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利用者‐会話:Decchi

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海獺と申します。記事の執筆の際にはWikipedia:ウィキペディアへようこその「記事を執筆してみよう」や「ウィキペディアにはルールがあります」などの各ご案内をご覧頂きながら、ウィキペディアの推奨するスタイルでお書きください。同じようなジャンルのほかの記事なども参考にしていただき、調べに来た人が見たときに、記事ごとのレイアウトやスタイルの違和感がないように、調整してみてください。よろしくお願いします。--海獺(らっこ) 2008年7月28日 (月) 04:50 (UTC)[返信]

お願い

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大宝寺(久万高原町)大宝寺が残ってしまっていますので、Wikipedia:Template メッセージの一覧/削除関連の上から二番目のテンプレートを貼ってくださいませんでしょうか? 具体的には記事の編集画面の一番上に

{{即時削除|記事名の間違いによる重複。投稿者依頼}}

と(上記行をコピーして使っていただいてもかまいません)入れていただければ幸いです。--海獺(らっこ) 2008年7月28日 (月) 10:12 (UTC)[返信]

削除依頼提出のお知らせ

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kyubeと申します。さて、いきなりこのようなことを申し上げるのは心苦しいのですが、Decchiさん編集の「大宝寺」および、「大宝寺 (久万高原町)」について、外部ページからの転載を理由として、削除依頼を提出しました。もし、あなたが著作者であり、GFDL下での使用を許諾する意思がおありであれば、Wikipedia:自著作物の持ち込みをお読みになり、著作権を侵害していないことを証明し、どこで証明したかを削除依頼のページにてお示しいただきますようお願いします。それ以外でも何かありましたら、削除依頼のページで賛否・コメントを書き込み願います。 kyube 2008年7月28日 (月) 13:04 (UTC)[返信]

大宝寺 (久万高原町)の加筆されているようですが、もし削除となった場合には、加筆がすべて失われるので、ローカルに保存しておき、必要であれば削除後に再投稿されるようお願いします。 kyube 2008年8月6日 (水) 12:53 (UTC)[返信]

上記のようにしております。ご指摘ありがとうございました。Decchi 2008年8月6日

記事の表記スタイルについて

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こんにちは。記事のスタイル(体裁)の修正を行っております Rusk と申します。さて、Decchiさんにお願いがあります。ウィキペディアではいくつか決まった(あるいは推奨された)書き方・書式があります。

  • JR四国のことについては「四国旅客鉄道」という名前で記事が作成されており、[[JR四国]]は[[四国旅客鉄道]]にリダイレクト(転送)されます。「四国旅客鉄道(JR四国)」と書かれている場合、「四国旅客鉄道」だけをリンクしてください。同じページにたどり着く「JR四国」はリンクする必要はありません。Wikipedia:リダイレクト#ループするリンク、重複するリンクを作成しないをご覧ください。なお単独で書かれている「JR四国」をリンクする場合は[[四国旅客鉄道|JR四国]]と書いてください。
  • 数字や英字などはいわゆる半角文字を使うことになっていますが、中身が半角文字の場合は括弧も半角のものを使用してください。例えば(7.3km)は (7.3km) と書きます。Wikipedia:表記ガイド#丸括弧・波括弧・角括弧をご覧ください。
  • == による見出しにリンクをつけないでください。理由はWikipedia:スタイルマニュアル (見出し)をご覧ください。見出し以外にそのリンクしたい語が出てこない場合は無理にリンクする必要はありませんが、見出しに続いてその語を含む簡単な前置きや解説を書いてリンクする手もあります。
  • 行頭の ; (セミコロン)を強調代わりに使わないでください。設定によっては ; で始まる行であっても強調表示されません(私がその設定で使用しています)。強調表示は'''を使ってください(くどく見えるのでほどほどに)。本来 ; は : (コロン)とペアで用語とその用語の定義を書くのに使います。Help:箇条書きもご覧ください。
  • 最後に、修正したものを不適切な形に戻さないでください。

以上、細かいことばかりで恐縮ですが、ご考慮してただきますようお願いいたします。--Rusk 2008年8月7日 (木) 05:36 (UTC) 脱字修正--Rusk 2008年8月7日 (木) 05:44 (UTC)[返信]

執筆用メモ

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宥辯 真念 (ゆうべん しんねん、生年不詳 - 1692年元禄5年(元禄4年説もある)〕)は江戸時代初期の修行僧。高野聖とする資料もある。 ==人物==--decchi 2008年12月2日 (火) 00:51 (UTC)[返信]

四国霊場関連記事の編集に関するお願い

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Urania(うらーにゃ)と申します。すみません、私はまだまだ勉強不足の未熟者であり、こうして人様の会話ページなどにお邪魔することはなるべく遠慮しております。また、Decchiさんのまじめに一生懸命投稿されていることはよくわかりますので、なるべくお邪魔しないようにと思ったのですが、ここ最近の投稿を見てちょっと気になりましたので何点かよろしいでしょうか。

  • 最近、いくつかの記事名を事前の合意や告知なく移動されていますが(大寶寺など)、Wikipedia:ページの改名Wikipedia:改名提案はご覧になっていますか。もしご覧になっていないのであれば、熟読していただき、ページ移動の前には、テンプレート貼付、「改名提案」への告知等、所定の手続きを踏み、最低でも一週間は猶予期間を置いてください。私は、特に問題ないと思われる移動の場合も、必ず上述の手続きを踏むようにしています。
  • 「歴史」の節を「略縁起」と「歴史」に分割することに意味があるとは思えませんので、再考願います。私は最初、「略縁起」の節は史実に基づかない伝承、「歴史」の節は、確かな史料で裏付けられる歴史について述べているのかと思ったのですが、「土佐国分寺」「南光坊」などを見ると、必ずしもそうではないようにお見受けします。節の小見出しは「歴史」だけで十分であり、それに適宜、下位の小見出しをつけたり、段落わけすれば事足りると思います。「略縁起」では、お寺で配っているパンフレットのようで、百科事典の解説の見出しとしてはどうかと思います。
  • 「奥の院」の名称について、推奨されないマークアップを使用するのはご遠慮ください。たとえば、青龍寺 (土佐市)における「独鈷山不動堂」のマークアップですが、利用者:Rusk氏が通常の形に直してくださったものを、再度元に戻されていますが、このように色つきの枠で囲むのは変だと思います。
  • ウィキペディアは皆で百科事典の解説を書こうというプロジェクトです。お遍路ガイドではありません。お遍路ガイドならば、「弘仁○年に弘法大師が創建した」でよいのですが、百科事典としては「○○寺縁起によれば、弘仁○年に空海(弘法大師)が創建したという」等、史実(確かな史料により学術的に裏づけられるもの)と伝承とは区別しなければなりません。たとえば、八坂寺の阿弥陀如来像が「恵心僧都源信作」とありますが、阿弥陀如来の像を「恵心僧都作」とするのは全国至るところにある伝承で、それをそのまま史実のように書くべきではありません。松山市のサイトにある文化財解説を見ていただきたいのですが、この像は恵心僧都より2世紀後の鎌倉時代の作品であり、国の重要文化財ではなく、愛媛県の有形文化財です。
  • 遍路道」の記事ですが、「46番に行くには」とか、「51番から52番へは」という札所番号だけの書き方でなく、札所番号と寺院名を併記していただかないと、Decchiさんのように四国遍路にお詳しい方以外には何のことかわかりません。また、この「遍路道」の記事は、前半はいいのですが、後半はまるきりお遍路ガイドになっています。道筋や注意事項など、ここまで事細かに書く必要はないと思います。

以上、自らの不勉強をかえりみず、何だかんだと申し上げました。ご不快に感じられたかもしれませんが、冒頭に述べたように、Decchiさんのまじめな意図で一生懸命投稿されていることはよくわかります。ただちょっと方向性がずれているように思います。しばらく四国遍路関係の執筆は休んでいただいて、Wikipedia:プロジェクト関連文書にあるような各種方針文書を熟読していただくことをお勧めして、むすびとさせていただきます。--Urania 2009年2月2日 (月) 16:51 (UTC)[返信]

再度お邪魔します。私の会話ページにいただいたご返事は拝見し、そちらにも返答しておきました。八坂寺阿弥陀如来像の件はさっそく修正いただいたのを確認しました。その一方で、「歴史」の節を「略縁起」と「歴史」に分割する編集は従前どおり継続されているのを拝見して、残念に思いました。百科事典の見出し語としては「歴史」で全く問題ないと思われます。ウィキペディアの寺院・神社記事のほとんどが「歴史」というタイトルの節を設けています。「歴史」でなく「沿革」とか「由緒」等の節を設けている例も散見されますが、「略縁起」の節と「歴史」の節を同レベルで並立しているのは四国霊場の記事以外には見られません。ウィキペディア日本語版の仏教寺院関係記事で、比較的に良く書けているものとして、「相模国分寺」「陸奥国分寺」を推奨しておきます。これらの記事の構成や見出しの付け方を参照され、また、この会話ページの上の方にある海獺氏やRusk氏のアドバイスを再読してくださるよう、伏してお願い申します。--Urania 2009年2月5日 (木) 15:01 (UTC)[返信]

最初にお願いですが、ここに書き込んだ意見に対しては、私の会話ページではなく、このページ(decchiさんの会話ページ)でご回答いただけないでしょうか。理由は、議論場所をどちらか一方にしておかないと、あちこちのページを交互に参照しなければならなくなり、議論の道筋がたどれなくなってしまうためです。

さて、私の会話ページに2009年2月6日に書き込みいただいたご意見は拝読しました。decchiさんのおっしゃることはわかるのですが、どうも論点がかみ合っていないように思います。私としては、史実と伝承、あるいは歴史的事実と信仰上の事実を区別して書くべきだとの趣旨には賛成ですが、そういうご趣旨であれば、なおのこと「略縁起」という節タイトルを採用することには反対します。

まず、百科事典の小見出しには、できるだけ一般的、中立的な語を使うべきで、「縁起」という、仏教的価値観・思想を含んだ語を使用するのはいかがなものかと思います。他に言い換える適当な語がないのなら別ですが、「歴史」とか「伝承」とかの、もっと一般的、中立的な語がある以上、ことさら「縁起」という語を用いなくてもよいのではないでしょうか。 もう一つの理由は、「略縁起」という語の意味する内容が曖昧だということです。ネットで「略縁起」と題されたページを検索してみると、お寺の草創の由来、沿革、ご本尊の霊験譚、その他お寺の特色を簡潔にまとめたものを「略縁起」と称しているようです。「縁起」という語の本来の意義については、ここで述べると長くなるので、ウィキペディアの記事「縁起」をご覧いただければと思いますが、「縁起」は必ずしも「伝承」とか「フィクション」とイコールではありません。「史実」を含んでいる場合もあります。客観的に見て史実とは言いがたい伝承について、節を分けて記述すること自体はよいと思いますが、その場合はたとえば「草創伝承」のような、その部分は伝承であることが明らかにわかるような節題を付けた方がいいと思います。また、お寺についての全体的な説明をする節を冒頭にもってきてもいいと思いますが、その場合の節題は「略縁起」ではなく、「概要」等とすべきです。

「草創伝承」のような節を設けるにしても、四国八十八箇所の記事全部に機械的に設けなくてもよいと思います。たとえば、土佐国分寺の記事ですが、「聖武天皇の命によって全国に建立された国分寺の一つである」という部分は史実と認められますが、「行基や空海が自ら仏像を刻んで安置した」という部分は伝承の域を出ないものであり、この辺は節で分けるのではなく、「寺伝によれば・・」等のフレーズを用いて、文脈上どこまでが史実なのかがわかるようにすればよいと思います。もう一つ例を挙げると、大興寺 (三豊市)の最新版(2009年2月5日版)の「略縁起」の節を見ると、西暦742年に創建されたこと、822年に空海が再興したこと、本尊薬師如来像は空海の作であること、がいずれも史実であるかのように読み取れます。中高校生などがこれを見て、文字通りの史実だと受け取るかもしれません。このような場合、信仰的事実としての寺伝はできるだけ尊重しつつ、「寺伝によれば・・」のように書き起こして、「・・とされている」のように結べば、その部分は「史実」ではなく、「伝承」なのだということが明確になると思います。

四国八十八箇所については、私もあまり詳しいわけではありませんが、文化財方面を中心に徐々に修正していきたいと思います。単に「略縁起」の節を機械的に消して回るだけの編集はしたくありませんし、そういうことで「編集合戦」を起こしたくもありません。以上長々と申し上げたことの全部にはご納得いただけないかもしれませんが、できるだけ他の記事のスタイルに合わせて、あまり独自色の強くない、中立的なものにしてくださることをお願いします。--Urania 2009年2月7日 (土) 08:59 (UTC)[返信]