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利用者‐会話:Nekosuki600/伊能忠敬と余談take2

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伊能忠敬の”余談”を消去されたことに対する抗議

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※関連→Wikipedia:井戸端/subj/インターネットスラング#古舘語録の扱いも微妙?

伊能忠敬に余談の欄があったので古舘伊知郎のF1実況にあった「片山右京=サーキットの伊能忠敬」を書き込んだあと、貴殿に余談の欄を消去されたことで憤慨しています。
貴殿の仰るように「コースを歩いて下見するレーサーは多い」ことは理解できますが、僕が強調したかったのは、古舘は他のレーサーにこのフレーズを用いず右京にだけ用いていたことなのに。それを軽くあざ笑うかのように消去する貴殿のやり方に納得がいきません。(怒)このため一旦revertさせていただきましたが、再度消去してトリビア的な要素も書き込めなくされた場合は、保護依頼も検討させていただきます。--Comyu 2006年11月3日 (金) 13:05 (UTC)[返信]

伊能忠敬クラスの有名人となれば、いろいろなところで比喩的に扱われることがあります。それを散発的に並べたところで伊能忠敬を説明する上では全く役に立たないでしょう。「歩く人のシンボルとして扱われることがある」くらいの言及がせいぜい。
古舘のさまざまな表現は、まあいちおうネタを考えて来てはいるのでしょうが、表層的な類似点に着目しただけのあまり内容があるものとは言えません(「音速の貴公子」なんかも同様。音速って時速何キロのことか知ってっか、みたいなもん)。
んでだ。百科事典というのは、どういう枠組みで何を説明するかを考えるところが重要なんじゃありませんか。断片的な知識を箇条書きで並べるというような方法で百科事典の編集に寄与できるというお考えなのでしたら、それは再考することをお勧めします。とりあえずなんだ、大項目主義・小項目主義などさまざまな百科事典を読み、自分なりの百科事典観をかたちづくることが必要なのではないかなあ。--Nekosuki600 2006年11月3日 (金) 13:11 (UTC)[返信]
自分なりの百科事典観があるからそれを加味しているのに、他の編集者の神経を逆撫でするようなことをよく平気でできる上に書けるね・・・(睨)だったら他の記事はどうだっていうの!?そっちにまで消しにかかろうものなら、それと鼻であしらうようなレスの書き方を今後も続けるのであれば、貴殿のウィキペディアンとしての品格を疑います
僕の編集ポリシーとしては
  • 先に書き込んでくれた人のオリジナリティは尊重する
  • 加筆することで付加価値を得られるのであれば積極的に加える
  • 本来の記事に不要な知識であっても「備考」とか「余談」のような項目で「逃げ道」を作り、立場を与える
そうすることで内容の拡充に寄与する上に、他の編集者のやりがいを損なわないようにしていますが・・・貴殿も一度消された側の身になって考えてください!自分の加筆した記事が(間違いでない限り)消された際にどれだけ悔しい思いをするか!!ささやかな善意と努力がワンクリックで水泡に帰すことがどれだけ精神的に重いか!!--Comyu 2006年11月3日 (金) 13:43 (UTC)[返信]
Wiki上での作業でしょ。消されて悔しいというメンタリティならば、自分のWebの上でやってる方がいいと思います。まあなんですな、確かに自分が書いた部分を消されたり改変されたりしたらムっとすることはありますし、気合を入れて調べて書いた部分でそれをやられたらトリビアを消されたくらいじゃすまないくらい立腹するものですが、そういうのを乗り越えてやってくしかないと思うんですよね。
共同作業というのは、馴れ合いのことではなく、時としてかなり厳しい対立をも含むものです。「これがどのように説明として有意義に機能するか」を力説するのならばとにかく「消されたらどのくらい悔しい思いをするか」を力説されても、しょーじきなところ、苦笑いを浮かべつ肩をすくめるくらいしかできません。--Nekosuki600 2006年11月3日 (金) 13:50 (UTC)[返信]
何か議論が違う方向に向かっていますが、コメントを。件の例では、元になっている項目に対して取り上げるにはあまりにも古舘語録は関連性が低すぎます。そのようなことまでいちいち取り上げていてはキリが無いでしょう。突如としてボウケンジャーとか片山右京が登場しても違和感があります。それらが伊能忠敬の名誉に寄与しているならばともかく、古舘の引用を使ってまでそんな項目に誘導されるのはいやだ、という感情的な面もあるかもしれません。--Calvero 2006年11月3日 (金) 14:37 (UTC)[返信]

一般論として、「~の誰某(有名人)」というコメントを有名人・"誰某"の記事に埋め込んでいくと収拾がつかなくなります。今回のケースは片山右京の記事においてこのエピソードを加えられるのが適当かな、と思います。--Extrahitz 2006年11月3日 (金) 14:51 (UTC)[返信]

どちらの意見もよくわかりますが、大量に消されたわけでもないですし、取り立ててひどいコメントで消したわけでもないし、そうむきになって抗議するする程のことでもないのではないでしょうか。私なんかほとんどコメントなしに大量にrevertされたことは過去に何度もあります。私はちょっとした記事で少しでも関連性があれば載せるべきだとは思いますが、古館はアナウンサーですから彼の比喩をすべて載せていたんじゃ古館の気分しだいでどんどん記事が増えます。片山右京が伊能忠敬と呼ばれるほどこの表現が一般化しているなら片山右京の項目に載せたほうがよいでしょうし、ただ古館の個人的発言なら古館の記事で彼の比喩表現一覧の一つとして入れてはいかがでしょう。アニメの登場人物もアニメ側の記事に入れるべきでしょう。いずれにしても、片山右京もアニメの登場人物名の由来も伊能忠敬の記事からはかなりかけ離れていると思います。--ロリ 2006年11月3日 (金) 15:26 (UTC)[返信]