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利用者‐会話:Own

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タグを剥がさないでください

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パタゴニアです、太極拳法記事で、きちんと出典提示しないでタグを剥がさないでください。これ以上改善無きタグ剥がしをするのならそれなりに対処します。--パタゴニア 2011年2月10日 (木) 11:57 (UTC)[返信]

追記、尚 内家拳王宗岳も出典を求めます。どうしても検証可能性を理解する気がないのなら、Ownさんの記事すべてをチェックしなければならないかもしれません。--パタゴニア 2011年2月10日 (木) 12:12 (UTC)[返信]

パタゴニアさん誤解しないでください。まず冷静になってください。検証可能性を理解する気がないとなど一言も言ってませんしそうでもありません。ですから、私は出典を求めるタグの場合は削除していません。あなたが削除をしたのです。良くあなたのノートの経緯をご覧ください。代わりに貼ったあなたのタグが内容に整合性がないから削除をしたのです。これは全く検証可能性とは関係ありません。まだ理解できませんか?出典を求めるタグならどうぞ貼ってください。検証可能性は大事なことです。しかし、貼るのなら、なぜ私の記事には容赦なしで、他の記事には容赦をするのかということをお聞かせくださいと言っているのです。その理由がわかれば、個人攻撃など言いませんが、その理由がない場合は個人攻撃であると言ってるのです。しかし、他にも出典を求められると言うことですからこれは解決しましたので、どうぞ私にも出典を求めるタグを貼ってください。それと他にもどうぞタグを貼り続けてください。そうでないのなら私にもタグを貼らないことです。ご理解いただけましたか?--Own 2011年2月10日 (木) 16:32 (UTC)[返信]

個人的権威による差別的迫害行為について

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整理します。まず検証可能性がない記事は削除される。そして検証可能性とは出典が明らかにされ誰でもがそれを検証できること。ということです。まず、私は証可能性への理解は最初から正確に行っています。それに対しての異論はありません。これは大前提ですので正確にご確認ください。
 ただ、多くのWikiPediaの記事は出典が明らかにされていなくても掲載されているものばかりです。わたしは、その既にWikiPediaに掲載されいる記事が何らかの暗黙的基準を満たしているものと判断し、私の検証済情報の中からそれらと整合するもののみを選んで掲載しました。もちろんそれ以外の内容も一部だけですが掲載してますから、それに対しては検証可能性を求められるかもしれないと言うことで理解していました。
 そこでパタゴニア氏に出典タグを貼られたときに、出典タグを貼られることはよいことだと思う、しかし、ほとんどのWikiPediaの記事がその既に掲載されいる記事が何らかの暗黙的基準を満たしているものではないかということで、私の執筆も暗黙的に掲載されるのではと訴えました。もしそうでないならその他の記事との差別部分を説明してほしいと言うことを訴えたのです。しかしながら、いくら暗黙的基準を満たしているとしても、検証可能性は大切なことであるので、私は未熟者故、ただ記事内に参考文献を羅列して出典と表記しました。そこでパタゴニア氏は出典は個別に箇所を指摘してというタグを貼られましたので、個別に箇所を指定しない出典は出典ではないと言うことを理解し、出典の表記を参考文書に変更しました。その上で、記事中に出典は表記していないので、そのタグをに対しては、単純に出典を表記していないので、そのタグは不適切であると言うことを述べた上で削除しました。これは、単純にタグの記載と記事の中に出典がないことの不整合性の問題です。従って出典タグをつけられること自体に異論を述べたものではありません。
 それで、出典タグをつけると言うことに戻るはずですが、出典タグを貼られることはよいことだと思う、しかし、ほとんどのWikiPediaで既に掲載されいる記事が何らかの暗黙的基準を満たしているものではないかということで、私の執筆も暗黙的に掲載されると考えるのが正しいはず、もしそうでないならその差別部分を説明してほしいと言うことを再度訴えました。それで私がパタゴニア氏から絡んでいるということで削除依頼をされました。  今までの経緯を述べましたが、結論を言います。
 そうであるなら、多くのWikiPediaの出典がない記事も出典を求められ、出典がないと検証可能性を満たさないとして削除依頼をされるという事になります。ところがされていません。
 それでは、今回の場合は特定の記事に対してのみ出典依頼と、削除依頼をされることに相当します。
 その権限はパタゴニア氏個人が所有しており、パタゴニア氏はその特別的な行為に対して、公平で明確な説明ができていない限りは、その個人がパタゴニア氏個人が絡まれた、気に入らないなどの理由でそれを行っていると言うことです。
 もしもその個人的な権威に逆らったときにそのようにされるということになります。
 これが一般社会なら、警察官が気に入らないものは、自転車で歩道を走っているだけで捕まえることができ制裁を加える、それも差別的にです。その警察官の機嫌をいつも伺っていなくてはなりません。いかがでしょうかこのようなことをされているのがパタゴニア氏です。
 そうでないというなら。ほとんどの記事がその既に掲載されいる記事が何らかの暗黙的基準を満たしているから掲載されているのであり、それは自転車は歩道を走ってはいけないが、運用上で暗黙的規準を満たしていると言えます。
 しかし、特別な理由があり、自転車を取り締まるならそれはその警察官個人の規準ではなく、公正な規準で行われないといけません。公正な規準なら、その公正な規準に該当するものは自転車で歩道を走れません。
 その公正な規準をパタゴニアさんに求めたのですが、その説明もなく、絡むから削除依頼したとパタゴニア氏は言うのです。
 多くの記事は出典が明らかにされていなくても掲載されているものばかりです。わたしは、その既に掲載されいる記事が何らかの暗黙的基準を満たしているものと判断したのですが、そのような暗黙的規準はないので厳格に検証可能性を適用して、出典依頼をして、すぐにでも出典されないなら削除すると言うことになります。そうなると、ウィキペディアの記事のほとんどに出典依頼が貼られ、即座に記事が削除依頼されます。自転車で言うと、全ての自転車は今日から歩道を走ってはいけない、走ると捕まえると言うこと、これは公平です。しかし今回の件は、一部の特定のものが同じ自転車に乗っていて同じように走っているのに、警察官に気に入られなかったら捕まるという世界です。そのなぜ特別に捕まったかという説明もなしにです。
 本当に皆さんはこのようなことを放置されますか?ウィキペディアの検証可能性よりも根底にある、倫理に反しませんか?私とパタゴニア氏の会話を見ていただければ私の言っている事はこれに一貫しているはずです。ご確認ください。
 気に入らないから特別に迫害する。これは同じ人間なのにユダヤ人であるから黒人であるからと同じであると思いませんか?これが個人的価値観にまで今回の場合は及んでいるのです。思想が気に入らないから、又は、価値観が違うからと迫害するのは、今この世界で最も行われてはいけないことです。これがここで行われているのです。このようなことがもし社会であれば許されることではありませんので、公の場にこれを提起する方法を現在勉強中です。確認後提起します。皆さんも大変重要な問題であることをご認識いただけると思います。--Own 2011年2月11日 (金) 02:30 (UTC)[返信]

はじめまして、Shigeru23と申します。Wikipediaにおける情報内容の正確性や信頼性と出典の明記を求めるルールに関しまして、多少の誤解があるようですので第三者ですが少し説明させていただきます。
Wikipediaは誰でも加筆・修正が行えるWeb上の百科事典という特性から、記事内容の正確性や信頼性を担保することはかなり困難です。そこで最低限、出典を示すことで誤った記述が他者の手で取り除けるような方法論を採用しており、これが検証可能性と呼ばれるものです。
さて、このような事情から大前提としてWikipediaの記事内での有意な記述には全て出典が求められます。ただし、記事の文章に出典が示されていないないからといってすぐに編集による除去が行われたり、そのような行為が容認されることもありません。文章に疑問があればタグを貼って出典を求めたり、記事のノートや編集者の会話ページなどで尋ねたりして真偽に関する確認を行えますが、問われた側が出典が示せない状況で「そんなの常識でしょ!」という返答も容認されません。多くの編集者は出典がなくとも不審な記述内容でなければ記述を容認しますし、自身も出典がないまま概ね妥当な記述を書き加えることが、それこそ常識の範囲内で行われています。出典が示されていない記述は真偽に関しては多かれ少なかれグレーゾーンに属している訳で、黒に近い記述は他の編集者によって除去や改変が行われる可能性が高く、そのような記述ばかり加える人物の会話ページには問い合わせなどが集まることになります。客観的に見て白に近い記述であっても出典が示されなければ除去や改変を受けることはあり、その可能性は出典が示されても同様ですが、除去・改変を防ごうとしても出典が示せない状況で「常識でしょ」という理屈は成り立たず、意見が対立すれば判定や仲裁は他者に任せる他ありません。結局、編集上の意見の対立では出典の明示がほとんど全能である反面、常識というのはまったく根拠となりえません。また、検証作業は記事内の記述に対して行われるため、たとえ世間一般に「真実」とされているという事を1人の編集者がいくら主張して(仮にそれが真実であってさえも)、検証可能性が満たせない限りはWikipedia内では認められません。
今回、パタゴニア様は記事内容に疑問を持たれたので{{出典の明記}}タグを貼られたのでしょう。たまたまその出典が求められた対象部分がOwn様が記述された箇所だったのでしょうが、上述のように加筆者がその情報内容を削除や除去されたくないならば、出典を示す必要があります。ここで加筆者とその記述に疑問を持った者が注力すべきは、記述内容の真偽や正確性、場合によっては文言の言い回しといった記事内容に関することであって、決して編集者の人格についての批判的な言及は行うべきではありません。Wikipediaは善意の編集者達の共同作業によって作成されているため、互いにルールを守って上手に快適に過ごせるように工夫されています。こういったルールは概ね、常識的なものばかりであって、ルールを熟知していないからといって即座に破壊的な編集に繋がることもなく、ルールの細部を除けば誰でも予想できる範囲のものばかりです。しかしながら、今回のように他者との摩擦が起きれば確実に当該ルールをよく読む必要があります。初心者だからという言い訳は、ルールの存在を指摘される迄であって、Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないという方針や、Wikipedia:出典を明記するといった方法に関するガイドラインの存在を知らされた後も、いつまでも初心者を言い訳にルールを無視し続ける態度はWikipediaのコミュニティ内ではあまり歓迎されませんので、ご注意いただく必要があるではないでしょうか。
以上が私の考えです。このような摩擦に懲りず、更に良い記事を書かれますようにご期待申し上げます。--Shigeru23 2011年2月12日 (土) 13:44 (UTC)[返信]
いただいたコメントの内容は全て理解でき、異論はありません。私の言っていることはもっとWikiPediaの根幹にかかわる問題ですので、複雑な内容ですが、整理されれば問題点は抽出できると思いますので、その論点のみの問題的であると言うことをご認識ください。問題はもっと深いところにあります。このことは、今こちらで専門機関と情報交換の窓口ができましたので、重大な問題として提起できるよう準備中です。結果などについてはここにも反映する可能性がありますが、できれば問題点の論点を抽出されご意見をいただきます世お願い申し上げます。--Own 2011年2月13日 (日) 03:44 (UTC)[返信]

ウィキペディアの記事をテロ行為の原理において削除依頼する場合

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1.投稿者は執筆記事の主題及び本文のほとんどにおいて、ウィキペディアにおいて既に潜在的出典があると認められる内容の範囲内において執筆している事が認められる。それが認められる記事はカテゴリーにおいて太極拳、中国武術門派などにある記事を主としてその他にも多数に及ぶ。 2.このような執筆であれば、潜在的出典がないと認められる部分の執筆においてのみ出典を求めるのが正当である。 3.しかし、ウィキペディアにおいては、執筆記事の主題及び本文のほとんどにおいて、ウィキペディアにおいて既に潜在的出典があると認められる内容で構成されている記事において、潜在的出典がないと認められる部分の執筆においてのみ出典を求める例はごく少数である。従って、通常運用の中でこの執筆に顕在的出典がないと言うことはさほど特別なものではないと認められる。すなわちウィキペディアにおいて一般的である。 4.従って、この投稿者に対してのみ出典を求めたことには、特別な理由が必要である。 5.投稿者が出典明記を求めたものに対してその説明を求めても、特別な理由が明確にされない。 6.その後、出典明記を求めたものは個人的感情を理由にして、削除依頼を発行する。 7.以上から、このような結論が認められる。 (主位的結論1)この執筆された記事は、ウィキペディアにおける一般的運用上で、出典依頼される理由はない。 (主位的結論2)主位的結論を理由として削除依頼を求める理由も、削除する理由もない。 (主位的結論3)既にウィキペディアに掲載されている記事においては、潜在的出典が明らかであるから顕在的出典を求めていないのは一般的であるのに、その潜在的出典があると認められる内容と整合する記事で構成されている投稿者の執筆に対し、顕在的出典がないので検証不可能として出典明記や削除を求めることは著しく特別である。 (主位的結論4)主位的結論3においての特別な理由は、個人的感情や価値観であることが認められる。そのような個人的感情や価値観で、特別な行為を特定のものや範囲に行うことは、一つのテロ行為である。 (予備的結論)ウィキペディアがこの記事への出典明記の依頼や削除を認めた場合、ウィキペディアの既存の記事全てにおいて、潜在的出典があっても、顕在的出典がない記事は全てが出典依頼され、そのまま顕在的出典がなされない場合は、削除依頼される。

■テロ行為について。 このウィキペディア上におけるテロ行為は、潜在的出典がほとんどで構成されているウィキペディア上の記事全般に起こる可能性がある。 特定の価値観や感情を持つものが、その敵対者に対して、顕在的出典がないものは出典を明記し、その後出典されなければ、削除依頼するという行為を行うことができる。 これで行くと、今回の執筆者の記事に対しての特別な行為が、ウィキペディア上における一般的行為であると認められ、記事が削除された場合、又、太極拳や中国武術における潜在的出典で執筆された、内家拳や張三豊、王宗岳などの記事などにも貼られているタグがこのまま貼り続けられ一般的であると認められた場合、中国武術における潜在的出典で執筆された顕在的出典のない「太極拳」や「中国武術門派」などのカテゴリー中にある記事を始め全てに同じ行為が認められるはずである。 又、この行為は特定の利益を得ようとするものが、不利益な記事に対しても同行為をすることが、理由が明示されていなければ認められることになる。これは、全ての記事に及ぶであろう。 従って、顕在的出典がその一部の記事にでもされていなければ、潜在的出典があろうとも又常識的な記事内容であっても、出典の明記を依頼され、その出典がなければ削除されるのが正当である。 これが、テロリズムの行為原理である。

(ウィキペディアの方針について) そこで、多くのものが顕在的出典をあらゆる本文記事の詳細にまで明記すれば、その出典を直接使用してその関連する記事が執筆できるので、全ての問題が解決するはずだが、一般的に顕在的出典がない記事が一部でも含まれていれば、出典の明記を依頼され、それが改善されないと記事を削除されるので、ほとんどの記事がウィキペディア上から削除されるはずである。又は、考えにくいが多くの顕在的出典があり、顕在的出典においてのみ構成される百科事典ができあがる。いうなれば、インデックスのような辞典である。インデックス辞典としてか、正統な百科事典としてかの存続においての分岐点という重要な問題であるはずだが、現在ウィキペディアにおいてその方針が明確にされていない。--Own 2011年2月14日 (月) 06:45 (UTC)[返信]

無責任な検証による、無責任な意見や行為について

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 まず、Shigeru23氏という存在不明者からのコメントの「今回、パタゴニア様は記事内容に疑問を持たれたので

タグを貼られたのでしょう。」という内容は、何の根拠もないのに述べられています。

なぜなら、私は「太極拳法」の執筆における依頼サブページで「私が今までに検証できたものを厳選して執筆した記事ですので検証は可能です。検証可能性のない部分を明確にご指摘ください。」に対してパタゴニア氏からの一切の返答がありません。

 それにもかかわらず、Shigeru23氏は「今回、パタゴニア様は記事内容に疑問を持たれたので

タグを貼られたのでしょう。」と前提を述べてその後の意見を展開しているのです。

 Shigeru23氏はこのように何の根拠も無く、ましてやそうでないことの検証か確実にできている内容に対して、検証不可能な結論を前提として意見を述べているのです。
 投稿者の執筆はウィキペディアなどを通じて多くの人に事実を知らせたいという純粋な行為であり、その労力を提供しています。それに対して、このような根拠の無いどころか、検証されている事実に対してまで自らの勝手な憶測により、意見を加え、感情的理由によって執筆者に迫害を加えるものに対して加担するのです。このような行為は一般社会でなら許されるものではありません。
 次に、パタゴニア氏が個人の感情的理由によって執筆者に迫害を加えているということの根拠を説明します。すなわち検証可能性を示すと言うことです。
 まず、パタゴニア氏の会話からの出典です。「ちなみに私のところにわざわざ来てくださったのですから、必ず検証いたします。」と述べています。
 これは、私のところにきたから、検証するという個人的理由による行為です。これには客観的理由はありません。私のところにきたら検証するという規準は、個人的理由であり、この場合は感情的理由です。
 次に私に対して「(私に)喰ってかかる奴です。」と感情的発言をして、述べてその後の削除依頼に発展しています。明らかにこれも感情的理由からの行為です。
 次にパタゴニア氏は私が検証可能性を理解する事を表明しているにもかかわらず、自己に都合の良い判断を用いて「どうしても検証可能性を理解する気がないのなら、Ownさんの記事すべてをチェックしなければならないかもしれません。」と言って、感情的理由による記事のチェックを表明しています。
 これは、いうなれば、パタゴニア氏の言い分に従わなければ、検証可能性を理解する気がないという自己判断を採用して、それから結論を述べる仮言三段論法です。
 その第二段には検証可能性を理解する気がないという自己判断を使用しているのであり、その第一段にある前提は私が検証可能性を理解する事を表明しているが、パタゴニア氏に従わないという個人的感情による今後の行為を正当化するために、検証可能性を理解する気がないという偽(偽とは嘘という意味ではなく、正ではないと言うこと)の理由を用いたのです。
 従って、パタゴニア氏は個人的感情を第一段として、第二段に偽を用い、第三段の結論を述べて言います。
 この結果、パタゴニア氏は削除依頼などを正当化するのですが、この削除依頼の原因となる結論は、第一段の個人的感情による第二段の偽の自己結論であることがわかるはずです。
 自己結論とはいうなれば、ウィキペディア上で置き換えると、個人研究でありその個人研究は第一段の個人的感情や価値観によって大きく作用されていると言うことですから、このような個人研究は検証を求められる必要があります。
 しかし、私が検証可能性を理解すると述べているにもかかわらず、パタゴニア氏はそれを検証することもせず、個人的感情によって第二段の経過を述べて以下結論を述べています。
 このようなことで、執筆者の記事に出典依頼を出したり、又は、削除依頼を出すこと自体が不健全極まりないと言うことです。又、パタゴニア氏には出典依頼を出すなら、個人的感情を排除してどの箇所が潜在的出典も認められない内容であるのか、明確にしてから出典依頼を出す必要があります。
 今回の場合は、以上に述べたように、執筆者はその箇所を指定してほしいと述べているのに、それは一切答えず、パタゴニア氏が気に入らないからといって出典を求め、削除依頼をしたという根拠が以上のとおりあります。
 それにもかかわらず、私の会話に参加されたShigeru23氏のようにその検証もせず無責任に意見を述べ、又、太極拳法の依頼サブページにおいても、十分に検証もせずに削除票を投じられたもものかんづめ氏やNekowood氏は無責任極まりないと言わざるを得ないでしょう。
 今後は責任を持って、この案件の検証に参加され、問題点を整理し、個人的感情や個人的価値観に左右されない、客観的な議論に参加されることを望みます。
 まだまだ、この問題について、あらゆる方面から調査検証中であり、まだ未確認のところがありますが、確認できましたら今後ここに反映させていく予定です。--Own 2011年2月16日 (水) 02:07 (UTC)[返信]

出典について

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こんにちは、パタゴニアです。さて、太極拳法記事に出典提示をしていただきましたが、Ownさんは前に私の会話ページで「私は残念ながら英語も中国語もできません。」と書かれています(Ownさんのこの発現ですね)中国語の出来ないOwnさんがどうしてこの出典で太極拳法記事が書けたのか非常に不思議です。この出典のどのページに太極拳法に説明があるのか記事に補足いただけませんが?補足いただけなければ、また説明を求めるタグを貼ります。--パタゴニア 2011年2月16日 (水) 10:53 (UTC)[返信]

私はあなたに言いましたね。以前はできましたと言うことをちゃんと(Ownさんのこの発現ですね)で書きましたね。読んでいませんか?日本語堪能な中国人の友人が私と一緒に色々と調べてくれたり、窓口をたくさん紹介してくれたからですよ。それよりも、私があなたにしている多くの質問に一つでも良いので答えてください。話はそれからです。検証可能性についてはたっぷりと見解を述べていますので、それについてあなたも見解を述べてください。それが議論ですよ。一方的に感情的な自己解決理論で物事を推し進めることに対して意見を述べているのです。あなたが今行っていることは、個人的迫害です。その根拠も示していますから、あなたが、そうではない正当な立場であるというなら、私の執筆にこれ以上特別な行為をおこなわないはずです。理解できないようであれば、又しっかりとこちらサイドで今回のあなたの再アプローチを検証してから、確認できたことを又ここに反映しますのでご覧ください。--Own 2011年2月17日 (木) 10:15 (UTC)[返信]


他の利用者の会話ページの削除の件

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こんにちは。故城一片之月と申します。 Ownさんが利用者:さかおりさんの会話ページに、あなたの御質問を投稿されたとき、おそらく間違いだとおもうのですが、以前の会話部分を削除されておりますが[1]、他の利用者のノートにおいてその会話内容を無断で除去できませんので、お知らせにまいりました。削除分はさかおりさんが復活されました。あなたの投稿分はわたしが正しい位置に戻して置きました。今後、他の利用者の会話ページの削除には注意なさって下さい。詳しくは→Help:ノートページ#他の利用者のコメントをお読みください。 --故城一片之月 2011年2月20日 (日) 02:53 (UTC)[返信]

どうもすみませんでした。さかおりさんにも謝っておきます。--Own 2011年2月20日 (日) 03:09 (UTC)[返信]
ご丁寧にありがとうございます。間違いであったようですので、もう気にしておりませんので。故城一片之月さんにはお手数をおかけしました。ありがとうございました。--さかおり 2011年2月20日 (日) 04:57 (UTC)[返信]

NEWMAN11氏

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こんにちは、Shigeru23です。早速ですが、Own様はNEWMAN11氏とは別人なのでしょうか? または同じネットワーク回線を共有しているなどはございませんか? Wikipedia:削除依頼/太極拳法20110210において、NEWMAN11氏の発言内容や表現のクセが余りのもOwn様に似ていましたのでお尋ねにあがりました。別人でありましたら深く深くお詫びいたしますが、どうもこの点での疑問が拭えませんので、誤りであれば大半失礼であることを承知でお尋ねいたします。--Shigeru23 2011年2月20日 (日) 05:31 (UTC)[返信]

調べることが出来るのなら調べてください。全く関係ありません。なぜ次から次にこのような訳のわからないことが出てくるのでしょうか?もう対応しきれませんね。どうしても、私の執筆を特別に抹消したいようですね。言いがかりも甚だしいですね。--Own 2011年2月20日 (日) 05:38 (UTC)[返信]
申し訳ございませんでした。--Shigeru23 2011年2月20日 (日) 14:12 (UTC)[返信]