利用者‐会話:240F:6:8534:1:C62C:3FF:FE2E:E476
Henri Wallon編集について
[編集]編集競合が起こりましたので、あなたの Henri Wallon の二回目の投稿内容を取り消して投稿しました。これは、あなたの二回目の投稿での「を『に修正することなどより、私の投稿でのWikiの記事ルールに従った書き方のほうが明らかに必要だと勝手ながら判断させていただいたからです。私の投稿は見出しや箇条書きの記号の編集であり、本文はあなたの一回目の投稿と変わりません。一回目と二回目の「差分」を表示させればあなたが二回目にしようとしていたことが分かりますので、復元できます。自分で対応するか、私に復元要求をしてください。
ちなみに、Wiki日本版では外国人名は原則カタカナ表記ですから、近々カタカナ表記ページを作成して、そこに記事を移動できるよう、Henri Wallonにて私または誰かが移動許可を取ることになるでしょう(または即時移動)。--Shigeru-a24(会話) 2013年5月26日 (日) 13:29 (UTC)
- 編集お疲れ様です。焦って編集しているようですが、とりあえず休憩して明日仕上げてもよいのではないでしょうか?
- さて本題です。「ワロン」のページがあるならば、移動ではなく統合(「ワロン」に吸収合併)です。訂正してお詫びします。しかしその前に、そもそも移動とは「ワロン」に「Wallon」へのリンクを結び付けることではありません。ページのタイトルをトラブルなく変えることです。さて、統合は何かというと、二つの記事のいいとこ取りです。移動や統合は「ワロン」または「Wallon」のノートページで議論してください。ノートページは、通常設定では右上にある「ノート」をクリックすれば出てきます。そのあと編集をクリックして編集して、自分の意見を書き込んでください。あっ、明日でも明後日でもいいですよ。私が事情をノートページに書いておきます。--Shigeru-a24(会話) 2013年5月26日 (日) 13:56 (UTC) 修正--Shigeru-a24(会話) 2013年5月26日 (日) 14:08 (UTC)
大変申し訳ありませんでした。 よくわからず、すいません。 ここに書けば良いですか? Henri Wallonがなかったので書いたのですがアンリ・ワロンがありますね。 ワロンに関心のあるかたですか? 今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。 私はしばらくは書かないので、どうぞ、あなたが書いてください。
統合提案はここではないですね。初版投稿者がその記事の編集を撤回して白紙にしたら即時削除の方針により削除されます。後で言及します
Wikiでは新しい更新を閲覧できる機能があります。検索する人が少ない記事も記事の質を保つためです。私は理系人間なのでワロンについての細かいことはあまりよくわからないので、Wikiの記事形式の適用しかしておりません。よって、期待に添えなくて申し訳ないのですが、執筆作業の続きをすることを受け付けることはできません。誰かに頼んでください。或いは、ほかの記事の修正などをして、慣れてきたころに編集しなおしてください。このような大型新記事は私(まだWiki一年生ですよ)も書いたことはありませんから。
ところで、初版投稿者がその記事の編集を撤回して白紙にしたら即時削除の方針により削除されます。もし一部分(アンリ・ワロンに載っていない部分)のアンリ・ワロンへの再投稿を計画したいなら利用者ページかサンドボックスに残すようにしてください。なお、今度からはアンリ・ワロンのほうに執筆してください。以下にあなたの投稿文を載せておきます。(見出しレベルを一つ下げています。レベル2(イコール2つずつで挟まれている)がレベル3(イコール3つずつで挟まれている)に、レベル3がレベル4(イコール4つずつで挟まれている)に変更しています。投稿の際は戻してください。)--Shigeru-a24(会話) 2013年5月26日 (日) 23:12 (UTC)
おはようございます。
今まで書いた内容はこちらのアンリ・ワロンに統合するのでなく、すべて削除して良いですか?あたらめて、アンリ・ワロンに書きます。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
- そのほうが丁寧でいいですね。ではそれで編集頑張ってください。--Shigeru-a24(会話) 2013年5月27日 (月) 08:00 (UTC)
いろいろありがとうございます。
また今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
Henri Wallon
[編集]フランス人医師. アンリ・ワロンHenri Wallon(1879~1962) (祖父のHenri Wallonは歴史学者で奴隷制の研究をしていた。彼は植民地の奴隷解放運動の中で国会議員となり、第三共和政期の憲法成立過程で、憲法に Republiqueと言う文字を書き込ませるのに尽力した人物として有名であると紹介された文献がある。)
思想
[編集]1947年フランスで注目された「ランジュバン・ワロン教育改革」を支えた人物である。ランジュバン・ワロン教育改革は心理学的な基礎のもとに、それまでの思弁的な教育学を批判して「科学的教育学」を提唱したものである。ベルギーの障害児教育に携わった医師ドクロリーの理論など障害児教育の知見を取り入れた脳研究にもとずく生理学的・医学的基礎のもとに発達心理学の構築がされたのが特徴である。また、ワロンは第一次世界大戦で従軍して、医師として実際に脳損傷の治療にあたったが、そのことも大きな影響がある。ワロンの発達心理学の理論は医学・生理学的基礎を重視しつつ、さらに、社会的な環境との関係を重視したことがもっとも重要である。 ワロンは教師の役割の重要性を主張した。教師の資質として、歴史の延長線上に自らを意識した人であることを主張した。教師は社会活動に参加し、子どもを社会的な環境から切り離さずに、個人を個人としてみるのではなく、社会的な環境との相互作用している存在として把握することの重要性を主張した。 人間の発達を生物学的・生理学的ファクターを重視しつつも社会的な環境との相互作用としてとらえる発達心理学の理論を構想していた。
心理学・発達心理学
[編集]アンリ・ワロンの発達心理学においては、注目される概念であるmanifestation(「表出」)が重要である。manifestationとは、「内から外に出す」という意味であるが、内部で起こっていることがどのように表に表出されるかは、医学用語では「症状」と言われる。人間の発達において、人間の心の内面を理解するためには、その内面を直接そのまま見ることはできないので、その内面が外へ表出されたmanifestationの様子を分析することが求められることを主張した。(「恥ずかしい、、とポッと顔を赤らめる」などで表出される)情動=怒り・悲しみ・喜び、、、などがどのように表出されるのか、主に『子どもにおける性格の起源』と言う著書で、身体的能力・知的能力にのみ注目したそれまでの発達研究に対して異義をとなえ、情動の重要性を主張したところに特徴がある。 「ワロン・ピアジェ論争」(=ワロンは、ピアジェを、知的発達のみに注目し、また、個人を個人として環境から切り離して研究したとして批判し、論争となった)また、「キヤノン・ラピックの情動論批判」(=ワロンはキヤノンやラピックらの当時、主流であった、情動論を批判し、彼らは、情動を植物性機能と運動性機能に限定していることを批判し、ワロンは情動を精神的なものの根源としてとらえ「人格発達」の中枢として、情動が人格の「調整器」として働いていることを、脳研究で明らかにしようとした独特な理論を展開した。)などが有名である。 そして、ワロンは、教育者は、子どもにおける情動的側面を重視し、情動に働きかけることの重要性を知っていなければならないと主張した。
「情動」への着眼
[編集]アンリ・ワロンは人間理解における「情動」への着眼が特徴的である。 ワロンは人間理解を「情動émotion」という分析概念によって明らかにしようとした。特に注目したのが脳の視床下部の働きである。そこに、「人格personalite」という人間精神の統合的な働きを見いだし、その「人格」の「調整器regulateur」として「情動」の働きに注目した発達心理学を理論化しようとしていたと考えられる。 そして、このémotionという分析概念によって、人間の「からだ」と「こころ」を結ぶ視点を提出したとしてワロンのことを哲学の最大の課題である「『心身二元論』をどう克服するか」という課題に挑戦した二〇世紀最大の哲学者であるという人もある。 ワロンは脳障害児の治療と教育に携わり、フランスではじめて無料の障害児診療所を開設した人でも有名である。 第二次世界大戦後、ランジュバンとともに教育改革(=「正義の原則principal de justice」)を構想し「ランジュバン・ワロン教育改革」として有名になった。また、教師の活動の重要性を主張して世界的にも(日本にも)教員の組織に働きかけをおこない、世界教員連盟を設立したことでも知られている。
脳研究
[編集]アンリ・ワロンの人間理解における「情動」への着眼において脳研究について、先駆的な脳研究が確認される。現在になって特に注目される脳を早い時期に着眼していたことがわかっている。 ワロンにおいて、脳研究は、「情動が生物学的存在に根ざしてより基底的なものを通じて個人を社会に結びつけている」と述べられているところに集約的に表現されている。脳研究(生物学的存在の研究)を通じて、社会的な存在とつながっている人間を統一的にとらえようとする人間発達の理論を構築しようとしていたと考えられる。 ワロンはイギリス人生理学者シェリントンsherrigton(1932年神経細胞の機能に関する研究でノーベル賞受賞)の筋肉の二重構造の発見から着想を得て、筋肉のもつ「姿勢」を維持する機能に注目して「姿勢atitude」「緊張tonusトヌース」から精神の発生を見いだし、「直接対象を外界に求めない活動actvite proprioceptive」のもつ「自己塑型的なplastique」機能に人格形成の起源を考えていた。そこのとは、アーノルド・ゲゼルArnold Gesellが、あかちゃんが、重力に抗して頭をもたげて姿勢を保とうとする時、人間の精神の発生をみようとした見方とも関係があると考えられる。 ワロンが注目したのは脳の視床下部―下垂体系の働きである。そこは、現在では血中の微量な成分によって脳をコントロールする脳として注目されている脳である。 かつては、脳は神経によりコントロールされているという考えが主流であった。しかし、1900年以降、視床下部から下垂体に向かって血管があり、血液が流れていることが発見され論争となった。そこで、脳には神経以外の連絡路があり血管を微量物質が流れ脳をコントロールしていることが発見され確認されたことで、1955年論争は決着した。ここから、全世界的にホルモン研究が大流行した。また、さらに現在では、「環境ホルモン」の人体への影響が重大な問題となったことで、ホルモンの働きの重要性がより鮮明となって自覚されている。 ワロンの脳研究は(視床下部―下垂体系への注目は)は半世紀以上も前のもので、歴史的に人間研究にとって先見性のあるものと言わざるをえないことが明らかになった。
教育思想
[編集]ワロンは、第二次世界大戦後のフランスのランジュバン・ワロン教育改革の中心人物である。発達心理学にもとずく第一段階(初等教育)から第二段階(中等教育)への接続と第二段階での「観察過程orientation」が特徴的である。 中等教育レベルにおける「教養curture」の重要性と専門化に関する主張がもっとも重要なところである。すなわち、「教養」は職業により切り離された人を結びつける「人と人を結びつける」ものである。そして、専門化(職業への分化)は人間教育を妨げてはならなず、個性に応じて「適材適所」におこなわれる。その職業につくべく能力がある人がその職に就く。そのためには、職業間の価値の平等が保障されなければならない。特に「適材適所に」子どもを導く教師の役割の重要性を主張した。 教師の行う指導はorientation scolaireと呼ばれる「学校指導」で、最終目的が子どもの発達の要求に応えることである。「子どもの能力が分化し始める発達の段階に職業が対応している」のである。その対極であるorientation professionnelle「職業選別」を否定した。「職業選別」は最終目的が職業にあり、子どもにはない。こうして、「教養」の形成と専門分化(=平等と多様性egalite et diversite)の保障が学校において行われることが構想されていた。人間性humaniteの十分な開花を保障する学校制度を構想していた。
アンリ・ワロンの教育思想について(参考資料)
[編集]1.(トラン・トン「ワロンの教育思想」La pensée pédagogique d’Henri Wallon(1879~1962)P.U.F(1969)Trng Thongに依拠して) 2.情動について Rene Zazzo Ph.Malrieu Trang Thong Nguyen Thi Thanh Huong Martinetなどから
1.ワロンには教育思想
ワロンには教育思想がないと言う人もいる、また、日本での紹介が心理学の文献の翻訳によるものが多いために、そう言われる場合がある。
- 以下Trang Thongの『ワロンの教育思想』より
ワロンはまずは、医者である。そして哲学者であり、心理学者であり、教育者であり、政治家でもあった。ワロンは教育によるヒューマニズムの革新humanisme enlargiを目指して、教育におけるる「平等化と個性化」(正義の原則principal de justice)を主張した。 ワロンは「子どもの権利」を主張する。その主張では、それまでの子供観を批判して、子どもは小さいおとなではなく、おとなとは異質であるとし、おとなと子どもが違うことを主張する。しかし、こどもは、未来においてのおとなとして連続的にとらえ、生成発展する人間性humanité en devinirとしてとらえたものであった。その考え方は、全ての人間が完成(compléte)に向かおうとするものとしての人間性の尊厳を確信したヒューマニズムの立場であった。ワロンはその人間性の生成を保障するため、こどもをとらえるにあたって、こどもを社会から切り離して抽象的にとらえるのではなく、社会の中での生活体そのものに注目し、その存在に課せられるすべての条件condition、を考慮に入れて具体的にとらえられなければならないとした。それ故、旧教育を批判した新教育運動のリーダーではあったが、その新教育運動のもつ抽象性を批判して新教育を現実的なものへと導いたと考えられる。
まず、それまでの思弁的教育学を批判し、科学的教育学pédagogie scientifiqueの条件を求めた。教育学と心理学の結合を主張して、実験の導入を主張した。心理学は教育学者に対してその実践が定式化を要求する様々の仮説を証明してゆくのを助けるのだとして、心理学の研究が頭の中だけで考えた抽象的なものにならずに、実践的になるよう努力をした。しかし、「知能テスト」に対しては、手段としての分析への貢献は認めるが、使用における(特に進路選択において)非人間性を批判した。
また、学校の役割を重視した。学校は人格の開花épanouissmentにふさわしい教育的環境となるべきものであると主張した。とりわけ、こどもの発達において、集団が大切であり、集団の中で個性化するのだとして、他者の役割を重視した。また、教師に対して、教師は自分の生きる時代、社会へ開かれた態度をもち、社会へ自ら参加する責務があるのだと主張した。
また、こどもへの注目も、とりわけ、態度attitudeや性格に注目している。そして、こどもが示す関心interét について、それまでのinterétの概念を再吟味し、そのいつわりを指摘した。関心・注意というものがそのもので存在するのではなく、不注意の方に注目すべきであると主張する。つまり、教師はこどもの「不注意」という態度と戦わなければならないのであるとした。そして、態度の領域である不注意の型を、態度・姿勢attitudeとのかかわりで4つに分類して説明した。(「態度と性格の教育学」 参照)
また、新教育運動の中で子どもの自発的関心が重視されてきたが、それを批判して、子どもの発達にみあう生活に密着したドクロリーの関心の概念を高く評価した。性格の分析においては、性格は個人の社会的全存在にかかわって見なければならないとした。性格をおとなにおける複雑で静的なstatique面から見るのではなく発生的研究をすべきことを主張した。この時、性格は情動émotionに起源をもっていることを明らかにしようとし、病理学的症候群から説明をおこなって見せた。(『子どもの性格の起源』OC)
また、知能intelligenceについては、言語発達と思考の発達の相互不可欠の関係を見ており、言語の重要性を指摘した。しかし、子どもの精神発達に逆らう言語主義(バーバリズム)を批判した。また、知能の形成(良い頭bien tête )と知識の獲得(知識の内容)の分離(例えば、当時の学校でのラテン語による頭の訓練)を批判し、それらの相互関係の重要性を主張した。
それでは、教育方法をどうとらえていたのだろうか。新教育運動では、子どもの自発性を尊重し、子どもの自身の関心を活用するのだという方法がとられたが、ワロンは、その方法が抽象的だと批判した。子どもの側の関心からだけに注目していて、関心の対象となるそのものの質を無視していると批判した。 具体的教育方法として、ドクロリー法(ドクロリー、ベルギーの障害児教育にたずさわった医者)を高く評価した。そのドクロリー法というのは、グローバリズム(全体的方法)、つまり、現実の環境の中で具体的人間と全体的活動によるもので、知識や感情を分離してとらえたりしない方法であると評価した。 ドクロリーは、その方法で、分析的で抽象的でないことから、具体的で単純な全体的まとまりから出発すべきこと(未分化から分化へ)を主張している。そのはじめの未分化(混合心性)の状態では、子どもの発達の程度によって関心が変化し、出会う対象が現実的な意味をもってくるのであるから、まず、子どものその時の「関心の中心」centre d’interetが何かということから出発しなければならないのだとした。そして、全体というのもが、部分に優越していること、直感intuitionを重視することを主張した。さらに、教育として実践していく場合、観察→表現expression→連合の方法、現実の環境の中での自己教育(調査の方法、例えば、実際に郵便局へ行くとか)などがあげられている。そこで、ワロンはこれらのことを、学校のあり方の変革に有効なものになるだろうと期待して高く評価したのであった。
また、人間の能力aptitudeというものについて、能力において社会的環境の重要性を主張した。能力は自然に内から、環境からは孤立して自律的に出現するものではなく、内的な要求と、それにみあう対象・機会occasionとの相互活動interactionの中で形成されるものであると主張した。
また、教育的手段として、物語conteや物語を語ること、また、絵を描くことなどについて調べ、フィクションfictionの意味を分析した。子どもがそのフィクションの中で空想と現実を交錯すること(空想と現実が区別がつかなくなってしまうこと)を否定的に見るのではなく理想を現実化していこうとする、depasser(乗り越える)志向性があるのではないかと評価している。
このような心理学的研究の基礎づけのもとに、ワロンは、それを具体的に保障していく教育制度を構想した。フランスの教育の歴史を検討して、そこでの複線型dualシステムを批判した。複線型の教育では、教養cultureが飾りとしての矮小化されたものになっていることを批判した。そして、複線型の教育を否定して統一学校école uniqueの思想を打つ出した。その学校では、すべての子どもが「平等」に教育を受けることができる、人間の活動の総体である文化cultureとの相互活動で、本質的な差異に基づいて、能力を全面的に開花させ、個性化が達せされるのであると主張した。
そこで、注目されるのが学校心理学者psychologue scolaireの設置である。職業へ向けての人材配分を批判して、学校指導orientation scolaire(子どもが究極的な目的である)と職業指導orientation professionelle(職業が究極的な目的となっている)との区別を主張し、学校では学校指導であるorientationであるべきであることを主張した。
学校での、教育の過程である「文化の獲得」l‘appropriation cultuelleとは、ある特定の文化理想ideal cultureを移植adaptionすることではなく、ある特定の人間理想ideal humaineを移植することでもない。「文化の獲得」は自分の時代の文化を理解し、自分のものとする能力を増し、つまり、子どもが最後にその時代の文化に統合して、その文化を再発見して、その文化に自らを参加させ、自分を価値づけ、過去から未来におけるすべての文化の創造的人間的活動の総体の中で、未来において選択するであろう自分の専門化された活動を位置づけることができるようにする、理解comprihensionと獲得appropriation(わがものとする)であると主張した。
ワロンのヒューマニズム
さて、この、ワロンの研究をおこなったトラン・トンTrang Tongは、日々、生成発展するhumanité en devinirを意識したワロンのヒューマニズムについて、自らの著作『ワロンの教育思想』の最後にワロンから引用して以下の言葉で結んでいる。「人間性の生成を意識する者の態度は、歴史的事件の延長線上に自分の人間的情熱をおく者の態度であり、人間性の荘厳な生成に自らが参加することから、力と確信を汲みとる人の態度である。その人は決して希望を失わない。なぜなら、未来をはぐくむことgestation de l’avenirで何も失わないことを知っているから。」と。
ワロンのヒューマニズムは一言で言えば平等こそ個性化であり、それが人間の生成の過程なのだという思想ではないだろうかと思う。ワロンはそのことをまず、教育制度としてどう保障するか、そして、さらに、社会の実生活のレベルで保障していく職業へと職業構成を見通し、職業観、価値観の変革をめざして新しい社会の形成を教育の必然的な過程として構想していたと思われる。ワロンは、ひとりひとりの発達と社会の発展を結ぶ大きな構想があたっと思われ、ここには、ワロンの平和の思想があるのではないだろうかと思われる。
2,情動について
情動とはいったい、何なのであろうか。ザゾZazzoはワロンの情動研究に触れながら次のように述べている。「情動は人間存在の精神―生物学的発達の中でもっとも最初のものである。子どもは情動によって精神生活に誕生するのだ。情動によってはじめて、有機体的なorganiqueものと精神的なpsychiqueものの原初的なprimitive未分化と、その後につづく一方から他方への移行がもっとも良く理解できるのである。情動は個人を個人の生物学的生活の中におけるより根源的なものによって社会生活に結びつけている。」 (Zazzo1975p35邦訳p44-45)と。またワロン研究をしていたNgugen Thi Thanh Huongによれば、「ワロンは人間基盤baseが感情的色合いをもってあらわれでたものmanifestation affectivesとして、とりわけ、情動というもの、を研究した」(La formation des attitudea affectives 1976 p119)のだと述べ、ワロンは、人間性の基底として情動をとらえてその表出を研究したと述べている。そしてNgugen Thi Thanh Huongはその情動の表出である「姿勢attitude」に注目して、姿勢研究をして以下のように述べている。「感情sentimentと姿勢attitudeは、Meiliによれば、二つの面ではなく、精神的現実realitéである.」(1976 p5) また、「姿勢というものは本質的に対象l objectにむけての主体le sugetの感情的関係rapport affectifを表現している。」(1976 p5) そして、「姿勢attitudeは、たえず、感情的状態état affectivに即していて、ある姿勢を保つことは、感情的状態、つまり、ある特定の情動une émotionを表現しており、それは、同時に『人格というものla personalité』を表現しているのである。」(1976 p5)と。
さらに、「情動とは結局、情動を引き起こすものがどんな刺激stimulationにしろ、興奮excitationにしろ、筋肉の緊張tonusのバリエイションに帰着し、また、筋肉の緊張の解消の様々な様態として定義される。それゆえ、情動は、筋肉の緊張が本質的な素材を形成する姿勢機能を構成要素としている。」(1976 p5) Ph.Malrieuによれば、émotion研究は、人格personalitéの構造の起源を考えることに導いてくれると言う。つまり、「もし、人格personalitéが、実際に活動の統integration、共同coorperation活動の選択や方向性choix et orientation des activitésのなんらかの機能としてあらわれるとするなら、情動はこの複雑な機能の調整器官les regulateursである。」(Eevolution et formation des émotions dans la premiére année de lenfant 1960 p219)こうして情動と人格の関係を追求している。
さらに、Ph.Malrieuはつぎのようにまとめている。情動のネガテブな役割はよく指摘されてきたが、さらに、情動がもつ新しいものに対する敏感さsensibilizationの機能も指摘することができる。つまり、子どもは情動のおかげで新しい価値を発見するのだ( La vie affective de l enfant 1956p89)と述べている。情動というものは、幼児においては、そのままの形では存在しない。しかし、情動を予示する姿勢attitudeを見ることが出来る。(1956p90 )しかし、その姿勢は本当の情動émotionの下絵etoffeでしかない。本当の情動があらわれるためには、神経系の成熟と、そればかりでなく、適した社会的な精神生活上の環境climatが必要である。なぜなら、人間的情動les emotion humainesの原型matriceであるのは人間と人間の間interpersonellの生活であるからである。(1956p90)その人間と人間との関係の中で、情動の伝染contagionによって、他の人のémotionは子どもの中に広がるのである。(この伝染というのは、親しみfamiliariteの環境ambianceを前提としている。つまり、伝染は3-4ヶ月の間では生まれるのが困難である。)(1956p90) 情動は、回りへの適応がなかなかできない単なる表出manifestationから、社会的生活の中で、個人が適応していく調節をする道具instrumentとなる。この調節機能は、筋肉の緊張性la tonicitéと諸々の情動の中にある関係relationにその基礎をもっているように思われる。(1956p90)
ところで、緊張tonusとは何かと言うと「緊張は『筋肉の収縮で、その収縮は筋肉を短くすることなく、筋肉に抵抗やそのままの維持をする様々な程度を与えるものである』と定義できよう。緊張とは、運動に対して準備する機能であり、姿勢attitude、たとえば、かがむ、すわる、まっすぐに立つ、待ちかまえる、伸びている、ある物に向けて力を向ける、、、、、、などの基礎である。また緊張は中脳にその中枢をもち皮質と関係があり、その効果路をもっている。そして、緊張は情報の知覚perceptionと運動的反応reaction motriceの間で、原初的な適応adaptionのモメントである。」(1956,p90)
情動というのは何かと言えば、「それぞれ情動が、この緊張性tonicitéの決まった形を要求する。たとえば、喜びjoieと怒りcoléreにおいては、過度な緊張の違った形が存在する」(1956,p90)この緊張性tonicitéの機能は「運動性と知覚を与えるが、それは生まれながらにつくられたものだが、情動の発現のメカニズムの中に、その清算の道をを見つける」(1960,p220)そこで、「その情動の構造において、その変化は、情動にその基盤を与える緊張性の新しい調整によって決まるように思われる」(1960,p220)
こうした情動の生成を見るためには、人間personneとの関係と物lobjetに対する働きかけactionの二つの様式を観察することが必要である。そこで、Ph.Malrieuは、「社会化socialzation」と言う論文で、人間形成personalizationの過程を子どもの社会性sociabilité、社会化socializationの過程として見ている。 要約すると、人間形成personalizationはコミュニケーションの中でおこなわれ、その活動の過程で子どもは自分の態度attitudeを鋳直し作りなおし、人柄の枠を広げることで自分の行動conduiteを絶え間なく再構造化していくのだ。子どもの人間形成personalizationの過程は、人と相互に助け合うこと、他者によって支えられたいという願望desirなどに支えられてなされるのである。つまり、子どもはコミュニケーションを望んでおり、その願いによって支えられて、他者と向かい合い、その人からのメッセージを内面化する。その過程は自分の活動acteや自分の存在の意味significationの発見をする努力effortの過程である。そして、そこで行われるすべての行為comportementは主体が乗り越えていこうとする葛藤conflictの表現expressionである。(1973,p219~226)
このようにPh.Malrieuは人格形成における人間との関係の形成の重要性を、その人格の社会化の過程を追ってまとめようとし、コミュニケーションに注目したようである。 また、マダム・マルチネは「情動、つまり、外へ表すことles manifestations exteruresの重要性を強調しなければならないが、、、、情動の固有の性質は、実際のところ、外へ出ることであるs’exterioriser,つまり、姿勢attitudeや身振りmimiqueを通じて外へ開かれouvertement、でていくことである」(Martinet 1972 p44)と言う。
文献
[編集]- Henri Wallon
- 1.E.T. L’enfant troublant,Alcan 1925
- 季刊「発達」ミネルバー書房 11号~16号(浜田寿美男訳)1982~1983
- 「ワロン選集」上 大月書店 波多野完治監訳 1983
- 2.P.P.
- 「精神病理の心理学」大月書店 滝沢武久訳 1960
- 3. O.C. Les origines du caractère chez l’enfant, P.U.F. 1934
- 「児童における性格の起源」 明治図書 久保田正人訳 1965
- 「ワロン選集」上 大月書店 波多野完治監訳 大月書店 1983
- 4. Enc. La vie mentale –Encyclopédie française,tome Ⅷ―24-1~7 1938
- 季刊「発達」6号、7号 ミネルバー書房 浜田寿美男訳1982
- 5. E.p.s. L’évolution psychologique de l’enfant, P.U.F. 1941
- 「子どもの精神的発達」人文書院 竹内良知訳 1982
- 「改定精神発達の心理学」大月書店 波多野完治編 1956
- 「ワロン選集」上 大月書店 波多野完治監訳 1983
- 6. A.P. De l’acte à la pensée、Flammarion 1942
- 「認識過程の心理学」大月書店 滝沢武久訳 1962
- 「ワロン選集」上 大月書店 波多野完治監訳1983
- 7. O.P. Les origines de la pensée de l’enfant, P.U.F. 1945
- 「子どもの思考の起源」 明治図書 滝沢武久・岸田訳 1968
- 「ワロン選集」上 大月書店 波多野完治監訳 1983
- 8. E.59 Enfance 1959 mai-oct.
- 「発達」1号、3号、8号、9号、10号 ミネルバー書房
- 浜田寿美男訳 1980~1982
- 9. E.63 Enfance 1963 jan-avr.
- 「発達」2号、4号、5号ミネルバー書房 浜田寿美男訳 1980-1982
- 10. A Lecture d’Henri Wallon, Éditions sociales,1976 アルファンデリー
- 「ワロン選集」上・下 大月書店 波多野完治監訳 1983
Ph.Malrieu
- P.M.56 La vie affective de l’enfant, Psychologie de l’enfant, Arman Colin, 1956
- P.M.60 Evolution et fonction des émotions dans la première année de l’enfant, Revue Suisse de Psyclogie,1960
- P.M.67 Les émotions et personnalité de l‘enfant, JVRIN 1967
- P.M.73 La socialisation, Traité de psychologie de l’enfant 5 .P.U.F. 1973
- P.M. 77 Langage et représentation,la Genése de la parol,P.U.F. 1977
- P.M.79 Personne et personnalisation chez Henri Wallon, Enfance1979 5eme
Nguyen Thi Thanh Huong
- N.T.T.H. La formation des attitudes affectives ,JVRIN 1976
René Zazzo
- R.Z. 75 Psychologie et Marxisme, Denol Gonthier,1975
- 「心理学とマルクス主義」大月書店 波多野完治・真田孝昭訳 1978
- R.Z.76 La genèse de la conscience de soi 、Psychologie de la conscience de soi, P.U.F. 1976
- R.Z. 76A L’attachement,un besoin primaire de l’enfant , Le groupe familial N.71 1976
- R.Z. 79 L’attachement, Delecheux,et Niestle 1979
Trang Thong
- T.T. La pensée pédagogique d’Henri Wallon(1879-1962),P.U.F. 1969
- *M.Martinet
- Martinet 1972 Théorie des émotions, Aubier Montaigne ,1972
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