利用者‐会話:Miyazakimango/過去ログ2
会話ページの編集について
[編集]こんにちは。この会話ページのこの編集[1]ですが、何か会話ページに置く積極的な意味はあるのでしょうか。過去のとあるユーザのこの編集[2]について、どう思われますか?ちなみに、このユーザは5年ブロック[3]ののち、パスワード公開を理由に無期限ブロック[4]となっています。
前回の時は、なるべく遠まわしに説明を試みたつもりでしたが…現在、あなたがWikipediaでやっていることは、こう申し上げては何ですが、ご自身の実力を超えているように思われます。日本史に関する一連のやりとり、地域研究の書誌データ提供の中身によって、少なくとも文系の学術関係については、ほぼ貢献できる可能性がないと私は判断しています。また、それ以外でも有意な加筆は、かなり少ないと言わざるをえません。そのうえ、必要以上に余計な行動をとっているように見えます。さらに、そういうユーザがややこしい議論にからんでいけるとも思っておりません。
私は、Miyazakimangoさんは、若いユーザではないかと思っております(違っていたら失礼)。若い方が、自分の実力をはかりかねるということはよくあることです。そのこと自体は、必ずしも悪ではありません。しかし、あまりに自分の力を超えて妙なことをやっていると、それは迷惑行為になります(おまけに、そこで突き進んでしまうことは、より強い力で跳ね返されるだけなのです。そのときによりいやな思いをするのはMiyazakimangoさん自身です)。このままだと、Miyazakimangoさんが迷惑ユーザとして認識されてしまうのではないかということを憂慮しています。
Miyazakimangoさんに必要なのは、まず、まわりと自分との関係をもう一度冷徹に見つめなおし、勉強をすることなのではないでしょうか。Wikipediaに関わるなとはいいません。しかし、もう少し落ち着いて、余計なことをせず、自分にできることを見極めながら関わることにしませんか。管理行為も少なくとも複雑なものはさけましょう。できればもう少し勉強(世の中への理解)が進むまではやらないほうがよいとは思います。学問関係も体系だった勉強をして、本筋とそうでないのが見極められるようになったら手をつけるぐらい、ゆっくりやりましょう。貢献はいつでもできます。まずは、その手をとめて、戦略を見つめなおしていただけませんでしょうか。お返事は特に必要ありません。行動で示してください。将来「みくびっていた」と私を反省させるような立派なユーザになることを期待しています。--ごまふあざ 2009年7月6日 (月) 15:13 (UTC)
- 私はごまふさんが思っているほど若くはないので、認識の違いはあるかもしれませんが、謗りを受けることはありません。私としても、あなたに>歴史というものはどこを見るかであってどれだけ知っているかではない>ということを知ってもらいたかった部分もありました。余計なお世話だったかもしれませんが。
- 私はごまふさんに自分が提示した情報源を一切の報告無く消されても、黙ってきました。同じことをされたらごまふさんのような方は黙っていられるでしょうか?如実知自心。出来ないと思います。
- 私はごまふさんは、ウィキペディア毒が回りすぎて少々お疲れなのだろうと思います。日本史というのは微妙な学問で、論争になりやすいもの。特に昭和時代は一部の『ク・セ・ジュ思想』を持った人間が教育史を正史と決める形で支配しており、新しい発見が受け入れられ辛いこともご存知かと思います。私はそのようなチョット(?)過激な人に笑ってもらうために瓢軽ることがあります(私自身本位ではありませんが)。人の会話ページに書き込む時ぐらいはリラックス、リラックス♪です。
- ご指摘の部分はカイゼンしましたし、ごまふさんが私と『全く関係の無い』ブロックユーザーを挙げられている点は考えなければならないところです。自身このごろ『ウィキブレイク』というものに入ろうかとも思っていましたが、どうやらウィキペディアには必要な物が足りないもよう。なので、もう少し私が末席を汚さねばならないと感じています。--Miyazakimango 2009年7月6日 (月) 20:11 (UTC)
- もう、どこからお話をしてよいのかわからないのですが。
- Miyazakimangoさん、お若くないとのこと。大変失礼しました。では、それなりの年齢を経た方として対応させていただきます。で。それなりの年齢を経た方が、当時14歳のユーザと同じ―それも、未熟であるとして5年ブロックされたユーザと同じ―ことをしたのはきわめて恥ずかしいことだと強く強く自覚してください。笑ってもらうにしても、もう少し「大人のやり方」というものがあるでしょう。
- もう、その全然身についてない質の低いタームを使うのはおやめになりませんか。見ていて恥ずかしいです。使えば使うほどMiyazakimangoさんはWikipediaで必要な能力がないと確信を深めます。(いくつもありますが)たとえば、いつの時代に「教育史」が正史になったのですか。教育史は、歴史学から見ても、教育学から見ても一分野でしかないですから正史になりようがない。ある分野が主流になった、と、好意的にとらえても、教育史が歴史学の主流になったことは、近代歴史学の中で、(少なくとも日米欧では)ただの一度もありません。もしかして、歴史学が国民の教化に利用されたといいたいのですか?これも「笑ってもらうため」ですか。Wikipediaの当該記事を見るだけでも誤用だとわかるでしょう。あなた自身がはからずも申し上げているように、「歴史というものはどこを見るかであってどれだけ知っているかではない」のですよ。歴史だけではなく、答えの出ないほとんどのものごとがそうです。知識は必ずしも必要ではありません。もちろん最低限必要なものはありますが。わからないときには辞書を引き、本を探し、ネットを探して新たな知に迫ればよいのです。そして、Wikipediaは、その知へと迫る水先案内人の一つです。だから、正しいタームを書くことよりは「いかに誤った知の見方への案内をしないようにするか」に主眼が置かれるのです。その目的のために、Wikipedianは、記事内容のブラッシュアップをはかっています。その適切な水先案内のためには、ある種の「勉強」が必要なのです。タームの丸覚えのようなものではなく「誤りへ導かないため」の方法論の勉強が。Miyazakimangoさんには、その勉強が決定的に欠けています。だから、「能力が足りない」と申し上げているのです。
- で、最後に一番重要なことを。「私はごまふさんに自分が提示した情報源を一切の報告無く消されても、黙ってきました」ですが。この発言一つで「方針の無理解」を理由にブロックにいたってもおかしくないと思います。悪いことは言いません、ここだけでも撤回しませんか?Wikipediaで、記事内容の編集・除去に報告が必要ですか?Miyazakimangoさん自身、利用者ページに「もし自分の記事を書き直されたからといって、ただ混乱して闇雲に暴れるのではなく、「なぜ」書き直されたのかを、よく考えて欲しいと思います」と書いてあるではないですか。その本人が「報告がない」などと言い立ててどうするのですか。安宅船は作家の文章だし、ましてや地域研究は、明瞭な「間違い」です。間違いを除去されてもしかたないでしょう。Miyazakimangoさんは記事名前空間に誤情報を載せたのです。この地域研究については、私は少し怒っています。なおなお、私が黙っていられるかどうかは、私の投稿履歴からご確認くださいませ。私自身が書いた記事の訂正・改稿に一度でも何か言ったことがあるかどうかを。
- もう、これ以上は申し上げません。私としては、なるべく早々に方向転換していただけるよう、お願いをしてきたつもりでしたが、それは私の力不足もあり通じなかったようです。次に私がMiyazakimangoさんにネガティブな何かを申し上げるときには、もっと皆さんから広くご意見をいただく場所になるでしょう。最後の行動の方向転換を期待しております。--ごまふあざ 2009年7月7日 (火) 14:23 (UTC)
- もう、どこからお話をしてよいのかわからないのですが。