コンテンツにスキップ

利用者‐会話:Dalaibaatur/ノート:民族

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

このページの説明

[編集]

このページにある次節以下の文章は、2020年11月22日 (日) 15:20 (UTC)から2020年12月2日 (水) 12:43 (UTCにかけてノート:民族に投稿し、 2020年12月3日 (木) 06:18に撤回した文章です。原版はノート:民族2020年12月2日 (水) 22:36の版に掲載されています。


転記提案

[編集]
政治学方面の議論をみると、「エトニ」のなかで、「エリート」が「民族運動」を起こして「政治的な力」をもち、その「力」によって周囲からの認定を獲得したものが「ネイション」(民族、国家の獲得までいたったものが「国民」)、全てのネイション(民族・国民)は「エトニ」を有するが、全てのエトニがネイションとなるわけではなく、国家を獲得できたのは、ネイションのなかでもさらに一部と、「エトニ」(=「ethnic group」)と民族・国民の上下関係・重層関係が説明されています。「本記事「民族」の英語版での対応記事のタイトルは「ethnic group」であり」とか「「nation」に対応する日本語版記事は「国民」となってい」たのは、そんな編集をやらかしたダレかが間違っていたのであり、したがって「民族」の定義を「ethnic groupの定義」に「純化」しようという編集も「あやまり」となります。「現に日本で行われている民族の定義」と合致しないので、上記で提案され、実行された「転記提案」には反対です。--Dalaibaatur会話2020年11月22日 (日) 23:09 (UTC)[返信]
  1. 日本語における「Nation」訳語に「民族」(→自前の国家を有するものもあれば、有しないものもある)の意味用法があることは「現に行われている用法」であり、日本語を使用する学者・知識人の間で広くもちいられている。よって「Nation」におけるこの側面をWikipedia中で記述させないという決定を、たんなる1記事のノートにおける数人の議論だけで決定することはできない。
  2. 妥協案としては、「ネイション」を包括的にあつかう記事が別に用意され、その上でこの加筆箇所を「転記したい」という提案であるなら、この記事を「Ethinc group」で純化する提案も受け入れ可能。また逆に、この記事とは別に記事「民族(Ethinc group)」を立てるという提案にも反対しない。
  3. ある記事に対し加筆された「その主題についての特筆性のある文章」を「ただ削除」しただけのこの編集は受け入れかねる。
以上より、そのまま全面的に復帰します。--Dalaibaatur会話2020年11月25日 (水) 20:53 (UTC)[返信]


ネイションは「=国民」ではない

[編集]

こちらの編集で投稿した「スミスの議論」の第5項に、「しかし、エトニを持つ集団が必ずネイションを形成するわけではない。そのごく一部がネイションの形態をとるのであり、ネイションが自前の国家を持つことができる場合はさらに限られる」とあります。

「エトニ」=「ethnic group」です。

「エトニ」の一部(エリートが「民族運動」を起こし、政治的な力をもったエトニ)がその「政治的な力」によって「ネイション」(民族)の認定を受け、さらにその一部だけが自分の国家を持って「国民」となれる、という重層関係が提示されています。

前節までの議論で「ネイション」関連の記述の転記先としてオススメされていた記事「国民」の定義部をみると、「国民(こくみん)は、国の民を表す単語である。「国に属する個々の人間」を指す場合と、「国に対応する人間集団をまとめて」指す場合とがある」とあり、自前の国家を所有するにいたらない「ネイション」を扱える記事にはなっておりません。

また、このような「ネイション」と「エトニ」の定義が現に行われている、という観点からしても、「Wikipedia日本語版における"民族"の定義」を「ethnic group」の定義で純化しようという前節の議論に賛意を示した皆さんの編集行動は、「"民族"の実際の用法・用例から乖離した行き過ぎ」に見え、従いかねます。--Dalaibaatur会話2020年11月22日 (日) 15:20 (UTC)[返信]

「2019年3月時点の結論」なるものは、「Nationのうち、自前の国家を保有しないもの」についての記述の行先について考慮の欠けた不備のあるものです。もしこの「2019年3月時点の結論」にこの不備がないのであれば、【「Nationのうち、自前の国家を保有しないもの」についての記述を(Nationの他の側面とともに)、それでもなお記事「民族」で投稿したい】という場合には、ここ(記事「民族」のノート)で「提案→議論→議論の結果に従う」という手順の対象となっていたと思いますが、じっさいに行われた「2019年3月時点の議論」では「Nationのうち、自前の国家を保有しないもの」について全く考慮されていません。
  1. ある記事に対し「その主題についての特筆性のある文章」を加筆することを、事前に制限する権限をABCEditさんに対して認められません。
  2. 「2019年3月時点の議論」は、「Nationのうち、自前の国家を保有しないもの」について触れていない。
  3. 従って「2019年3月時点の結論」なるものは、「2019年3月時点の議論」に参加していない編集者が「Nationのうち、自前の国家を保有しないもの」についてどの記事で投稿するかを、事前にも事後にも、制限したり拘束することはできない。
  4. この加筆箇所は、茂林寺たぬき氏からの指摘も踏まえて、「民族」一般についての記述と「佐藤優の所説」とを明確に腑分けして提示する編集を行う予定のところ、記事の文面上に存在しなければ修正できない。
  5. 問題ありと指摘された「体裁の問題」は、記事の文面上に存在しなければ修正できない。
  6. 以上より、そのまま全面的に復帰します。
私としては、この加筆箇所を受け入れ可能な記事がWikipedia内のどこかにあればよいので、前節でABCEditさんに対する妥協案を提案しています。--Dalaibaatur会話2020年11月25日 (水) 20:59 (UTC)[返信]
ABCEditさん、妥協案をご了解いただいて、大変にありがたいところですが、先日ある論文を拝見し、あと出しになますが「妥協案」を変更したいと考えています。じっさいにどのようなものを提案させていただくかはまだ考えがまとまっておりませんが、近日中に提示させていただきます。ある論文とは、
で、河野本道という高名な人類学者を対象とした論文です。的場光昭小林よしのりらのアイヌ民族否定論理論的根拠を提供し、また最晩年にはアイヌ民族否定運動にみずから積極的に参加して講演を行い、この種の運動を盛んに励ましていたようです。的場・小林らによって河野の研究の何がどのように活用されていたかについては、まだ「(下)」が発表されていないため具体的にはわかりませんが、的場・小林らの著書をみたかぎりでは、「民族の定義」として「エトノス」の定義(言語・文化・地域・歴史・血統等)を利用したうえで、「今のアイヌにはネイティブがいなくなり、アイヌ語をある程度知っている者も後から習って覚えた者ばかり」、「和人との混血が進んでいる」、「衣服や日常用いる文明の利器とか、完全に日本化されている」、「歴史的に統合された単一の政権を樹立したことがない」云々を示して、「アイヌは"民族"を形成したことがなかった」、「アイヌはもはや"民族"ではない」、「アイヌ民族はもういない。せいぜいがアイヌ系日本人である」等の類の主張を、「科学的」に行なったつもりになっています。「民族」の定義が「エトノスのうち、エリートが民族運動をやって政治的な力を獲得し、その力によって「民族」としての認知を獲得したもの」という、スミスや佐藤優式の定義の前ではまったく無化される「科学」性ですね。
具体的な提案内容はまだ未決定ですが、日本語の「民族」という項目名のなかで「ネイション」を扱うことは必須としたいと考えています(現行のままか、「ネイション」を分離する場合は、「民族(Nation)」とするか。記事「国民」は「国家を保有する集団」に特有・固有の現象を扱うものとし、記事「民族」の中では、必要に応じて「詳細は→国民を参照」とする)。M.ウィンチェスターの論文や小林・的場の著作を、流し読みでなくきちんと読んだうえで提案させていただきたくおもいます。しばらく時間をいただけるとありがたいです。--Dalaibaatur会話2020年11月27日 (金) 11:25 (UTC)[返信]
小林よしのり香山リカ『対決対談!「アイヌ論争」とヘイトスピーチ』(創出版,2015)を読了。前回の投稿における「アイヌ民族否定論」を同書の「第1章 アイヌ民族はいないのか」(pp.8-24)、「第2章 同化政策とアイヌに対する差別」(pp.26-48)により確認。小林(およびおそらく的場も)の民族認識は、純然たる「原初主義」ですね。「民族」概念を近代以前に遡及させて使用しており、いいかえると「エトノス」(またはEthnic group)をもって「民族」と称している立場。中間報告にもなっていません、今少しお時間をいただきたく。--Dalaibaatur会話2020年12月2日 (水) 12:43 (UTC)[返信]