利用者‐会話:Hegyi János
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あなたが実り多き活動をされることを楽しみにしております。--Goodpapa3 2007年1月24日 (水) 16:37 (UTC)
私。Tamachan21のノートに
「Tamachan21さんは、当該ノートの見出しにもあるように、『「ハンガリー事件」に記事名を変更すべき』との立場かと思いますが、書籍で用いられている表現としては、「事件」よりも「革命」の方が多いと思いますが、1956年の出来事を表現する単語としては、やはり「事件」が適切なのでしょうか。ニュアンス的には確かに「革命」や「動乱」と言うよりも中立であることは確かです。しかし、一見では中立に見える選択肢が、実質的に中立なのか、またそれが望ましいのか、私にはわかりません。」
とのご質問をなさいましたが、私個人はこの事件について、共産党一党独裁による全体主義体制の打破を目指す動きと考えるので、ハンガリー革命と称したほうが妥当なのではないかと思っております。ただ、この事件を巡って民主化運動の域を達しているのか達していないのかという議論があるので、中立性を持つハンガリー事件という呼称はどうであろうかと申しあげました。
いずれにせよ、ハンガリー事件について、「動乱」という言葉はHegyi Jánosさんが、ご指摘の通り少なくともハンガリー事件に関する再評価がなされた1989年以降は不適切な用語ではないかと思われます。--Tamachan21 2007年1月27日 (土) 01:05 (UTC)
- もし、ハンガリー革命という呼称で大半の合意が得られるのであれば、私の思想的スタンスとしても同意はできます。なお、保護解除ですができるだけ私とPicaさんは争いの当事者なのでかかわるべきではないと思うのですが、おそらく呼称問題に対して何らかの合意が得られないと難しいのかなと思います。ハンガリー革命のノートの項で呼称についての見解を記したらどうかと提案されましたが、タイトル名がどのような形になるとしてもご指摘の通り必要かと思います。ただ、その際には、呼称にまつわる論争(仮称)という章を一つもうけ、動乱か事件か革命かということでそれぞれの呼称に関する理由付けなどについて詳細に記したほうがいいと思います。呼称に関する争いや諸外国との比較とかをできる限り記さないで保護解除をすると、結局ノートでいつまでも同じ議論が繰り返されることになるのではないかと危惧しています。--Tamachan21 2007年2月2日 (金) 14:46 (UTC)
- 保護解除がなされましたが、当分編集はしにくい雰囲気ではありますね。
さて、Picaさんの主張ですが、編集解除後も主張は続くのでしょうね。用語の統一ですが、併記をするやり方はダメなのでしょうか。(例えば、「ハンガリー動乱(革命)」など。)論争があるのであれば、併記する書き方が妥当かと思います。そうではない場合には、案としてHegyi Jánosさんが
『「ハンガリー動乱」の参照する歴史上の出来事については、今日でも様々な評価があり、日本においては未だに呼称が定まっていないが、この記事内においては、報道機関などで一般的に使われる「ハンガリー動乱」と基本的に表記する。』
を提示していますが、私としては、この文章をベースにすることに賛成ですが、次のような文章ではいかがでしょうか。
『「ハンガリー動乱」の参照する歴史上の出来事については、当時の体制の位置づけや民衆が起こした蜂起に関する見解を巡って様々な評価がある。A.当時の体制を社会主義体制とみなした上での見解としては、①この事件の位置づけを反革命、すなわち体制に対する反乱とみなし、当時のカーダール政権やソ連がこの立場、②これに対し、1956年の事件はスターリン社会主義、ソ連型社会主義からの革命とみなすもの、③労働者評議会が設立され、現体制に対する反対を示した革命であるとするものなどがある。次に、B.当時の体制は社会主義体制ではなく、共産党という勢力による全体主義体制とみなす見解からのものであり、①当時の体制はスターリン官僚主義体制(スターリニズムを社会主義とはみなしていない)を打破するべく、真に社会主義革命を目指すために労働者評議会が設置されたのだとするもの、②当時の独裁体制を打破するために自由主義、民主主義の体制を確立するための革命とするものとがある今日でも様々な評価があり、このような事件の評価との兼ね合いで呼称に関する論争があるが、日本においては未だに呼称について「動乱」とするか「事件」とするか「革命」とするかが定まっていない。が、この記事内においては、ノートにおける呼称に関する議論が解決するまでの間は、報道機関などで一般慣習的に使われる「ハンガリー動乱」と基本的に表記する。』
としたいのですが、どうでしょうか。(太字は新たに書き入れたところであり、線で消したものも踏まえ、文章について私としてのものです)提案をされた中で修正などを入れてしまい、申し訳ありませんが、呼称を巡る議論についてもっとはっきりとした形で表わしたほうがいいのではないかと思っています。そして、この文章を一つの独立した章として、はっきりと明示していただければと思いますがいかがでしょうか。ご同意いただけるのであれば、ハンガリー革命のノートでHegyi Jánosさんのご同意を得て掲示した旨を掲載したいと思います。--Tamachan21 2007年2月9日 (金) 02:15 (UTC)(一部修正)
- 内容については異議はありませんが、どの部分に置くかが問題です。とりあえず、序の文では、呼称問題については、後述するもしくは脚注として示すとして、冒頭で長く記述する事は避けたいと思います。閲覧者にとって、内容の方が重要なのであり、呼称は二次的な問題に過ぎないですし、何より先に当時の社会体制や時代背景について述べる必要があるからです。Hegyi János 2007年2月10日 (土) 08:15 (UTC)
- では、序の部分に、
「この記事内においては、ノートにおける呼称に関する議論が解決するまでの間は、報道機関などで慣習的に使われる「ハンガリー動乱」と基本的に表記する。」
として、それ以外の部分について
『「ハンガリー動乱」の参照する歴史上の出来事については、当時の体制の位置づけや民衆が起こした蜂起に関する見解を巡って様々な評価がある。A.当時の体制を社会主義体制とみなした上での見解としては、①この事件の位置づけを反革命、すなわち体制に対する反乱とみなし、当時のカーダール政権やソ連がこの立場、②これに対し、1956年の事件はスターリン社会主義、ソ連型社会主義からの革命とみなすもの、③労働者評議会が設立され、現体制に対する反対を示した革命であるとするものなどがある。次に、B.当時の体制は社会主義体制ではなく、共産党という勢力による全体主義体制とみなす見解からのものであり、①当時の体制はスターリン官僚主義体制(スターリニズムを社会主義とはみなしていない)を打破するべく、真に社会主義革命を目指すために労働者評議会が設置されたのだとするもの、②当時の独裁体制を打破するために自由主義、民主主義の体制を確立するための革命とするものとがある。このような事件の評価との兼ね合いで呼称に関する論争があるが、日本においては呼称について「動乱」とするか「事件」とするか「革命」とするか定まっていない。』という項目を本文の「5.革命についての議論」の一項目としてみるというのはどうでしょうか。なお、ハンガリー革命の項でご迷惑をかける形となり、申し訳ありませんでした。--Tamachan21 2007年2月11日 (日) 02:17 (UTC)
- では、序の部分に、
- 見やすいように、箇条書きを用いた方がよいと思いますが、基本的には同意します。
- また、こちらは好きでやっているので、迷惑だなんてとんでもないです。どうか、お気になさらず。Hegyi János 2007年2月11日 (日) 10:28 (UTC)
- A、Bや①、②を箇条書きにした上で、ハンガリー事件のところに私案として提示したいと思います。--Tamachan21 2007年2月18日 (日) 10:56 (UTC)--Tamachan21 2007年2月18日 (日) 10:57 (UTC)(修正)
項目を移動する際は二重リダイレクトを作らないようにしてください。--Arpeggio 2007年1月28日 (日) 15:55 (UTC)
記事移動に伴う二重リダイレクトについてのお知らせ
[編集]通と申します。フリチャイ・フェレンツの記事についてページ名の変更、もしくは記事の移動を行われたようですが、その際に二重リダイレクトが発生いたしました。今回は当方で処理を行いましたが、次回もし移動を行う際には、二重リダイレクトのほうに注意を払っていただきますようお願い申し上げます。--通 2007年1月29日 (月) 11:55 (UTC)
アカウントの文字列について
[編集]どうもはじめまして。
さて本題ですが、Hegyi János さんのお名前の文字列が、当該問題を引き起こしていた主因なわけではありません。いったんエディタにコピーしてペーストしたら化けてはいたのですがそれはこちらの(エディタの)問題。それ以外に、署名に妙な加工をほどこしているひとが多数おられ、それらが軒並みリンク切れになっていましたし、それらは回避の方法がありません。Hegyi János さんの文字列は瑣末な問題でありお気に病む必要があるようなことだとは、おれは思いませんでした。
では、今後ともよろしゅうに。--Nekosuki600 2007年4月24日 (火) 16:06 (UTC)
- Nekosuki600さん、ご丁寧にどうもありがとうございます。私は編集者としての経歴は無いに等しいものですが、利用者としてはずいぶん昔からウィキペディアのお世話になっており、Nekosuki600さんの仰る事は理解している(つもり)です。大変瑣末な問題ではありましたが、一応依頼についてコメントさせていただくにあたって、一言触れておいた方がいいのではないかと思ったまでのことでした。こういう細かいところを気にするあたり、私は小物なのかもしれません。こちらこそ、よろしくお願いします。Hegyi János 2007年4月24日 (火) 22:53 (UTC)