コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

利用者‐会話:歴史探訪者/sandbox

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

原嶋秀行1973年3月3日 - )は、シュートボクセ・アカデミージャパン代表。元祖カリスマホスト。埼玉県出身。

はらしま ひでゆき

原嶋 秀行
生誕 1973年3月3日
日本の旗 日本 東京都
別名 鉄平
補足
シュートボクセ・アカデミージャパン代表
テンプレートを表示


人物

[編集]

1973年3月3日生まれ。埼玉県出身。17歳だった1990年にジャニーズに入所。 19歳だった1992年にモデル事務所に所属し、CMや雑誌で活動。 同年に歌舞伎町にてホストに転向し、入店3ヶ月目でナンバーワンに。源氏名は「鉄平」。 以降8年間、不動のナンバーワンを続け、“元祖カリスマホスト”として名を馳せた。当時の年収は5,000万円以上だった(最高月収は約1,500万円)

経歴

[編集]

2000年には、同じく歌舞伎町歌舞伎町1-9-10 睦ビル2Fにホストクラブ「Lady's Club PRESIDENT」をオープンしてオーナーに。 しかしすぐに経営権を譲り渡し、老舗ホストクラブ「愛 本店」のホストに。(PRESIDENTは2000年代の後半に閉店) 2003年末には、東京都中野区中野にて総合格闘技のジム「シュートボクセ・アカデミージャパン」(シュートボクセ・アカデミーの日本支部)を設立して代表に(2007年10月で閉鎖)。 この他、ミュージシャンや、ホスト同士の格闘技大会「ホストボンバイエ」の司会などもしていた。 元・女子プロレスラーのキューティー鈴木(本名:由美。1969年10月22日生まれ。川口市出身)と3年の交際の後、2005年5月5日に結婚。 同年7月10日に都内のホテルで披露宴を行なった。 2人の出会いは、1994年にまでさかのぼり、友人の飲み会で知り合った。その後、キューティーからの猛アプローチの末、交際に至った。 2006年7月25日、第一子となる長男が誕生。玩具・フィギュアコレクターで、 総額2億円あまりを費やし、3,000体以上を所有。雑誌で特集を組まれたこともあったが、長男の誕生を機に全て売却してしまった。 4トントラック7~8台分の量だったが、売却総額は2千万円にしかならなかった。 そして、今度は昆虫の標本コレクションに多額の金を費やすようになり、普通のキッチンの冷凍庫で、 標本のために昆虫を冷凍保存するようにもなった。また、化石のコレクションも始めた。 2008年7月25日より、「鉄平 オフィシャルブログ 牛乳は噛みながら飲め!!」を開設。(2010年に閉鎖) 2010年6月29日には、夫婦でテレビ東京開運!なんでも鑑定団』の「第9回 出張!スポーツグッズ鑑定大会」に一般応募で出演。 出品物はヴァンダレイ・シウバPRIDE優勝トロフィーで、本人評価額は100万円だったが、鑑定士・泉高志による評価額は18万円だった。 2011年3月20日、やはり夫婦でテレビ朝日『新婚さんいらっしゃい!』に出演。 番組の最後に行われるゲーム「LOVEキャッチ」では、30万円の賞金を獲得した。 2011年7月21日、第二子(男児)が誕生。 2013年6月、都内に一戸建て(3階建て)の新居を購入。 同年11月25日、『私の何がイケないの? 妻の不満爆発!幸せ家族の裏側SP』(TBS)に夫婦そろって出演。 月収とホスト時代に購入した3LDKのマンションの家賃収入を合わせ、毎月80万円の収入があるが、 お金の管理は本人がしており、毎月15万円だけを生活費として妻に渡し、残りは全て自分の趣味に費やしていたこと、 フィギュアを売却して得た2千万円も使い果たしていたこと、貯蓄が全く無いことも明かされた。 また、この番組ではスタジオでおりも政夫と共演した。 2014年1月7日、『芸能人今でもスゴい!懐かしの100人すべて見せます生放送スペシャル!』(フジテレビ)で妻が紹介された際、一緒に出演していた。 同年7月29日、『解決!ナイナイアンサー』(日本テレビ)に夫婦そろって出演)[1]

シュートボクセ・アカデミージャパン代表

[編集]

偶然に知り合ったヴァンダレイ・シウバ(当時PRIDEミドル級チャンピオン)に紹介され、シュートボクセアカデミー会長フジマール・フェデリゴと知り合い、日本での拠点として東京都中野区に設立。 選手の来日時にはセコンドに付いたり、私生活のサポートをしていた(会話は独学で取得したポルトガル語を用い、時には通訳の役割をこなした)。 格闘技の経験を活かし自らも練習に参加して、帯を取得するほどの腕前となる。 選手の活躍に伴い会員数が増えたが、PRIDEの興行が行われなくなったのを機に閉鎖した[2][3]

コレクター

[編集]

ホスト時代の収入の殆どを趣味のフィギュアや玩具に費やし、専用の倉庫を保有するまでに至った。 ブリキのおもちゃ博物館館長で鑑定士の北原照久が訪れ、個人所有日本一と評する程の質と量で、水木しげるの貸し本まで所有していた[4]


メディア

[編集]


出典

[編集]
  1. ^ "ジャニーズ百科事典"
  2. ^ 格闘技通信
  3. ^ 格闘技伝説
  4. ^ フィギュア王73号