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利用者‐会話:118.19.199.176

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115系コカコーラ電車について

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国鉄115系電車の要約欄で「コカ・コーラ電車は長野配置の経歴がない」と書いてありましたが、コカコーラ広告電車は当時北長野運転所に配置されていたと記憶していますが…。件の画像は、方向幕が「長野」となっている上、高崎駅での撮影であることから、高崎発着で碓氷峠を越える列車に使用していたころの画像ということになり、その運用は北長野運転所が受け持っていたと思うのですが、再度ご確認いただけませんでしょうか。1990年前後の鉄道ファン誌あたりでも書いてあったはずなので、こちらでも確認してみます。Cassiopeia-Sweet 2010年2月8日 (月) 17:28 (UTC)[返信]

お手数かけて申し訳ありません。気になったのでもう一度調べてみました。80年代半ばの時期は165・169系ならびに183・189系を追いかけてよく長野に遠征していた時期でして、そのついでと言っては何ですが、115系についてもそれなりに自分で資料を作成していました。
ご指摘のようにコカ・コーラ電車が運用されていた時期は、JR移行直後で「さわやか信州」キャンペーンが行われていており、115系信越線関連運用も北長野(現・長野総合車両センター)の受け持ちであったことも否定いたしません。
手元にクハ115-1019の資料がありましたので確認してみました。新製についてのデータは当時の鉄道ファンから引き抜いたものですが、1978年3月22日付で日車にて製造され松本運転所に配置されております。その後は1997年のしなの鉄道譲渡まで異動経歴がないのでもしかしたら私の記載忘れの可能性もありますが、しなの鉄道譲渡車はATSの関係で当時の松本所属のATS未装備編成を譲渡したことだけは確かです。
上記のように見落としの可能性も否定はできません。しかし、コカ・コーラ電車自体が当時JR初の全面広告車両として話題になっていたわけですし、所属表示に関する資料が現時点では不確定であることのほかにこの編成は中央線関連の運用に投入されていたのも事実です。私の松本駅での目撃によるものなので検証性としては問題があるとは思いますが、大方PR要素があったためだとは思われます。
さらに細かい視点ではありますが、長野・松本配置の115系前面方向幕はJR化されても暫くの間はかなり細かいところまで入っている共通幕でして、運用範囲はもちろんのこと「上野」「新宿」「名古屋」などのコマが入っておりました。そういう点からも松本配置のまま長野に貸し出した可能性もありますし、逆に長野配置で松本に貸し出した可能性も否定できないわけです。
それとこれは今になっていうのも申し訳ないのですが、この記事の記載場所についてもう一度冷静になって考え直してみました。現時点では長野所属はおろかJR現有車両ではないわけですから、長野総合車両センターの項目で編成単位の記事として入れるのはいささか抵抗感もあります。私が差し戻した理由のひとつでもあるわけです。
それではどこかとなるとやはり「しなの鉄道」の部分に注釈付きでとなりますが、これも違和感が残る見方はできると思います。本来ならば歴史的要素の強い話かつエピソードのひとつなのでそういう項目があればと思いますが、挿入場所については再考する必要があるかと思われます。何卒、この件も含めてご検討いただければと思います。--118.19.199.176 2010年2月8日 (月) 18:18 (UTC)[返信]
ご返答ありがとうございます。さて、こちらも記憶ばかりで検証可能性に難がある話ばかりになってしまいますが、この頃の長野運転所は「169系・189系・381系などよそにはない車両ばかり配置」という状態でしたので、松本運転所が信越本線の列車も含め担当していて、1980年代に381系が神領に転出したり、信越本線の115系の受け持ちが松本だけでなく北長野に振り分けられたと記憶しています(逆に言えば、それ以前は松本の115系が碓氷峠を越えていたということですね…)。もっとも、北長野の115系も運用範囲はかなり広かったと思うので、北長野の115系が中央東線の運用に入ったりすることも十分考えられます。特にユニットの向きも、中央東線にいる限りは松本どころか首都圏配置の115系とも向きが揃っていますから、柔軟な運用を組んでいたのではないかと思います(ちなみに碓氷峠を下ってきた高崎あたりではユニットは逆向きでしたね)。
さて、記事の方向性としてはどうしてゆくかというところなのですが、もともと私が長野地区の話として書いたのは、広告電車だった時期がしなの鉄道在籍当時ではなく、国鉄・JR時代のことであるという理由が大きいと思います。そこで、どう書いたものかということを考えると、まずJR東日本(松本か北長野かは今後調べることにして…)の115での出来事としてコカコーラ広告電車について触れた上で、しなの鉄道の車両の説明で、S11編成はコカコーラ広告電車だった編成である、という感じで書くほうがいいのかもしれない、と思います。本当はエピソードのような節を作っても…と思いかけたりするのですが、そのような節を作ると何が特徴的か分からないような細かいことまでたちまち書き足されてしまう可能性もあるので、あまりいい方法ではなさそうです。何か思いついたら、ノート:国鉄115系電車などで提案できればいいかと思います。Cassiopeia-Sweet 2010年2月9日 (火) 13:00 (UTC)[返信]

諸々ありがとうございます。115系1000番台が配置されてからの松本…、いや現在の長野支社の80年代って大きな転換期だったことだけは確かですね。しかもネットが登場する以前だったこともあり、どうしても検証可能性よりも記憶に頼ってしまう部分から入ることがあるのも事実なわけでして、「ああでもない」や「こうでもない」の応酬になる可能性も否定できないわけです。

松本・北長野配置の115系における横軽のユニット逆向きの件が話にでましたが、三鷹所属車は東海道本線→中央東線への入線が山手貨物線(埼京線)を経由することで長野地区では辻褄があってしまうわけです。尤も幌の問題があったりはしましたが、万が一の際の引き通しの問題は解決されていたわけで上手くできた話だったと思います。信越線は高崎で完全運転分離と割り切っていたようですけど(笑)。
逆向きの理由に関しては国鉄EF63形電気機関車国鉄165系電車などでも軽く触れられていますが、この件についてもっとwikipediaの利用面から考えると個人的には協調・非協調を問わず「横軽対策」の項目を作成するだけの価値はあると思うのです。結局はバラバラに解説されていることもあるし、それぞれでダブってる上に形式ごとで内容が違ってくるので統括しておいた方が「横軽対策」そのものを調べる人には都合がいいわけでして、こういう部分も改良していってもいいかなとは個人的に思います。

で、S11編成の件ですが、記事の挿入場所についてもう一度「どこが一番落ち着くか?」を考えてみました。ポイントとしては以下の点です。

  • 方法論として、1000番台の項目で解説することも考えられるが、車両解説という本筋からは外れてしまう。
  • 編成そのものがいわゆる改造や本来の姿からの特化や変化ではない。
    • その後に現状復帰させているわけなので当然改造項目で解説するのも不自然。
  • 長野総合車両センターの北長野運転所時代の話なのだからそこで解説する。
    • 当該編成は既に譲渡されている。
  • 当該編成しなの鉄道S11編成の過去のエピソードなので「しなの鉄道」項目で解説する。
    • JR時代の話なので本論と多少ズレてしまうが、貴殿の言われる構成で解説する方法が現時点ではベターと判断するにはまったく同意です。

しかし、いわゆる帯に短し襷に長しではありませんが、異論を挟むには挟み易い内容でもあるわけです。
では、それ以上のベストがあるかを考えた上で、仮説としてS11編成がもし廃車解体されていた。もしくは広告電車とされた当該編成が不明だったとするならばどこで解説するか?
こう考えると答えが見えてくるような気がします。

こうなるとどうしてもエピソード系の節で解説するのが適切かと思われますが、貴殿が指摘しているどうでもいいことまで書き足されてしまう諸刃の剣であるのも事実です。逆説的には、そういう項目があればそこが落ち着くもの事実ではありますが、どこで記事を解説するかよりもどういう事実が重要か?

JR化=民営化によって全面広告電車も可能になったということ。

編成そのものの特定より歴史としての変化じゃないかと思われます。つまり、国鉄時代では考えられなかったことが可能になったことでどちらがwikipediaを利用する上でメリットがあるかも考慮すると…

8 運用の変遷

8.2 JR東日本

ここが適切ではないかという判断もできるわけです。しかし、コカ・コーラ電車→しなの鉄道S11編成なのは判明しているので、
115系電車特定編成の歴史として記事を解説するのか?
運用の変遷としてJR化後のエピソードとして優先させるのか?
この2つのどちらかではないかと考える次第です。--118.19.199.176 2010年2月9日 (火) 14:59 (UTC)[返信]


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--Tc731-111 2010年2月9日 (火) 14:27 (UTC)[返信]

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