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利用者‐会話:SVK19930101

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わら半紙の説明にかなりの誤解がある件

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現在の王子製紙の最初の社名は「抄紙会社」で、明治6年(1873)2月12日に設立され、明治8年(1875)12月16日に操業を開始し、翌9年に社名を「製紙会社」に改名しました。創業時から明治15年まではウエスではなく、ボロ(古着など)=綿繊維を原料とした紙が作られていました。製紙会社では明治12・3年頃から大川平三郎が研究を重ねて稲藁をパルプ化する技術を開発し、15年頃からボロ(木綿繊維)に稲藁を混ぜた紙が市販されます(ちなみに、これとは別に国の大蔵省抄紙部では明治12年には稲藁のパルプ化に成功しています)。この綿繊維と稲藁繊維の混合紙は藁半紙と呼ばれたことはありません。また、洋紙において藁繊維は1889年の木材パルプの国産化以降もかなりの期間使い続けられていました。現在のわら半紙の「木材パルプと古紙が配合の大部分を占め」は間違っていませんが、本来の「ざら紙」は木材パルプが原料ですが、木材パルプである針葉樹機械パルプと針葉樹化学パルプの混合紙で、機械パルプの比率が特に多い紙を指します。いわゆる「わら半紙」は下級印刷紙であるざら紙のことを藁の入った下級紙と同一視したことから生まれた、いわば誤解釈による通称です。

参考文献 鈴木尚夫編『現代日本産業発達史Ⅻ 紙パルプ』現代日本産業発達史研究会、昭和42年 等

--Kenta272001会話2024年4月14日 (日) 17:46 (UTC)[返信]