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利用者‐会話:山口洋一

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ウィキペディア日本語版へようこそ!

こんにちは、山口洋一さん。はじめまして! ウィキペディア日本語版へようこそ!

ファーストステップ・ガイド
  • 初心者の方はまずガイドブックを読んでください。今後の編集活動にとってとても大切な内容が書かれています。
  • 児童・学生のみなさんは児童・生徒の方々へをお読みください。
  • サンドボックスでは、自由に試し書きをすることができます。
  • トレーニングも兼ねて自己紹介をしてみましょう。
  • 隣の利用者ページは自己紹介や作業用のスペースとして利用することができます。
  • 執筆・編集するときは五本の柱に注意してください。
ヘルプ
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  • FAQ - ウィキペディアについてのよくある質問と回答集です。
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ワンポイント情報
間違えてしまったら?
  • ウィキペディアはウィキというシステムを使っています。ちょっとした間違いなら、すぐに直して投稿すれば問題ありません。
  • ウィキペディアのページそのものは削除することができません。詳しくは削除の方針に書かれています。
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山口洋一さんがウィキペディアにおいて実り多き執筆・活動をなされることを楽しみにしております。--Trgbot 2011年10月21日 (金) 19:52 (UTC)[返信]

山口菅三について

[編集]

こんにちは、はじめまして。山口菅三についてですが、ご親族に当たられる方でしょうか。Wikipedia上では第三者によるWikipedia:検証可能性が満たせるよう、Wikipedia:独自研究を載せない(たとえ事実だとしても検証不可能なことは載せない。)といった方針があります。出典として様々な資料をあげていただいておりますが、どの部分の記述がどの出典によるものか記述していただけないでしょうか。その際なるべくページ数がわかるものはなるべく記述をお願いします。

山口氏が日露戦争の勝利に大きく貢献したことが事実だとしても、Wikipedia:信頼できる情報源による担保がされない状況ですと、大言壮語的な記述Wikipedia:中立的な観点に欠けた記述と見られてしまいます。同じ山口姓の利用者名で編集なさっておられることから、Wikipedia:自分自身の記事を作らないに照らして不適切と見られる可能性もあります。--Tiyoringo 2011年10月22日 (土) 04:38 (UTC)[返信]

はじめまして、山口洋一でございます。「山口菅三(やまぐち すがぞう)」の孫でございます。孫といいましても、もう58歳でございます(笑)この度は祖父「山口菅三」のWikipedia編集で貴重なアドバイスと綺麗に編集を頂きまた励ましのメールまで早速頂戴いたしまして本当に有難うございます。Wikipedia編集は初めての経験ですし、もともとこうした作業は苦手でございましたので皆様方の暖かい御支援によりまして、瞬く間にWikipediaとして体裁が整えられて行くプロセスを拝見しながら驚嘆の気持ちと感謝の気持ちでいっぱいでございます。心より御礼申し上げますと共に、引き続きよろしく御指導の程お願い申し上げます。皆様方からご指摘頂きました点に付きましては、極力速やかに対応するようにいたします。ただ現在小生は87歳の実父介護(脳梗塞+人工透析=身体障害者一級)と多忙な仕事の真っ只中に加えまして、先般83歳の母が介護疲れで入院と、まさしく「仁王立ち」状態です。こういう年代ですから仕方がないことかもしれません・・・。皆様方の暖かいご理解を頂ければ幸甚でございます。(対応が遅いと怒らないで下さい)尚、今回記述させて頂きました内容の多くは、戦前「陸軍省」が「軍機」として封印し、戦後占領軍に渡さぬよう廃棄された機密書類、「外務省資料保管庫」で長年眠っていた日露戦争関係資料が多く含まれております。「歴史的資料」としては未公表の資料が多く、「近代日本対外関係史」の空白部分を埋める「歴史的価値」が有るものと考えます。ご指摘のありました資料の出典に付きましては、また近日中に「国立国会図書館」にまいりまして「憲政資料室所蔵資料―外交官 川上俊彦(としつね)関係文書」等で再度確認してまいります。ちなみに「外交官 川上俊彦関係文書」は「乃木将軍との往復書簡」も含め「原資料」だけで実に「904点」もございます。確認作業もなかなか大変です(笑)尚、今回小生が祖父「山口菅三」の記述を投稿させて頂きました「主旨」は、混迷の時代に生きる現代の日本人に「活力」と「誇り」を取戻す一助になればと思ったからです。明治の日本人の気概と祖国日本の防衛の為に極寒のシベリアの地で命がけでロシア軍の「情報収集」と日本軍の「勝利」に為に奔走した山口菅三の体験記=実話で、貴重な資料だからです。特に「元イマン居留民会長 服部富造君」(西川太治郎編纂:昭和13年9月25日発行)は、元々日本図書館の嚆矢「大橋図書館収蔵書」として「第一級の歴史的価値を有している」との説明を、現在収蔵している芝増上寺敷地内「三康図書館」から受けております。更に「三康図書館」学芸員の説明によれば、この書物だけは「国立国会図書館」でも入手できなかった貴重な資料とのことでした。今回投稿させて頂きました内容の骨子は「元イマン居留民会長 服部富造君」(西川太治郎編纂:昭和13年9月25日発行)を基に記述しております。当時帝国陸軍は 規模でロシア陸軍に比べ劣勢でした。その劣勢さを帝国陸軍は「正確な情報」を武器に劣勢を跳ね返し最後まで戦い続けました。その明治人の「正確な情報収集」の一端が山口菅三の命を賭した活動から見えてきます。「正確な情報」とは「他国の人々を大切にし、敬意を払うこと」で「その情けに報いる形でもたらされる天の啓示である」と感じることが出来ます。帝国陸軍創成期の「情報収集」の分野を知る上で「貴重な歴史資料」であり、皆様方のお力をお借りすることで歴史のスポットを当て、混迷の時代に生きる現代の日本人に「活力」と「誇り」を取戻す一助になればと願っております。これをご縁に、引き続きよろしく御指導賜りますよう心よりお願い申し上げます。取り急ぎ御礼まで 山口洋一 拝
親族・関係者の方が宣伝の如くに伝記を書き連ねなくても、日本史・世界史上の著名人であれば誰か(第三者)が人物伝を、より中立的視点から書いてくれます。検証可能性とはそういう事です。更に、Wikipedia:特筆性 (人物)という事もあります。ご留意下さい。--113.197.148.54 2011年10月22日 (土) 12:40 (UTC)[返信]
ご返信ありがとうございます。Wikipediaは何分大きなプロジェクトであることなどから、いろいろなルールが作られており、編集になれるまではいろいろ難しいこともあるかなと思います。山口氏が活躍された時期からか、インターネット上では検索を行っても、情報がほとんど得られないことから、書籍によりHelp:脚注の利用で記事を補強し、第三者への信頼性をより高めていっていただければと思います。ネットを出典とした場合に比べて、書籍により出典をつけていくのは手間がかかりますが、それほど急ぐ必要はないので、じっくりと実施していただければと思います。読みものとしての面白さを追求した場合には、派手な修飾表現などがあった方が望ましいと思いますが、Wikipediaは客観性を求められる百科事典ですので、表現に関しては控えめに記述していかれた方が良い部分があるかなと考えます。今後のさらなるより良い記事への発展を期待させていただきます。--Tiyoringo 2011年10月22日 (土) 12:48 (UTC)[返信]