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利用者‐会話:真ん中

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なぜクィーンを勝手に削除したのか--58.98.116.94 2019年3月1日 (金) 13:15 (UTC)[返信]

削除内容に関して、他言語wikiではその様な記述は一切なく中立性を欠き誤解を招くものと判断をしたので削除しました。--真ん中会話2019年3月1日 (金) 17:21 (UTC)[返信]

朝香宮のことなど

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こんにちは。まず、Wikipedia:利用者ページ#利用者スペースでできないことを読んでみてください。「ウィキペディアに関連しない意見やデータの掲載」に抵触していると思いますが、いかがでしょうか? それと朝香宮鳩彦王での編集についてですが、既存の出典である『門閥―旧華族階層の復権』佐藤朝泰、立風書房、1987年、41頁に「ゴルフの宮様」って書いてあります。ゴルフの宮様として知られてしまったものを知られていなかったかのように書くのは、歴史の隠蔽や改竄になってしまいます。『NNNドキュメント'15 シリーズ戦後70年 南京事件 兵士たちの遺言』は出典としては、WP:TVWATCHに引っかかるのでアウトです。とりあえずWikipedia:五本の柱を読んでみてください。特に、Wikipedia:出典を明記するWikipedia:独自研究は載せないWikipedia:中立的な観点Wikipedia:検証可能性あたりは重要です。「テレビ番組見てね」というのではアウトですし、出典もないのにご自身で作話してしまうのは、Wikipedia:独自研究は載せないに抵触します。皇室解体を目指すのはご自由ですが、そうした思想をウィキペディアの編集に反映させてしまうのはアウトです。それでは。朝香宮鳩彦王と南京事件、東京裁判がらみの話を加筆したいというのでしたら、書籍や論文を出典として提示しないといけません。手にとりやすい新書の類ですと、小田部雄次『皇族: 天皇家の近現代史 中公新書 2011』中央公論新社, 2009年6月25日発行、ISBN 978-4-12-102011-6、284~286頁、浅見雅男『皇族と帝国陸海軍 文春新書 772』文藝春秋社、ISBN 978-4-16-660772-3、220~226頁 あたりには、朝香宮が国際検察局のモロー大佐の尋問を受けたこと、何故訴追されなかったのか、などが記載されています。秦郁彦『南京事件―「虐殺」の構造 中公新書 795』中央公論社、2007年7月25日 増補版発行、ISBN 978-4-12-190795-0、32頁 を合わせて読むと、「皇族であるために東京裁判で天皇を免責したのにならって、起訴せず、責任を不問にした」あたりが妥当な表現だと思います。洞富雄『南京事件』新人物往来社、昭和47年4月25日 初版発行、0031-40042-3306、240頁 は、谷寿夫が、南京の特別軍事裁判で、南京事件の責任者として死刑に処せられたのは、中島今朝吾が死んだでいたから (『南京作戦の真相 [熊本第六師団戦記]』92頁)、「宮様に戦犯の名を負わせることはできない」という配慮から (平松鷹史『郷土部隊奮戦史』410~411頁) といった説を紹介したあとで、「実際は、第六師団が戦闘においてもっとも勇猛果敢で、相手方におそるべき犠牲を払わせたので、中国側からいちばん恨みを買っていたからであったと思われる。」と述べています。根拠はよくわかりません。それと真ん中さんの関心を引くかもしれないものとして、伊香俊哉「第三章 中国国民政府の日本戦犯処罰方針の展開 二 南京事件と天皇訴追問題」笠原十九司・吉田裕編著『現代歴史学と南京事件』柏書房、ISBN 4-7601-2885-9、100~107頁あたりがあります。無理をしないで、ウィキペディアのルールに則りながら執筆できるように、まずは出典にあたってみてください。それでは。Takabeg会話2019年4月1日 (月) 13:25 (UTC)[返信]