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利用者‐会話:Amigomr~jawiki

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ウィキペディアにようこそ!

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こんにちは。はじめましてSuisuiと申します。ウィキペディアへようこそ!

ウィキペディアで活動する際にはWikipedia:ガイドブックを是非ご一読ください。きっとご参考になるものと思います。よろしければ 自己紹介してみてください。執筆の際には中立的な観点および 著作権にご留意ください。何か疑問点がありましたらWikipedia:井戸端で質問することができます。あなたが実り多き活動をされることを楽しみにしております。

Welcome to Japanese Wikipedia. If you are not a Japanese-speaker and expect further information, visit Wikipedia:Chatsubo for non-japanese-speakers. Enjoy!

なお、このメッセージは主に利用者‐会話ページに何も記入されていない方に投稿しておりますので、すでに活動を開始されてから期間が経っていらっしゃるのでしたら、お詫びいたします。--Suisui 2004年8月9日 (月) 15:13 (UTC)[返信]

新規記事の作成について

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はじめまして、Gokiと申します。新規記事を作成される前にWikipedia:スタイルマニュアルをご覧ください。記事は、「衝田岡(よみがな)は、…」というふうに原則記事名から書くことになっています。よろしくお願いします。Goki 2004年8月12日 (木) 08:47 (UTC)[返信]

これは失礼しました。マニュアルを読み忘れていました。
以後気を付けますが何か、またありましたら教えて下さい。--Amigomr 2004年8月12日 (木) 08:52 (UTC)[返信]

行の先頭に半角スペースを書くとオプションの設定によってはスタイルが変になるので気をつけてください。(つめさせていただきました。)私が直せる範囲であれば気がついたときに直していますが、難読な地名などですとそうもいきませんので…。Goki 2004年8月12日 (木) 09:10 (UTC)[返信]
Gokiさんのように1字下げて書きたかっただけなのですが....会話帳やノートでは気を付けます。

初心者なので、びしびし鍛えて下さい(笑)Amigomr 2004年8月12日 (木) 09:20 (UTC)[返信]

一応行頭の半角スペースは簡易表として処理されます。そのため通常の文章の行頭に半角スペースを入れるとレイアウトが崩れます。johncapistrano 2004年8月12日 (木) 09:29 (UTC)[返信]

文体について

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クラシック音楽関係への投稿、ありがとうございます。

文体についてですが、いろいろな記事を見ていただくとわかると思うのですが、記事本体は「ですます体」ではなく「である体」で書くのが普通です。
それから、HTML同様、単なる改行は半角スペースと見なしますので、列挙するときには<br> を入れたり行頭に「*」や「#」や「:」を入れたりしてください。(Wikipedia:編集の仕方#マークアップをご覧ください。)

あと、ついでに内容についてですが、序曲が「劇全体の粗筋や雰囲気をまとめてあらかじめ伝えるように作られた」のは、ベートーヴェン以降でしょうか? モーツァルトも十分そうだと思うのですが.... 2004年8月14日 (土) 05:48 (UTC)[返信]

文体について忠告ありがとうございます。改善します。
列挙というのは「演奏会用序曲」の代表的作品の部分のことで良いですか?
あと、モーツァルトは、私には、むしろ始まることを告げるような、そんな感じがします。むしろ、ベートーヴェンの方が序曲を5回書き直しているのですから、合っているように思っています。(レオノーレ序曲3番を御覧下さい。)

>列挙というのは「演奏会用序曲」の代表的作品の部分のことで良いですか?

そうです。

>あと、モーツァルトは、私には、むしろ始まることを告げるような、そんな感じがします。

著者がどう感じるかではなく、客観性が必要です。たとえば、後宮(たしか;;)では、序曲にトライアングルなどが使われて、それが舞台である「トルコ」を意味しています。フィガロの序曲は、話のあわただしい展開や滑稽さを示しています。 2004年8月14日 (土) 08:49 (UTC)[返信]

>著者がどう感じるかではなく、客観性が必要です。

それは承知していますが私が言いたいのは解釈です。

後宮やフィガロの序曲が、それを表しているのは否定致しません。実際、言われてみれば、そうとも思うからです。 しかしクリストファー・ホグウッドの交響曲全集では序曲も1つの交響曲として扱われていた記憶があります(明確ではありませんが)。

序曲が始まることを伝えるのは当然ですし、劇のあらすじを前もって予告してもおかしくはないでしょう。しかし、序曲が一貫してあらすじを伝えているというには疑問を感じます。序曲はセレナードのようにも考えられます。 まぁ、古典派以降と訂正することもできると思っていますが。--Amigomr 2004年8月14日 (土) 09:10 (UTC)[返信]

>クリストファー・ホグウッドの交響曲全集では序曲も1つの交響曲として扱われていた記憶があります

それは、交響曲全集の中に、オペラの序曲も(おまけで)入っていた、という意味ですか? それならよくある話ですが。

これは演奏会用序曲の問題にもなってくるかと思いますが、「序曲」を序曲としてでなく(コンサートで)演奏しても、演奏会用序曲やいわんや交響曲にはなりません。序曲と名付けられた独立した楽曲に対して、後の人がジャンルづけたのが演奏会用序曲ではないでしょうか。私は、あくまで推論ですが、いわゆる演奏会用序曲が作られた背景には、すでにオペラや劇付随音楽の中のナンバーが、序曲に限らず、取り出してコンサートで演奏されていた、ということがあるのではないかと思います。

>しかし、序曲が一貫してあらすじを伝えているというには疑問を感じます。序曲はセレナードのようにも考えられます。

コジファントゥッテだって、ドンジョバンニだって、魔笛だって、同じですよ..... もちろん、すべての序曲が予告性を持っていたわけではないでしょうけれど、多くの序曲がそう作られていなかったら、ワーグナーの序曲に対する反発はなかったのではないでしょうか。 2004年8月14日 (土) 15:34 (UTC)[返信]


返事が4日も遅れてすみません。(実はインターネットにつなぐのも久しぶりで)。 交響曲全集に「オマケ」として入っていたわけではありません。それは指揮者の解釈だそうです。 まぁ、こんなにもモーツァルトの意見がある以上は「モーツァルト以降」に書き直した方が良いと考えます(次回の返事で、その旨の返事をお願いします)。

(でも、この論議は、該当項目の「ノート」で進めるべきでしたね(反省)) --Amigomr 2004年8月18日 (水) 02:51 (UTC)[返信]

今後の連絡について

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お盆以降、土日の返信が多くなります。皆様には返信を待たせるようになってしまいますが御了承願います。 また、こちらの返信には私の誤りがあることがありますが、その度に指摘して下さると幸いです。 なお、以下の期間は返信が毎日、行なえます。

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7月下旬から8月下旬まで
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