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利用者‐会話:田英/特設200612

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※ノートより移出にあたり、インデント調整を施しております。また、時系列に並べ替えを施している箇所もあります。

百済王辰斯王

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件の投稿でKASAGI氏が本文をコピーして投稿しているとのご指摘で私の方でも図書館で確認しました。あきらかにそんまんまの投稿で著作権の侵害にあたると思います。KASAGI氏は著作権侵害の常習犯で、以前も210.172.24.54さんがKASAGi氏に木村昌福の投稿で著作権侵害をノートで注意したところKASAGI氏は当然と言わんばかりに開き直っただけではなくノートで罵倒誹謗し続けた過去があります(該当箇所は210.172.24.54さんのノートをごらんください)。自分はKASAGI氏が著作権を何とも思わず身勝手で独善的に投稿するのを見て不愉快です。現在では210.172.24.54さんはアカウントを取得してOuvertureさんになっているそうです。確認されてみてはいかがでしょうか。--富士の白雪 2006年12月1日 (金) 02:31 (UTC)[返信]

コメントいただきありがとうございます。富士の白雪さんのノートにお返事申し上げております。--田英 2006年12月1日 (金) 12:53 (UTC)[返信]
さっそく投票しておきました。以前にも問題を起こしていて悪質なので、こういう方は半永久投稿ブロックがよいと思います。--富士の白雪 2006年12月2日 (土) 01:10 (UTC)[返信]
初めてメッセージを差し上げます。富士の白雪さまからメッセージを頂きまして初めて仔細を知る事となりました。小生は以前より日本の海軍軍人の項目を新規作成をしておりますが、KASAGI氏は「醍醐忠重」及び「木村昌福」に於いて『日本陸海軍総合事典』(秦郁彦著・東京大学出版会)の記述項目を殆ど変える事無くそのまま投稿し、小生がソレを指摘し注意すると開き直り、あまつさえ勝手にリヴァートを繰り返してしまい。滅茶苦茶にしてしまいました。小生、先々月にアカウントを取得し、210.172.24.54は使用せずノートも見ておりませんでしたが、富士の白雪さまからメッセージを頂き、御貴殿にもメッセージを送られていた事から、改めて小生の古いノートを閲覧して仰天した次第です。小生も協力をさせて頂きたいと存じます。今後とも宜しくお願い申します。--Ouverture 2006年12月1日 (金) 22:14 (UTC)[返信]
メッセージいただきありがとうございます。私としては辰斯王記事を正常な状態(著作権テンプレの外れた状態)に戻したいとだけ願っている次第です。該当記事の編集(2006年3月)についてKASAGIさんに問い合わせをし、削除して構わない旨の回答をいただいております。削除審査が進み、管理者サイドで処理されることを待っております。海軍軍人の記事についての経緯は詳細には理解しておりませんことをご了承いただきたく存じます。--田英 2006年12月2日 (土) 06:19 (UTC)[返信]
Ouvertureおよび富士の白雪(おそらく同一人物)がいろいろとあることないことを吹き込んでいるようなので顛末を案内しておきます。[1]--KASAGI 2006年12月3日 (日) 00:10 (UTC)[返信]
取り敢えず小生のノートに回答しておきましたので貴殿の方で確認して頂ければ幸いに存じます。それにしても富士の白雪氏と小生が同一人物だとは嘆かわしい。--Ouverture 2006年12月3日 (日) 11:37 (UTC)[返信]
Ouverture氏のノートに記述の際参考にした本の典拠を掲載しました。(引用なので著作権の問題はないとは思いますが)。--KASAGI 2006年12月3日 (日) 13:25 (UTC)[返信]
別件の投稿ブロック一件の事で小生のノートを御参照下さい。--Ouverture 2006年12月4日 (月) 06:44 (UTC)[返信]

→以後の件、海軍軍人記事として、利用者‐会話:田英/特設200612へ移出しました。--田英 2006年12月6日 (水) 06:52 (UTC)リンクミスしていたのを修正「-」→「‐」--田英 2006年12月7日 (木) 12:39 (UTC)[返信]

木村昌福10月7日版を見ると良いでしょう。それから田英さん、余り刺激的な書き方をしない方が良いかもしれません。今の書き込みではカチンと来る人もいるかもしれませんのでお願いします。--駆逐艦雪風 2006年12月6日 (水) 23:19 (UTC)[返信]
「刺激的な書き方」とのご指摘、以後注意いたします。自らリンク先の記述を間違えておいて言うのも恥ずかしいお願いなのですが、以後この件での追記はこちらへお願いいたします。直前の駆逐艦雪風さんのご発言もコピーしておきます。--田英 2006年12月7日 (木) 12:39 (UTC)[返信]

海軍軍人記事

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  • 事の顛末を整理してみました。

まず最初の編集[2]後、IP時代のOuvertureが私のノートに最初の書き込み。[3]。これに対し、穏便に済ませるために妥協し[4]、表現を変えて再編集。[5]。にもかかわらず、ノートへの反論もなしに、木村昌福ノート[6]にて一方的に決めつけ、[7]転載疑いのタグを貼るに及び、対抗措置としてリバートし、再度議論を呼びかけるも返答なく[8]、現在に至るも、133.1.90.160 氏の密告により再燃し現在に至る --KASAGI 2006年12月4日 (月) 14:16 (UTC)[返信]

詳細な整理情報の提供ありがとうございます。木村昌福の記事についてOuvertureさんの示された『日本陸海軍総合辞典』を図書館で確認してくることにしました。追ってコメントさせていただけると思いますのでよろしくお願いいたします。なお、節タイトルとなった辰斯王については、削除完了し、先ほど記事の復活も果たしております。お騒がせいたしました。--田英 2006年12月4日 (月) 17:35 (UTC)[返信]
辰斯王の件に関しては、ご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。「日本陸海軍総合辞典」についてですが、いくら確認されようと、意味がないことだと思いますが。なぜなら、いくら文言が似ていようと、私はその本を手にしていないのです。もし田英さんが転載だと判断されても、私は否定するしかありません。たとえ投稿禁止処分にされても、これだけは曲げることはありません。仮に、私が参考にした「最前線指揮官の太平洋戦争」および[9]の類似性が問題だと言われるのならば、甘んじて受け入れますが、見ていないものを見たとは言えません。--KASAGI 2006年12月5日 (火) 11:30 (UTC)[返信]
ご連絡ありがとうございます。辰斯王の件は気になさらないでください。 KASAGIさんがご覧になられていないことを証明はできませんし、見たはずだ、などと主張するつもりも持ち合わせておりませんので、その点についてはご了解いただきたいと存じます。Ouvertureさんが指摘する箇所の類似性がアウトかセーフか、を、コミュニティの審査に図れれば、と思った次第です。辞典の確認まですることに至ったのは、Ouvertureさんのほうで全文を引用表記されていなかったように思いますので、広く判断を仰げるように、と引用をするつもりである、とご理解くだされば幸いです。私自身が、どのレベルであれば転載(アウト)認定で、どのレベルであれば参照(セーフ)認定か、という線引きがわからなくなってきてしまいましたので、線引きを見極めるために確認をしておきたい、ということなのです。場合によっては、私のほうからはコメント依頼の形で審査を問うことになるかもしれませんが、構いませんでしょうか?--田英 2006年12月5日 (火) 11:49 (UTC)[返信]
私が納得できないのは、なぜ全く無関係な本の類似性が問題になるのかということです。前述の私が参考にした資料、HPを問題にされるのであればわかるのですが、こちらが全く関知していないものである以上は、類似を避けようにも避けようがないはずです。そんないつ踏んでしまうかわからない地雷が埋まっているような状態ではWikipediaを続けていくのは不可能でしょう。しかも、該当部分は、人物の経歴、戸籍情報に関するものです。ある程度類似した記述になってしまうのはやむを得ないでしょう。どの程度がセーフかアウトか、という線引き度の問題と仰るが、それは対象となる文章が、共通の史料に基づくという前提のもとでのみ成立する話でしょう。広く判断を仰ぐといっても、その判断の基準は何なのでしょうか。元となる史料を異にしているのに、ある程度類似しているからアウトだ、いやセーフだと言えるものなのでしょうか。私としては、仮に審査に付されてアウトと判断されても、納得は出来ないでしょう。--KASAGI 2006年12月5日 (火) 12:20 (UTC)[返信]

(インデント戻します)誤解を招いてしまったのであれば、お詫びいたします。関知していないものの類似性の指摘について、結果として似てしまったものは、今現在アウト認定なのでしょうか?それすらも判らなくなっているのが正直なところなのです。なので、アウトセーフの判定は、「短いセンテンスで表される事実」をまとめた結果が、指摘されいてる文章を見ていないと主張する場合においても、類似性を責められるものなのかどうか、というところまでを含めて判定を求めたいと考えていました。さらにいえば、「見ていない」という主張に対して「そんなはずはない」というような批判がWikipediaのコミュニティ内で成立するのかどうか(私はこれは批判として成立するとは思いませんが)まで、見極めたいと思っています。まずはその前に、「見ていない」と仰るKASAGIさんと「見たはずだ」と仰るOuvertureさんとで話が平行になっていること、実書確認をしたとされている他の方の発言(駆逐艦雪風さんの「口読点までまったく同じな状態で(原文のママ)」[10])を、追試してみようと思った次第です。<「密告」にならないように、先方にも断りをいれてくることにします>コメント依頼の形というのは取り下げ、幸いにもこの件に関心を抱かれている方がほかにもいらっしゃるようなので、個別に問い合わせをしてみることとします。--田英 2006年12月5日 (火) 17:40 (UTC)(書名漏れを追記)[返信]

それがアウトというのであれば私としては言うことはありません。というか、いい加減バカバカしくてもうWikipediaに関わる気持ちは殆どないのですが、そもそも、O氏の主張する文章とは最初の書き込み[11]のことを指しているのか、指摘を受けての再編集後[12]のことを指しているのか、意図が不明です。最初の書き込みと再編集後とは明らかに文章を変えてあるので、仮に最初の方が類似しているとしても、編集後のものは、当初主張には当たらないはずです。にもかかわらず、彼は相変わらず転載だという主張を変えておりません。再編集前も再編集後も同じ「~辞典」からの転載だとでも言うのでしょうか?(他の方もどこをどう確認したのか甚だ疑問です)。私は、これは単に類似性云々の問題ではなく、醍醐忠重一件についての逆恨みによる個人攻撃であると判断しました。醍醐忠重一件に関しては、転載云々の問題ではありません。私が新規作成した項目であり、確認は容易なはずです。問題は彼の加筆した書名の間違いを私が訂正したことに端を発したものです。これに対しては未だに謝罪も明確な返答もありません。駆逐艦雪風とかいう人物が、醍醐忠重一件をも句読点まで同じだと中傷しているようですが、明らかに事態を理解していない虚偽の発言とわかります。先ほどから申し上げているように、仮に一字一句同じだとしても(そんなことはあり得ませんが)、こちらには一切関知しえないもので、どうすることも出来ませんが、ただ田英さんが駆逐艦雪風の発言の虚偽を確認するという限りにおいては意味があるでしょう。--KASAGI 2006年12月5日 (火) 14:45 (UTC)[返信]
長くなってきたのと、辰斯王からずれてきたので節を分けました。蒸し返すようなことになってしまってて申し訳ありません。私が辞典の確認を申し出たことで、バカバカしいとの思いを強くされたとのことでしたら、心よりお詫び申し上げます。「それでアウトというのであれば私としては言うことはありません」と仰いますが、私も同感なのです。そのような裁定(特に事実短文の集成で作った記事の、投稿者が見ていない書籍との類似性がアウト)が下ることはまずないと思いたいのですが、現時点ではアウトだと主張する方は削除依頼を立てられるではなく、アウト寄りの表明と投稿者を非難する新規アカウントユーザーが続くばかりで、アウトではないと主張する第三者、アウトかセーフかを判定しようとする第三者もいないのが実態かと思います。議論による解決を図ってKASAGIさんはOuvertureさんに呼びかけられ、説明をし、説明を求めていますが、「あなたの言うことは信じられない」として、議論が進む気配がありません。これではお二方の対立のまま何も変わらず、バカバカしいとの思いが募るだけのようにも思えます。なので、該当の辞典を第三者が確認することで、すこしでも議論が進み、対立が解消されることを願います。議論の進む過程で、ほかの疑問も生じ、また解決できるかもしれません。以上のように考えている次第です。--田英 2006年12月5日 (火) 17:40 (UTC)[返信]
貴殿のご意見を尊重します。きのうも「日本陸海軍事典」を確認しました。KASAGI氏こそOuverture氏を逆恨みし根に持つ人物みたいですが、事実関係がはっきりしたら田英さんどうしますか。もう中立の立場を維持するのは困難だと思いますが...--駆逐艦雪風 2006年12月5日 (火) 23:31 (UTC)…移出に当りインデント追加させていただきました。また、節の頭でなされていた書名は除去しています。あしからずご了承ください。--田英 2006年12月6日 (水) 06:50 (UTC)[返信]

総合事典の確認

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『日本陸海軍総合事典』の実物確認について本日某市中央図書館へ参ったのですが、書庫整理中で12/9(土)まで休館中とのことでした。次に図書館へいけるのは12/13(水)となってしまいますので、田英自身の検証は先送りとなりました。事前の開館状況確認不足で申し訳ありません。なお、事典の確認の意図するところとして、おおよそ以下のように考えています。

木村昌福記事

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KASAGIさんが編集された内容
弁護士の父近藤壮吉の次男として生まれる。昌福は生後すぐに母方の祖母木村家の養子となった。兄近藤憲二(40期、大佐)、弟近藤一声(50期、戦死後大佐)もともに海軍軍人となっている。(以上、KASAGIさんの [13]の編集より地文からコピーしたもの)
『日本陸海軍総合事典』(秦郁彦著・東京大学出版会 第二版 2005 p.201)の記載
「弁護士(静岡県)近藤壮吉の次男。母鈴の木村家(鳥取県)を継ぐ、兄近藤憲治(40)は海軍大佐、弟近藤一声(50)は海軍大佐(戦死) 静岡中学校を経て大2.12海兵卒.....」(以上、Ouvertureさんの直接提示によるものと別の箇所でOuvertureさんが書かれている情報から2005年出版の同書の第二版と思われること、を田英が補ったもの。ちなみに初版は1991年)
※後ほどこの箇所に田英自身で実物を見て引用記述する予定です。他の方に実物を見ていただいたうえで、引用と明記のうえ記述いただいても結構です。

======追加記入その1此処から--田英 2006年12月11日 (月) 11:54 (UTC)[返信]

「木村 昌福(41)[静岡]明24・12・6~昭35・2・13  弁護士(静岡県)近藤壮吉の二男、母鈴の木村家(鳥取県)を継ぐ,兄近藤憲治(40)は海軍大佐,弟近藤一声(50)は海軍大佐(戦死)  静岡中学校を経て大2・12海兵卒  3・12少尉  5・12中尉  6・6水雷(普)卒  6・12砲術校…(以下経歴を中略)20・11・1中将・予備役  のち防府で製塩業  伝記に星野清三郎『ヒゲの提督木村昌福伝』正続(非売品,1993~94)がある」  以上は転載とする指摘を検証するために『日本陸海軍総合事典』(秦郁彦著・東京大学出版会 第二版 2005 p.201)より田英が実物を見ながら引用したもの

======追加記入その1此処まで--田英 2006年12月11日 (月) 11:54 (UTC)[返信]

コメントいただける場合は以下へお願いいたします。--田英 2006年12月11日 (月) 13:14 (UTC)[返信]

コメント

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醍醐忠重記事

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こちらについては今のところ実引用を挙げての転載指摘をされているわけではないように見受けられます。ですので、KASAGIさんの編集による初版記事と最新版記事とをもとに、『日本陸海軍総合事典』との確認をし、引用記述をする予定です。類似性が無ければ後述の批判のひとつは崩れるでしょうし、事典の確認により、何かわかることがあるかもしれないと考えている項目があります。類似性が認められた場合、どう振舞うべきかについては別の節を立てて検討をしていくことを考えております。

======追加記入その2此処から--田英 2006年12月11日 (月) 11:54 (UTC)[返信]

本日12月11日、府立図書館に依頼していた該当書籍のコピーが届きましたので、転載の指摘を検証するために書き加えます。

『日本陸海軍総合事典』(秦郁彦著・東京大学出版会 第二版 2005 p.224)の記載
「醍醐 忠重(40)[東京]明24・10・15~昭22・12・6  醍醐忠敬の三男,侯爵醍醐忠順の養嗣子,妻顕子は侯爵毛利元昭の女,女は*海軍機少佐松平永芳に嫁す  明33・8襲爵(侯爵)  42・3学習院中等科卒…(以下経歴を中略)22・12戦犯としてポンチャナクで刑死  伝記に吉本軍兵『一粒の麦―提督醍醐忠重の最期』(栄光出版社,昭49)がある」  以上は転載とする指摘を検証するために『日本陸海軍総合事典』(秦郁彦著・東京大学出版会 第二版 2005 p.224)より田英が実物を見ながら引用したもの
KASAGIさんが編集(初版)された記事
公卿華族清華家の名門醍醐家に生まれる。父忠敬は戊辰戦争で奥羽鎮撫副総督などを務めたが、忠重8歳の時、従兄弟の格太郎により射殺されてしまう。家督相続に絡む怨恨で、一大スキャンダルとなり醍醐家は没落してしまう。しかし忠重は文武に励み海軍兵学校に入学、144名中17番の成績で卒業(40期)し、侍従武官などを務めるが、人気のなかった潜水艦を志望し、潜水艦戦の専門家として太平洋戦争では第5潜水戦隊司令官、第6艦隊司令長官などを歴任。謹厳実直で部下からの信頼が厚かった。しかし、戦後ポンチャナック事件の容疑者として戦犯指名され、オランダ軍の報復裁判により死刑判決を受け、公開銃殺刑にされた。反対尋問も証人喚問も許されない3時間の即決裁判であり、冤罪であるのは明らかであった。(以上、KASAGIさんの [14]の地文からコピーしたもの)

======追加記入その2此処まで--田英 2006年12月11日 (月) 11:54 (UTC)[返信]

コメントいただける場合は以下へお願いいたします。--田英 2006年12月11日 (月) 13:14 (UTC)[返信]

コメント

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記事に対する批判

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これらに対し

Ouvertureさん
(木村記事)該部分は『日本陸海軍総合事典』(秦郁彦編・東京大学出版会)2005年8月15日を転載したもの。
駆逐艦雪風さん
木村昌福醍醐忠重で別の著作物を口読点まで全く同じな状態で投稿していて
私も図書館で指摘していた書籍を閲覧しましたが、どれも原文と殆んど変わり映えがありません。

という状況です。必要であれば差分更新箇所へのリンクは付け足していきます。

私自身はこの段階では「該当書籍を見ていないとされるKASAGIさんの言に対して、転載・句読点まで同じな状態で投稿という指摘・評価が行過ぎている」という感想を抱いております。この感想の一端には、OuvertureさんやOuvertureさんを支持する方々から、KASAGIさんをして著作権侵害の常習犯であるとするレッテル貼りのような行為があちこちで見られることもあります。(このことについては現段階では小節による掲示は不要と考えています)ただ、駆逐艦雪風さんが実書籍を閲覧したうえで「原文とほとんど変わり映えがありません」とされているので、私自身も実書籍を閲覧した上での意見提出としたいと考えております。--田英 2006年12月6日 (水) 08:26 (UTC)[返信]

木村昌福10月7日版を見ると良いでしょう。それから田英さん、余り刺激的な書き方をしない方が良いかもしれません。今の書き込みではカチンと来る人もいるかもしれませんのでお願いします。--駆逐艦雪風 2006年12月6日 (水) 23:19 (UTC)ページ移動の誘導リンクの記述ミスがあったため、駆逐艦雪風さんが上ページにお書きいただいた内容を、時系列に合わせるためにこちらのページに移動させていただきました。--田英 2006年12月7日 (木) 12:46 (UTC)[返信]

コメントいただける場合は以下へお願いいたします。--田英 2006年12月11日 (月) 13:14 (UTC)[返信]

コメント

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まず、私(田英)の意見を申し上げます。そもそも引用元となった事典は続柄と略歴を記しているものであり、木村昌福記事についても醍醐忠重記事についても、到底「転載」と指摘しうる記述ではない、と判断しております。これが転載/著作権侵害ということを重ねて主張されるのであれば、Wikipedia‐ノート:著作権で広く議論ができるようにしていただきたいと考えます。そもそも基点から異常に感じていたことですが、実書を挙げて指摘をされた利用者:Ouverture氏、実書で追試されたという利用者:駆逐艦雪風氏は、なぜ自らの責任において該当記事の削除依頼を行なわず、KASAGIさんを非難する書き込みをあちこちで行なったのでしょうか。さらにもう一方、実書を確認されたかどうかも判らない利用者:富士の白雪さんは、何を根拠に私のページにKASAGIさんを非難する書き込みをされたのでしょうか。理解に苦しむところですが回答をいただけるよう呼びかけたいと考えております。--田英 2006年12月11日 (月) 13:28 (UTC)[返信]

いちごミルクです。上のほうでもコメントを記載しましたが、今回の場合、KASAGIさんの記述には、コピペを疑われる箇所は皆無であり、著作権違反には該当しないと私は考えます。どこが著作権に抵触するのかOuvertureさん(ウィキブレイク中のようですが)と駆逐艦雪風さんに指摘していただきたいと思います。--いちごミルク order 2006年12月11日 (月) 13:55 (UTC)[返信]
確認が13日になるとのことでしたので、今日まで暫くWikipediaより遠ざかっておりました。返答が遅れまして申し訳ありません。私がバカバカしいと感じたのは、まともに議論する意図もなく、おそらくは逆恨みによる言い掛かりとしか思えない本件についていちいちまじめに対応することの空しさについてであり、しかもそんな横暴が堂々と罷り通りつつあった現状にWikipediaという存在に対する不信を持ったからで、決して田英さんに対するものではありません。お忙しい中、貴重な時間と労力を使ってまで確認を取られたとのこと、本当に頭が下がります。おかげさまで、疑いが晴れたことと思います。あれほど転載だと喧伝していたので、さぞ似ているのであろうと思っていましたが、どこが一字一句まで同じなのか、拍子抜けとはこのことです。所詮は、為にする批判であったのでしょう。これだけ人に迷惑をかけ、手間を取らせた以上、真摯な反省の弁と明確な謝罪の言葉がない限り、Oventure、駆逐艦雪風、富士の白雪の三氏には何らかの制裁措置が必要かと思いますが。また、H教授の名を騙った疑惑もあります。--KASAGI 2006年12月13日 (水) 12:54 (UTC)時系列に合わせるためにKASAGIさんが「海軍軍人記事」において12月13日 (水) 12:54 (UTC)に発言されたコメントをこちら最下部まで移動させていただきました。--いちごミルク order 2006年12月13日 (水) 17:48 (UTC)[返信]
その後もいろいろとお骨折り頂いているようで、ありがとうございます。未だに彼らからは何の釈明も謝罪もありません。今後、どのような措置を取り得るのかよくわからないのですが、私に出来ることは何でもしますので、今度とも宜しくお願い致します。--KASAGI 2006年12月15日 (金) 15:40 (UTC)[返信]
こちらこそ、よろしくお願いします。勝手ながら下記の通り、本件を含む一連の出来事についてOuverture氏らの行為を公のコメント依頼へ提出しておきました。--田英 2006年12月15日 (金) 16:04 (UTC)[返信]

公のコメント依頼へ

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著作権侵害についてのコメントをいただけるように利用者:Ouverture氏、利用者:駆逐艦雪風氏、利用者:富士の白雪氏には呼びかけておりましたが回答をいただけないばかりか、別アカウントとして活動されているものと疑われる行為をされていましたので、公のコメント依頼へ提出することとなりました。--田英 2006年12月15日 (金) 16:04 (UTC)[返信]

どんどん利用者:Ouverture氏周辺の疑惑が白日の下に晒されつつありますね。彼のIP時代を含めた言動を追っていくと、ことさらに有名人との知己を強調したり、大学教授であることや司法書士資格をもつことをちらつかせ、法的脅迫を試みたりと、何らかの権威を背景に相手の屈服を迫る手法を多用している様が見て取れます。多重アカウントで自らの支持者を多く見せかける手法なども同じです。私が最初に同一人物であろうとした予測は当たっていましたね。今となってはどれもブラフだったのだろうと思いますが、それにしても悪質極まる利用者です。訴訟に踏み切ったというIP氏との件でも、O氏側にも問題があると見えたのに、IP氏が一方的に袋叩きにされている有様は異様でした。この件では私は別の紛争での当事者であったことや、訴訟にまで発展していたことで、正直なところ後難を恐れて傍観する態度を取りましたが、これも私がO氏の術中に陥っていたことになるのでしょう。彼との対立の中で、自らには一片のやましさもなかったとはいえ、こちらにも訴訟を起こす気ではないかという恐怖もありました。今となっては、本当に訴訟を起こしたのかも定かではありませんし、冷静に考えればこの程度のことで警察が捜査するとも思えません。IP氏には安心するように言ってあげたいですね。--KASAGI 2006年12月17日 (日) 13:07 (UTC)[返信]

CU依頼へ

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Wikipedia:コメント依頼/Ouvertureを通じて他にも氏のソックパペットと思われる利用者を追加登録していき、第三者のコメントとしてCU依頼すべきであるとの提案をいただいたので、Wikipedia:CheckUser依頼/Temp#Ouverture氏関連に提出することとなりました。--田英 2006年12月17日 (日) 16:59 (UTC)[返信]

ブロック依頼へ

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CUの結果、5つのIDについてIPアドレスの一致性が認められたとのことでしたので、ブロック依頼へ提出することとなりました。--田英 2006年12月20日 (水) 11:21 (UTC)[返信]

コメント依頼

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Ouvertureさんへコメントされたようですが、Wikipedia:コメント依頼/133.1.90.160もありますのでよろしければお願いします。迷惑をかけてしまって申し訳ありません。--Ukidousan 2006年12月4日 (月) 13:31 (UTC)[返信]

長い時間対話していただきありがとうございました。本当にすいません。--Ukidousan 2006年12月4日 (月) 16:03 (UTC)[返信]

彼の発言は一時しのぎに過ぎず過去の例から全く信頼をするに値しないと判断しております。昨日、警視庁本庁に刑事告訴状を提出し即受理されましたので、本件に関する意見は今後無用と思います。--Ouverture 2006年12月4日 (月) 21:49 (UTC)[返信]

お知らせ

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メールアドレスの認証が出来ました。もはや使うことはないと思いますが、チャットで要求されたためお伝えします。--Ukidousan 2006年12月4日 (月) 21:50 (UTC)[返信]

こんにちは

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いちごミルクと申します。コメント依頼の際は夜遅くまで、いろいろとご苦労様でした。田英さんのお陰でスムーズに議論が進んだと思います。御礼申し上げます。さて、私が駆逐艦雪風さんへの会話ページへ「どうやら本が見つかったらしい」と、あまり確定的でない事柄を書いてしまったようでご迷惑をおかけしました。次回からは気をつけますのでご容赦ください。--いちごミルク 2006年12月6日 (水) 08:46 (UTC)[返信]

いえいえ、チャットで会談してくださったりしてパニックになっていたIPユーザー氏も安心出来ただろうと思います。お疲れ様です。著作権がらみの件ですが、双方が噛み合ってないみたいですね。自分はそれほど(というよりも全然)歴史に詳しくないのであまり役に立たないと思いますが、第3者の視点として議論を見ていこうと思います。もっとも意見らしい意見を言えないかもしれませんが。--いちごミルク 2006年12月6日 (水) 09:27 (UTC)[返信]
著作権がらみの問題、ご苦労様です。利用者‐会話:田英/特設200612#総合事典の確認のレイアウトですが、木村昌福記事と醍醐忠重記事へのコメントする場所を別々にしてもらえますでしょうか。そちらの方がコメントしやすいかと思います。勝手なことを言ってすみません。--いちごミルク order 2006年12月11日 (月) 13:09 (UTC)[返信]
ご助言いただきありがとうございます、「コメントしやすさ」を考慮できていませんでしたので、節を格上げしてみました。よろしくお願いいたします。--田英 2006年12月11日 (月) 13:15 (UTC)[返信]

私の希望を反映してくださってありがとうございます。熟読してからコメントしますのでよろしくお願いします。--いちごミルク order 2006年12月11日 (月) 13:25 (UTC)[返信]

拝復

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突然の発言で驚いています。私はOuverture氏御本人をよく存じており、それで以前にウィキペデイアの内情も彼や他の利用者の事も耳にしていましたが本件は存じませんでした。何でしたら私のIPを調査して頂ければOuverture氏か私本人かが判明する筈です。この様な容疑ははっきり言って迷惑であり不愉快です。--ドン亀 2006年12月16日 (土) 02:50 (UTC)[返信]

ドン亀氏の会話ページにお返事差し上げました。

コメント依頼の件

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いちごミルクです。上記の件で案内を賜りました。ありがとうございます。熟読の上、コメントさせていただきます。--いちごミルク order 2006年12月16日 (土) 03:30 (UTC)[返信]

短いですが、コメントを掲載しておきました。ご覧下さい。--いちごミルク order 2006年12月16日 (土) 12:42 (UTC)[返信]
CU依頼をいただきありがとうございました。取り急ぎコメントしてきました。IPさんについて「(大学に自分からちゃんと報告したのであれば)もう、そろそろいいじゃない」と言う趣旨のコメントをしようと思っていたところが、どんどんと話がこじれて行くのを心配していました。「(ある程度は)寛容なコミュニティになるといいなぁ」と思っています。と、「自制が足りない」私が言うのも変なのですが(^^;;。それでは、今後ともよろしくお願いいたします。--Anonymous000 2006年12月17日 (日) 15:53 (UTC)[返信]
CU依頼の提出ご苦労様です。私も、急ぎ投票を済ませました。今後、コメントすることが思いついたら、依頼ページに追記するつもりです。お忙しい中、積極的に活動してくださって感謝しております。--いちごミルク order 2006年12月17日 (日) 15:58 (UTC)[返信]
Anonymous000さん、いちごミルクさん、ありがとうございます。調べ上げているうちに後手後手になった感がありまして、IPチェックの有効期限というものを忘れておりました。後押しをしていただけて、CUまで進めることができましたことを本当にありがたく思います。この後のCU結果を待っております。--田英 2006年12月17日 (日) 16:08 (UTC)[返信]

お返事

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以前私はドン亀氏の行動に不自然さを感じ慎重な対応を行うとしながら、特に経歴等を追求せぬまま、自警団の加入認証を行っています。また、私もOverture氏については以前から監視しておりましたが、それがドン亀氏と関連性が生じていることは非常に残念であり、また、自身の対応自体が私の中で憤っているため、今回のことに関して私自身はコメントを控えさせて頂きたく思います。しかしながら、動向に関しては今後も監視していくつもりです。

お役に立てず申し訳ありませんが、ご理解とご了承を頂きたく思います。--TR Chaos-Blues. 2006年12月17日 (日) 19:39 (UTC)[返信]

突然の一方的なお願いにもかかわらず、丁寧にご返事いただきましてありがとうございました。該当の件について思うように進捗しておらず、頼れそうな伝手におすがりしようとの思いで、失礼なお願いをしてしまいました。そのためにTR Chaos-Bluesさんが心苦しまれたことを申し訳なく思います。勝手な言い分になってしまいますが、どうかお気に病まれませぬようお願いいたします。--田英 2006年12月18日 (月) 07:51 (UTC)[返信]

CU依頼

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KMTさんより調査結果が出ました。ご確認下さい。--いちごミルク order 2006年12月19日 (火) 14:17 (UTC)[返信]

拝見しました。さっそく、ブロック依頼に提出してきます。--田英 2006年12月19日 (火) 14:18 (UTC)[返信]
投稿ブロック依頼お疲れ様です。投稿ブロック依頼の場所が少しおかしいようです。Wikipedia:投稿ブロック依頼 2006年12月を編集して、そこのOuverture氏の赤リンクを作り、その赤リンクのページへ必要事項を記入していただけたらと思います。--いちごミルク order 2006年12月19日 (火) 14:41 (UTC)[返信]

いえいえ。私も初めてやったときは、見事に誤爆し、助け舟を出してもらいました。誤爆するとすごい焦りますよね。でも次からはきっと大丈夫です。今回の件は長引きましたが、本当にお疲れ様でした。私もほぼ片付いてほっとしています。田英さんは著作権違反問題への議論の仲介・コメント依頼とCU依頼、さらには投稿ブロック依頼とたくさんのことをこなして頂きまして、私も大いに助かりました(その結果、のんきに大量のウェルカムメッセージを送信し続けることが出来ました)。今後ともどうぞよろしくお願いします。--いちごミルク order 2006年12月19日 (火) 15:13 (UTC)[返信]

横から失礼します。まず、CU結果発表後の早急な対応に敬意を表します。その投稿ブロック依頼でですが、「新しい赤リンク」に必要事項を記載するときに、「=== {{User|だれだれ(被依頼者名など)}} ===」と、新しいページの一番上に入力しておくと、Wikipedia:投稿ブロック依頼 2006年12月などから節単位の編集のリンクで、議論に参加することが可能となり、より多くの人の意見が集まると思います。次回(無いのが望ましいのですが・・・。)からは、そうすることがオススメです。ぜひ、参考にしてください。--Kazutoko (会話|履歴|保管倉庫) 2006年12月19日 (火) 15:16 (UTC)[返信]
ご助言ありがとうございます。(Kazutokoさんの仰るように、)次回はもういいです^^;今からは気持ちを切り替えて、記事作成・編集に注力します。どこかの記事でお会いしましたら、よろしくお願いしますね。--田英 2006年12月19日 (火) 15:28 (UTC)[返信]
田英さま、色々とお疲れ様でした。今日、私も久しぶりに記事を書いてみました(少しだけですが。。あと新規投稿をするか少し迷っている書きかけがローカルにはあります。)田英さまほかみなさまともまた、どこかでお会いできる日を楽しみにしております。それでは(^^)。--Anonymous000 2006年12月22日 (金) 14:56 (UTC)[返信]

バーンスター贈呈

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バーンスター騎士団のいちごミルクです。Ukidousan氏とOuverture氏以下数名での論争の仲介及び、Ouverture氏関連のソックパペット対策で多大なご尽力を賜りました。ここに仲介バーンスター救ウィキの英雄バーンスターを贈り、田英さんの功労を称えます。また、今後のウィキペディア日本語版における、田英さんのさらなるご活躍をお祈りいたします。--いちごミルク order 2006年12月19日 (火) 14:36 (UTC)[返信]

改めましてありがとうございます。利用者ページへ移しました。--田英 2006年12月20日 (水) 03:56 (UTC)[返信]


お詫びとお礼

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KASAGIです。私事にて暫くネットにアクセス出来ない状況が続き、結局、田英さんに全て任せっきりになってしまいました。一部始終は了知しております。本来、一方当事者であった私が真っ先に投票すべきところ、完全に乗り遅れてしまい面目次第もありません。何ともおぞましい結果でしたが、これで一件落着となり何よりです。今後、Ouventure出没警戒のため海軍軍人頁などを中心に監視を続けていこうと思います。最後になりましたが、このたびは本当にお世話になりました。そして、お疲れ様でございました。私はこれまでWikipediaとはもっといい加減なものだと思っていましたが、認識が変わりました。今後はもう少し真面目に取り組んでみようと思います。また朝鮮史などの頁でお会いすると思いますが、よろしくお願いします。--KASAGI 2006年12月21日 (木) 10:28 (UTC)[返信]

コメント依頼について

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はじめまして、ひろくんと申します。コメント依頼参加要請のメッセージに対する返信が遅くなってしまったことをお詫び申し上げます。しばらく忙しかったためにWikipediaから離れていましたが、明日から休みに入りますのでようやくメッセージを拝見することが出来ました。コメント依頼・CU・ブロック依頼を見ましたが、あのNogemachi氏とOuverture氏が同一人物だったという予想外の事態で追放に近い形で無期限ブロックされたことに衝撃を受けております。今までの彼(ら)とのやり取りは一体何だったのかという憤りとむなしさとが入り混じっており、Wikipediaのコミュニティにおける対人不信に陥ってしまいそうです。また、著作権に関する件やコメント依頼等で全くお役に立てなかったこともお詫び申し上げます。(話はそれますが、名前に「くん」が入っているために「ひろくんサン」という表記を強いてしまったみたいでこちらもお詫び申し上げます)--ひろくん 2006年12月22日 (金) 12:29 (UTC)[返信]

お返事ありがとうございます。お忙しそうなところへ失礼なお願いをしてしまい、申し訳なかったと思います。該当案件は動き出してからは予想外に早く推移し、決着がついてしまいましたので、お気になさらないようお願いいたします。対人不信などと仰らず、海軍記事の充実にむけてご活躍されますことを期待しております。(さん/サンの使い分けは私にとっては普段の習慣からありますので、こちらについてもご放念くださいませ。)--田英 2006年12月23日 (土) 08:36 (UTC)[返信]
予想外の事態に落ち着かないままコメントしてしまい申し訳ありませんでした。これからもやれる範囲で貢献していきたいと存じます。朝鮮関係については疎いので貴殿のお力になれないと思いますが、これからもよろしくお願いします。--ひろくん 2006年12月23日 (土) 10:23 (UTC)[返信]

今後の対応・事後処理について

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不快な話を引き延ばすようで申し訳ないのですが、Ouventure氏が今までに作成・編集した項目について、少なからず彼「独自の研究」が含まれているように思います(ソースが本人から直接聞いたなど[15])。他にも検証困難な独自研究記事がたくさんあるようです。一見もっともらしいですが、彼の虚偽と策略に満ちた前歴などを考えると、信憑性に疑問があります。彼の手が加わる前のバージョンにリバートしておくのが無難と思われますが、彼の携わった項目は膨大な量になるので、全部をチェックするとなると一仕事になりそうですし、線引きも難しいです。どのような対応が妥当なのでしょうか。(辰斯王の件、改めて投稿しておきました。)--KASAGI 2006年12月22日 (金) 15:13 (UTC)[返信]

辰斯王記事の加筆ありがとうございました。海軍関連については、私はまったく知識を持たないのでどうとも申し上げられないのですが、記事そのものについては公平な目で扱い、独自性の箇所・事典として問題のありそうな箇所のみ編集で対処されてはどうか?と思います。例えば、「本人から聞いた」などという表現は本文からは除去してノートに退避しておく、など。記事についての再確認の上でリバートや上書き編集されることについては妥当ですが、初めから記事を疑ってかかって編集を施してしまうのは、「坊主憎けりゃ袈裟まで」のようで好ましくないと感じます。--田英 2006年12月23日 (土) 08:36 (UTC)[返信]
誤解してほしくないのですが、「坊主憎けりゃ袈裟まで」という気持ちで言っているのではありません。人間のあまりにも醜い姿を見てしまい憎しみどころか軽蔑の念すら起こらず、あるのは早く記憶から消してしまいたいという一念だけです。あえて提言しているのはWikipediaの記事の信頼性に関わる問題だと思ったまでです。彼の虚偽に満ちた発言記録などを顧みると、彼の「独自研究」による記事の信憑性に疑問が生じるのは避けられないでしょう。ただ、私自身もそこまで海軍関連に詳しいわけではないので、逐一検証するのは困難です。リバートが無難とは思いますが、仰る通り行き過ぎの面もあるかもしれませんし、私が関わるとこのように「意趣返し」との誤解を受けかねないので、第三者の判断に任せることにします。--KASAGI 2006年12月23日 (土) 09:01 (UTC)[返信]
記事の信憑性への疑問までは思いに至らず、「坊主憎けりゃ」の喩えは不適切でした。申し訳ありませんでした。信憑性ではなく著作権関連なのですが、過去の事例でWikipedia:著作権侵害かもしれない記事/多数投稿者の転載調査というのがありまして、疑念のあるものを挙げて一つ一つ確認をしながら削除をすすめようとしたけれども結果的には削除し切れていない(ように見受けられました)という終結になりそうにも感じられましたので、「初めから疑ってかかって」というのは効果的ではないと思った次第です(明らかに言葉足らずでした)。第三者判断に任せる、との見解には私も賛成です。既に私はOuverture氏関連では第三者ではなくなったので、コメント依頼にかけるのも憚られますことをご了解いただきたいと思います。--田英 2006年12月23日 (土) 09:47 (UTC)[返信]

KASAGIさんよりコメントを求められましたので発言させていただきます。Ouverture氏の投稿は多岐にわたっていることからrevert・削除するのは妥当ではないと思います。参考文献を多数挙げていることを加味いたしますと、検証不可能な箇所を訂正していくことになるのではないかと。また事後処理ということで気になったのですが、Ouverture氏とドン亀氏はウィキプロジェクトに参加されていたようですがこのまま放置しておいていいのでしょうか?--ひろくん 2006年12月23日 (土) 11:24 (UTC)[返信]

応急措置として[要出典]を貼るという対応で如何でしょうか。ウィキプロジェクトに関してはよくわからないのですが、いずれにせよ好ましくないと思われます。--KASAGI 2006年12月28日 (木) 13:57 (UTC)[返信]