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利用者‐会話:M3HR

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コメント等ありましたらこちらにお願いします。

失礼します

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suifuと申します。はじめまして。M3HR様の出された社会資本に関する項目統合の提案ですが、既に10日は経過しております。コメント依頼出すか、或いは議論の呼びかけをされないのであれば、一旦打ち止めした方がよいと思います。進展があるならともかく、無為に項目統合が表示されっぱなしというのも、どうにも落ち着きませんので、如何でしょうか。--Suifu 2006年10月2日 (月) 14:13 (UTC)[返信]

こちらとしては気長に待っている積りでした。議論が出ていることはWikipedia:統合依頼にて掲示済という認識で(むろん、記事中の提案掲示も呼びかけのうち)、3ヵ月は待とうかというところでもあったのですが、この分野は人も少ないことですし、何らかの事情で気分を害されるようなことがあれば申し訳ありません。いったん取り下げを検討いたします。--M3HR 2006年10月2日 (月) 14:33 (UTC)[返信]
失礼します。お返事有難うございました。仰せの通り、その道の専門の方がいないと話が進展しないのかもしれませんね。ちなみに議論のページにも申しましたとおり、私は両者は別概念であり、項目をわけるべきだと思う立場です。以下に、概念の区別に関する記事をリンクさせて頂きます。ご多忙とは存じますが、ご覧頂ければ幸いです。
こちらでは、詳細は割愛しますが、まちづくりを専攻するものとしてはどうしても同意できないのです。もし、この後に議論されるのであれば、参加させて頂きたいと思います。--Suifu 2006年10月2日 (月) 15:29 (UTC)[返信]
整理してきました。今気になることを一点だけ挙げておくと、ブルデューの「社会資本」(capital social)はインフラではないけどどういう扱いになるのかなと。他言語版の capital social の記事を読みながら、都市の再生産についてゆっくり考えられればなと考えています。--M3HR 2006年10月2日 (月) 15:54 (UTC)[返信]
失礼します。提案を一時、取り下げられたとのこと、了解しました。「なお…」以下の文章は個人的なご教示であり、公然に晒すのもどうかと思うので、私めのページにうつさせて頂きたいのですがご迷惑でなければ。
ちなみに、ブルデューについては、おおよそ社会資本というよりもソーシャル・キャピタルの分野での登場が多いですね。


それから、なおもご反論があるとのことですが、参考材料としてJICAのリンクをアップさせて頂きたく思います。
この4頁に、ソーシャル・キャピタルの訳を社会資本とすることは好ましくない一文があります。ウィキペディアは大項目主義が主流であり、ひとつの項目で色々説明できることは利便性はありますが、学術的に定義が区別されているものを、やたら統合することは好ましくありません。例えば、テロリズムの概念のように世界に100以上の定義が存在しているものでも、厳密にひとつの用語で説明されているのであれば、それはひとつの項目で述べる方がよいのかもしれません(逆に不便ではありますが)。または、高齢社会と高齢化社会のように高齢者率の程度の問題で概念が区別されるだけならひとつの項目でよいともいえます。しかし、ソーシャル・キャピタルはその範疇は越えています。それは、直訳せず、あえてカタカナ語としてのソーシャル・キャピタルが行政学・行政実務分野でもわけて用いられていること、なおかつソーシャル・キャピタルという概念が社会資本と同列の認知を得つつあることも考えれば明らかではないでしょうか。--Suifu 2006年10月3日 (火) 06:42 (UTC)[返信]
しかし、現状の社会資本の説明を読む限り統合のご提案は無理もないかもしれませんね。当百科事典は世界各国にあるウィキペディアの日本語版に過ぎず、世界的な定義や議論は十分精査する必要はありますが、少なくとも日本語としての社会資本はインフラとしての使用が圧倒的であるはずであり、現在の社会資本の説明はやや不適切であると考えます。海外の社会資本と日本語の社会資本をくっつけてしまうのは危険で日本語版での社会資本はあくまで国内的な用法に基づき、その上で諸外国の用法に触れるべきかもしれません。それは、旧来のハードの社会資本に対し、ソフトの社会資本をソーシャル・キャピタル或いは社会関係資本、市民社会資本と意訳していることからも明らかです。
そもそも、ソーシャル・キャピタルの概念は、インフラ重視のハードな都市計画先行であった社会資本という概念の反省として、コミュニティそのものの社会的役割、地域における資源としてのヒトの役割を見直した結果、生まれたものであったと思います。今後、もし統合の議論がある場合には、この概念の派生の過程についてがひとつのポイントかもしれませんね。--Suifu 2006年10月3日 (火) 06:55 (UTC)[返信]
いろいろありがとうございます。コメントの移動についてはお任せいたします。今後ともよろしくお願いします。(見やすくするため、インデントをつけさせてもらいました。文頭にコロンを置くことで可能です)--M3HR 2006年10月3日 (火) 12:49 (UTC)[返信]

すみません。何かとご縁があるようです(汗)。ご存知かどうかわかりませんが、まちづくり戦士という項目は私が立てました。今回、M3HR産のご提案は削除依頼のケースEと理解してコメントしましたが、正しいでしょうか。コメントは議論のページに述べましたのでここでは省略します。しかし、今回は削除依頼のEに乗っ取るのであれば、独自の研究かどうか。内容としての正確性または不正確さを検証できるかどうか、百科事典としての成長性はあるかどうかがポイントです。今回は私にも反省点があり、出された結論に従うつもりでいますが、討議期間中ということで、一票投じ、私なりの反論を述べさせて頂きました。少なくとも削除依頼ケースEに乗っ取り、記事としての発展性についての議論が行われることを要望します。あいにく、その点の検証については提案者様から頂けていないので。ちなみに私は包摂主義的な観点の持ち主であり、何らか手を加えるにしても訂正で済むような方向を目指す立場に立つつもりでおります。--Suifu 2006年10月8日 (日) 10:30 (UTC)[返信]

まちづくり戦士の削除提案について申し上げたいことがあり、参上しました。 まず、削除依頼のページにおける「まちづくり教」は敵意なり悪意を感じずにいられなかったことから、これについて強く抗議を申し入れる次第です。まちづくりは地方自治論の一分野としての確立を得ている。まちづくりは思想ではありませんよ。いずれの職種にせよ、まちづくりがなんたるかは常識だと思いますが。もし、ご意見を寄せられるのであれば、その専門分野の観点からのご意見を賜りたい。ソーシャル・キャピタルの折もそれが感じられなかったため。もちろん、まちづくり戦士という概念の場合は学問的かといえばそうではなく、マスコミの造語を端に発したものがNPOなどに浸透したものです。故に無条件に何の問題もなしとはいいません。

しかし、です。貴方の質問やコメント依頼という前提を設けず、いきなり貴方の主観によって削除依頼や統合依頼をされる編集方針には慎重さという点で疑念を感じています。まちづくり戦士についてはそれまでの議論がノートにもあるにも関わらず、その場で問いただすことなく、前触れもなく削除依頼を出された。その依頼内容とて主観以上の客観的な何か、具体的に例示になられているわけではない。 結論を前提にしたご提案になる前にいくつかの手続きを経られても、バチはあたらないのではないでしょうか。殊に、公務員をされているからといって必ずしも行政学・地方自治論的な概念にお詳しいとも限らないでしょう。客観的な証明になりませんものね。それをいえば私だって公務員ですし、行政大学院の学生ですが。まず、何か決め付ける前に第三者の意見を聴取した上でそれを根拠にご提案なさるプロセスがあってもいいと思いますよ。あれではまるで急迫不正による提案といわれているようなものです。何かと虚構とされるのがお好きなようですが、物事はそんな何でもかんでも白黒つけられるものでしょうか。行政行為じゃあるまいし。もちろん学問でも、立証しなければ根拠なしと判断されます。が、ウィキペディアの記事は複数の編者により発展する可能性を持っているのです。貴方がその専門の分野に長けていて、信念と確信を以って手続きを経られるのならともかく、必ずしもそうではない。 現状が不十分でも、まちづくり戦士が社会的に用いられたことがあるかどうかということや、まちづくり戦士の内容が意味する客観的事実を立証不可能と断定できなければ、削除を即断することは適切ではありませんよね。現行の記事に何らかの決定的な変更を加えようとされるのなら、理論立ててそのような事実がまったく0であることを立証されるべきではないでしょうか。ソーシャルキャピタルの折にも統合提案しているにも関わらず提案について自分自身の正当性を立証する調査も準備もされていないようですし。しかも、コメント依頼をなされていませんし、コメントがつかなくたって仕方ないではないですか。

それから、そもそもウィキペディアの記事としては、編集方針においていくつかの価値観が存在しています。あまり派生概念は項目化せず、重要な概念だけを項目化する大項目主義、細かくひとつひとつの単語を小項目主義、そしてクオリティの問われるものについて、改善することを前提に考える包摂主義、反対に質的問題があるものは削除し、一定のレベルを保つ削除主義です。このいずれも絶対ではなく、個々人の価値観に過ぎません。(貴方の編集方針も無数のウィキペティアンの中のひとつの考え方であり、私の考え方も然りです)。削除はその記事の存続を真っ向から否定し、抹消するものです。その生殺与奪は軽々にすべきではなく、その点での謙虚さというものが必要でしょう。 とはいえ、実際にはひとつひとつの記事の生殺与奪はその議論に関与した一部のウィキペディアンで決めることができる。これも事実です。逆にいえばその場に包摂主義の立場の人だけがいた場合、まちづくり戦士は立派に存続を得られる可能性だって十分にあるのです。それを思えば、様々な価値観を照らし合わせ虚心坦懐に議論する度量があってもいいと思うのです。間違っていますか?

ウィキ上には様々な観点があり、それぞれの主義がそれぞれに一定の市民権を持っている以上、どなたにも反対する主義を持った人々に対する配慮は必要なはずです。特に、あなたの削除提案はご自分の考えは通されるけれども、反対する考えに対し十分な配慮やきちんと議論に臨むという姿勢は今のところ感じられません。いずれにしても、削除提案についてはその判断基準は明確です。それに沿った議論があることを繰り返しお願いしたい。--Suifu 2006年10月9日 (月) 02:46 (UTC)[返信]

今更ですが

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今更ですが、上のユーザーはこのノートで無意味な連続投稿を繰り返したため、迷惑なユーザーであると判断し、回答を行なっていません。今後も回答するつもりはありません。プレビュー機能のお知らせぐらい聞く耳もってほしいと思う下っ端ウィキペディアンの私・・・。--M3HR 2006年11月28日 (火) 13:59 (UTC)[返信]

連続投稿については、さぞご迷惑をかけたものと謹んでお詫び申し上げます。迷惑なユーザーのそしりは免れないのですね。しかし、悪質なユーザーであるつもりはないし、私は私なりにウィキペディアのルールに照らし、正当と思うところを述べています。個々人のやりとりで済む話であるならばともかく、貴方はひとつの記事に削除提案をされ、公論によりてこれを決しようと運動されたのですから、そのことについては提案者意思を表明されるべきではないでしょうか。 そもそも、ひとつの記事の決裁については、大体一週間程度を目処としており、それ以上伸びる場合には何らかの議論延長を申し出てしかるべきです。現状はたんなる放置に過ぎず、こちらの意見表明に対しても何ら回答を頂いておりません。そもそも、貴方の削除提案は、削除依頼のEに基づくものととらえてよいのでしょうか。であるとするならば、その削除依頼の趣旨及び方法にのっとった議論を進めて頂くよう、再度お願いしたい。 もし、誠実な回答がない場合、今回の削除依頼の正当性そのものに異議を申し出たいと思います。--海衛士 2006年12月3日 (日) 02:57 (UTC)[返信]

  • 過去ログの論点が不明確になっていますし、保護解除依頼も再提出してますので、議論を円滑に進めるためにノートの段落を変更しています。 ノートの形式についての決まりは特にはありません。理由があっての変更ですのでご理解ください。--Tokacyan 2006年11月28日 (火) 13:42 (UTC)[返信]
Wikipedia:ノートページに「下方向に進めましょう」とあります。かつてこれを守らずに荒れたページを見ていますし、ルールではありませんが守るべきマナーであると心得ます。なお私見ですが、順番をばらすとかえって議論がしにくくなりませんか?--M3HR 2006年11月28日 (火) 13:54 (UTC)[返信]
保護解除も含めた再提案です。統合提案理由も改めて箇条書きで示しています。よって議論の継続ではありません。  議題提案者の意向を無視した形での編集の方がよほどマナーに反するかと思いますが。--Tokacyan 2006年11月28日 (火) 14:18 (UTC) [返信]
対話継続中にも係らず、ページ編集を行うことは重大なマナー違反です。管理者伝言板#投稿ブロックにて報告しました。--Tokacyan 2006年11月28日 (火) 14:33 (UTC)[返信]
「継続であってもなくても下方向に進めるのがマナー」でしょう。もしこれまでの議論が邪魔ならアーカイブ化すればよいだけの話です。こういう論争も見てるんで、提案者が絶対という独り善がりな物言いには寛容になれません。--M3HR 2006年11月28日 (火) 14:35 (UTC)[返信]

横から失礼します。ノートでの議論は「下方向に進めましょう」というM3HRさんのご意見は正論ですが、ここは大人の対応をお願いします。要は形式より内容です。問題の記事の統合について粛々とご自身の意見を表明なさってください。ノートの保護につながりかねない行為は、自制してくださいますよう重ねてお願い申し上げます。--Dojo 2006年11月28日 (火) 14:40 (UTC)[返信]

wikipedia:ノートページをもう一度よくご一読ください。「下方向に進めましょう」は継続中の議題に対する返答に対してのものであって、新たな提案(見出し)に関してはその限りではありません。
また同ページ内にはこのような記述もあります。「議論を要約する 議論が収束して数週間が経過したり、議論が長い間加熱したら、(あなたが賢明かつ礼儀正しくなれるなら)その議論に関する百科事典の記事を書いているかのような、主要な論点に関する議論の要約をつくって、置き換えて下さい。その議論が対立する議論を含むなら、偏っていない観点から議論をまとめてください。可能ならば、合意している事項と、議論の的になっている事項を区別して下さい。」ともあります。 --Tokacyan 2006年11月28日 (火) 14:49 (UTC)[返信]

「投稿ブロック依頼/Penpen」への参加のお願い

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2007年7月19日(木)19:49(UTC)(20日04:49(JST))よりWikipedia:投稿ブロック依頼/Penpenで審議が行われていますが、関係者の数に比べて参加者が少ないように思います。つきましては、上記審議への参加をお願いします。ついでといっては失礼ですが、これに関連してコメント依頼を出しておりますので、よろしければWikipedia‐ノート:投稿ブロック依頼/Penpen#コメント依頼についてにも参加お願いします。(資源節約のためテンプレートにしています。あしからずご了承ください。)Penpen 2007年7月20日 (金) 12:49 (UTC)[返信]

配偶者控除・扶養控除について

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こんにちは。記事を作成いただき、ありがとうございます。しかしながら、いくつか正しくない点がありましたので、直させていただきます。

  • 所得は「課税所得」ではなく「合計所得金額」で判断する。(税では、合計所得、総所得、課税所得はまったく別の概念です。合計所得38万円以下なら、所得税法上は課税所得0になります。)
  • 38万円「未満」ではなく「以下」である。

あとで暇を見て細かいところも手を入れるつもりです。申しわけありませんが、基準など、数字的なところは正確なものを入れていただいたほうがよろしいかと存じます。それでは。--竹麦魚(ほうぼう) 2008年7月10日 (木) 13:32 (UTC)[返信]

ご連絡ありがとうございます。人間ですのでミスはつきものと考えています。税法関係はもう少し細かな部分の確認が必要ですね。次回以降は、ご連絡なしに直していただいて結構です(あんまりにひどいものはご連絡いただければ幸いです)。この度は申し訳ありませんでした。--M3HR 2008年7月10日 (木) 20:30 (UTC)[返信]

(過ぎたことを書いてしまいましたので、削除いたします。失礼いたしました。--Tarokun 2009年4月27日 (月) 13:24 (UTC)[返信]

自分が可愛いのであれば、どうぞご自由に。ミスがつきものでも、あなたのようにミスを正当化するのとはまた別の話です。マナーが守れない方はたとい知識があってもWikipedia(正式名称を使いましょう)にはふさわしくないと思ってます。また、裁判権免除の件は、おそらく「裁判権免除」を「主権免除」に置き換えているとのことでしょうが、これは「裁判権免除」の項が新規執筆されるまでの暫定的措置であり、ご指摘はリダイレクト回避のためのものである、と言っておきます。--M3HR 2008年7月18日 (金) 04:20 (UTC)[返信]

ABC分析 (会計)について

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臥迷天と申します。すみません、私の勉強不足だったようです。わざわざありがとうございました。

ご連絡ありがとうございます。--M3HR 2008年11月7日 (金) 01:14 (UTC)[返信]

お願い

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もう活動しておられないでしょうが、大半を執筆なさった国際政治学に、「出典の明記」「独自研究」が貼られています。問題を解消して下さい。--101.128.237.245 2022年10月13日 (木) 08:54 (UTC)[返信]