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利用者‐会話:222.13.113.73

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プレビュー機能のお知らせ

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初めまして、Mint22といいます。222.13.113.73さんが同じ記事に対して短時間に何度も投稿されているようなので、プレビュー機能のお知らせをしにきました。投稿する前に「プレビューを実行」のボタンを押すと、成形結果を先に見ることができます。これを使うことで

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などを予めチェックし、修正してから投稿すると同じ記事への連続投稿を減らすことができます。この利点についてはWikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすに説明があるのでよろしければお読み頂けると幸いです。また、Wikipedia:ガイドブックにウィキペディア全体のことについて分かりやすく解説されていますのであわせてお読みください。ご理解とご協力をよろしくお願いします。--Mint22 2005年4月26日 (火) 22:22 (UTC)[返信]

旺盛な執筆ご苦労様です。しかしながら、40系や気動車全体の記事の中で、181系について偏重した記述をなさるのは、いささか筋が違ってしまっていかがなものかという気がします。181系については国鉄キハ181系気動車という記事が既にありますので、そちらにて編集をお願いします。金沢 2005年4月27日 (水) 14:52 (UTC)[返信]

そちらに移されていたのですね。気付きませんでした。忠告ありがとうございます。Mint22さんもありがとうございます。

気動車の件

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あなたの気動車における編集について、私なりのご意見を申し上げます。

  • 国鉄乗り入れの優等列車用に気動車を導入した3私鉄のうち、名鉄のキハ8000系だけを特別なものとして書いておられますが、走行機器はキハ58系をそのまま踏襲したものに過ぎません。それを書くなら、小田急キハ5000がコンパクトな台車を用いて国鉄にさきがけ20m級2エンジン車を製造したことの方が意欲的とも言えます(当時キハ50はまだ22mでした)。ただ、いずれにしても「キーとなる基本的な駆動システムは3社とも国鉄の既存システム踏襲」であって、電源エンジンのような「脇道」は特記すべきほどのこととは思えません(変速機や走行エンジンが国鉄形と別ならまた考えようもあるでしょうが)。よって削除させて頂くこととしました。
  • 近年の動向については、まず富士重や新潟鉄工所のレールバス開発から語るのが筋であろうと考えています。既存私鉄のうち、関東鉄道や島原鉄道だけを取り上げることが妥当であるかどうかは検討の余地があります(両社の個別事情を、気動車全体の記事で語ることが妥当であるかどうかという問題です)
  • アルミボディを使った気動車を国内で思い出せないのですが、どこの会社の何型でしょうか?

「だが、これらのいずれもが、国鉄時代に基礎開発は終わっており、既に電車(国鉄以外のものも含む)において実用化されているか、あるいは技術的以外の面が重く採用されなかったか、あるいは、「エンジンの高速化・大出力化」を含めたいくつかは181系気動車において既に量産化されているか、といった要素で、電車における回生ブレーキのような、特に際立った革新技術というものは登場していない。」

  • 上のご加筆ですが、際だった革新技術でない、というのがわかりません。技術開発は継続的なものであり、JRが国鉄からその流れを継承するのは自然なことでしょう。それとも、JRが国鉄と無関係に独自開発しなければ革新的でないのでしょうか。振り子式気動車の技術など、JR四国・北海道の努力がなければ到底実現し得なかったものではないでしょうか。
  • 181系は、額面上のスペックは革新的でしたが、その実はメカニカルガバナで制御される不安定な大出力エンジンの力任せに、1段直結式のプリミティブな変速機(確かに操作の自動化は入っていましたが)で高速を発生していただけともとれます。あれは「気宇壮大な量産試作車であった」ぐらいの存在ではないでしょうか。
  • 181系とDML30HS系機関を過大評価しているように思います。あなた個人として思い入れが強いのはわかりますが、近年の気動車が軽量化や、エンジンの電子制御化、変速機の直結段多段化など、総合的な技術改善の積み重ねで高性能化を達成している事を看過すべきではないでしょう。そもそも、一足飛びの大出力化だけが技術革新ではないのです。

以上、不快な部分も多々あろうかと思いましたが、取り急ぎお伝えします。金沢 2005年5月6日 (金) 21:39 (UTC)[返信]

「気動車の件」に対して

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1.システム上の互換性はありませんし、車体的にも完全に国鉄の系譜からは外れるものです。登場年次からしても、国鉄型の影響はほとんど受けていないでしょう。DMH17系とTC2A・DF115Aを使っているから、というのは、電車で言えば、「ただモーターだけはMT54だった」という物に過ぎないかと思います。「システムが同じ」という表現は、これらに反するかと思います。

2.本来はもっと表面的に触れるつもりでおりましたが、第三セクター以外の地方民鉄でこの2社以上に新製気動車を入れている会社は、他には鹿島鉄道ぐらいで、しかし、その意味からも、特筆すべきかと思います。また、何れも寿命の短いレールバスを良しとせず、20m級車両である点も、見逃せないと思います。

3.名鉄キハ8500系気動車がそうだったかと記憶しておりますが、間違いでしたら、お詫びいたします。

4.「振り子式気動車」は、キヤ391系ターボトレインで試作されています。国鉄はキヤ391系に多くを負う量産ターボトレインを計画していました。これは、オイルショックがなければ、実現していたものです。したがって、「振り子式であること」が際立った技術革新であるとは思えませんし、また同様に「気動車に強制振り子が採用された」こともそうだとは思いません(そもそもパンタグラフの干渉が無い分、むしろ電車より簡単であるとさえ言えるのですから)。

5.および6.キハ181系の性能曲線を御覧になったことがおありでしょうか? 出力抑制された後でも、ほぼ485系電車と同じか、いくつかの速度域では上回ってさえいます。キハ181系は初期において、特に「つばさ」においてのトラブルは多かったそうです。が、これはEF71の補機連結でほとんど解消されたと聞きます。485系ですらモーター過熱がたびたび問題になった区間ですから、そもそも無理があったんです。ほかに特に「不安定」を指摘された資料はなかったかと思います。むしろ出力に余裕があって良い気動車だったと伝聞ですが聞いております。その意味ではキハ80系の方がよほど難産だったかと思いますが、いかがでしょうか? また、キハ65形も「メカニカルガバナだけで制御している旧型エンジン」でありながら、カミンズエンジン換装のキハ58と併結して高速運転していた事実もあります。JR西日本のキハ181系にしても、不安定で不経済な車両であればとっくに取り替えられていたでしょう。あるいは、キハ80系のエンジン換装でもよかったわけですが。DML30HS系は少なくとも、昭和43年当時は世界的にみても傑作といえる気動車用エンジンです。ただ、性能面での比較に関しては、比べる相手が悪い(DMH17系)という話もあるのは認めますが。あなたこそ負の面ばかり見て過小評価しているように思いますが。


私がこれらの書き込みを行った、大本を修正させていただきました。

  • キハ181系の出力抑制は、「しなの」「つばさ」組の「都落ち」(主に四国への転出)に伴って実行されたものと記憶しており、それ以前において、実行されたという記憶がありません。
  • EF71補機連結という「対策」を行った後も、キハ181系「つばさ」は東北本線を485系・583系との並行ダイヤを表定速度90km/hで走行している事実があります。これは当時、キハ181系以外には不可能なことですし、カタログ性能上からも、「性能を生かしきれなかった」という表現には当たらないかと思います。

--222.13.113.73 2005年5月6日 (金) 22:44 (UTC)[返信]

再び気動車の件

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  1. キハ8000は減速比もブレーキ機構もキハ58と同じです(なおかつエンジンブレーキ付も58系中期以降のシステムの踏襲です)。最高速度も同じ95km/h、足回りはほとんど同じと言っていいのではないでしょうか。車体に関しては直後の段で「車体の独自性」について触れています。国鉄制式系統以外の本格的な気動車用ディーゼル機関および変速機が長らく開発されなかったことは看過できないでしょう。MT54を引き合いに出すのは無理があります(電車ではMT54以外にもあまたの量産モーターがありましたが、昭和30年代の日本ではDMHぐらいしか選択肢はなかったのですから)
  2. 島鉄2500は18mではなかったでしょうか。それと、関東鉄道にせよ島鉄にせよ、NDCの系統の技術の発展・応用系ではないでしょうか。
  3. 名鉄8500は確か普通鋼だったかと記憶します。
  4. 391系の振り子構造と、現在実用化された制御付自然振り子とはかなり異なるものではないでしょうか。そもそも、「一足飛びの際だった技術革新でなければ意味がない」というニュアンスの表現である必要はないのでは。技術の積み重ねの結果と見ることはできないでしょうか。
  5. おそらくはその道では有名な181系研究サイト「極限の気動車」をごらんになってのことと思いますが、181系のオーバーヒート問題はよく知られているところではないでしょうか。JR西日本の場合、亜幹線やローカル線への新車投入が積極的でなかったこと(3両編成で2両分の収容力しかなかった181を山陰西部で長らく使い続けたこと自体、その論拠になるでしょう)、既に181がデチューンされており、運用条件が緩かったことで実用上トラブルが生じにくかったことも、長期使用の一因として考慮すべきでしょう。65がカミンズ付キハ58とのペアで高速運行されたのは比較的平坦でトンネルもほぼ皆無の参宮快速が主であり、「かすが」運用での山越えは余裕のある筋が引かれていましたから、それだけでは信頼性の論拠にはしにくいでしょう(65は181と違って強制冷却ですしね)。金沢 2005年5月6日 (金) 23:24 (UTC)[返信]


181系のオーバーヒート問題

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私は極初期の「しなの」、及び補機定期化以前の「つばさ」以外でこれが問題化したとするソースを知りません。 あるのでしたらお願いします。

それと、(65は181と違って強制冷却ですしね)←これを記載した意味がわかりません。DML30HSの評価をするのに関係は無いかと思いますが。 --210.147.134.215 2005年5月7日 (土) 00:31 (UTC)[返信]

いくつか追記。 (電車ではMT54以外にもあまたの量産モーターがありましたが、昭和30年代の日本ではDMHぐらいしか選択肢はなかったのですから) →ならばなおのこと、「MT54が同じならシステムが同じと言っても良い」的な表現が出来るかと思いますが。  あまたの中から選ばれるわけですから。

JR西日本の場合、亜幹線やローカル線への新車投入が積極的でなかったこと →キハ80系でもよかったわけですが、そうしなかった理由になりませんね。国鉄終焉期には山陰にもキハ80系は残っていましたし、清算事業団がかなりダブらせている。それに「ひだ」を擁する東海など喜んで交換に応じたでしょう。

山越えは余裕のある筋が引かれていましたから →山越えがあったら通常、「余裕のある筋」じゃないんですか? あるいは電車なら平坦線と同じ速度が出せる、とでも?

気動車の件・続き

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お話が段々ずれてきているようですが、要は「なぜ国鉄末期からJR移行後にかけての技術革新を、181系や391系まで持ち出して『大した革新ではない』というニュアンスで表現されたのか」ということです。

MT54うんぬんの話はやや話が違うのではないかと思うので言い直します。私鉄が自社の気動車用に、DMHやDMLの代替となるクラスの大型エンジン、TC-2系やDF115系変速機の代替となる液体変速機をそれぞれ調達したという例が、昭和30年代~50年代中期にはほぼ皆無なのはご理解頂けますでしょうか。電車と違って、エンジン・変速機に独自開発の例が途絶えており、技術的に国鉄主導の状態が続いたことがわかる事例であると思います。電車のように、必要に応じて同クラスでも様々なモーターや制御器を使い分けるような手法が、当時の私鉄気動車で行われていなかったことは看過できないと思います。

振り子式気動車といっても、391系は中間動台車については振り子機構を使わず、駆動装置の難しい問題を回避していました(両端の付随台車部だけが自然振り子)。JR四国とJR総研が制御付自然振り子気動車を開発する際には、プロペラシャフトの摩擦解消や2エンジン化によるトルク反動打ち消しなど、気動車ならではの様々な課題への取り組みが為されています。振り子電車における集電機構とはまた違った難しさがあり、軽々しくは扱えません。ガスタービンについては、オイルショックによる燃料費高騰のみならず、騒音の解消にも困難があったと仄聞します。

「しなの」でのエンジントラブルは、初期故障を抑えて以後も皆無にはならなかったそうですし、「つばさ」の場合、板谷峠では80系同様に補機を使わなければオーバーヒートを防げなかったのですから、東北線内での高性能発揮があったとしても、パーフェクトではなかったのではないでしょうか。

>電車なら平坦線と同じ速度が出せる、とでも? 別にそのようなことは言っておりません。

こちらの例えに対し、では東海に181がなぜ行かなかったのか、というお話ですが、東海は民営化後さほど間をおかずに80系置き換え用のキハ85を作っています。新車置き換えプランがあるのなら、10年以上も前に名古屋から撤退した181を無理して復帰させ、つなぎに使う必要はなかったのでは? 対して西日本では、国鉄時代から継続して181を使ってきた実績があったのですし。(東海と西日本の車両需給問題は、お互い推測の域を出ませんし、このくらいにしておきたいと思いますが)

それと電車のご編集を削除させて頂いた件ですが、あれは「電車」そのものの特質ではなく、国鉄が長大編成前提の車両開発・需給政策を採ったことを解説している内容で、電車一般に共通する特徴として説明する種類の事項ではないと考えたためです。電車の項目では歴史がさほど充実していないので、歴史の項目を立てて記述するのが適当ではないかと考えます。

いろいろお話しして、これは互いの認識にだいぶ差異があるのだなと感じました。他の執筆者も交えて、時間をかけて手を入れることを繰り返し、落としどころを見付けていくしかなさそうです。削除が荒っぽかったことはお詫びします。金沢 2005年5月7日 (土) 10:20 (UTC)[返信]

続き

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>「しなの」でのエンジントラブルは、初期故障を抑えて以後も皆無にはならなかったそうですし、
「しなの」では44年度債務車、つまり43年の量産先行グループが含まれています。設計も45年以降の量産車とはいくつか違います。モハ90系グループがその後の101系と異なり、運用・保守に差異を生じたのと同じことです。豊田電車区はそれなりに苦労しています。103系900を抱えた山手、711系900を抱えた札幌、全部同じです。
ところで、「しなの」「つばさ」以外に新製投入された「はまかぜ」「やくも」でエンジントラブル問題は発生していますか? 前述の通り、キハ181系の出力抑制は「しおかぜ」「南風」等の転配時が基本なので、これらの車両は500psで投入されたはずですが。

>こちらの例えに対し、では東海に181がなぜ行かなかったのか、というお話ですが、東海は民営化後さほど間をおかずに80系置き換え用のキハ85を作っています。
「南紀」がキハ85系に置き換えられたのは1992年ですが、この間、東海道系からの南紀方面連絡は大阪から「くろしお」、または南海特急が主役になってしまっていて、JR東海は明らかに損をしていますよね。「くろしお」は381系ですから、線形の問題もありますが、キハ181系なら充分対抗可能です。まして、当時まだ11000系が現役だった南海特急とは比べるべくもありませんね。また、当然ご存知のことかと思いますが、カミンズのエンジンを採用したのは、企業的には必ずしも成功ではなかったのですよ。国産エンジンより、保守に費用と手間がかかるので。だから東日本や九州、西日本、北海道では試用以上に至らなかったのです。同じ事態をJR東日本は後にE501系でも経験していますが。

>騒音の解消にも困難があったと仄聞します。
EF62~EF65(EF64 1000はEF65 0より後)も沿線騒音がかなり問題になっていますが、国鉄はほとんど無視して増備していますね。DD51やDE10の増備途中にも同じことがあったかと思います。まじめに取り組むようになったのは、DE11 1000と、EF64 1000からです。当時の国鉄にとって、騒音問題なんて大したことなかったでしょう。まして地方線区用の特急気動車となれば、なおさらです。それよりはよほど、「電化偏重」の方が大きかったと思いますね。

>>電車なら平坦線と同じ速度が出せる、とでも? 別にそのようなことは言っておりません。
つまりは、「勾配線で余裕のあるダイヤを組むのは当然のこと」なわけです。 では、わざわざDML30HS系の否定にそれを使ったのは一体いかなる理由でしょうか? 答えられますよね? 上記を否定したんですから。第一、勾配以外にも、従来から「南紀」の走っていた、しかも比較的開けた場所を通る紀勢本線と、ローカル線で、山地を通過する関西本線では、線形がかなり違うはずですが、それにも言及していませんよね? それは一体どうなっているんですか? これらへの回答が無い限り、あなたと続けて議論する気はありません。あなたが変更した場合は、復元します。--222.13.113.216 2005年5月8日 (日) 21:44 (UTC)[返信]

追記 「コメントアウトでの話し合いもせずいきなり削除という、全面戦争的行為」に出たのはあなたです。今更やめましょうといわれてもこちらは納得できるとお思いですか? 議論を続けたいならあなたが削除した以前の版に戻してください。