コンテンツにスキップ

利用者‐会話:小鯛 史朗

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

私は、歴史小説家です。そこで、ウィキペディアの次項目「磐井の乱」と「白村江の戦い」の、改訂若しくは再編集を試みようと決意しています。 何が問題かを書き出していますが、書き方が若干判らない点などありますので、色々お聞きしながら編集を進めたいと思っています。 そこで、基本となる「依って立つ思想的立場」と(前記の2項目に限られますが)、柱とすべき関係書籍はAD720の「日本書紀」です。    まず、「日本書紀」の記述を全く無視して、「根拠を示さずに」既述しているヶ所が大変多いと言うことです。 一つ例を言うと「磐井の乱」の磐井を「勝手に地方豪族」にしています。日本書紀に「筑紫國造」とある以上、彼の前身は、「官吏、官僚」なのであり、それ以上ではない。  従って、それを前提に「乱の内容を構成」しないといけない。  そこで、2つの問題があって、1.は「巨大古墳」の存在である。しかしながら、これが磐井の墓と「勝手に特定」されている--小鯛 史朗会話2022年2月24日 (木) 04:37 (UTC)が、証拠がない。これを「磐井の古墳」と思い込むと、それに見合う「地方豪族」という設定が必要となるのである。 2.は、「九州王朝説」との関係であるが、筆者は「九州王朝説」を支持しているが、「磐井の乱」と矛盾しない「九州王朝」を(自己の主張として)設定しているので、日本書紀と矛盾しない範囲で、解説上の「仮説」を最小限提示する予定である。この「仮説」なしには、合理的に「磐井の乱」を解説することは出来ないし、諸兄のご批判、ご提案を受ければ、全面的に「削除」「修正」を、何ら躊躇なく実行します。  次に「白村江の戦い」に掲示されている「朝鮮半島への渡海ルート地図」は、誤りだと思っているので、「日本語にて書かれた渡海ルート地図」を用意しているので、入れ替えたいと思っている。  「損害の項目」に「馬1,000頭」と有る「根拠」と、同時に「記述者」に連絡を取りたいと思っています。これは、反対ではなく、筆者も「可能性大」と密かに思っていたことと、合致するからです。[返信]

 いずれにしろ「日本書紀」を「正」として、磐井の乱の顛末を先ずは編集予定です。--小鯛 史朗会話2022年2月24日 (木) 04:37 (UTC) [返信]