利用者‐会話:鳴浜 十五
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こんにちは、鳴浜 十五さん。はじめまして! ウィキペディア日本語版へようこそ!
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--海ボチャン(会話) 2014年11月26日 (水) 08:25 (UTC)
林田 重正移動のお知らせ
[編集]こんにちは。鳴浜 十五さんが先ほどご作成なされた記事名林田 重正についてですが、Wikipedia:記事名の付け方に違反しておられましたので、適切な記事名である林田重正へ移動させて頂きました。今後の加筆・修正は林田重正の方へお願いします。林田 重正の方はWikipedia:即時削除の方針によりごく短期間で削除されますのでご了承ください。では用件のみですが失礼します。--海ボチャン(会話) 2014年11月26日 (水) 08:25 (UTC)
検証可能性について
[編集]こんばんは。Wikipediaでは誰もが守らねばならない「基本的なルール」の一つとして、「検証可能性」があります。簡単に言えば、何かを書く時には必ず「ソース」を明らかにし、それを明記し、それを逸脱しない範囲でのみ執筆する、と言うルールです。もちろんソースは誰にでも参照可能なもので、かつ権威と信頼性が充分にあるものでなければなりません(ネット情報やテレビでやってた、などは原則的に論外です。ただしwebサイトの場合、その運営や文責が信頼できる組織または人物の場合、多くの場合問題はありません)。また、執筆者の感想・意見・記憶・聞いた話などは一切記述してはいけません。まずは、以下の方針文書をお読み下さい。
まあ、句読点ごとなり行ごとなりにrefタグを用いソースを明記しておけば問題はありません。私が主執筆者となっているものでは五式戦闘機、乳房再建、ウチナータイムなどがあります。大体これくらいの勢いで出典を付けておけばOKです。ご面倒でしょうがこれは基本的なルールであり、このルールをおろそかにすると「でたらめや適当な事が書き放題」になってしまいます。このルールは「議論の余地のないもの」とされ、「検証可能性を満たさない記述は除去されても文句は言えない」とされています。Wikipediaには締め切りはありませんので、のんびり文献を集めてみてください。あ、これはもう(多分ですが)7割8割の人が最初は知らないルールですので、お気になさらず。今後お改め頂けましたらそれで結構です。なお、ソース無き大言壮語なども禁止されていますし、言葉を濁すことも禁止されていますが、そのあたりは追々、でよいと思います。必要でしたら適宜ご説明申し上げますし、またルールにしても技術上のことにしても、どうかご遠慮なくwikipedia:利用案内でご質問ください。そのためのページですから、心配ご無用です。--Hman(会話) 2014年11月26日 (水) 16:28 (UTC)
たびたびで恐れ入ります。えー「林田重正『林田重正画集』 求龍堂、1981年」ですが、もしこの略歴がこの文献に全く沿った内容であり、文献に書いていないことは一文も書いていない、と確実に言えるのであれば、「略歴については 林田重正『林田重正画集』 求龍堂、1981年 を参考とした」で済ますことも一応は可能です。ですがこのかたちですと・・・編集者はあなただけではありませんので・・・将来、くだんの記事に典拠のないことを紛れ込ませる人が出てきた時に、どこが正解でどこが適当なのかを見分けるのが難しくなる、と言うリスクがあります。面倒ですが、逐一refで典拠を明らかに示した方が、将来のトラブルや記事の品質はまぁまず間違いなく向上します。向上しなくとも、すくなくとも低下を抑制することができます。ご一考下さい。--Hman(会話) 2014年11月27日 (木) 05:19 (UTC)
Hmanさん色々ご教示ありがとうございます。 全体を書き終えてからのほうが良いかも知れませんね。 実は遺族から預かった全ての資料を整理中です。 素人なりにがんばりますので、いま少し時間をください。 --鳴浜 十五(会話) 2014年11月27日 (木) 05:52 (UTC)鳴浜十五
- はい、お時間はwikipediaが潰れるか、鳴浜 十五氏が亡くなられるか(一体何十年後!?)まであります。締め切りなんてありません。ノートページでも申し上げましたが、万が一削除されても、数ヵ月後に誰も文句の付けようのない状態に仕上げて、再度立項すれば済む話。「特筆性」タグを無視するなとは申しませんが(特筆性を示してください、とリクエストされているのですから、執筆者としてはmやはり無視はいけませんよね)、あまり気にすることもないのです。どうかごゆるりと。怖い人もいるのも事実ですが、大抵の人は快く相談に乗ってくれますし、「特筆性が担保されるなら記事が多い方がいいに決まっている」とも、「優秀な執筆者は多ければ多いほうがいい」と考えていると思います。なお、記事は完成している必要はありません。最低限の体裁が整っており、立項基準を満たしていることを示せ、記述が出典に担保されていれば、書きかけでなんら問題ありません。書きかけの記事なんてアホほどありますよ、そこら中にw 私が最近手を入れたものでは学園ドラマがあります。この記事が立項されること自体に異を唱える方は皆無でしょうが、見事に書きかけですw なお私は一撃でドカンと投下して、新記事賞や良質な記事といった執筆賞を目指したりもしますが、そんなことは暇人がやるものです。どうか、気楽かつのんびり調査しつつ、wikipediaに慣れていってください。--Hman(会話) 2014年11月27日 (木) 18:16 (UTC)
問題を解決させずにテンプレートを剥がす行為について
[編集]こんにちは、鳴浜 十五さん。ウィキペディアに参加して頂きまして、どうもありがとうございます。
林田重正から{{特筆性}}を除去編集されておられましたが、Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと#独断でメンテナンス用テンプレートを剥がそうとすることをお読み頂くとお解りの通り、そのような行為は推奨されておりません。
理由あってテンプレートが貼付されているのですから、テンプレートが貼られたことに対して意見があるのでしたらその記事のノートページやテンプレートを貼った利用者の会話ページに質問を書き込むなどして、今後はそのような行動は慎んで頂きたく思います。どうぞご了承のほど、よろしくお願いします。
Hmanさんが要約欄で「タグの剥離はノートでご相談の上でどうぞ。」[1] と仰っているように ,ノートでの提案もなく独断でテンプレートを剥がす行為 [2] は推奨されていません.
別件ですが,画像提供を呼びかけたい場合は Wikipedia:画像提供依頼 をご覧ください.
さらに別件ですが,IP:112.137.35.64(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois) さんは鳴浜 十五さんと同一の方ですか?もしそうであれば,編集はログインしてから行ってください. --KurodaSho(会話) 2014年11月27日 (木) 08:47 (UTC)
Hmanさんand KurodaShoすみません。 勝手な剥離をお許しください。 良く理解できていなかったようです。 最後のKurodaShoさんの修正でおねがいします。--鳴浜 十五(会話) 2014年11月27日 (木) 09:11 (UTC)鳴浜十五
- 返信 (鳴浜 十五さん宛) (ノート:林田重正への返信も兼ねて:)Wikipedia:自己紹介を拝見いたしました.林田さんご本人と面識がおありとのこと,執筆いただいたことに感謝いたします.{{特筆性}} が貼ってあったからといっても,今すぐに削除依頼が出される可能性は低いと思います.Hmanさんが仰る通り [3] 記事の執筆には予想以上に労力を費やすものですが,調査と推敲を重ねられて素晴らしい記事を書かれることを願っております. --KurodaSho(会話) 2014年11月27日 (木) 12:03 (UTC)
KurodaShoさん林田重正ノートのみ見ておりまして、 今頃2014年11月27日 (木) 12:03 (UTC)の鳴浜十五宛メールに気が付きつきまして、大変失礼しました。不慣れながら皆々さまのご指導を頂きながらで何とか仕上げようと思います。今後ともよろしくお願いもうしあげます。--鳴浜 十五(会話) 2014年11月29日 (土) 15:02 (UTC)鳴浜十五
画像アップロードに関して
[編集]こんにちは。先ほどファイル:Portrait of Sigemasa Hayashida a70.jpgをアップロードされたようですが、見た限りあなたの著作物ではないと考えられる記述があることから確認に上がりました。
ファイルの説明には、林田氏の奥様が保有している写真を取り込んだとありますが、その場合写真の著作権者(林田氏は亡くなっていますからその権利を引き継いでいる親族を含んで)がこの写真についての使用許可をしている必要があります。(著作権のうち、著作者人格権の関係となります)
Wikipedia:画像などのアップロードされたファイル、Wikipedia:画像利用の方針をお読みではない場合は、まずこちらに目を通してください。その上でアップロードが可能であるなら、適切な形での証明を行うようにしてください。結果として自由利用ができないと判断したなら、Wikipedia:即時削除の方針あるいはWikipedia:削除の方針を読んで削除の依頼を行ってください。よろしくお願いいたします。--アルトクール(話/歴) 2015年2月25日 (水) 02:59 (UTC)
アルトクールさま ご指摘を頂きながら、お返事がおくれ失礼しました。 未亡人を尋ねて撮影者が誰かを聞きだすのに少々時間が掛かりましが、撮影したのはやはり画家であった未亡人林田久子自身であるとの回答をえました。 Source=Scanned the Momento picture Hayashida widow possessed Source=Hisako Hayashida possessed とすべきでした。 なお、林田夫妻には子供がなく、実姉が唯一の相続権者ですが、その許可の得ています。--以上の署名のないコメントは、鳴浜 十五(会話・投稿記録)さんが 2015年3月10日 (火) 02:12, 02:18, 07:31 (UTC) に投稿したものです(KurodaSho(会話)による付記)。
Kurodasho さん ご指摘ありがとうございます。 ここ数ヶ月、会話ページを使わなくなっておりましてうっかりしました。 いつも、見てくださっているのでしょうか? ありがとうございます。 色々ご教示いただいた結果少し整ってまいりました。 --鳴浜 十五(会話) 2015年3月10日 (火) 14:24 (UTC)鳴浜 十五
- 返信 (鳴浜 十五さん宛) お久しぶりです.ページをウォッチリストに入れていたため,たまたま気付きました.素晴らしい記事執筆をされたことに敬意を表します. --KurodaSho(会話) 2015年3月10日 (火) 14:39 (UTC)
Kurodasho さん ありがとうございます。まだまだ不備があると思いますが、引き続きよろしくご指導ください。 --鳴浜 十五(会話) 2015年3月10日 (火) 15:42 (UTC)鳴浜 十五
アルトクールさま しつれいしました。 なお、写真の修正方法を勉強してから入替えます。 --鳴浜 十五(会話) 2015年3月10日 (火) 14:24 (UTC)鳴浜 十五
Hman さん (このページに書き込んで良いのかは、一寸不安ですが、間違っていたらお許しを) ご無沙汰しております。 林田重正のWikiページ作成につきましては、数々のご教示ありがとうございました。 お蔭様で、、地方紙等色々見つかりまして林田重正のページを何とか多少形が整ってきま した。新聞以外に、雑誌の記載もかなり出てきました。 お忙しいとは、存じますがお時間がある時に覗いて頂けると幸いです。 多分『特筆性の条件は満たすのでは?』と勝手に思っております。 --鳴浜 十五(会話) 2015年3月11日 (水) 11:59 (UTC)
ありがとうございました。
[編集]Hmanさん ご無沙汰いたしました。 直ぐこちらのページでお礼もうしあげるべきところ、自信が無くて林田重正ノートページでかいてしまいましたが、Kurodashoさんにご教示頂き、遅ればせながらこちらのページにきました。 林田重正Wikipedia作成方法に関しましては、色々と具体的なご教示を頂きありがとうございました。 林田重正の遺品を整理する中で、地方紙のいくつかが見つかりました。 かなりの書籍も見つかりました。 また、底本にした画集の記載内容等も、新聞社等で確認できるものは再確認も行いました。 おかげさまで、それらを使用して、先ずは此処まで書くことができました。 一部追記すべきところがあるのですが、しばらくの間また一休みしなければの事情が発生してしまいましたので、大変お忙しいとは存じますが、お時間の出来た時にご覧頂ければ幸いです。 (只、画集記載事項の補強資料として、参照補助資料と明記した上で、個展の芳名録の内容を、印刷資料でないものを使っている部分がありますが、画集内容の補強程度です。webの世界出なければ、一次資料と言えるものですが、)。 他の問題は別に残るとしても、ご教示頂いた方法で一応特筆性は満たしているように思いますが、いかがでしょうか。 先ずは、お礼とお願いまで。 --鳴浜 十五(会話) 2015年3月12日 (木) 06:36 (UTC)
- 鳴浜 十五さん,私の言い方がまずかったのかもしれませんが,ここは鳴浜 十五さんの会話ページですのでHmanさんには届いておりません.Hmanさんへのメッセージは「利用者‐会話:Hman」からどうぞ(ここをクリックすればメッセージを書けます).ご心配であれば,私の会話ページ「利用者‐会話:KurodaSho」で試していただいても構いません. --KurodaSho(会話) 2015年3月12日 (木) 12:03 (UTC)