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利用者‐会話:122.249.99.10

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クオリアを疑似科学といわれることもあるということですが、哲学者の中でそうした事を言ってる人はみたことありません。疑似科学ということですと、ちょっと前にどこかで大槻さんが「クオリアは科学ではない」という絶妙な表現をしてたのを見た記憶があります。これは字義通り捉えれば物理主義のようにもとれますし、また「クオリアは(まだ)科学ではない」と補って読めば自然主義的二元論のような立場とも取れます。そして「クオリアは科学では(扱え)ない」と補って読めば新神秘主義の立場のようにも読めます。こうしたどうとでもとれる微妙な言い回しで逃げてることに「すごいな」と思って感心してしまった記憶があります(でもちょっとセコい...)。ちなみにクオリアに対して否定的なことで世界的に有名な論者としてはダニエル・デネットポール・チャーチランドどいった人たちがいます。日本語で手に入りやすいクオリア批判の文章としては、『解明される意識』の最後「12章 資格を失うクオリア」以降が有名です。これに対する再批判は英語が主になってきますが、色々議論が行われています。以上簡単ながら何かの参考になれば。--was a bee 2008年11月30日 (日) 10:57 (UTC)[返信]