利用者‐会話:DrumBeat
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こんにちは、DrumBeatさん。はじめまして! ウィキペディア日本語版へようこそ!
DrumBeatさんがウィキペディアにおいて実り多き執筆・活動をなされることを楽しみにしております。 --R28Bot 2008年3月19日 (水) 18:40 (UTC) |
こんにちは。記事からテキストを除去するのはおやめください。こうした編集は荒らし投稿とみなされます。テキストを除去した記事に問題等が有りましたらこちらをご覧ください。もしテスト投稿がしたければ、テスト専用ページWikipedia:サンドボックスの使用をおすすめします。あなたのウィキペディアでの活動が充実したものでありますように。--紅美鈴 2008年3月19日 (水) 23:30 (UTC)
- 「記事と関係の無い一部を整理」と指摘したのでは、主に「ハルベ脱出戦」の項目や、ハンガリー・オーストリア・チェコスロバキア等における戦いの記述を指しています。後はGFDLとの整合性(『ベルリン陥落1945』ISBN 4-560-02600-9からのコピーに近い大量な記述)から考えての圧縮、画像の挿入位置の変更による体裁の変更と校正による整理です。特にIPユーザー(125.192.199.156)により加筆された記述については、出典を示し、一部改変したから、抜粋だからといった理由でも、GFDL違反(Wikipedia:著作権、Wikipedia:著作権侵害かもしれない記事)に問われても疑問では無い記述量だと思います。--DrumBeat 2008年3月20日 (木) 03:05 (UTC)
スタイルのルールについて
[編集]こんにちわ。ドイツの軍人の記事整理・スタイル修正をした者です。 Wikipediaのスタイルのルールには、以下のようなものがあります。
- Wikipedia:スタイルマニュアル#節・セクション
- 見出しを作りすぎないでください。
- 長すぎる段落も、短すぎる段落も読みにくいものです。文章の意味内容を考慮した上で、長すぎる段落を区分けしたり、短すぎる段落をまとめたりすることも検討してください。
- Wikipedia:スタイルマニュアル (見出し)#使用は適度に
- たった1つや2つの段落には用いないでください。
- Wikipedia:内容に関連するリンクだけを作成
- Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)
- 原語表記は太字・斜体等の修飾をしない。(注:Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)ではどちらでもよいとされている。)
今後記事を修正される際には、上記について留意していただければうれしく思います。 —以上の署名の無いコメントは、Los688(会話・履歴)さんが[2008年9月24日 (水) 14:34 (UTC)]に投稿したものです。
- まず、ノートページにコメントをする場合は、忘れず署名(Wikipedia:ノートのページでは投稿に署名をする)をするようにしてください。これは公式なルールですので、宜しくお願いします。さって、Los688さんのドイツ軍人の記事に対する編集理由については、了解しました。しかし、提示のスタイルマニュアルは考慮すべきガイドラインとなっていますので、柔軟な対応が必要ではないでしょか。例えば、節・セクションが作りすぎているのか、見出しの#使用は適度かetcは、余程極端な記事でもない限り判断が難しいと思います。よって、極端な場合を除き、従来からある記事のスタイルを編集する場合は、予めノートで議論してから編集するべきだと思います。今回Los688さんの編集では、そのような議論はされていない(記事のノートページの使い方(編集について議論する))ようでしたので、追記や誤記訂正と共にスタイルも修正しています。今後、記事の修正をされる場合は、これ等についても留意して戴ければと思います。--DrumBeat 2008年9月27日 (土) 03:24 (UTC)
- ああ、すいません署名を忘れていました。Kurz 2008年9月27日 (土) 08:29 (UTC)
こんにちわ。Wikipediaのスタイルのルールには、以下のようなものがあります。
- Wikipedia:出典を明記する#出典の示し方
- 参考文献の節に掲載している文献の場合、「村上(1982)」などとどの文献であるかのみ指示すればよい。
- Wikipedia:表記ガイド#仮名書き
- 又は → または
今後記事のスタイルを修正される際には、上記などについて留意していただければありがたいです。Kurz 2008年11月6日 (木) 02:11 (UTC)
タグについて
[編集]こんばんわ。その、出典の明記タグはまあ良いのですが、独自研究タグにつきましては、使い方が間違っておられるように見受けられます。ほとんど評価などが掲載されていない記事についても、 評価・解釈の出典を求めるような意味になっておりますので、それは使わないほうがよろしいのではないでしょうか。あと、タグを貼り付けることは他者に調査作業を強いる行為でもあります。タグの連続張りは、たとえ正しいものであったとしても、共同作業に負担を与えますので、複数記事に問題がある場合は、まとめて議論できる場所の提案や、ひと時に貼るタグの量の調整などをご考慮ください。なお、タグを張った場合には、ノートへの問題点提起がマナーとなっておりますので、そちらもお願いします。--Los688 2008年9月24日 (水) 14:34 (UTC)
- コメント有難うございます。もともと出典が不明(特に部隊の編成や部隊長の遍歴、主要装備等について)であったため、出典の提示を一部の記事で求めていましたが、その後、同内容の複数の記事でも、出典が不明なことが判りましたので、そのカテゴリーのノートに問題点提起を既に行っています[1]。しかし、随筆者からは、カテゴリーのノートにソースを提示し、各記事に出典を明示して戴けませんでした。これは、当方のコメントが良くなかったことと、各記事にタグを貼らなかったことが、誤解を招いたと考えました。よって、関連の各記事に対してもタグを貼りました。独自研究のタグにつきましては了解しましたので、今後気を付けます。ところで、"出典明記タグはまあ良い"というのは、どういった指摘でしょうか?出典明記タグを本当は貼ってはいけないように読めるのですが、この程度の出典不明記事へ使用するは適切ではなっかったのでしょか?--DrumBeat 2008年9月24日 (水) 15:24 (UTC)
ニューヨーク市消防署の改名について
[編集]- こんばんは。先日は「ニューヨーク市消防署」の「ニューヨーク市消防局」への改名の件に関して、ご賛同頂き、なおかつ貴重なご意見を賜りましたこと、改めてお礼申し上げます。
- なお、遅くなりましたが、11月16日(日曜日)の夜に改名作業を行いたいと考えております。この件については、ノート:ニューヨーク市消防署にもコメントという形で掲示させて頂いております。また、改名後の加筆作業にあたって、首脳部の役職名や氏名をどう記述するかという問題が生じると考え、この点に関してDrumBeatさんをはじめ皆様のご意見を拝借したいと考えており、この点についてもコメントという形でノートに書かせて頂いております。お時間があれば、ご意見を頂ければと思います。よろしくお願いいたします。--Awakko 2008年11月14日 (金) 10:14 (UTC)
- わざわざ連絡を下さり有難うございます。「ニューヨーク市消防局」への改名時期と、冒頭部分にニューヨーク市消防庁と訳す場合がある旨、併記する件、了解しました。ノート:ニューヨーク市消防署にも、その旨コメントしました。又、要望されている首脳部の役職名や氏名の記述いついては、出典を確認し記述可能な内容であれば、別途、記述していきたいと思いますので、宜しくお願いします。--DrumBeat 2008年11月15日 (土) 02:49 (UTC)
ルノーUEの記述出典について
[編集]ルノー UEの出典について、ご指摘の部分、出典資料を書き加えるとともに、本文のその他数箇所についても、比較的固有の資料に拠った部分にはその旨、脚注で出典を加えました。出典の表し方のスタイルについてはいまひとつ、「こうするのが判りやすい」という形に自信がなく、要出典タグ等そのままにしてあります。一度ご確認いただき、何かお気付きの点等あればご指摘頂ければ幸いです。(追記)署名ボタンを間違えました。--Kaba-maru 2009年3月16日 (月) 05:06 (UTC)
- コメント有難うございます。『ルノーUE』の出典依頼箇所に対する追記を見ましたが、当方でも確認したいので[著者名, 書名, 刊行地:発行所名, 刊行年, 引用ページ」の順で出典の明記をお願いします(詳しくは書誌情報の実例(外国語文献)を参照ください)。尚、明示された『Werner Muller,CAPTURED TANKS IN GERMAN SERVICE SMALL TANKS AND ARMORED TRACTORS 1939-1945,Shiffer Military History,1998, ISBN 978-0764305733 』については既に注文済みですが、在庫切れ入荷待ちとなっているため、確認に少々(?)時間が掛かります。よって、又あとで何か依頼をするかもしれませんが、その際は宜しくお願いします。
- 後、参考文献で提示されている文献は、参照方法のテンプレートに書かれている通り、脚注などを用いてどの記述の情報源であるか明示をお願いします。例えば提示されている『ジャーマンタンクス』や、『GROUND POWER Sep.'95(No.016)』等は、どの記述の情報源なのかです。--DrumBeat 2009年3月22日 (日) 07:23 (UTC)
多忙のためなかなか手が付けられずにいましたが、ルノー UEの出典について脚注にて補足しました。詳しくは当該記事ノートにて。ご確認いただければ幸いです。--Kaba-maru 2009年4月2日 (木) 15:56 (UTC)
- 出典の明記有難うございます。明記された文献は在庫切れ入荷待ちとなっているため、まだ確認できていませんが、出典のページも明記されましたので、Template:要出典範囲は除去しました。--DrumBeat 2009年4月4日 (土) 11:41 (UTC)
確認ありがとうございます。ところで、「参考資料」欄にDrumBeatさんが貼られた参照方法タグは外してよいものでしょうか。当然のことですが、概略に類する記述については、単一の資料に基づいて書いているわけではないので、記述と1対1で脚注等で出典を示すよりもリスト形式がふさわしいものと思います。単に外すのをお忘れかとも思ったのですが、念のため。--Kaba-maru 2009年4月5日 (日) 13:11 (UTC)
- 連絡有難うございます。Template:参照方法については、参考文献が、どの記述の情報源であるのか不明な所が有りましたので、そのままにしました。例えば先にもコメントした通り、提示されている『ジャーマンタンクス』や、『GROUND POWER Sep.'95(No.016)』等は、どの記述の情報源なのかです。ルノー UEの記事を読む限りでは、参考文献で示す必要性のある情報源ではないように感じます。その辺、どうなのでしょう。--DrumBeat 2009年4月6日 (月) 11:36 (UTC)
『ジャーマンタンクス』については、脚注8に示した通り、主にドイツ軍での使用状況の記述の参考に使用しています。同資料222-223ページにおいて、緒元、車暦、特徴、部隊配備および運用の解説、およびドイツ軍使用下におけるUEの写真12様が掲載されています。写真は『CAPTURED TANKS IN GERMAN SERVICE -- SMALL TANKS AND ARMORED TRACTORS 1939-1945』と重複しているものもありますが、ドイツ軍で改装された種々のバリエーションの確認にも適した資料です。また、『グランドパワー95/9』については、「牽引車その他」の項138-141ページにおいて、主に写真とそのキャプションでUEを取り上げています(この他のページにも写真あり)。記述は主に概略的なもので、「この資料でなければ」というものは特にないために脚注等で特別に触れてはいませんが、車輌の概略部分の記述に関しては正確性を上げるためなるべく複数の資料を当たるのが当然で、そこでこの資料も参照しています。また、特に詳しくUEを調べるというのでなく簡単に「UEとはどんなものか」を知るにも手頃な資料ではと思います(記述に一部誤りがありますが)。--Kaba-maru 2009年4月6日 (月) 16:16 (UTC)
- 『ジャーマンタンクス』については、『Beute-Kraftfahrzeuge und -Panzer』の方が、緒元、車暦、特徴、ドイツ軍で改装された種々のバリエーション等について詳しく掛かれていますし、ソースも同じなので敢えて提示する必要性はないと思います。
- 又、『GROUND POWER Sep.'95(No.016)』については、ルノーUEを取り上げているといっても、各頁に2点づつ計8点の写真がキャプション付きで載っているだけであることから、記事の信頼性を上げるような文献でも無く、出版社(デルタ出版)も既に無く絶版しているので手頃な資料にもなっていないと思います。--DrumBeat 2009年4月13日 (月) 11:14 (UTC)
ありがとうございます。マルチポストも何なので、お返事はノート:ルノー UEにまとめました。よろしくお願い申し上げます。--Kaba-maru 2009年4月13日 (月) 14:08 (UTC)
- 連絡有難うございます。ノート:ルノー UEにコメントしましたので、宜しくお願いします。--DrumBeat 2009年4月18日 (土) 12:43 (UTC)
ベルリンの戦いにおける多言語版Wikipediaへのリンクについて
[編集]初めまして、Hideokunと申します。DrumBeatさんほど精力的な活動はしておりませんが、主にナチスドイツ関連の投稿を翻訳メインで行っているものです。本題ですが、ベルリンの戦いにおいて日本版に無い項目に関して、多言語版Wikipediaへのリンクを作成されているようですが、これはDrumBeatさんが投稿されるご予定がある項目なのでしょうか?例を挙げるならば第33SS擲弾兵師団シャルルマーニュ(フランス第1)など各部隊についてです。今回、投稿を考え、資料等をあさり始めましたが、DrumBeatさんがリンクを作成されており、また、この分野への精力的な活動があるようですので、作業がかぶらないようにしたいと思い、こちらにご質問させていただいた次第です。もし投稿のご予定があるようでしたら、こちらのほうはまだ資料をあさっている段階であり、新規投稿は控えようと考えておりますので、ぜひお知らせください。よろしくお願いいたします。--Hideokun 2009年3月22日 (日) 19:40 (UTC)
- 何れはと思っていましたが、参考となる文献や資料が殆ど見つからないため、投稿の目処は立っていません。よって、Hideokunさんの 方で信頼できる情報源を元に投稿するのが可能なのであれば、宜しくお願いします。ちなみに当方で現状、把握している内容は、
師団の前身は、1944年3月30日に編成されたフランス義勇兵1600名弱からなるフランスSS義勇突撃旅団で、その後第7SS義勇突撃旅団と改称される。1944年8月、フランス義勇兵からなる第638擲弾兵連隊と同旅団を統合して、SS武装装擲弾兵旅団"シャルマーニュ"が編成される。1945年2月、旅団はSS第33武装擲弾兵師団"シャルマーニュ"(フランス第1)に改称され、ヴァイクセル軍集団第2軍第18山岳軍団へ配属されたが3月には壊滅し、師団の残途はイギリス軍に降伏した。尚、師団長クルケンベアクSS少将がSS第11義勇機甲擲弾兵師団"ノルトラント"の師団長を拝命すると、約90名のフランスSS義勇兵を引き連れ赴任し、フランスSS義勇兵はベルリン市街戦で奮戦した。(高橋慶史,“SS最貧師団列伝-第29話-SS第33武装擲弾兵師団"シャルマーニュ"(フランス第1),” 『ArmourModeling Vol.34』,2002年,p.54ff) |
- くらいです。--DrumBeat 2009年3月29日 (日) 13:41 (UTC)
- たった今、ノート:ベルリンの戦いを拝見してびっくりいたしました。私が新規投稿した項目が絡んで、DrumBeatさんは苦労されたようですね、そうとは露知らず、能天気な事をお聞きしました。この私の書いた項目は消していただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。誠に申し訳ありませんでした。--Hideokun 2009年3月27日 (金) 00:05 (UTC)
- ご用件の方は承りましたが、残念ながらご期待には添えないようです。参考文献として使用した以上、記載せねばなりません、申し訳ございません。また、書籍の内容を確認せずに全否定なされるというのは残念です。ということで、出典箇所を示しておきましたので、その点では多少なりともご期待に副えたのではないかと思います、ご報告までに。また、草取りの方はありがとうございます。ただ、要約の方はあまり大げさなことはかかれない方がよろしいかと思います。なお、出典を消されるということはWikipediaの方針を無視した行為であることをお伝えせねばならないのがまことに残念です。貴殿のWikipedia生活が充実したものでありますよう願っております。--Hideokun 2009年3月31日 (火) 17:20 (UTC)
- Hideokunさん、ウィキペディアの記事における三つの方針のうちの一つ、「検証可能性」には、
ウィキペディアの記事は、事実確認と正確さについて定評のある、信用できる第三者情報源に基いて書くべきです
- と、明記してあることに留意してください。これは、信頼できる公刊された情報源(特に信頼できる情報源9.分野ごとのアドバイス 9.1.歴史を参照ください)を元に書くべきであるということです。
- そして今回、Hideokunさんがハルベの戦いの記事で、信頼できる公刊された情報源として参考文献に明記されている"内田弘樹『どくそせん』イカロス出版、2007年、ISBN 4-871-49963-4"を、このウィキペディアの方針に照らし合わせると、幾つか信頼性の面で問題点を見つけることができます。
- まず、あなたの会話ページにもコメントしましたが、この本の著者:内田弘樹は架空戦記を執筆している作家であり、戦史を研究している方ではありません。又、この文献には、出典(参考文献)が明記されていないため、フィクションなのか事実なのか判断するためには、他の信頼できる公刊された情報の確認が必要です。さらに、この文献には、性風俗を連想させるイラストや漫画が随所に挿入されていることから、サブカルチャーもしくは性風俗の記事に相応しい参考文献であると、伝えねばなりません。
- よって、これ等の問題点につて考えた場合、ウィキペディアの方針で明記されている"事実確認と正確さについて定評のある、信用できる第三者情報源"ではないことに気付かれると思います。せっかく、自身で意義の記事あるを投稿しているのですから、是非、記事の信頼性向上に努める情報源(参考文献)のみ明記するようにしてください。--DrumBeat 2009年4月1日 (水) 16:03 (UTC)
九六式十五糎榴弾砲の要出典について
[編集]九六式十五糎榴弾砲の記事中の、野戦重砲兵第1連隊の九六式十五糎榴弾砲による砲撃で「サイモン・バックナー中将を戦死させたともいう」ということについて、「出典を提示下さい」とのことですが、脚注に「米軍資料による」となっております。
さらに、野戦重砲兵第1連隊の記事の外部リンクによりますと、靖國神社に展示してある九六式十五糎榴弾砲の「碑文銘板」には「米軍戦史によれば、米上陸軍最高司令官バックナー中将は、昭和20年6月19日、この火砲の砲撃による榴弾破片創により糸満町眞栄里戦闘司令所にありて戦死せりと。」と書いてある、ということのようなのですが?
米軍資料を調べたけれと書いてなかった、というのならそのことをお書きにならないと何のことか判らないと思います。また、ひょとしてお調べになっていないのならお調べになったらどうでしょう? 少なくとも司令官が戦死したのは事実のようですから、何も書いてないはずはないと思うのですが?--114.48.42.143 2009年3月23日 (月) 03:30 (UTC)
- まず、ノートページにコメントをする場合は、説明責任が果たせる立場になった上でコメントするようにしてください。あなたのようにイー・モバイルでアクセスし、説明責任の欠けるユーザでは継続した対話が非常に困難だからです。
- さって、コメントのありました件、該当記事の出典依頼箇所にもコメントしてある[2]のですが、『米陸軍省戦史編纂部編集、OKINAWA : The Last Battle by Roy E.Ap-plemman, James M.Burns, Russell A.Gugeler, and John Stevens, 1948.(邦訳:『沖縄 日米最後の戦闘』外間正四郎 訳、光人社)』には、野戦重砲兵第1連隊の九六式十五糎榴弾砲による砲撃での戦死とまで記載されていません。よって、「米軍資料による」とは、どのような信頼できる情報源を指しているのかのか不明のため、出典を求めたまでです。
- そもそも、「米軍資料による」などといった曖昧な書き方をしているのが問題なのですが、あなたには、この記述だけで、どのような信頼できる情報源を出典としているのか判るのでしょうか?もし判るのであれば、是非、該当記事の出典依頼箇所へ出典を明記してください。
- 又、ウィキペディアの内容に関する三大方針のうちの一つである検証の可能性にも明記されている通り、『出典を示す責任は、ある編集を行った執筆者、またはその編集を残すことを希望する執筆者にあります。』ので、一応コメントしておきます。--DrumBeat 2009年3月23日 (月) 12:45 (UTC)
- 余計なおせっかいだったようで、失礼はお詫びします。また私が元記事を書いたわけではありませんし、議論するつもりもありません。ですので情報として靖國神社に展示してある九六式十五糎榴弾砲の「碑文銘板」には「米軍戦史によれば、米上陸軍最高司令官バックナー中将は、昭和20年6月19日、この火砲の砲撃による榴弾破片創により糸満町眞栄里戦闘司令所にありて戦死せりと。」と書いてあるようだということをお知らせしているだけだとご理解くださるようお願いします。従って、この情報をどうお使いになるかは、貴方のご判断だと思われます。--114.48.133.206 2009年3月24日 (火) 01:45 (UTC)
- 横から失礼、バックナー中将の英語版を見る限りでは47粍砲の破片を浴びて即死したとなってます。また、出典もあるようです。詳しくは英語版を見てください。ご報告までに。--114.155.210.194 2009年4月17日 (金) 16:07 (UTC)
- 上記コメントは、このノートページで、いったい何を伝えたいのでしょう? ログインをせず、IPでズレたコメントをするのは遠慮してください。--DrumBeat 2009年4月18日 (土) 12:37 (UTC)
- これはこれは失礼をしました。まぁ、ほかの方が言いたいことをノートに書いてくれたようなんで退散します。--114.155.210.194 2009年4月18日 (土) 13:54 (UTC)
- 全く解っていないようですが、バックナー中将の死が47粍砲の破片であれば、九六式十五糎榴弾砲#その後に書かれている内容が誤りということになるので、このノートページでコメントをしても意味は無いのが理解できませんか?本来であれば、記事から該当文を除去するか、記事のノートにコメントするべきことなのでは?ところで、相変わらずIPでコメントしていますが、山口県からOCNでネットワーク接続する場合、ログインできない理由があるのでしょうか(苦笑)--DrumBeat 2009年4月18日 (土) 14:43 (UTC)
月間強化記事賞での投票について
[編集]はじめまして、廉と申します。Wikipedia:月間強化記事賞/2010年3月でご投票頂きましたが投票期間が終了した後であったため、Wikipedia‐ノート:月間強化記事賞#2010年3月の投票についてにて協議した結果、大変残念ですが無効とさせて頂きました。DrumBeatさんには以前から月間強化記事賞に積極的にご投票頂いており、誠に申し訳ありませんが何卒ご了承ください。これからも月間強化記事賞をよろしくお願いいたします。--廉 2010年4月10日 (土) 17:22 (UTC)