお考えの場合はこうしたバンドが実際に存在していたことを示す信頼できる資料を提示して下さい。--sergei 2009年2月9日 (月) 14:22 (UTC)一部修正--sergei 2009年2月9日 (月) 14:30 (UTC)
チェボタリョーワ
[編集]Извините, я в японском очень слаб: нет ли в японской вики более свежей информации, чем та, что в русской версии?--Pasteurizer 2009年4月22日 (水) 14:58 (UTC)
- Здравствуйте. Добро пожаловать в японскую википедию. К сожаленью, ничего нет свежего особенного об Анастасие Савельевне в японской вики. Но там написано то, что она занимается преподаванием с усердием с ранних лет, и учила в одно время в くらしき作陽大学 (университете Курасики Сакуио). Это всё, что мне можно сказать вам. Извините, что не вам пригодился.--sergei 2009年4月22日 (水) 17:27 (UTC)
- спасибо—以上の署名の無いコメントは、Pasteurizer(会話・履歴)さんによるものです。--sergei 2009年4月27日 (月) 14:42 (UTC)
編集について
[編集]当方の手違いで、古い版を編集したようです。ご迷惑をおかけしました。--Wikied 2009年4月27日 (月) 14:05 (UTC)
- わざわざどうも。ローカルで作業を行っていたりすると他の利用者による編集内容を取り消してしまいそうになることがありますのでご注意下さい。--sergei 2009年4月27日 (月) 14:42 (UTC)
岡田有希子の保護解除依頼提出のお知らせ
[編集]ノート:岡田有希子において編集内容についての合意形成ができ、保護解除に反対する意見もありませんでしたのでWikipedia:保護解除依頼にて解除依頼を提出いたしました。ご確認ください。--Web comic 2009年5月4日 (月) 20:41 (UTC)
- お知らせありがとうございました。後ほど解除依頼にて意見表明させていただきます。--sergei 2009年5月5日 (火) 09:44 (UTC)
感謝賞への推薦お礼
[編集]sergeiさん、月間感謝賞への推薦を頂きありがとうございます。感謝されるほどの事を何もしていないにも関わらずこのような賞にノミネートされた事に、汗顔の至りではありますとともに、感激してもおります。今後も責任を感じつつ気を引き締めて頑張って参ります、今後とも各種記事の編集でお世話になるかと存じます、よろしくお願いします。--Kliment A.K. 2009年5月13日 (水) 10:10 (UTC)
- こんばんは。先月は各所で何かとお世話になりまして、感謝の気持ちを何らかの形にしておきたいと思い、月間感謝賞に推薦させていただきました。特に聖金口イオアン聖体礼儀 (ラフマニノフ)では私一人の力では絶対に不可能なレベルにまで改善していただけて、共同作業という方式の利点をしみじみと感じました。こちらこそぜひ今後ともよろしくお願いします。--sergei 2009年5月13日 (水) 15:35 (UTC)
出典の要請について
[編集]ウラディミール・アシュケナージでの出典要請について、当方に落ち度があったことをお詫びします。テンプレートの設置、(一部)出典要請は不適切と考え、修正しました。しかし、出典明記、あるいは文章の修正が必要という印象は変わりません。特に、「彼の演奏は決して凄みや冴えによって聴き手を圧倒するのではなく、卓越したテクニックに裏打ちされた余裕のある演奏が美しい仕上りとして結実」といった具体的な評価は、客観性・中立性を得難いのではないかと考えられるからです。果たして、これが出典に基づくとしても、「偏っていない」とみることはできるでしょうか。ご存知のように、芸術への評価は一様ではありませんから、評価の出所として、出典に基づく記述であることを強調するのが得策と考えます。--Wikied 2009年5月15日 (金) 13:56 (UTC)
- 利用者‐会話:Wikiedにお返事しました。--sergei 2009年5月15日 (金) 16:28 (UTC)
一部を除いて、細部にわたって5月7日の版に戻してあるので伺います。
- 「アシュケナジムに由来する姓が示す通り」という修飾文は必要でしょうか。アシュケナジムの記事には、長期間検証可能性を満たさない記述が複数あり、当記事においても検証可能性に疑問が残ります。「アシュケナジム」の記載が必要なら、関連項目として置き、検証可能な事実のみを記せば十分と思われます。
- ピアニストとしての項目に「こうしたことから」とありますが、この因果関係は検証可能性を満たすものでしょうか。(脚注方式の弊害でしたらご容赦ください。)
- 「特筆すべき」「注目される」との記述は一つの見解にすぎませんが、これを維持しようとする意図を教えてください。
- 「窺うことができる」という記述は、引用でなければ主観的見解と思われます。何れにしろ、当方は不適な記述と判断しますが、これを維持しようとする意図を教えてください。
--Wikied 2009年5月15日 (金) 22:10 (UTC)
- お答えします。
- 該当の記述は彼の姓の由来を示す有益な情報で、これを削除する必要性が全く理解できません。リンク先に出典が要請されていることはこの項目での記述の必要性とは関係ありません。
- 卓越したテクニックや万人に親しみやすい芸風、広汎なレパートリー、質量ともに豊富な録音歴といった要素が彼のピアニストとしての高評価に結び付いていることは論理的に自明であり、依拠した資料においてもこうしたことの帰結として「20世紀後半の最も重要で傑出したピアニストの1人」と述べられています。
- 依拠した資料において該当の記述の特筆性が強調されているのでそれに従ったものです。こうした修辞が除去されたことによって原資料からの乖離が生じたと判断しましたので復帰しました。
- 上に同じく、アシュケナージの自宅の和室の様子を紹介する映像が当該の番組において彼にとって日本がいかに身近な存在であるかを強調する文脈で使用されていたのでそれに倣いました(この番組はNHKアーカイブスに保存されてはいるものの残念ながら公開されてはいないようです)。
一般にWikipedia日本語版においてテレビ放送を出典とする情報を記載する行為はあまり推奨されてはいないものの、一律に禁止する合意も形成されていないという曖昧な状況にあります(Wikipedia‐ノート:検証可能性/テレビ番組やWikipedia‐ノート:検証可能性/非文献情報源を参照)。私としては該当の情報が多くの日本語話者にとって関心の高い事柄であろうことに鑑みて記載した方がよいと判断しております。
- 逆にお尋ねしますが、今朝方の瑣末でほとんど意味不明なこの編集にはどのような意図があるのでしょうか? 一般に「…と結婚。」といったような用言を略した言い回しは、字数に制限のある場合はともかく、日本語の文章表現の作法としてはあまり好ましいものではないと思います。
また依拠した資料に「スタンダードなピアノ曲の大部分を網羅した」と記されているアシュケナージのレパートリーは「極めて広汎」と形容するに相応しいものだと思いますが、この修飾詞を除去したのにはどのような根拠があるのでしょうか? ウェブで確認できるものを挙げれば、例えば月刊誌「ショパン」の公式サイトのピアニスト紹介ページには「このレパートリーの広さは本当にすごいと思います」と記されており、デッカのアルバム紹介ページには「きわめて広いレパートリーを誇る」と書いてあります。わざわざこのような情報の劣化を引き起こす編集をされた意図をお聞かせ下さい。--sergei 2009年5月16日 (土) 13:03 (UTC)
- お手数をおかけします。
- 有益な情報とのことですが、検証可能性を満たしていない点はどのようにお考えですか。少なくとも、当方のように「アシュケナジム」に疎い読者は、リンク先に散在する要出典に戸惑い、「姓が示す通り」という記述を検証することができません。
- 言うまでもないことですが、「論理的に自明」であることは、独自研究を認める根拠にはなりません。引用は認められていませんから、出典に基づく具体的な評価との因果関係を記載するのは困難でしょう。
- 「特筆すべき」が、出典に基づくものであることは了解しました。「注目される」も同様でしょうか。文章からは同様とは捉え難いのですが。
- 「日本がいかに身近な存在であるかを強調する文脈で使用されていた」というのは、sergei氏の解釈ということですね。やはり不適と判断します。
- 「極めて」の除去は、単に「Wikipedia:大言壮語をしない」に基づくものです。引用は認められないので、大言壮語は避けるべきです。
- 当方は、「~した」「~した」という文章の連続を、構成としての改善の余地を示すものと捉えており、本件に限らず手を入れています。多用しなければ、正の効果があると考えているためです。体言止めが「日本語の文章表現の作法としてあまり好ましいものではない」というのは好みによるものでしょうから、合意形成は困難であり、同時に不要と考えます。--Wikied 2009年5月16日 (土) 14:09 (UTC)
- お手数をおかけします。
- 「アシュケナージ」というのは「アシュケナジム」の単数形であり、この言葉自体が東欧系のユダヤ人のことを意味します。例えば雁屋哲氏はパレスティナ問題について論じた文章において「アシュケナージ系ユダヤ人」という用語を用いています。
はっきり申し上げておきますが、検証可能性の方針はあなたの知らないことは一切記載してはならないということを定めたものではありません。自分がその情報に疎いとか、リンク先に{{要出典}}が散在しているとかいったいい加減な理由で有用な記述をいきなり削除するようなことは今後絶対にお止め下さい。何か疑問がある場合はノートで問い合わせて下さい。 - 一般にすぐれたテクニックその他の要素がピアニストとしての高い評価の理由となることは常識的な分別のある人ならば誰でも理解できることであり、独自研究には当たりません。柴田龍一氏による評も、そのテクニックや芸風について言及したことを受けて「20世紀後半の最も重要で傑出したピアニストの1人」と結論づけています。その後に述べられているレパートリーや録音歴についての言及もそれを補強する役割を果たしています。
- カデンツァについての言及部分はフィストラーリとの共演盤(1999年に再発売された海外盤、規格品番: 466 375-2)のライナーノートにおける Bryce Morrison 氏の解説を参考にしました。この資料を出典として明示しなかったのは、2種類のカデンツァを弾き分けているという事実自体に対しては録音の存在そのものが出典となり、修辞法の参考にしたというだけの資料をわざわざ明示する必要性は薄いと判断したためです。
- 私の解釈ではなく放送を見ていれば誰でも理解できる事柄です。なんならWikipedia:言葉を濁さないの精神に則って「親日家ぶりが表れている」とでも直しましょうか?
- 「アシュケナージ」というのは「アシュケナジム」の単数形であり、この言葉自体が東欧系のユダヤ人のことを意味します。例えば雁屋哲氏はパレスティナ問題について論じた文章において「アシュケナージ系ユダヤ人」という用語を用いています。
- Wikipedia:大言壮語をしないは「事実としての情報なしに、記事を単に引き立たせるための表現」を用いることを戒めたものです。アシュケナージのピアニストとしてのレパートリーが「極めて広汎」であることは検証可能な事実です。出典はすでに明示しています。
- 「合意形成は困難」というのは自分の用いた表現方法以外は一切認めないということでしょうか? この項目に有意な加筆を全くせず、提示された資料を確認もせずに記事破壊のような編集を行った人にしては随分と尊大な態度ですね。しかし内容の正誤には全く関わりのない些細な表現の違いをめぐる事柄でそのような偏狭な態度をとれば、共同作業には向かない人物として投稿ブロックの対象にされる虞がありますのでご注意下さい。
- なお、二箇所にある「引用は認められない」という言葉の意味がよくわかりません。Wikipedia:引用のガイドライン/草案#引用とGFDLの関係によるとかつてはコミュニティーの一部にGFDLとの兼ね合いからWikipediaにおいて引用を行うことはできないという見解があったようですが、現在のところWikipediaの各項目において引用はごく普通に行われています。察するに、「提示された資料と照合した結果、該当の記述では原資料からの引用は行われていない」という意味でしょうかね? だとすればそれは当然のことです。私は該当の箇所で引用を行っていないからです。引用というのは鈎括弧などを用いて(ウェブ媒体であれば<q>とか<blockquote>といったタグによる方法もあります)前後の地の文とはっきり区別をする必要があります。私がこの項目で引用を行ったのはショパンの練習曲の録音についての柴田氏による評の部分だけです。
Wikipediaでは信頼できる情報源において公表済みの情報しか記載することはできませんが、情報源となった文章を丸写しすることは転載に当たりますので避けなければなりません。著作権法で認められた引用ならそのまま写すことはできます(というか逆にいうと恣意的に改変してはならない)が、引用の要件を満たすためには地の文と引用された文が主と従の関係になっていなければなりません。従って、たとえ引用を効果的に利用するにしても、文章全体の骨格は執筆者自身が作り出さなければなりません。つまり、Wikipediaにおける投稿は、基にした資料の意味内容を咀嚼した上で、それを執筆者自身の言葉によって表現する必要があるということです。
例えばあなたが最初の編集で{{要出典範囲}}を貼り付けた「献身的ともいえる姿勢」という部分ですが、これは諸石幸生氏が彼のラフマニノフ作品への取り組み方を「ラフマニノフ詣で」と表現しているのを私なりの言葉で言い換えたものです。このような創作性の高い表現は、たとえ短くてもそのまま借用するのは(法的には許容され得るとしても少なくとも倫理的に)問題があるので、私は苦労してうまい言い換え方法を探すように努力しています。ですから私が引用を行っていない部分において、原資料に私が用いた表現が見当たらなくてもそれは当り前のことです。--sergei 2009年5月17日 (日) 13:41 (UTC)
- お手数をおかけしております。
- 「アシュケナジム」の検証可能性については全く同意しかねるため、ノートで意見を募ることとします。(雁屋哲氏の文章にある「アシュケナージ系ユダヤ人」が「アシュケナジム」の出典として有効なら、是非とも活用していただきたいものです。なお、「あなたの知らないことは一切記載してはならないということを定めたものではありません」との、侮辱めいた文言の使用は控えていただきたくお願いします。)
- 「常識的な分別のある人ならば誰でも理解できること」に期待します。敢えて異論を唱え続ける気はありません。
- 「注目される」というのは、sergei氏が文献を参考にした結果の文言ということですね。これも意見を募ります。
- 「私の解釈ではなく放送を見ていれば誰でも理解できる」「なんならWikipedia:言葉を濁さないの精神に則って「親日家ぶりが表れている」とでも直しましょうか? 」とのことですが、「親日家ぶりが表れている」ことを「誰でも理解できる」としても、それが解釈である以上独自研究であることに変わりはありません。Wikipedia:言葉を濁さないとは無関係です。また、誰でも理解できるなら、敢えてsergei氏が説明する必要もないでしょう。親日家であることを示す客観的事実が記載される理由はあっても、「窺うことができる」という記述(あるいは「親日家ぶりが表れている」という書き換え)が不適だという判断が覆ることはありません。近いうちに削除します。異論が出た場合は、ノートで合意形成を目指します。
- 「詣で」から転じたという「献身的」云々について、倫理的に問題があるのかどうか知りませんが、(少なくとも当方には)言い換えとは呼べないものです。これが記載に適するかどうか、ノートで意見を募ります。--Wikied 2009年5月17日 (日) 15:07 (UTC)
- お手数をおかけしております。
- なるほど、検証可能性がないとしていたのは「アシュケナージがアシュケナジムに由来する」ということについてではなくて、「アシュケナジムがユダヤ人コミュニティーの一つである」という部分についてだったわけですね。まさかそんな初歩的なことを問題にしているのだとは思いもよりませんでした。苦労して雁屋氏の文章を探し出したりして損しました。goo辞書に「アシュケナジム」の定義が書いてあります。こんなものは検索をかければ一発で出てきます。あんまりこういうことで無駄にごねるのはご自分の無知と調査能力の欠如を露呈させるだけなのでお止めになった方がいいですよ。
- ご理解に感謝します。
- どうぞご勝手に。
- 合意なき編集強行に厳重に抗議します。私は全く合意しておりません。今後このようなことは絶対にお止め下さい。先日の編集の分と合わせて差し戻しておきます。アシュケナージのピアニストとしてのレパートリーが「極めて広汎」であることの出典は既に示しました。該当の記述は私の独自の解釈ではなく原資料の内容に準拠したものです。ご不満ならノートで他の利用者も交えて合意を形成して下さい。
- ノートで意見を募るのはご自由にどうぞ。尤も私なら「引用」という言葉の意味もろくに理解していない人の日本語読解能力など全く信用できませんけどね。
- なお、あなたのためにWikipedia:編集方針の「編集を楽しんでください」という言葉をご紹介しておきます。ご自分が全く有意な貢献をしていない項目の文章をいじくり回していて楽しいですか? 私はと言えば、自分が拙いながらも苦労して練り上げた、事実関係に誤りがあるわけでもない文章の細かい修辞法を、自身有意な貢献を全くせず、あまつさえ提示された資料を確認もせずに記事破壊のような編集を行った人にいじくられるのは、率直に言って極めて不愉快ですけどね。--sergei 2009年5月18日 (月) 09:37 (UTC)
IPユーザー会話ページの過去ログ化について
[編集]はじめまして。Centaurusと申します。先日、私が白紙化されていたIPユーザーの会話ページをリバートしておいたところ、sergeiさんが、「過去ログ化の案内しておけば」というような書き込みをされておりました。 個人的な判断では、IPユーザー会話ページの過去ログ化は好ましくないと考えております。同一人物が占有しているわけでもなく、荒らし警告の隠蔽の手段とされる恐れがあるからです。 そこでWikipedia:井戸端のほうにこの問題についてどう思われるか提案をしています。 過去ログ化について、IPユーザー・アカウントユーザーの違いなどを記載しているルールはありませんので、間違いと申し上げているわけではないのですが、事情を勘案するとしないほうがよいのでは、と私は考えているのですが、もしよろしければ、IPユーザー会話ページにくだんの発言を残したお考えを示していただければと思い伺いました。どうぞよろしくお願いいたします。--Centaurus 2009年6月4日 (木) 02:30 (UTC)
- はじめまして。ご案内ありがとうございます。しばらく他の方のご意見が出揃うのを待つつもりでいたのですが、わざわざのご要望ですので井戸端にて簡単に状況説明を行っておきました。どうぞご確認下さい。--sergei 2009年6月4日 (木) 09:26 (UTC)
会話ページへの件について
[編集]はじめまして強意と申します。私の会話ページに意見を書きましたので、返答を頂ければ幸いです。よろしくお願いします。--強意 2009年8月11日 (火) 10:41 (UTC)
- そちらの会話ページにお返事しました。--sergei 2009年8月11日 (火) 12:53 (UTC)