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利用者‐会話:行動で挽回するしかない

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こんにちは。現在、項目に男性女性の別をつけ加えることが妥当かどうか、議論をしています。相当の数の反対もあります。議論に参加してくださって、その手の編集はしばらく控えていただけますでしょうか。詳しくはWikipedia‐ノート:スタイルマニュアル/人物伝#男性か女性かをご覧下さい。--Aphaia 2005年11月4日 (金) 13:51 (UTC)[返信]

性別について

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こんにちは。Toki-hoです。人物伝の議論、たいへん興味深く拝見しております。わたしの意見に頂いたご返答ももっともなことと存じます。ありがとうございました。あちらで書くと議論が錯綜するので(もう、投票の方向になっているようですので)こちらでは、ご意見に対する私の感想として書かせていただきます。お邪魔でしたら削除してください。ヒトの生物学的な性別は、あちらにも書きましたとおり、男性 女性 と 二分されるものでなく、社会的に男性とされている人も生物学的にはどちらとも特定できない(XXY型など)ということは十分ありうることだということが、ここ半世紀ほどのあいだでわかってまいりました。そういう科学の側の発見をうけて、社会のほうの認識がどうかわっていくか、これまでどおり、人間を便宜的に、男女にわけるのか、そういう区分はさして根拠がないとなっていくのか、興味ふかいところです。まあ、あとのほうにかわっていくとしても、100年、200年後でしょうが。ただ、現在(2006年)の日本で人間が男女だけにわけて認識されているのは事実なのでして、それをことさら否定するわけではありません。このたび改めて思ったのですが、日本語の特質として、「彼女 彼」にことさらわけていない歴史をもつということは、それはそれで奥深いのではないかと思いました。だからこそ貫之なんかの「女性としてのふるまい」が自然に(?)うけいれられるのかもしれません。それが西洋型の文化(これは、相手を女性と見るか男性とみるか、その意思の決定がせまられている。人間のことを語るのにshe か he かを 必然的に選らばなければならないのですから。またラテン語系の言語ですと、自分に対しての形容詞も男性型をつかうか女性型をつかうか選ばなければなりません。)との大きな違いなのかもしれません。人物伝にあらためて「男 女」とつけるのに抵抗があるのは、日本文化側が、西洋文化のそういう「意思決定」を迫るやりかたに、あらがっているからもしれないと、うがった考えもしていましまいた^^;;。だから、現在のwikipedia.jaでは、(過去の百科事典にならって)人物に関して「性別」がとくだん大きな意味をもつときにだけ「女性として」「男性として」という言及が必要だという状態になっているのかなあ、と。ただ、ある人物について考えるときまず性別を知りたいというのも、現在の多くのひとにとって自然な欲求だと思います。人間を男女にわけて考える文化のなかに、どっぷりつかって生きているのですから。今回の議論では、そういう文化を相対化して「どうして人はある人物の社会的な性別をまず一番に知りたがるのか。そして日本語ではどうして文法上『男女』の区分をことさらつけないのか。」ということを考えさせていただき、たいへん有意義でした。なんだか長文になってしまいました。感想文ですので、とくにお返事いただかなくても結構です。。。そうそう、わたしも(   )内の人物のお誕生日は不用だと思います^^。ではでは。Toki-ho 2006年2月27日 (月) 00:46 (UTC)[返信]

こんにちは。メッセージありがとうございます。またご配慮ありがとうございます。性別記入の議論に関しては、皆さんが様々な観点から意見を述べられるので、私も色々勉強させていただいております。中でもToki-hoさんのご意見は、性の区別自体に根本的な問いかけをしており、他の誰も着眼していないものだったので大変興味深く感じました。またそれを読ませる文章にも感心いたしました。
性をめぐる社会の状況は、前世紀に大きく変化しました。科学の側の発見が、今後さらに性に関する認識を変化させていくのかもしれませんね。現代の我々では予知できないほどに。そのような変化があるからこそ男性か女性かを明確に区別する意味があるという意見の方がおられたのですが、私も同じように考えています。
日本語の特質についても同じように考えさせられています。日本語の記事を見ると、主語を全く省くか、或いは代名詞を用いずに名前を主語にして説明するものが多いですね。これには男女を明確に区別しないという日本人の心理が働いているのでしょうか。百科事典の記事は事実を読者に紹介する目的で書かれていると思いますが、もしそこでもそういった心理が働くようなことがあるとすれば、それは日本独特の現象のように思われます。日本語の書き方を特別に変えることなく性別が明確に分かるようにすることの方が私には良いあり方のように思われます。
あたたかいメッセージありがとうございました。行動で挽回するしかない 2006年2月28日 (火) 10:58 (UTC)[返信]

私のノートにメッセージありがとうございました。永らく気づかず失礼いたしました。さて、どうやらブロック依頼で一段落したようですが、お元気でしょうか。私個人としては、なぜ単なる性別記入単にあれほど強行に反対する人がいるのか理解できませんし、アカウント名やそのリンクが赤いのが不愉快などという意見に至りましては、理解不能の更に彼岸にあるように感じますが、こんな奇妙さもまたウィキペディアの一面を見せていて、これもまた一興だと諦観しています。私は筆が重くなかなか書けませんが、いずれは市川粂八 竹本綾之助 霧立のぼるといった人々の記事を書きたいと思っています。行動で挽回するしかないさんもこれに懲りず、今後とも様々なかたちで参加していただきたいと思います。たかはし 2006年4月14日 (金) 02:39 (UTC)[返信]