利用者‐会話:Prancing Dragon
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こんにちは、Prancing Dragonさん。はじめまして! ウィキペディア日本語版へようこそ!
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Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 航空/項目名のコメントについて
[編集]すみません。容量の関係から議論は現在は「#事例1について その2」に移行しています。以降の新規コメントはそちらにお願いします。(できれば今回のコメントもそちらに移動をお願いします)--ButuCC«Main/Project/Russian» 2009年2月23日 (月) 08:34 (UTC)
- 議論の順番がバラバラなので上記箇所について適切な箇所に転記したいのですが、よろしいでしょうか。--ButuCC«Main/Project/Russian» 2009年2月26日 (木) 08:53 (UTC)
- お返事が遅れまして申し訳ありませんでした。時系列に沿うように位置を修正いたしました。この位置で不都合があれば適切な場所に移動するすることには同意いたしますのでよろしくお願いいたします。Prancing Dragon 2009年3月1日 (日) 12:13 (UTC)
- 対応ありがとうございました。--ButuCC«Main/Project/Russian» 2009年3月1日 (日) 18:02 (UTC)
ご案内
[編集]アエルマッキ S-211、その他、イタリア機の執筆を拝見させていただいております。Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 航空/項目名/イタリアで、イタリア機の記事名についての議論があります。ご意見をお持ちでしたら、是非、参加してください。よろしくお願いします。--sabuell 2009年4月4日 (土) 14:58 (UTC)
- 議論にお誘いいただきありがとうございます。
- 記事名についての個人的な意見というものは確かにもってはいるのですが、現在主流となっているものとは異なります。個人的な意見については、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 航空/項目名ガイドライン#機種名重複の処理にて少し開陳させて頂きました。
- 記事名の命名方法は膨大な議論の末に現在の形が出来上がっているようで、それを全てフォローするのは困難であり、かと言ってそれをすっ飛ばして議論に参加することはどうなのかという思いをもっております。
- もう一つ、この案件について国別に議論することに対して航空機の記事全体についての記事名の議論をする程には意義を見出せていないのが私の現状です。Prancing Dragon 2009年4月5日 (日) 10:47 (UTC)
脚注の位置について
[編集]こんにちは。R.Lucyと申します。精力的な執筆活動お疲れ様です。
さて、掲題の件に関してですが、Help:脚注#スタイルと用法にありますように、<ref>は句読点の後ろでは無く、前に置くのがWikipediaのスタイルとして一般的なようです。読者の視点から見てもおそらくそちらの方が読みやすいかと思いますので、何かのついでにでも直していただけると幸いです。(ヨハン・バウアは修正しておきました。)
新しい記事を楽しみにしております。それでは。--R.Lucy 2009年11月4日 (水) 08:27 (UTC)
- お手数をおかけしてしまい申し訳ありませんでした。英語版からの翻訳記事ばかりなので元記事につられて同じような書式にしてしまっていました。
- 今後はご注意いただいた点に留意し、過去の記事は順次修正していくようにいたします。
- ありがとうございました。--Prancing Dragon 2009年11月8日 (日) 10:44 (UTC)
ご依頼の件について
[編集]こんばんは、新規投稿お疲れ様です。ご依頼の件ですが、当方が現在手元に置いてあるギリシャ関係の資料内に見つけることはできませんでした。ただ、歴史群像シリーズで「クレタ降下作戦」というものと学研の欧州戦史シリーズの「ベルリン攻防戦」という本がありますので、もしかしたら当該人物について書かれているかもしれません。ただ、私は所有しておりませんので、なんとも言えないのですが・・・。できれば一度確認されてはいかがでしょうか。お力になれず申し訳ありませんでした。--Hideokun 2009年11月15日 (日) 13:44 (UTC)
- ありがとうございました。利用者‐会話:Hideokunの方に回答いたしました。--Prancing Dragon 2009年11月15日 (日) 14:30 (UTC)
- その後、少し調べましたが、大阪大学大学院で教授を勤めておられる藤川信夫氏が1989年発行の『日独文化研究』に論文を発表しているのですが、藤川信夫氏の論文一覧、この中に『ゴットフリート・ブロイヤー:手-道具の中の道具』というものがあります。このゴットフリート・ブロイヤーは綴りが『Gottfried Bräuer』となりますので、一応、ご報告までに。--Hideokun 2009年11月17日 (火) 09:49 (UTC)
- 引き続き気に掛けていただきありがとうございます。実際の書籍での確認はできていないのですが同一人物について書籍の記載を元にしているNet上のサイトを見つけましたので週末にまたノート:ブルーノ・ブラウラーでご報告させていただきます。ありがとうございました。--Prancing Dragon 2009年11月19日 (木) 11:02 (UTC)
- わざわざ私の会話ページにおいてご挨拶いただきありがとうございます。今回は資料を提供できなかったことを本当に申し訳ないと思っております。Prancing Dragonさんのドイツ軍関連の記事はいつも楽しみにしています。今後も活躍されることを祈っております。--Hideokun 2009年11月29日 (日) 11:18 (UTC)
- 引き続き気に掛けていただきありがとうございます。実際の書籍での確認はできていないのですが同一人物について書籍の記載を元にしているNet上のサイトを見つけましたので週末にまたノート:ブルーノ・ブラウラーでご報告させていただきます。ありがとうございました。--Prancing Dragon 2009年11月19日 (木) 11:02 (UTC)
- その後、少し調べましたが、大阪大学大学院で教授を勤めておられる藤川信夫氏が1989年発行の『日独文化研究』に論文を発表しているのですが、藤川信夫氏の論文一覧、この中に『ゴットフリート・ブロイヤー:手-道具の中の道具』というものがあります。このゴットフリート・ブロイヤーは綴りが『Gottfried Bräuer』となりますので、一応、ご報告までに。--Hideokun 2009年11月17日 (火) 09:49 (UTC)
ありがとうございます
[編集]おっしゃられるように翻訳記事があります。注意いたします。--219.32.30.3 2010年3月27日 (土) 00:19 (UTC)