利用者‐会話:EULE/過去ログ1
このページは過去の議論を保存している過去ログページです。編集しないでください。新たな議論や話題は、利用者‐会話:EULEで行ってください。 |
一括投稿のお願い
[編集]こんにちは。EULEさんが同じ記事に対して節ごとに分けて連続して投稿されているようでしたので、一括投稿のお願いに参りました。Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすにあるとおり、同じ記事への連続投稿はウィキペディアのサーバーに負荷がかかる上、履歴の見通しが悪くなったり様々な面で支障をきたす恐れがあります。細かい節がたくさんある場合は、節ごとに細かく投稿をするのではなく、上位の節または項目全体の編集を行い、一括して投稿してくださるようお願いいたします。
その際に細かいところでミスを起こすのではないかと心配な場合は、「投稿する」ボタンの右隣にある「プレビューを実行」ボタンを活用されることをお勧めします(画面右側の図を参照)。投稿される前に「プレビューを実行」のボタンを押すと、成形結果を先に見ることができます。これを使うことで、
などを予めチェックし、修正した上で記事を投稿することができますので、是非ともご活用下さい。
また、編集競合を避けたい場合は、Template:工事中をお使いください。ご迷惑をおかけしますが、ご理解とご協力をよろしくお願いします。 --ゴンボ 2007年7月15日 (日) 08:09 (UTC)
ご指摘どうも。以後気をつけさせていただきます。--EULE 2007年7月15日 (日) 14:05 (UTC)
ノート:鋼の錬金術師の主要な登場人物による謝罪
[編集]ここでは初めまして、Tyankenと申します。偽署名行為を出してしまって申し訳ありません。ただ、悪用目的でやったのではなく、手間を省くためコピペして自身の署名に書き換えてました。自分のウィキ利用者名に書き換え忘れたためでもあります。こんな事が起こらないよう、コピペに頼らないで自力で署名を書くようにします。--Tyanken 2007年7月28日 (火) 14:03 (UTC)
- はい了解しました。
- ところで、署名についてコピペがどうのこうのといわれてますが、署名は、編集画面の上記にある省略用のボタンの右から二番目にあるやつで簡単に行えます。これを押せば、「--」と「~」×4が出てくるはずです。そのまま投稿すると、「~」の部分が自動的に署名になります。--EULE 2007年8月28日 (火) 15:48 (UTC)
韓国起源説について
[編集]「古事記の記述の誤読で起源を主張してる場合もある」という記述の具体的な例とその情報ソースの提示をお願いいたします。--Roberto Hongo 2008年2月19日 (火) 07:21 (UTC)
- 一次ソースは、NAVER/ソウル経済[1]で、それを翻訳した物が2chの該当記事[2]。
- 「百済の仁番(インボン)という者が米酒を醸す方法を教えてくれて、彼を酒神として師事した」
- 日本の古代歴史書である『古事記』に出る句節。SAKEが韓半島から伝来したという証拠である。
- で、実際のところ、古事記の応神天皇の巻/百済朝貢の条の記述の誤読と見られ、ここでいわれているのは、「百済が酒を献上した」という記述で「醸造を伝えた」と書いてあるわけでない。また、当時の酒はいわゆる濁酒であって、清酒ではない。
- 余談ですが、その記事自体は11月の物なんですが、1月の終わりにも、また古事記を元に韓国起源を唱える記事があったので、これから徐々にでてくるかもしれませんね。
- 最後ですが、ご指摘ありがとうございます。追って該当ページの方にソースURLを付記してきます。--EULE 2008年2月19日 (火) 08:42 (UTC)
パンプキン・シザーズの修正について
[編集]おかしな修正とはどういうことでしょうか?--ガムテープ 2008年6月22日 (日) 10:16 (UTC)
- その質問に答える前に、いくつか質問させてください(その答え如何によって対応が変わりますので。)。
- 修正ポイントはブラウザ等の検索機能を用いて探し出し、機械的に修正しているのでしょうか?
- Wikipedia:表記ガイドの冒頭文の一部「本ガイドの表記法の変更や、未掲載の表記法を提案する時には、このページのノートで提案してください。」は、なぜ「とき」ではなく「時」なんでしょうか?--EULE 2008年6月22日 (日) 10:59 (UTC)
- そうです。
- わかりません。
- 「時」についてはどうやら私の知識不足のようです。すみませんでした。しかしそれでは、「よい」「いっさい」「いちおう」「ふつう」も直される理由がわかりません。--ガムテープ 2008年6月27日 (金) 09:12 (UTC)
- 機械的にやってるならやめた方が良い。とは言え「よい」「いっさい」の何が悪いのかわからないならあまり関係無いでしょう。それが確認できれば良くて、「時」の方は私自身も正しいのか良くわかりません。説明文の「時」が形式名詞なのかどうか判定するには私の知識では足りない(少なくとも私がパンプキン・シザーズで直した「時」は通常の名詞ですけどね)。ぶっちゃけると、私理系分野の人間で日本語に対する造詣なんてほとんど持ち合わせておりません。
- で、残りの4つの話ですが(時もそうですが)、品詞が間違ってる。例えば3つに関しては、かなにすべきなのは副詞かつ、本来の意味がほとんど失われているものであって、あなたが直しているのは名詞。まあ、あのガイドラインもあまり良くないと思いますよ。あそこの副詞の例で出されているものは、副詞よりも名詞で使われる頻度の方が高いものばかりですし。
- 今回は私が頻繁に記述している「パンプキン・シザーズ」だったから反応しましたが、あなたの履歴を見ると他にも結構な頻度で修正を行われているようですね。見たところ同じミスをしているし、パンプキンシザーズには無かったミス、例えば本来直すべきではない「所」を「ところ」に変えているなどもあった。余計なお世話でしょうが、今まであなたが手を加えたところのミスも直した方が良い。また、何が問題なのかわからないなら、これからは記号の修正に留めるべきか(漢数字の修正も控えるべきでしょうね)、あるいは表記の修正自体控えた方がいいと思われます。
- 最後に。私の説明が正しいと思ったらそれで結構なのですが、最初にも言ったように私はそんなに日本語に詳しいわけじゃないです。また、表記のガイドラインを気にしながら編集を行っているわけでもないです(だから、平気で「事」とか「或いは」などを使う)。新聞や小説と比べて一般的な表記じゃないかな表記に変えられたから、おかしいと思って調べたという程度です。よって、実は私が間違ってるかもしれない(まあ、正しいと信じてますが)。なので、あなたが私の説明は間違ってると思ったら、その通りかもしれない。そういう場合、自分で調べるも良し、表記のガイドラインのノートあるいは井戸端で「こいつの言ってることは事実か?」と聞くも良い。そこはあなたに任せます(それで私の方が間違ってたら「あなたが間違ってます」とでも言ってくれれば私としても嬉しいし、まあ、そんな義務は無いのでしなくても良いし、「何も知らないくせに適当なこと言うなバーカ」でも良いし)。--EULE 2008年6月27日 (金) 13:04 (UTC)
キスカ島撤退作戦の引用テンプレについて
[編集]私が引用テンプレを使っているのは饒舌にするためでも、文学的にするためでもありません。 Wikipedia:引用のガイドラインに沿った形で記述するためです。 この記事のベースを作ったのは私ですが、ベースの参考にしたのは参考文献に記載してあるものだけです。
実際のところ、サミュエル・E・モリソンのアメリカ海軍作戦史から引用しているのは当該文章だけで、 参考文献の中にも引用されていた部分があったからこそ、 元の引用を明記する意味でTemplate:Cquote2を使用しています。
GFDL違反にならないためにも当然のことをしているだけですので、個人的な印象を基に改変するのはやめていただけませんか? 引用の条件は満たしていますし、その為には元の著作物の明記は必須です。 その為のテンプレ使用であることをご理解ください。--GF 2008年8月6日 (水) 13:33 (UTC)
- そもそもここで言う引用って、どういう物かわかってますか?私も、モリソンのその言葉がキスカでの米軍の失敗を表す名言であるとは思います。が、それ以前にガイドラインにも書いてあるように、引用とは必要性があって記載するものです。その言葉を引用しないと当該記事の信憑性が無くなるのでしょうか?そもそも引用というのは、よほどのことでもない限り使うことはまず無いです(これも引用のガイドラインに書いてあることですね)。
- そのモリソンの言葉は、はっきり言ってしまえば引用する意味の無い引用です。本来、修正はおろか削除したって全く問題が無いです。どうしても書きたければ「戦史家モリソンは著書で痛烈に皮肉った」という記述に注釈タグで著書の情報でも書いておけば十分なんです。それでも発言その物を残したのは、私は一律に削除するというようなやり方が嫌いだから、あくまで一学者の見解として「こう言ってる学者もいる」程度の情報に留めるべきだと修正をしたまでです。あと念のためですが、その程度の引用で、テンプレートを使ってまで強調してたら、きりがないです。--EULE 2008年8月6日 (水) 14:36 (UTC)
- (追記)文学的云々はおそらく文学線の勘違いだと思いますが、いたずらにダッシュ、―――を用いる(これを文学線と呼ぶことがある)のは修飾しているようにしか見えません。さらに引用元にダッシュがないなら、勝手に修飾したということで引用の範囲を大きく逸脱したことにもなりますしね。--EULE 2008年8月6日 (水) 14:54 (UTC)
私が何のためにわざわざリンクを張ったのか。リンク先を読んでないのが見えみえですな。文学線は私が張ったのではなく、テンプレの効果です。ダッシュとは何のことをいっとるのかさっぱり見当もつきませんが、テンプレのことを言っているのであれば、その批判は見当違いでしょう。このテンプレが何のために存在するのか、テンプレの説明をもう一度よく読んだほうが良いですね。因みにモリソンの著作のことを一学者の意見とのたまわっていますが、あの著作は、アメリカ軍から正式な依頼を受けて書かれた準公刊戦史です。つまりアメリカ軍側からの視点と言っても過言ではないわけですよ。そのくらいは知ってますよね?現在でもアメリカ側からの視点として高く評価されているあの著作に対して、ただの一介の学者扱いとは随分な言い草じゃないんですか?あの著作をいまだに引用している著作がどれだけあるかは勿論ご存知の上で仰られているのでしょうか?
アメリカ側からの視点として名高い、かの著作を引用したからこそわざわざ引用テンプレを使用しているのです。モリソンの作戦史といえば、少し軍事を齧ったことのある人間であれば知らぬもののいない有名な著作ですからね。説得力もあるし信頼性もある。また、あの文言はキスカ島撤退作戦関係の参考書籍に必ずと言って良いほど引用されている有名な文言です。従って引用にいたったわけですが、それでも引用の必要が無いと仰るのですかね?あれを削除してしまえば、中立的な観点から双方の評価を載せるという意味でアメリカ軍の視点からの評価が片手落ちになるだけなんじゃないでしょうか?代わりにアメリカからの視点として的確な評価を記述していただけるならともかく、ただの一介の学者の評価程度の扱いにしてしまっていることで、アメリカ側からの評価と言う点で全く効果を為していないため私は反発しているのですが。それで中立的な記述になっているのでしょうか。むしろ逆効果では?
コメントに全体的なバランスを考慮しろだの、いろいろ書いたのはその為です。その程度のことすら理解していただけないのは非常に残念なのですが。歴史と言うのは一方的な視点からの記述は非常に危険なのです。参考書籍が日本側の視点をメインとして書かれていた関係で、殆ど日本側からの視点の記述になってしまっていますが、実際のところ私としてはあの記事はまだまだアメリカ側からの視点が全くもって不足していると考えています。従ってそれを補うべくわざわざその有名な文言を引用テンプレを使っているのですよ。記事自体が殆ど日本側からの視点で書かれていることがおかしいと思わないのかなぁ?そして、あの文のテンプレを外すことによってさらにそのバランスが崩れていることが。別にテンプレ化を崩して別なアメリカ側からの視点を詳述してくれるなら構いませんよ、そのほうがバランスは良くなりますし。
因みにあなたはあの記事のそういった多方面からの視点といった観点から見てのバランスと言うものを考慮してああいう編集をされているのでしょうか?私としてはそういう視点が欠け落ちているのではないか、そう思わざるを得ないのですが。--GF 2008年8月7日 (木) 15:14 (UTC)
- (追記)もしアメリカ史の偉大な歴史学者であったサミュエル・エリオット・モリスンのアメリカ海軍作戦史の引用が必要が無いなら、どのようにして説得力のあるアメリカ側からの視点を描けば良いのか、対案を示していただけませんかね?--GF 2008年8月7日 (木) 15:56 (UTC)
- まずは言葉の説明からした方が良いかも知れませんね。『―』っていうのはダッシュと呼びます。例えば"ー"を変換せずとも"ダッシュ"で出てくる。次にダッシュなどの横線を多様する修飾を、スラング(?)で「文学線」と言うんです。そうですね、例えば「史上最大の------最も実戦的な(略」の「-----」のような奴を文学線とね。これはテンプレの効果なんですか?次に「一介の学者」と憤っておられますが、私は「一学者」と言ったんですよ。一学者ってことは、ある学者って意味です。一介のような否定や軽視の意味はありません。とはいえ、そこまで熱く語られるのであれば、この説明のみだと「他の学者と並べるな、結局お前はモリソンを軽んじている」と返してくることは容易に想像がつくので、先に謝っておきます。今後、私は偉大なモリソンに敬意を表して彼を一介の学者とも一学者とも呼ばないことを誓いましょう。だから許してください。
- さて、本題の引用の話ですが、結局、私の言いたいことに変わりはありません。中立的視点のバランスを取るためとみても、引用の必然性(さらに主従関係)を満たしてないの一言に尽きる。例えば米国の史観が記述されていて、それを補強する引用というならわからないでもないです。しかし、その引用だけを持ってバランスが取れたとするのは、やはり権利の乱用と言わざるを得ません。何せ引用それ自体が独立しちゃってるんですから。それに、中立的なバランスを取るためだと言って、(例えそれが権威ある人であっても)「こう言っているんだ!」と、その発言の一部を引用するだけで中立性が保たれるというなら、そんなの権威主義者が脳内停止を起こしているのと変わらず、暴論も良いとこです。重要なのはそう発言するに至った過程の方です。むしろ、そこまで中立的視点に拘り、米国の視点を考える上でモリソンの著作が素晴らしい物と知っている、わかっているなら(多分、読んだこともあられるんでしょう)、たかが一文を引用するのではなく、その書籍の該当部分を要約して書けば良いんです。それこそ「アメリカ側の視点」という節でも作って、その名言を記すに至った論拠をね。その方がどれだけこのページの価値を高めるか想像だに難しくない。
- もっとも最後の方を読めば、あなた自身もそう考えておられるようなので近からず遠からずってところでしょうけど、別にモリソン以外の人物の視点持ってこなくても構いません。つまり、他ならぬモリソンの視点で構いません。彼がその一言を書くに至った根拠を書けば、わざわざ引用の範囲を逸脱し、かつ強調する必要も無いんです。
- 追伸:いかなる理由があろうとコメントアウトで特定の人物向けへの文章を書くのは越権も良いところですよ。--EULE 2008年8月7日 (木) 16:27 (UTC)