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利用者‐会話:Koba-chan/Sandbox10

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読んでの私の意見です。

「コメント依頼の目的」…「弾劾システムと同じ性格をもったもの」は明らかに言い過ぎ。もっと軽くあっても良いかと。ただ、正直に冷静に発言するべきという部分は妥当。尤もこれは全ての議論に当てはまるので殊更言うほどのものでもないかと。

「コメント依頼の公開「制」」…上記の目的の理解に従い、手順の必要性は疑問。またコメント依頼が0null0さんのコメント依頼のように常に「糾弾者」を持っているとは限らず手順を定めるにしても様々なパターンが想定でき、難しいと思われる。

「判断者」…おそらく依頼の妥当性の「判断者」の意味と思われるが、これだけでは議論の裁定役かどうかわかりにくい。妥当性の判断者として考えると、今度は判断者の妥当性が問われないかとも思ったり。恒久的な役職なら権威者になりかねないので望ましくはないでしょうね。

「ネゴシエーター」…いると便利と思うが、率直に言って能力のある人が少ない。その少ない人に仲裁という恐ろしく負担のかかる仕事をたびたび回すのは気が引ける。能力のない人がやっても逆効果は目に見えている。

「仲裁委員会」…ネゴシエーターと同じ。もう少し規模が大きくなれば必要とは思う。

「議論の進め方」

  • 当事者間の議論は確かに会話ページでもできる。他者のコメントを期待しないのであれば会話ページのほうが得策なのはそのとおりかと。しかしその場合はそもそもコメント依頼に出す必要性を感じない。
  • 「シンパを作る目的」は意味が不明確。言わんとする内容がわからないのでコメントできない。
  • そのとおりだと考えます。
  • 他者の意見を知ることで被依頼者が考え方を変えたりすることは当然期待できることと考える。そしてその際に考え方を変えた非依頼者を導く意味で「何かを決める」のはそこまで悪くはない。ただし、コメント依頼はブロックの場でも解任の場でもなくあくまで話し合いの場ということは当然必要な前提と考えられる。よって一方的な交換条件の提示などはコメント依頼にはなじまないように感じる。

「謝罪」…必要かどうか、どの内容がふさわしいかはケースバイケース。故に本来は当事者達で定義して使うべきで、わざわざそのことを親切に教えてやる必要があるかは微妙。しかし、謝罪の意味が複数あることを提示しておいたり、定義をあわせたほうがよいということを知らせるのは過保護かもしれないがあって悪い類のものではない。

以上、基本的に反対意見を多めに書いてみました。こういうのは自分と逆の意見のほうがありがたいという自分の経験より。tanuki_Z 2005年4月11日 (月) 06:06 (UTC)[返信]