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利用者‐会話:Greatupper

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よく人の記事を中立性を欠くとして削除していますが、何を根拠に消しているのか教えてください。「参考・関連文献」を書いていてもあなたの気分で消していては意味がありません。書かれていた参考文献等を確認されて消しているのですか? また、単に消すのではなく、ここはこうだったというような加筆訂正も必要だと思います。--210.131.156.169 2011年7月2日 (土) 04:00 (UTC)[返信]

中立性を欠く、という論点から削除することはほとんどありませんのでお示しいただいたような事実はありません。具体例を挙げていただければ回答します。
私があなたからの投稿に関して変更を加えた記事として石田三成と本多忠籌、板倉重宗があると思いますのでそれらについて説明します。
石田三成については編集内容の要約にあるとおりで、繰り返しになりますがあなたが、テレビドラマの個人的感想を書き込まれていたための措置です。今後はこのようなことはならさないようにしてください。同記事へのあなたからの参考文献の提示はありません。
本多忠籌についてはあなたが設置した節、「家督相続・藩政」の後ろの節「寛政の改革」の中に忠誠への家督相続が記載されているため、あなたが設置した節が題名と内容が噛み合わないものであったため、その修正として上位の節「生涯」に統合したものです。今後は前後の内容をよく推敲してから投稿してください。そのほかにもあなたの投稿ではありませんが用法を誤った用語があったため修正しています。これらも編集内容の要約に記入したとおりです。この記事でもあなたからの参考文献の提示はありません。
板倉重宗については124.108.252.64による評論を削除したところ、あなたが理由開示ない事実上の差し戻しを行なったための措置です。IPユーザ同士による理由開示のない差し戻し回避については荒らし行為の可能性があるため、それ以前に私が関わった記事でなくても行なっています。今後はログインなさるか、このような行動はとることがないようにして下さい。この記事でもあなたからの参考文献の提示はありません。
そもそも、削除の理由についてはすでに各記事の編集内容の要約欄に記入してあるとおりです。これらをご確認いただいていれば気分で消しているという疑義自体発生しないと思いますがいかがでしょうか?
以上とおり、回答します。--Greatupper 2011年7月2日 (土) 05:24 (UTC)[返信]

よく出典を次々と求められているようですがご自身でも調べられてはどうでしょうか?大谷吉継などは明らかに「大谷刑部のすべて」や他を参照にすればかなりの部分で裏出典が必要なくなる部分です。単に「裏出典」するだけではなく自分でも調べる必要ありと思います。また「信用できる2次資料・3次資料」と申されますがどのような点が信頼できないのか根拠をお願いします。「名将言行録」は明治期のものなので信憑性がないともいえますが他の史料はどのような部分で信頼できないのでしょうか?--101.1.74.82 2011年7月17日 (日) 06:51 (UTC)[返信]

Wikipediaにおいては出典を提示する責任はその情報の掲載を希望する側にあります。Wikipedia:検証可能性をお読みください。
高次資料を求めている点についてもWikipediaの方針に従って、私がその疑義を提示しているに過ぎません。Wikipedia:独自研究は載せないをお読みください。
以上のとおり回答します。
ところで、「名将言行録」は明治期のものなので信憑性がないともいえる、とことですが、あえてそのような信頼性の薄い記載に対してなんらのアプローチも示されずに、Wikipediaの方針に従って意見を提示しているに過ぎない私に疑義をとなえられているのはどのような理由からでしょうか?ぜひお答え下さい。--Greatupper 2011年7月17日 (日) 16:16 (UTC)[返信]

「史料性の疑わしい出典よりの記述の削除」として蒲生氏郷堀秀政大谷吉継福島正則戸田忠至、他に多くの記事を削除されていますね。削除している部分の史料性の疑わしい出典よりの記述の削除は名将言行録と老人雑話と常山紀談などのようですが当然ですが史料性が疑わしいと断言されておられる以上はこれらの史料に一度は目を通されていると思います。ではご質問です。立花道雪の逸話に関して目を通しましたが名将言行録の記述が大半です。『軍律に関しては非常に厳しく、筑前川原崎で蒲池氏と対陣中に越年することになった時、一部の家臣が無断で陣地を離れて我が家へ戻った事を知った道雪は、直ちに追っ手を差し向け、その時追っ手に家へ帰った家臣のみならず、その親をも殺すよう命じた。家老たちが親までも殺すことはないだろうと諫めても「大事な戦場の持ち場から逃げ帰ってくる息子を追い返さない限り、その親も同罪だ」と言って取り合わなかったという』というこの逸話は明らかに名将言行録に記録されているものです。以前のあなたなら史料性の疑わしい出典よりの記述の削除、としてすぐに消されているはずですがなぜかこの点は「要出典範囲|date=2011年7月」とされています。道雪に関して他の記事も読みましたが名将言行録から採用されている逸話が他にもありましたがその点には「要出典範囲|date=2011年7月」もされておらず消されてもいません。精査された上での「date=2011年7月」や「史料性の疑わしい出典よりの記述の削除」であると考えますのでどういうことか理由をお願いします。--210.131.156.169 2011年7月17日 (日) 10:43 (UTC)[返信]

即時削除の方針については編集合戦を防ぐ理由から改めました。
なお、明言するまでもないことではありますが、すでに削除した記述について復帰させなければならない責任はWikipediaの方針やガイドライン上でも、また道義上の上でも私にはありません。
また、削除しなければならない責任も要出典範囲を示す責任も私にはありません。したがって今回のご質問についてはお答えする責任もないことは明白ですが、どのような見解からこのような質問をされたのでしょうか?
立花道雪の当該箇所については、出典明記のない上に、雑多な箇条書き箇所であり、改善が必要な箇所であり特に注意を強調する必要があります。
以上のとおり回答します。--Greatupper 2011年7月17日 (日) 16:16 (UTC)[返信]


最近、日本人の歴史関係に関する特定の個人に対する攻撃、あるいは指摘を行なっているようですが、ウィキペディアでは特定の個人に対する攻撃・指摘は推奨していません。もう少し言動を留意する必要があるのではないでしょうか? ダグの貼り付けに関して、なぜ特定の個人にだけ行なっているのか疑問があります(指摘されているとキリがないのでは?)。もう少し仲良くしましょう。--210.131.156.169 2011年8月15日 (月) 05:37 (UTC) 仲良くできたら幸いです。こちらも出典には気をつけますのでもう少し仲良くしませんか? --210.131.156.169 2011年8月15日 (月) 05:50 (UTC)こちらも言葉が過ぎることが多かったと思います。以後は気をつけますのでこのあたりでやめませんか。--210.131.156.169 2011年8月15日 (月) 05:55 (UTC)[返信]

特定個人へ集中的な指摘を行っているというご指摘は、私の履歴を見ていただければ明らかなように
まったく事実ではありません。
事実ではない単なるレッテル貼りは甚だ迷惑です
仮に考えられるとすれば、210.131.156.169さんが他のIPをソックパペットとして不正使用している、などであると思われますが、万が一にもそのようなことはありませんよね?
今回のノートの編集を見るかぎりでは、もう少し推敲をなされることをお勧めします。
事実ではない私への批判についてもそうですが、
>ダグ
は、Tag(タグ)の誤りでしょうし、
短時間で編集を繰り返されるのも、サーバへの過負担は言わずもがな、私としても嫌がらせとしか捕らえようが無いほど迷惑ですし、
何よりも、
>以後は気をつけますので
という言葉にご自身の行動が全く伴っていません。

--Greatupper 2011年8月15日 (月) 14:54 (UTC)[返信]

信憑性・精度・出典明記などとありますが、あなたが貼られている記事には出典が明記されているものが多数あり、ページなども明記されています。「記事のどのような点が信憑性に足らず、言葉を濁されているのか」「どの部分が精度に疑わしいのか」「どのような点が独自研究に当たるのか」「どのような点が言葉を濁しているのか」というのを「それぞれの記事」で明記してくださらないと、どの部分にどのように問題点があるのかわかりません。また記事の出典に不満があるのであれば、この記事の使われている出典のどの部分に問題点があるのかを、「それぞれの記事のノート」で示してください。示さない以上は、上の部分を使わないでください。少なくとも信憑性や精度、独自研究などは外さないと、記事を投稿されている方々だけでなく、出典を参照にされた著書の編集者や著者にも失礼に当たると思います。--101.1.74.82 2011年9月10日 (土) 07:03 (UTC)[返信]

精読していただければわかると思いますが、当該する問題の無い記事には当該問題点パラメータは添付していません。
事実ではない単なるレッテル貼りは甚だ迷惑です
また、歴史上の人物の伝記記事において評論にあたる部分は一次資料からの控えるようWP:RSにて求められています。当然のことながら一次資料を収録した辞典や引用した本などは高次資料には当たりません。「どのような点が言葉を濁しているのか」という点については日本語話者であれば通常理解できるかと思います。WP:AWWを精読してください。これらの疑問は「なぜ指摘されたのか」を考え、それぞれのlinkを辿ればどこに問題点があるのか、誰にでもご理解いただけることだと思います。単純に読んだ書籍をwikipediaに反映させるのではなく、より精査されることをお勧めします。この点については私に対するご指摘に関しても同様です。--Greatupper 2011年9月10日 (土) 16:12 (UTC)[返信]

あなたが他の記事(仙石久行島津忠寛他)など改訂をされているのは理解しています。私はレッテル貼りをしているつもりではありません。そこまで出典を求められるのであればあなたがどの文献かホームページを使われたのかを拝見したいので改訂された記事の出典を脚注を使って詳細に明記してください。また要出典を求められるなら、その記事に関しても改訂の際のように調査されてはいかがでしょうか?あまりに要出典の使用頻度が多すぎますし、中には何をもちまして信憑性が無く問題があるなどして

や要出典範囲、信頼性要検証等を使用されているのかわからないのです。--101.1.107.234 2011年9月15日 (木) 07:42 (UTC)[返信]

出典を求められるなら当該頁で提起してください。
あなたは
>「記事のどのような点が信憑性に足らず、言葉を濁されているのか」「どの部分が精度に疑わしいのか」「どのような点が独自研究に当たるのか」「どのような点が言葉を濁しているのか」というのを「それぞれの記事」で明記してくださらないと、どの部分にどのように問題点があるのかわかりません。
と発言されましたが、他者に求める要件をご自身では実行されないのでしょうか?
あえてご指摘申し上げますが、自分の行動が恥ずかしくありませんか?
信頼性要検証に関しては前回responseしたとおりです。
>あまりに要出典の使用頻度が多すぎます
とされていますが、この部分の基準は何でしょうか?あなたの主観ですか?wikipedia上のガイドライン等をお示しいただければ対応しますが、現に存在しなければ留置します。また、記事に現に存在する問題箇所を提示することによって生じうる問題点とはどのようなものを想定されていますか?wikipediaはコミュニティによって存在していることを踏まえて、悪しからずご了承ください。--Greatupper 2011年9月15日 (木) 14:32 (UTC)[返信]


返事が遅れて申し訳ございません。プレビュー機能に関しては私の記事の収集の見落とし、遅れなどが原因です。何度も投稿したりしないように気をつけるようにいたします。

「池田光政においてにおいて一次資料からの引用がありますが、歴史上の人物の伝記記事において評論にあたる部分は一次資料からの引用を控えるよう求められています」とありますが、人物叢書を参考文献にしているのは私だけではありません。一条天皇、足利義教、行基、小堀遠州など多くの記事で参考文献として用いられていますが、なぜ私だけこのような通告がなされるのでしょうか? また私は脚注を用いて参考にした頁数なども表記してありますが、これでもいけないのでしょうか?(先ほど記した4件に関しては脚注などにどの部分を参考にされたのか表記すらありません)。また余り人のことは言いたくないのですが、歴史の新規記事の投稿で人物欄を見ていまして、藤原輔嗣、屋良朝久、藤原世嗣などは参考文献は列挙されていますがどの部分を参考にしたのか脚注すらございませんし、この史料は一次資料には当たらないのでしょうか? 人物叢書を参考にしている他の人々に加えて説明をお願いします。またどうしても違反と申されるのなら、人物叢書を参考にした他の投稿者の方々にも通告してくださいますよう、お願いいたします。ウォルター・モンタギュー・ダグラス・スコット (第5代バクルー公爵)などは参考文献の表記がございませんが、これもよいのでしょうか?--エイルン 2011年12月7日 (水) 21:24 (UTC)[返信]