利用者‐会話:1nippon1
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改善なきタグ削除・出典付き記載の削除について
[編集]改善していないにも関わらずタグを削除しないようにしてください。そもそも基本的に存命人物においては「出典のない」記載はしてはいけません。要出典タグはそれを指摘しただけのものです。
また、出典のある記載を理由なく削除しないでください。--沙馬琉寛土(会話) 2015年6月15日 (月) 03:08 (UTC)
また、タグを削除しただけの編集に対し、「整理」などという虚偽の編集理由を書かないでください。そのような編集は「荒らし」とされる可能性があることを申し添えます。よろしくお願いいたします--沙馬琉寛土(会話) 2015年6月15日 (月) 05:53 (UTC)
「タグを削除しただけの編集」とはお言葉が…。
編集の要約を良く読んでくださいね。wikiにリンク先として貼られている個人HPの記載事項まで改めて出典を記載する必要はありません。さもなければ、当該ページが要出典の嵐になってしまいます。 よろしくご確認ください。 1nippon1(会話) 2015年6月15日 (月) 14:16 (UTC)
そのような理由でタグを削除されないでください。読者にとって、個人HPに書いてあるかどうかきちんと書いていないと、その記載の出典が本人HP出典なのかそれ以外の出典なのに無出典なのか判断がつきません。なのでそのような理由でタグを消さず、きちんと各記載に出典をつけてください。きちんとすべて出典をつければ、要出典の嵐などにはなりません。
また、本来は本人HP出典のみでは、出典としてはあまり強くなく、さらに別の出典があるとさらによいです。これはWikipediaでは「自己公表された情報源による記述は信頼性の高い情報源とはいえない」とされていることによるものです。詳しくはWikipedia:信頼できる情報源をご覧ください。以上よろしくお願いします。--沙馬琉寛土(会話) 2015年6月16日 (火) 01:22 (UTC)
上野通子については、出典を本人HPのものを入れておきました(が、本当は上でも書きましたとおり、見つからなければこのままでもよいとは思いますができれば第三者出典も欲しいところです。もしご存知でしたら追加出典をお願いします)。しかし、そんなのは貴殿の指摘で初めてわかることであって、書いてない限り読者にはわかりません。編集履歴の理由にのみでそのような指摘を行うのは、せっかく出典を知っているのに書かない、ということで、Wikipediaの記事の質向上にならない大変もったいない話です。ぜひ、出典を知っているのであれば、記載それぞれに対して入れていただければ、と思います。
他の記事につきましても、(もし要出典タグが気になるのでしたら)同様に書いていただければよいだけの話だと思いますが、よろしくお願いいたします。
なお、出典のない記載については、存命人物の記事においては、いつ消されても文句は言えない(復帰させる側に出典提示義務がある)、とされていますことを申し添えます。要出典はそのようなことがないように注意喚起をするものです。せっかくの記述が消されてしまってはもったいないですから。
以上よろしくお願いいたします。--沙馬琉寛土(会話) 2015年6月16日 (火) 01:46 (UTC)
前回の私のコメントは「要出典の嵐」ではなく「出典の嵐」の間違いでした。失礼しました。
さて、貴方の考え方で編集すると、全ての人物のプロフィールの一つ一つに出典を記載することになりませんか?それこそ「出典の嵐」です。 さもなければプロフィールの個々の事項について出典の要不要を誰かが恣意的に判断することになります。現に、失礼ながら貴方は個人的見解で要出典タグをつけたりつけなかったりしておられます。 各々の恣意的な編集を排すためにも、個人HP(しかもwikiの当該ページに掲載されたもの)に記載されている事項についてまで要出典タグをつけるのはやめてください。
本件、貴方のトークページにも転載しておきます。よろしくお願いいたします。 1nippon1(会話) 2015年6月16日 (火) 03:52 (UTC)
恣意的な編集をされているのはあなたですよ。「出典の嵐」というような問題は存在しません。 記載のどこがどの出典から来ているのかわからないのは記事の書き方として問題があります。
ない方が問題ですよ。いい加減にしてください。そもそも、Wikipediaを見るにあたって、出典の裏をとるのは当然ですが、それが書いていない文章はそれができません。そのような記事は何の価値もありません。--沙馬琉寛土(会話) 2015年6月16日 (火) 05:43 (UTC)
1nippon1さんが、あまりWikipediaを理解されていない(私もすべて理解しているわけでもありませんが)ようですので、該当の2つの記事の冒頭にテンプレートを貼りました。(片山さつきに関しては、他のユーザーの方からもテンプレートがありましたが、そちらが常識だと思われます)
いずれにせよ、そこに書いてあるとおりの話です。個人ページが出典であるならば、それを元にしていることを明示するべきです。出典が多いから読みにくい、などということはありませんし、ないものは、裏を取りにくいので逆に可読性が落ちます。これらのことを理解の上、ご自身にて、タグ外しを元に戻すか出典をつけられてください。--沙馬琉寛土(会話) 2015年6月16日 (火) 06:00 (UTC)
といいつつ、私の方でやっておきました。今後はWikipediaのルールをもう少し勉強されてから、Wikipediaの編集に参加されることを強く望みます。よろしくお願いいたします。--沙馬琉寛土(会話) 2015年6月16日 (火) 06:22 (UTC)
あと、気になったので補足しておきます。
「さて、貴方の考え方で編集すると、全ての人物のプロフィールの一つ一つに出典を記載することに」とおっしゃっていますが、出典を記載するのは当たり前のことです。文章を読んでいて、同じ出典からの記述が続いていることが明らかであれば、それがわかるように1つだけ脚注をつければすむ場合ももちろんあるとは思いますが(工夫次第です)、今回の記事ではそういうわけでもありません。
今回の記事は、本人HP記載の内容とそうでないのが入り混じっています。そのような場合には、1つ1つに出典を記載をせざるを得ないです。また、「恣意的に出典の要不要」などとおっしゃっていますが、ここに恣意が入る余地はありません。「出典は必要」です。「不要」という判断はありえません。特に存命人物においては、出典のない記載は基本的にあってはいけないものです。そこのところをご理解いただければ、と思います。
なお、プロフィールなどがHPからの単なるコピペであるような場合は、著作権の問題が発生しますので、注意が必要です。また、HPからの情報ばかりにたよった記事は、「宣伝的」とみなされる場合もあります。(ただし、これらは今回の件では該当しないですが。)
いずれにせよ、存命人物の記事の編集には細心の注意が必要、ということです。よろしくお願いいたします。--沙馬琉寛土(会話) 2015年6月16日 (火) 06:51 (UTC)
長々とお疲れ様です。
貴方の言わんとすることはわかりました。
ただ、貴方の「恣意的な編集」という点について二点だけ申し上げます。
①同じような項目でも要出典タグをつける場合とスルーする場合があるようです。
②貴方の編集にはある法則が見られます。あるページ群には要出典の嵐(あえてそういう表現をしています)で、ほかのあるページ群にはしっかりと出典を記載する。具体的に言うと、やや大雑把ですが「主として自民党議員には要出典タグ、民主党議員には出典明記」と言っては言い過ぎでしょうか。(以前、野田聖子に出典明記したり、今回の上野通子や山東昭子という例外もありますが)
はっきり言ってどうでも良いことですが、せっかくですので最後に気がついた点を申し上げました。失礼の段、お許しください。