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利用者‐会話:大神楽太郎

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大神楽楽太郎様、伊勢大神楽(増田神社)ページへの編集協力、感謝申し上げます。こちらは桑名市の民俗芸能研究者で獅子舞・主に伊勢獅子の系統に当たる桑名・鈴鹿・伊賀・名張・奈良の獅子神楽について調査研究している者です。 私が作成しました当伊勢大神楽(増田神社ページ)作成は全て桑名市広報課・皇學館大學・三重県総合博物館・伊勢大神楽講より資料提供・明確な聞き取り調査を重ねて歴史的事実の整合性がら資料提供にご協力いただけると大変助かります。

大変心苦しいのですが、ご確認できます通り大神楽太郎様に加筆頂いた文言を削除させて頂きました。 Wikipediaでは事実との整合性の取れない曖昧な記述・個人的主張を書く事を禁止されております。 大神楽楽太郎様の編集されました文言は当ページ「伊勢大神楽講社(増田神社)」の内容と無関係であり。wikipediaのルールに抵触しておりますので早急に対応させて頂きました。

大神楽楽太郎様が加筆されました「『神道伊勢大神楽教(渋谷章社中)』に対して「伊勢大神楽」の名称を用いることを認めている。また伊勢大神楽の家元十二家の一つである森本長太夫からも昭和61年正式に委任されている。このように『伊勢大神楽講社』には属していないが伊勢大神楽として正式に認められている団体も存在している。」との文言が御座いますが、明確に事実に反する記述が確認されますので、この項にて指摘させて頂きます。

×森本長太夫からも昭和61年正式に委任されている取れている文言のみ記載を心がけておりますが、神道伊勢大神楽教に関する古文書・活動記録が県下に御座いません。桑名藩や増田神社・太夫村との交友証明・菩提寺の過去帳が御座いました


各地の民俗学者の調査でも明らかにされているように、同種類ノ業の多くが神道伊勢大神楽教と全く同様の主張を行っておりますが、これは同種類ノ業主張は伊勢大神楽講社役員(太夫または責任者)とは無関係な者が委任状を書いていると推察されます。

なぜなら、名跡の個人間の委任自体がそもそも禁止事項であり、委任状なるものが存在する時点で委任が行われていない証拠となるからです。規則に抵触する委任・売買を行った社家は除名されておりますが、同団体が主張する森本長太夫家は委任を行っておらず伊勢大神楽講社に名跡返還を行なっております。 名跡返還や委任・役員就任に際する正式な書類は全て桑名市・太夫自治会・菩提寺・文化庁に報告開示されており、書面一枚で交わされるような簡素なものではありません。

大神楽太郎さまは、どのような根拠をもってこの記述を「正式」と公表されておりますか? 桑名市への調査には入られておりますか? 太夫村への調査は行われましたか? 森本長太夫家(大神楽は廃業されても太夫にご在住されております)には実際に「正式」な委任状の存在を確認されましたか? 増田神社へ出向き、証書の存在を確認されましたか? 正式な証書が存在する場合は全て増田神社・社家に保管されており、桑名市にも開示されております。

もう一点指摘致しますが、伊勢大神楽の名称は元来より三重県桑名市だけのものではなく、そのような主張を桑名市側が行なった事実はありません。伊勢大神楽は三重県・愛知県両県において複数の発祥が確認されております。すなわち、三重県下の一宗教法人である伊勢大神楽講社が他都道府県の別なる宗教法人に対して「伊勢大神楽の名称使用を認める」主旨の主張を当ページに記載するのはおやめください。伊勢大神楽という名称は公に認可されているものであり、特定自治体・宗教法人が越権して認可するようなものではありません。

再度確認いたしますが、Wikipediaで虚偽の記述を記載するのはルール違反になります。 こちらは地元桑名市管轄の『伊勢大神楽(増田神社・伊勢大神楽講社)』のウィキペディアページです。 事実と異なる記載があった場合はすぐさま事実確認が可能です。

その上で、明確に確認の取れる加筆が可能であれば、今後もページの発展にご協力をお願い致します。

S20400343様 はじめまして大神楽太郎と申します。 書き込みありがとうございました。 何点か疑問点がございます。 まずはじめに「伊勢大神楽」でウィキペディアのページを編集されておられますがS20400343様も仰られておられる通り 「伊勢大神楽」=伊勢大神楽講社ではないということですよね? しかしこの「伊勢大神楽」のページでは伊勢大神楽講社=「伊勢大神楽」となっていませんか? もちろん「伊勢大神楽講社」のページであれば問題ありませんが「伊勢大神楽講社」のページに書き換えるのでであれば 「伊勢大神楽教」の記述はご遠慮ください。

あくまで「伊勢大神楽」の名称にこだわるのであれば「伊勢大神楽講社」も「伊勢大神楽」の一部にすぎないということです。 そういった観点から「伊勢大神楽」=伊勢大神楽講社となっている内容の部分すべての記述を書き換えてください。

さてS20400343様はどうしても桑名市の伊勢大神楽講社のみを「伊勢大神楽」とされたいようですが 一般的な観点から申しますとその「技術」をもって「伊勢大神楽」と申すべきではないでしょうか? --大神楽太郎会話2017年12月9日 (土) 13:30 (UTC)[返信]


大神楽太郎様、早期のお返事ありがとう御座います。

私の質問には一切お答え頂けないのに、ご質問で返されるというのは疑問点に感じます。 ただ、前述しました様に答えは明白でありますので、これに関してはお返事頂く必要はございません。 しかし、Wikipediaのルールにもあるように、Wikipediaでは当事者または、実際に関与していない第三者が主観または個人的主張・願望を記事とすることは禁止されております。

神道布教師が個人間で檀家の利権を売買する行為自体が違憲であるにも関わらず、存在自体が違憲であるはずの委任状を「正式」としてWikipediaに記載した事は大きな問題かと思います。 一度、このような記述を掲載しますとWikipediaでは編集履歴が残ってしまします。信用ある記事を掲載しないアカウントは罰則対象となる為、次回からは慎重に更新されますようお気をつけ下さい。


大変興味深いご指摘・ご質問をありがとうございます。以下に早速お答えさせて頂きます。

ご質問:「伊勢大神楽」=伊勢大神楽講社ではないということですよね?しかしこの「伊勢大神楽」のページでは伊勢大神楽講社=「伊勢大神楽」となっていませんか?

答え:それは文化庁にご指摘なさって下さい。三重県・文化庁の両者が伊勢大神楽講社の五社中を「伊勢大神楽」の名称として登記しているのですから。公に伊勢大神楽講社=伊勢大神楽と登記されているものを、Wikipedia上で歪曲するとWikipedia運営から警告が届きます。ページ作成当初、何度もWikipedia運営より指摘・削除・改変された結果、現在のページになっているのですから。

一応、学術的にも反論させて頂きますが、伊勢大神楽=伊勢大神楽講社は文化庁の記録で確認できる通り、伊勢大神楽という名称が指すものは伊勢国桑名の伊勢大神楽です。西日本・関東圏に伝承される獅子神楽系の民俗芸能において伊勢大神楽から伝承を受けたとの文言が確認される記録が数十ヶ村以上に遺っており、それらは伊勢国桑名(字太夫・字阿倉川)と明記されております。中世~近世、同時期に発祥・活動した伊勢大神楽は全て近世に廃業もしくは江戸大神楽へと姿を変えており、伊勢大神楽=伊勢大神楽講社は明白の事実であります。 その中で桑名市は他の伊勢大神楽の本拠が確認された市町村(愛知県安城市など)に対し配慮する意味もあり、実際は近代に入り200年近くも固有の名称だったにも関わらず、敢えて伊勢大神楽の名を固有のものとして主張していないのです。 最初に戻りますが、桑名作成の伊勢大神楽ページが(増田神社・伊勢大神楽講社)と明記したのは、Wikipediaのルールに則り曖昧な表現が禁止されているからに他なりません。現代において他に類似または同一の名称で活動する団体が西日本において複数確認されておりますので、認識の混同助長を避けるため配慮した表記としております。 また、大神楽太郎様のようにページを拝見された方の一部が「伊勢大神楽講社以外の伊勢大神楽は公に認可された存在でないのか?」と勘違いせぬよう、古資料に則り『同種類ノ業』として暗に同一名で伊勢大神楽を名乗る団体・人が存在する事はしっかりと示しており、Wikipediaのルール上、最も合理的な表記にまとめさせて頂いております。

ご指摘:「伊勢大神楽教」の記述はご遠慮ください。

お答え:仰る通りです。上記の質問にも御座いますように、桑名市管轄の地元(伊勢大神楽講社・増田神社)ページですので、文化財と無関係な団体の記載は望むところではないのです。ですが、桑名市側には兼ねてより、神道伊勢大神楽教を三重県の宗教法人と誤認した問い合わせが数多く寄せられております。私も調べましたところ、このようなものを発見致しました。


以下をご覧ください。

『伊勢大神楽をおいかけて』 ジャーナリスト 福井武郎氏

獅子舞いとして親しまれてきた伊勢大神楽。元をたどれば伊勢神宮のお使いだ。 発祥の地は三重県桑名市の西の丘陵にある太夫町の増田神社。いまから約600年前にここを本拠に伊勢神宮に参拝できなかった人たちに伊勢神宮のお札を持って1年に1度、西日本の各地を回ったのが、その始まりだ。そのため昔は、代わりに伊勢神宮に参拝するため代神楽と呼ばれていたこともあった。現在も伊勢神宮に参拝する人は多いが、昔は「伊勢神宮参拝は一生に一度の大夢」というほど信仰は厚く、伊勢講というグループを作って命懸けで参拝した。しかし、伊勢神宮へ参拝できる人は、ほんの一握り。ほとんどの人にとっては夢の夢だった。そんな人たちのために伊勢神宮の神札を持った伊勢大神楽の一行が地方へ分散、一軒一軒の家を門付けして無病息災、家内安全などのお祓いをするのがその任務だった。最初は12組でスタートしたが、時の流れとともに山本源太夫、そしてここに紹介する渋谷章社中(森本長太夫、石川宗太夫)の7組だけになってしまった。 各組が手分けして近畿、北陸、山陰、瀬戸内、四国を1年間かけ旅巡業するのだ。

これは神道伊勢大神楽教が、公式サイトに掲載されている文言であります。お読み頂ければ分かるように、こちらの福井武郎氏というジャーナリスト様の文言は神道伊勢大神楽教を本来は無関係である筈の三重県桑名市・太夫村自治会・伊勢大神楽講社・山本源太夫家・石川宗太夫家(中村家)・森本長太夫家を由緒・関連地域として明確に想起させる事を前提とした文章を寄稿しております。 また、同ジャーナリストは実際に桑名市・太夫へ調査・取材を自身が申し込んだ記録はなく、憶測記事である事は疑いようがありません。 この文章は現在でも神道伊勢大神楽教の公式ホームページに掲載されております。如何に第三者が発信した憶測記事であっても、公式サイトに掲載する事を認可していては、神道伊勢大神楽教自体がこのような発信をしていると捉えられるのも無理はないものと思います。

過去には桑名市への苦情が多い事から、改善策を伊勢大神楽講社側へ求めた為、筆頭役員の一人が直接、神道伊勢大神楽教側に削除を進言したが是正されず放置されているとの事でした。 したがって、神道伊勢大神楽教様がこのジャーナリスト様の文章を掲載・または三重県桑名市との関連付け記事を発信し続ける限りは、桑名市側と致しましては、このような世間の誤認をとくべく実名を挙げて否定を続ける他ないのです。

ご指摘:一般的な観点から申しますとその「技術」をもって「伊勢大神楽」と申すべきではないでしょうか?

答え:おっしゃる意味が抽象的であり理解できません。大神楽太郎様は研究者様ではなく、実態の無い「一般的観点」でWikipediaの記事を更新されているのでしょうか?再度申し上げますが、Wikipediaのルールにもあるように、Wikipediaでは当事者または、実際に関与していない第三者が主観または個人的主張・願望を記事とすることは禁止されております。 私も研究者ですので議論は大いに結構ですが、議論したところで前述ようにWikipediaの編集上、憶測・願望記事の掲載は認められていない行為であり、議論する意味が全くありませんよ。 Wikipedia運営に監視対象とされると最悪、アクセスできなくなります。

最後にまとめさせて頂きますが、私は神道伊勢大神楽教に関わらず、桑名市外の伊勢大神楽に関して伊勢大神楽(伊勢大神楽講社・増田神社)ページに掲載する意志はありません。管轄外であり調査にも入っておりません。 ですので、神道伊勢大神楽教の公式サイトに掲載されたジャーナリストの憶測記事によって、誤った問い合わせ・事実混同からくる苦情が一定数存在する以上、伊勢大神楽講社が対処せずとも桑名市側としては神道伊勢大神楽教が公式サイトにて、無許可に桑名市や増田神社の歴史と関連付けしている記事を引用し(※Wikipediaのルールです)三重県より県指定・文化庁より国指定を受け公に活動している伊勢大神楽と神道伊勢大神楽教は無関係・そのような事実はないと否定する記事を掲載するのみです。

大神楽太郎様、間違っているのは伊勢大神楽のWikipediaではありません。所縁のない三重県桑名市の関連記事を歪曲して公式に掲載している神道伊勢大神楽教や、そのような行為を黙認している大阪府高槻市の問題です。間違いの指摘は同団体または、高槻市にお願い致します。それが是正された事が確認されましたら、私が速やかに削除・編集など対処致しますのでご報告下さい。

では、今後とも整合性の取れる記事の編集にご協力をお願い致します。 --s20400343会話) 2017年12月10日 (日) 4:30 (UTC)


S20400343様

お返事ありがとうございます。まず歴史的な経緯については 私はなんら反論がございません。ただ伊勢大神楽の定義について 疑問を呈しているのです。

>伊勢大神楽の名称は元来より三重県桑名市だけのものではなく、 そのような主張を桑名市側が行なった事実はありません。

>伊勢大神楽=伊勢大神楽講社は文化庁の記録で確認できる通り、 伊勢大神楽という名称が指すものは伊勢国桑名の伊勢大神楽です。

>桑名市は他の伊勢大神楽の本拠が確認された市町村(愛知県安城市など) に対し配慮する意味もあり、実際は近代に入り200年近くも 固有の名称だったにも関わらず、敢えて伊勢大神楽の名を 固有のものとして主張していないのです。

>古資料に則り『同種類ノ業』として暗に同一名で伊勢大神楽を 名乗る団体・人が存在する事はしっかりと示しており、 Wikipediaのルール上、最も合理的な表記にまとめさせて頂いております。


以上からよく分からない分類になっているのですが、 一方で伊勢大神楽=伊勢大神楽講社と発言しそれ以外にも 伊勢大神楽を名乗る団体があると。『同種類ノ業』なる分類で それは旅芸人や遊芸人であると。


すると伊勢大神楽講社で修業をし独立した団体はどうなるのか? 伊勢大神楽講社と同じように昔から伝えられる祈祷や技術を 受け継ぐ団体はどうなるのか?

そのような団体は伊勢大神楽講社には属さないが 源流は桑名の神楽にあるのではないのか? たとえば剣術や空手が発祥は日本や沖縄と言っているのと 同じではないのか? アメリカで行っている剣術や空手は偽物なのか? まったく日本や沖縄と関係ないのか? S20400343様の発言ですと関係がないと言っているようですが?

S20400343様の分類では伊勢大神楽講社の血筋(名義)で 分けているだけではありませんか?


>神道布教師が個人間で檀家の利権を売買する行為自体が 違憲であるにも関わらず、存在自体が違憲であるはずの委任状を


はたして売買が行われたと断定できる証拠はあるのでしょうか? 廃絶した社家の檀那場を巡回しなかった伊勢大神楽講社に 責任はないのでしょうか? 一部場のみを巡回している ことからあがりの良い場だけを選択しているのでは? そのほかの場を捨てたのではないでしょうか? そういった現状から巡回されていない地域の委任を 任せるといった親族の気持ちがあったのでは? もちろん伊勢大神楽講社のルールでは委任状は無効ではありますが。


>もう一点指摘致しますが、伊勢大神楽の名称は元来より三重県桑名市だけのものではなく、 そのような主張を桑名市側が行なった事実はありません。 伊勢大神楽は三重県・愛知県両県において複数の発祥が確認されております。 すなわち、三重県下の一宗教法人である伊勢大神楽講社が他都道府県の別なる宗教法人に対して 「伊勢大神楽の名称使用を認める」 主旨の主張を当ページに記載するのはおやめください。


昭和58年京都地方裁判所にて渋谷章に対して山本源太夫はじめ森本 英明氏など各組の代表が訴訟を起しましたが、その和解条項の第3に

原告ら(伊勢大神楽講社の代表数名)は被告(渋谷章)らが「伊勢大神楽」という表示を用いて 獅子舞営業を行うことを承認する。但し原告らと被告らは 相互に営業活動を阻害しないように注意するものとする。

とあります。また第5には

原告(伊勢大神楽講社の代表数名)らと被告(渋谷章)らは第三者が 獅子舞営業に関して「伊勢大神楽」という文言を冠した営業表示を 用いていることを発見したときは、右表示を自粛するよう、当該 第三者に強く要請することならびに、もし当該第三者が右要請に 応じないときは原告らと被告らは協力して毅然たる態度で対処する ことを互いに約束する。

とありますが?

--大神楽太郎会話2017年12月12日 (火) 16:14 (UTC)[返信]


大神楽太郎様、お返事ありがとう御座います。

なる程、大神楽太郎様が論点とされている点が僅かながら把握できたように思います。 再三申し上げておりますが、当伊勢大神楽(増田神社・伊勢神楽講社)ページは構築初期に、再三Wikipedia運営より整合性のとれる文言のみで構成するよう指導が入り、複数人監査の元、時間を掛けて文言構築がなされているページですが、確かに“同種類ノ業”の項で整合性の取れる記事のみを記載した場合、私の意図する文章と客観的第三者からみた文章で受け取る印象が異なる箇所があるようです。

では、互いに整合性の取れる証書を基に、同種類ノ業の項の文言作成について議論を致しましょう。 当然では御座いますが、恐らくは、精査・比較している資料数に明確な差があるのでしょう。 また、大神楽太郎様が明らかに研究者ではない点は把握致しましたので、その点に関しては私が知識・資料などで補助して議論を進める事といたしましょう。

以下をしっかりと心に留めて対話をされますよう、宜しくお願い致します。


450年以上の歴史が確認される伊勢大神楽において、同名を称する集団・村落が乱立した近世、桑名藩神楽職支配直属かつ伊勢大神楽祭主下神職の身分であったのは桑名藩太夫村・東阿倉川村の二村のみです。※学術的に証明された資料、複数有。

重要なポイントは450年の歴史の中、伊勢大神楽と名のつく組織・人・村・または関係者(藩主・神楽支配)に関する中世の膨大な資料の中で、つまり『伊勢国桑名藩』『神楽支配』直属、本拠地『桑名太夫村』・『桑名東阿倉川村』を本拠に『伊勢神宮祭主下』神職として『伊勢御師』と繋がり『神宮大麻』を配札したというのは、現在の伊勢大神楽講社のみの歴史である事。 では、尾張国・三河国に確認される多数の伊勢大神楽がどのような身分だったのかと言うと「遊芸稼人」という幕府より芸能者として認められた身分であります。また、当ページでも言及しておりますように、遊芸稼ぎ人が行う伊勢大神楽にも長い歴史があり、「全く別なる文化として認識する必要がある」と言及しております。 神道伊勢大神楽教の成立はいつ頃でしょう?江戸期はどちらを拠点にどのような身分と記録されておりますでしょうか?


問:伊勢大神楽講社で修行し独立した団体・伊勢大神楽講社と同じように昔から伝えられる祈祷や技術を受け継ぐ団体はどうなるのか?

答え:伊勢大神楽講社で修行し独立した団体・同じ祈祷や技術を受け継ぐ団体とは、どの団体・集団を指すのでしょう?明確にお答え頂けますか?

明確に桑名太夫の伊勢大神楽からの伝承が確認されている伊勢流神楽に関しては、整合性の取れる資料の遺るものは(桑名市と利害関係がなくとも)伊勢流神楽の項にて、はっきりと明記させて頂いております。再度申し上げます。明確にお答え下さい。事実であれば早急に資料確認・事実確認させて頂きます。 何年~何年に何処の団体として活動した団体がどのような祭儀でもって独立を承認されたのでしょうか?資料の所在地をお教え下さい。桑名側の研究者が早急に確認に伺いたいと思います。県外でも問題はありません。敢えて明示致しますが、裁判の資料は勿論、桑名市側の民俗学者にも開示されており、把握しております。伊勢大神楽講社と渋谷章氏が争点について和解したことを拡大解釈し、大神楽太郎様は伊勢大神楽の伝統継承・独立と仰っているのでしょうか?

問:廃絶した社家の檀那場を巡回しなかった伊勢大神楽講社に責任はないのでしょうか?一部場のみを巡回していることからあがりの良い場だけを選択しているのでは?そのほかの場を捨てたのではないでしょうか?そういった現状から巡回されていない地域の委任を任せるといった親族の気持ちがあったのでは?もちろん伊勢大神楽講社のルールでは委任状は無効ではありますが。

指摘:大神楽太郎さま、当事者ではない者同士が憶測で議論する意味などありませんよ。憶測への反論に意味はございませんが、森本長太夫家に関しましては伊勢大神楽講社に名跡返還が行われており、すぐさま親族の要望により、同社家と年中行事を共にしていた山本勘太夫家に引き継がれ祭儀の責任は山本勘太夫家にあります。

大神楽太郎様の主張における矛盾を以下にまとめましたのでご覧ください。

神道伊勢大神楽教は、伊勢大神楽講社より伝統の継承・独立を認証された宗教法人なのですね? 独立に際し増田神社の御柱を勧請する祭儀が行なわれましたか? なぜ桑名側に勧請の申請書類の登記がないのでしょうか? 増田神社祭儀を共催する増田神社・神館神社・大福田寺には、これまで本拠移転やご神体の勧請の祭儀の記録が遺されております。しかし太夫村の外へ勧請された記録など一切ございませんよ。

前回も仰ったように技術を受け継いだと申されるのでしょうか? 加藤菊太夫社中と尾鷲市山城社中のように、伊勢大神楽講社より技術・祭儀の共催が行われた場合は伊勢大神楽講社の講社員として活動する形が推奨される形となります。 神職が祭儀をせず、祈祷の形だけ模したものを技術の継承と仰りますか? 渋谷章氏が、いつ増田神社の祭儀に参加したのでしょう?

もう一度、確認致しますが、神道伊勢大神楽教は大阪府高槻市の宗教法人であるにも関わらず、三重県桑名市太夫自治会の由緒をうたう憶測文書を掲載しております。これは桑名市側・神道伊勢大神楽教双方に著しい不利益となっております。 この文章を掲載・容認している結果として、事実誤認によって寄せられる神道伊勢大神楽教に関する問い合わせ・苦情は桑名側に届くのです。本年も同団体の被雇用者・保護者より寄せられるセクシャルハラスメントやモラルハラスメントを訴える当事者・委託者からの告発文書が桑名側に届いております。同種類ノ業の存在は複数団体、認識しておりますが、このように雇用者や関係者から意見書・告発文章が桑名に届くのは由緒に憶測記事を掲載している神道伊勢大神楽教だけです。

報告書を寄せた神道伊勢大神楽教関係者に対する、桑名市側からできる対応は、伊勢大神楽講社や桑名市とは関係の無い団体であると発信する事のみですが、教団がジャーナリストの文章を削除し、大阪府高槻市本拠の伊勢大神楽であることをしっかりと示せば、一切の問題は解決されるではありませんか。

なぜ、教団にとって桑名市太夫・増田神社・山本源太夫・森本家・伊勢神宮といった関係実態の無い人・団体への由緒関連係づけが必要なのでしょうか? おそらく、教団側もこのような不利益の事態は想定せず、前述のジャーナリストの憶測記事を掲載しているものと思われます。ですが、実際には桑名本拠と誤認を誘発した文章となており、上記のような労働者・関係者からの質問状・訴えは桑名への監査責任として近年集中する事態となっております。

よって、本題である「同種類ノ業」における表記は当事者である神道伊勢大神楽教の文章が改められぬ間は、桑名市側・教団双方にとって現在の形が望ましいと考えますがいかがでしょうか?大神楽太郎様が削除にこだわっております、同団体の願望・憶測記事は公式サイトよりの引用であります。つまり、同団体が「関係のない桑名市や太夫・神宮との関連付けを掲載している」事実を引用しているのです。 Wikipediaは憶測願望ではなく、整合性の取れる事実によって構築されるサイトです。

もちろん、現行の形が最終結論ではございません。上記のような捻じれが解消された場合、速やかに同団体に関する記事の一切を桑名市側のWikipediaより削除致しますし、こちらも桑名に所縁の無い伊勢大神楽を掲載する意志はございません。同団体の発信是正を共に静観致しましょう。

--s20400343(会話) 2017年12月13日 (水) 14:37 (UTC)

S20400343様

>神道伊勢大神楽教は、伊勢大神楽講社より伝統の継承・独立を認証された宗教法人なのですね? 独立に際し増田神社の御柱を勧請する祭儀が行なわれましたか? なぜ桑名側に勧請の申請書類の登記がないのでしょうか? 増田神社祭儀を共催する増田神社・神館神社・大福田寺には、 これまで本拠移転やご神体の勧請の祭儀の記録が遺されております。 しかし太夫村の外へ勧請された記録など一切ございませんよ。

>前回も仰ったように技術を受け継いだと申されるのでしょうか? 加藤菊太夫社中と尾鷲市山城社中のように、伊勢大神楽講社より技術・ 祭儀の共催が行われた場合は伊勢大神楽講社の講社員として活動する形が 推奨される形となります。 神職が祭儀をせず、祈祷の形だけ模したものを技術の継承と仰りますか? 渋谷章氏が、いつ増田神社の祭儀に参加したのでしょう?


S20400343様はどうしても伊勢大神楽講社の視点から述べられていますが 伝統の継承・独立を講社が大神楽教に対して認めるわけはないでしょう。 問題を分けて考えましょう。

発生当時カトッリクとプロテスタント、東本願寺と西本願寺が互いを認めていましたか? 認めるはずがありません。同じく大神楽教も講社のルールで独立したのではありません。 それは別派とは申しません。ですので継承を講社のルールで説明されても全く意味がありません。 では何が講社から継承されているのでしょうか?  各戸で竈祓(祈祷)を行う際の獅子舞における舞や曲などだと申しているのです。

結局のところS20400343様は伊勢大神楽教が桑名市と関係がないと訴えられているのですよね? 団体として伊勢大神楽教は大阪認可の宗教法人ですから桑名市とは関係がないと思います。 ですが大神楽教の回壇の方法や技法は伊勢大神楽講社と同じであり、 そういった意味では(技法は)桑名発祥と申しても仕方がないのではありませんか?

>速やかに同団体に関する記事の一切

結局のところ団体として伊勢大神楽教は桑名市や伊勢大神楽講社とはまったく関係がない。 これは両者一致の認識だと思います。

問題は大神楽教の回壇の方法や技法は伊勢大神楽講社を基にしているのですから 全く関係ないとは言えない。つまりは桑名発祥の大神楽に由来する

と申しているのです。


>教団がジャーナリストの文章を削除し、 大阪府高槻市本拠の伊勢大神楽であることをしっかりと示せば

これは同意致します。

「団体として伊勢大神楽教は伊勢大神楽講社や桑名市とはまったく関係がない」

上記のみが問題となっているのであれば問題は解消ですが、

「大神楽教の回壇の方法や技法は伊勢大神楽講社を基にしているのですから 全く関係ないとは言えない。つまり回壇の方法や技法は桑名発祥の大神楽に由来する」

に関してまで否定されるのであれば納得がいきません。

--大神楽太郎会話2017年12月13日 (水) 13:23 (UTC)[返信]


大神楽太郎様、お返事ありがとう御座います。 論点を整理頂き感謝致します。 仰りたいことは良く分かります。ただ、大神楽太郎様の主張は論理的に破綻しており、研究者として理解しづらい点が御座います。


→伝統の継承・独立を講社が大神楽教に対して認めるわけはないでしょう。発生当時カトッリクとプロテスタント、東本願寺と西本願寺が互いを認めていましたか? 認めるはずがありません。同じく大神楽教も講社のルールで独立したのではありません。

論理破綻点の指摘:その主張は逆説的に、伊勢大神楽講社という組織において元来は内包されていた人員・団体・屋号などが、伊勢大神楽教として独立したという意味でしょうか? その独立した人員とは渋谷章氏でしょうか?人員として登記されていないものが独立・継承・別派とは本末転倒ではありませんか。

→では何が講社から継承されているのでしょうか? 

倫理破綻点の指摘:別派が行う「各戸で竈祓(祈祷)を行う際の獅子舞における舞や曲」が「伊勢大神楽講社から継承した技術・伝統」だと確認・認可するのは誰の役割になるのでしょう? 登記のない者が独立し、技術を継承・伝承を主張し伊勢大神楽講社側の規則には則していない行為だと認識しているとは、多重に論理破綻しておりませんか? 例え登記が存在する人員が独立しても、当事者である伊勢大神楽講社が認可していなければ、自称に該当せざるを得ないではありませんか。

宜しいでようか?継承と模倣は違うのですよ。伊勢大神楽教の職務に半年従事した者が、退職後に伊勢大神楽教より継承された技術だと謳って新興伊勢大神楽教を立ち上げ、大阪府高槻市の本拠由来と発信をしたらどうなりますか?第三者である大神楽太郎様は勿論容認するという訳でしょうか?それは破綻していると指摘致しますか? 普通に考えてみて下さい。TOYOTA自動車に勤めていた元社員が、承諾や認可もなく「私はTOYOTA自動車に従事した事がある。よって私の作る車作りにおける技術は、伝統のTOYOTA社より継承したものだ」と主張して会社を立ち上げたら、どうなると思われます? 元社員が1日勤めようが30年勤めようが、元役員だろうが、論点はそこではないですよね。なぜTOYOTA認めていない車がTOYOTA製になる論理など破綻しておりますよ。

伊勢大神楽講社が認めぬ技術なら継承ではなく模していると定義するのが自然ではありませんか。

これは私の私見であり、議論にはなりませんが、私なりに同種類ノ業と分類される他都道府県の伊勢大神楽への定義がございます。 それは現代に遺る同種類ノ業とは「伊勢大神楽という伝統文化を信仰する・守り伝える人」という認識であります。 尾張や三河、東阿倉川の伊勢大神楽が滅んだ事で、かつて伊勢大神楽の檀那場と目される地域への回檀という文化が途絶えるのを憂い、独自に研究・模倣し伊勢大神楽という文化の穴埋めを行う人たちだと考えています。伝承・継承と違い、研究・模倣・参考は自立した能動的な行為であり、そこに宗教的価値があるのに何故、無理やり由緒付けするのか理解に苦しみます。

伊勢大神楽講社や江戸大神楽・水戸大神楽(尾張・三河の伊勢大神楽)など江戸期から活動する伊勢大神楽は古来より「大神楽師」を名乗る事が分かっております。極近代なってに現れた神道伊勢大神楽教の教団員は「宗派神道布教師」だとの学術的認識の違いです。

再確認致しますが、伊勢大神楽講社や桑名・太夫・太夫社家を由緒とする技術・祭儀・伝統は第三者へ「継承」・「伝承」された事実はございません。 また、伊勢神宮祭主下神職・神宮御祓い大麻の配札という「神宮に参れぬ者のために神宮の神札を配札した伊勢代神楽」という由緒は神宮史の直属研究機関である皇學館大學・三重県立博物館より明確に整合性を確認され、現在でも交流が続く伊勢大神楽講社のみ該当する由緒である点をお間違いのないようご認識下さい。 これは、これまでにも質問を寄せられた神道伊勢代神楽教以外の同種類ノ業関係者様へもご助言させて頂いております。

「伊勢大神楽という文化伝統を大阪府高槻市を拠点に独自に模倣・参考・研究することを宗教行為として昇華させた」事に対する学術的価値は間違いなく存在しているのに、その宗教的価値を発信せず、大神楽太郎様が主張される伊勢大神楽講社の「技術を継承・伝承」という整合性の取れない由来を教団が自主的に発信する価値はないではありませんか。誤った発信により誘発された教団への苦情・告発文書が桑名に寄せられる事からも分かるように、明らかに不利益な行為です。 私は教団で働いている当事者様や教団の通常業務を否定しているのではないです。整合性の取れない発信(HPや書籍)が捏造に該当してしまう為、助言を致しているのです。

では、神道伊勢大神楽教側のサイトが是正されました事を確認しましたら、こちらもそれに則しWikipediaの文章を是正・抹消したいと思います。 今後は改めて静観したいと思うのですが、これまでの議論を通じ、僅かながらでも私なりの認識が大神楽太郎様と共有できましたら嬉しく思います。

--s20400343(会話) 2017年12月14日 (木) 2:44 (UTC)


S20400343様

>その独立した人員とは渋谷章氏でしょうか?人員として登記されていないものが独立・ 継承・別派とは本末転倒ではありませんか。

渋谷章氏は伊勢大神楽講社に在籍したはずですが?


>TOYOTA自動車に勤めていた元社員が~TOYOTA製・・・

このたとえは間違っていますね。「TOYOTA」のブランド名まで 継承はしないでしょうね。伊勢大神楽教が伊勢大神楽講社と名乗って いるわけではありませんから。ただTOYOTA社員はTOYOTA の製造技術などを継承し新たにブランドを立ち上げるのはあり得るでしょう。 同じ製造業といったカテゴリーの中の車の製造。 その中の「TOYOTA」であり元TOYOTA社員が立ち上げた 新ブランド会社なのですから。また良し悪しはお客さんが決めるだけです。

>伊勢大神楽講社が認めぬ技術なら継承ではなく模していると定義するのが自然ではありませんか。

何度も書き込みますがプロテスタントはカトリックに認められていませんし浄土真宗は浄土教に 認められていません。それと同じですがS20400343様の論法だとプロテスタントも浄土真宗も 模しているだけなのですね? 私はそう考えません。浄土教からの視点では浄土真宗は 間違っていますが浄土真宗からの視点ですと発展となるはずです。視点(立場)が変われば 内容も変化するのです。同じく

>「伊勢大神楽講社から継承した技術・伝統」 だと確認・認可するのは誰の役割になるのでしょう?

浄土真宗は誰が確認や認可をしたのですか?


またS20400343様は「継承」ではなく「模倣」だと申されますが 模倣のない継承はあり得るのでしょうか? ちなみに「継承」とは 受け継ぐこと。受け継ぐとは「前の人の仕事などを引き継ぐこと」

つまりS20400343様が仰っておられる

> 尾張や三河、東阿倉川の伊勢大神楽が滅んだ事で、 かつて伊勢大神楽の檀那場と目される地域への回檀と いう文化が途絶えるのを憂い~伊勢大神楽という文化の穴埋めを行う人たち

これは「前の人の仕事などを引き継ぐこと」であり 受け継ぐこと→継承となりますよね。

ちなみに由来ですが「そこから起こり、経て来ていること」 とあります。伊勢大神楽教が各戸で竈祓(祈祷)を行う際の獅子舞における舞や曲は ユーチューブでも確認できますがまさに伊勢大神楽講社からの由来です。


>伊勢大神楽講社や江戸大神楽・水戸大神楽(尾張・三河の伊勢大神楽)など 江戸期から活動する伊勢大神楽は古来より「大神楽師」を名乗る事が分かっております。 極近代なってに現れた神道伊勢大神楽教の教団員は「宗派神道布教師」だとの学術的認識の違いです。


これはその通りだと思います。伊勢大神楽講社と伊勢大神楽教の違いはこれだけで良いのでは ありませんか?

>誤った発信により誘発された教団への苦情・告発文書が桑名に寄せられる事からも分かるように

これははっきりとさせないといけないと思います。つまり

「団体として伊勢大神楽教は伊勢大神楽講社や桑名市とはまったく関係がない」

と明記すべきだと思います。

--大神楽太郎会話2017年12月14日 (木) 13:27 (UTC)[返信]


大神楽太郎様、現時点でこちらなりに今後の発信・対応につき一定の結論を提示させて頂きますので、ご確認下さい

この度、伊勢大神楽教に掲載された捏造記事・私共が作成を担当しております伊勢大神楽Wikipediaの文言につき、議論の場を設けて頂き感謝しております。 伊勢大神楽教に関する認識に共通項も複数点確認する事ができ、研究者として良き収穫となったかと思います。

ただ、これまでの議論の中で、私なりに直接的に真意を言及せずとも現在の状況をご察し頂ける事と思い、再三に渡り指摘させて頂いた点がありますが、本質的な部分において未だ状況をご理解頂けていないと感じ、その点に関しては最後にもう一度、提言させて頂きます。


―大阪府高槻市の神道伊勢大神楽教は、伊勢大神楽講社に在籍した“はず”の渋谷章氏が興した教団であり、桑名の伊勢大神楽と同じ技術を継承している―

大神楽太郎様の定義に準ずれば、小沢昭一や私のような複数人の研究者も伊勢大神楽講社に在籍した“はず”です。累計数か月に渡り桑名にて“技法の継承を受けた”事が御座いますから。確かに私や他の研究者に意志があれば、市や太夫自治会・法人の承諾・許可がなくとも、桑名の人間による別派の伊勢大神楽を興すことは可能でしょう。可能ではありますが、市や法人に明確な拒否を受けて尚由緒を主張し、それを基に事業を成し、前者の権威・権利を侵害する行為を継続するのは非倫理的です。 また、継承の現場に模倣があるのは当然です。“継承の現場”に該当しないから本末転倒だと申しております。

桑名・三重県・国指定の重要無形文化財である「伊勢大神楽(増田神社・伊勢大神楽講社)」に関する発信は文化庁・行政が定期的に監査し、歴史的事実と整合性の取れるものしか発信されておりません。発信する内容に別なる団体・地域が加わる場合、明確な論拠を双方が確認・認識し、許可書を得て初めて発信がなされます。伊勢神宮(内宮)と関連付された文言・発信は全て伊勢側・津側の発信に則するよう皇學館大學・三重県立総合博物館・これら複数の地域・団体より監査を受けております。

再三お伝えしております様に、この度の根幹にあるのはこれまでの伊勢大神楽教側が行った行為・事実に基づかない発信の事実を告発・糾弾する電話・文書の量・内容が桑名側で許容・処理する範囲を越えた事にあります。教団で権利侵害に近い発信・行為・活動が行なわれている論拠として問題提起されて始めており、こちらで対応できる範囲を越えた場合、相応の対応せざるを得ません。 教団内でのモラルハラスメント・女性へのセクシャルハラスメントの対応を関係者より桑名側へ求めた物的証拠への対応は、大神楽太郎様と共通の認識である、前述のジャーナリストの発信(ネット・書籍)に代表される『桑名・太夫・増田神社・伊勢大神楽講社・伊勢神宮』といった第三者との関連付け発信を撤回・大阪府の宗教法人であると今後教団の認識が改められる(公式サイトや今後の発行物への明記)まで静観している状況です。教団の認識・発信が改まったと確証が得られない場合、大阪府や高槻市など然るべき所へ物的証拠を照会する運びとなります。 これまでの議論を通じ一定の理解は得られたと感じておりますので、大神楽太郎様には、相互理解・許可なき発信は慎むよう教団への是正に働きかけて頂けると確信しております。

何卒、宜しくお願い致します。

-s20400343(会話2017年12月15日 (金) 21:54 (UTC)[返信]


S20400343様

ご返信ありがとうございます。 確認させていただきますが 問題の伊勢大神楽教のHPですがジャーナリストの記事が問題なのですね? さらに記事の内容ですが

「最初は12組でスタートしたが、時の流れとともに山本源太夫、 そしてここに紹介する渋谷章社中の7組だけになってしまった」

の部分が桑名や伊勢大神楽講社に繋がるの問題だいうことでよろしいでしょうか? つまり12組の中に渋谷章社中が入っているのがおかしいと。 ほかの部分は問題ではないのですね?

また

>“継承の現場”に該当しないから

この部分は意味が分かりません。講社の承認を得なくても継承はあり得ます。 浄土教の許可を得られなかった浄土真宗しかりです。 技術を継承しても伊勢大神楽教が伊勢大神楽講社とは別派である事実、 桑名ではなく高槻市を本拠としている事実から 伊勢大神楽教が伊勢大神楽講社や桑名市につながるとは思えません。 そこまで言語統制する意味や権利が伊勢大神楽講社や桑名市にあるのですか? そもそも「伊勢大神楽」の名称を冠する限り勘違いする方はおられるのではありませんか?

--大神楽太郎会話2017年12月15日 (金) 13:32 (UTC)[返信]


大神楽太郎様、お返事ありがとう御座います。

問題点は当初から再三にわたり指摘した通りでございます。十分に読み直し、吟味しご理解下さい。

大神楽太郎様の仰られる様、物事の解釈など自由だ。 もちろん、伊勢大神楽講社や同種類ノ業それぞれに認識・解釈が違うのは当然です。物事の解釈が問題なのではない。

これら寄せられる告発文が指摘するのは「山々の嘘」だ。

「整合性の取れる事実」を「当事者」「取材者」「研究者」が「解釈」して発信するのであれば、それは自由だ。

ただ、整合性の取れない話を「事実」と解釈した結果「願望・憶測・自称」になっていると私は一貫して伝えております。 それでも自己完結できる解釈なら、それは確かに自由です。そこに口を挿むなら、これは明らかな言論統制でしょう。

ただ、第三者の名・第三者の事実を整合性も取れず確認・承認も得ず、HPや書籍で発信するのは、如何か? ここWikipediaでさえも警告されている。整合性の取れる事実を発信し、願望・憶測記事は認められない。勿論、他者の権利を侵害する行為に該当するからではありませんか。 我々はWikipediaに言論統制され編集をしているのか?私は一切不自由を感じませんが。

→「廃絶した社家の檀那場を巡回しなかった伊勢大神楽講社に責任はないのでしょうか?一部場のみを巡回していることからあがりの良い場だけを選択しているのでは?そのほかの場を捨てたのではないでしょうか?そういった現状から巡回されていない地域の委任を任せるといった親族の気持ちがあったのでは?」

上記の文章・指摘は大神楽太郎様が、太夫村自治会員・森本家に取材した上で発した指摘か?虚言・妄言ではなく解釈と申すのか? 20年以上前の告発状では「代替わりした獅子舞に物申す。森本長太夫氏の息子を名乗る人物、町内を巡回するが、先代より子息・跡取りなく次代は無いと事前に通達あり」とある。 もう一度、指摘させて頂く。これら寄せられる告発文が指摘するのは「山々の嘘」だ。

外部・内部様々な人物が「嘘」と指摘を寄せる発信は本当に教団にとって「意義のある解釈」なのですね? 実在しない森本家の子息を名乗り信用を得る行為を、受け手側が虚偽だと指摘しても、それは教団にとって意義のある解釈なのですね? 最もカトリックとプロテスタトの解釈と混ぜて論じるようなマクロな話ではない。

最初から一貫して伝えておりますが、こちらには十分な資料・報告された記録に基づいて話をしております。 このアカウントが編集・作成する文章は整合性の取れる事実・明確な取材記録に基づく資料のみである。ただの編集者である私が個人的な願望・解釈を伝えたのは同種類ノ業に関する学術的意義を大神楽太郎様に伝えた際のみであり、一切の記述・議論は資料を基に行われています。


桑名・増田神社・皇學館・三重県立博物館側の資料と整合すればジャーナリストの記事で問題になる点は以下になると思われます。


※発祥の地は三重県桑名市の西の丘陵にある太夫町の増田神社

→固有名詞を除外し、三重県桑名市までであれば、土地のみを指し芸能の由緒として問題はないかと思います。学術的には「かつての伊勢国桑名」の方がより正確ですが。

※伊勢神宮に参拝できなかった人たちに伊勢神宮のお札を持って1年に1度、西日本の各地を回ったのが、その始まりだ。

→伊勢御師の活動記録の由緒作成に際し、監査機関と相互に文書を照合し互いの発信する歴史に整合性が取れたのは伊勢国桑名藩管轄、太夫増田神社のみです。民間の俗称として広く使われえている「お伊勢さん」であれば桑名側としては問題はないと思います。他の機関がどう判断されるかに関しては言及し兼ねます。


→最初は12組でスタートしたが、時の流れとともに山本源太夫、そしてここに紹介する渋谷章社中(森本長太夫、石川宗太夫)の7組だけになってしまった。

※ここは両者一致する認識ですね。スタートした事実は御座いません。伊勢大神楽450年以上の証明のされた「大神楽史」の歴史と、教団の昭和~平成間の「宗派神道教師」の布教活動を混同誘発する記事 です。もちろん削除です。

資料に基づかない私見ですので、参考にする必要は御座いませんが、歴史や伝統はなくとも、「宗派神道教師」として独自の活動を行なっている事実は御座います。伊勢大神楽という文化を崇拝する集団である教団の昭和末期~平成間の近代ならではの宗教者の形を意味づけする事が教団の存在意義につながるのではないかと、私は感じています。


S20400343様

たびたびのご返信ありがとうございます。 まずS20400343様の仰っておられる部分は理解しております。

まとめますが

1 桑名市へ伊勢大神楽教に対するクレームが多く対応に困っている 2 その原因は伊勢大神楽教のHPや出版物にある。 3 伊勢大神楽教はHPや出版物において学術的に認められない発言をしている 4 「最初は12組でスタートしたが、時の流れとともに山本源太夫、 そしてここに紹介する渋谷章社中の7組だけになってしまった」   といった文章のように講社や桑名に関係があるような文章を書いている。

でよろしいでしょうか? まず

渋谷章社中は12組に属していない。桑名ではなく高槻を拠点とする団体である。 伊勢大神楽講社や増田神社とは関係ない別派の宗教法人である。

ということでよろしいですか? この点は反論の余地がありません。こういったことを言論統制とは申しておりません。 これははっきりと明記すべきだと思います。 私が問題としているのは

「大神楽教の回壇の方法や技法は伊勢大神楽講社を基にしているのですから 全く関係ないとは言えない。つまりは桑名発祥の大神楽に由来する」

この部分です。根本的に

1 桑名市へ伊勢大神楽教に対するクレームが多く対応に困っている

この部分が桑名市の問題ですよね?

伊勢大神楽教は桑名ではなく高槻を拠点とする団体である。 伊勢大神楽講社や増田神社とは関係ない別派の宗教法人である。

と明記すれば技術の由来が「桑名発祥の大神楽に由来する」 といった文言があったとしても桑名市に伊勢大神楽教のクレームを する人はいないと思います。

たとえば大学の野球部の部員に権利を侵害されたからといって大リーグに クレームをする人がいないように技術を継承しただけで他団体と明記している 団体にクレームをするとは到底考えられません。


>森本長太夫氏の息子を名乗る人物

これは渋谷氏のことでしょうか? 解せないのですが息子と名乗っているのにわざわざ委任状(←講社では無効なのは理解しています) を取るような行為をしますか? なんらかの証拠があるのでしょうか?

--大神楽太郎会話2017年12月16日 (土) 13:06 (UTC)[返信]


大神楽太郎様、ご返信ありがとう御座います。 少しお休みを頂いており、お返事が遅くなりました。

ニュアンスが異る点もありますが、おおまかには大神楽太郎様にまとめて頂いた点で間違いありません。

※渋谷章社中は12組に属していない。桑名ではなく高槻を拠点とする団体である。 伊勢大神楽講社や増田神社とは関係ない別派の宗教法人である。

→現状の発信では、伊勢大神楽の発祥(歴史)と教団の発生(教団の由緒)を混同して結び付けており、「属していない」は勿論ですが、伊勢大神楽講社の由緒と教団の由緒を明確に区分して言及すべき、という認識です。

文章をご返信しながら、私なりに伊勢大神楽教の活動を表現する方法を思案してみましたが、両者一致の見解である誤発信「伊勢大神楽の歴史=伊勢大神楽講社+神道伊勢大神楽教」のような混同されかねない文章を改め、伊勢大神楽に関する紹介・歴史(大神楽師史)と、大神楽教に関する活動(宗派神道布教師の存在意義)を明確に分けて論述しては如何でしょうか? おそらく伊勢大神楽教が「桑名の伊勢大神楽」に一切触れずに活動に言及するのは難しい為、歴史と、教団の活動を明確に分けた上で存在に言及意義付けすれば問題は解決するのではないかと私は判断します。

例えば、「桑名を発祥に450年以上の歴史を持ち、全国を回檀する伊勢大神楽。長い歴史の中で全国に多くの檀那場を形成した。しかし、近代に入り戦争に起因する社家の廃業や・江戸の寄席へ活動を移すなど檀那場における伊勢大神楽の来訪という文化が途絶える地域が多くなってきた。その中で昭和末期に入り、これまで伊勢大神楽という文化を信仰してきた者の中に、かつて全国を訪れた伊勢大神楽の文化を絶やさぬよう、大阪府高槻市を中心に桑名由来の伊勢大神楽の獅子舞を独自に研究・解釈し技術の再現に取り組む動きが起こった。伊勢大神楽という文化を信仰する教団、それが神道伊勢大神楽教である。

歴史の言及(他者の歴史)→変容する過程の説明(他者と自身を結びつける理由付)→現状の形(自身の歴史)

上記のような言及の仕方は伊勢大神楽に限らず、祭事・催事の発生(歴史)と現状の形が変容している場合、分別して言及する際に多く見られる表現です。 ご参考頂ければ幸いです。


桑名側としては、単純にクレームの対処に困っているという話ではなく、教団の現状の発信に起因し、これまで伊勢大神楽教と桑名・伊勢大神楽講社を同義で括り問題提起されるケースが多く、その中には教団内でのモラルハラスメント・セクシャルハラスメントの多数の告発など訴追されかねない事象も含まれ、一定の対応を求められているという事です。 伊勢大神楽に限らず、スマートフォンが普及した現在では、容易に言論・ハラスメントの物的証拠を押さえる事が可能となり、以前より毅然とした対応が求められている事情もあります。

大神楽太郎様も、2015年に「獅子舞片手に強制わいせつで逮捕」というニュースがあったことはご存知でしょうか? 報道はされておりませんが、数十年に渡り桑名増田神社から来訪したと称し伊勢大神楽の家元を名乗る人・団体の起した事件です。伊勢大神楽教より長い活動歴が確認されています。 現場となった三重県松坂市は、伊勢大神楽講社 石川源太夫社中が檀那場とする地域で、上記の報道により大きな名誉失墜・損失を受けたと報告されています。

逮捕の報道に際し、登記上「桑名市・太夫由来・伊勢大神楽・太夫家の委任状を受けた家元」という主張は整合性が取れず、あくまで「自称」に該当した事と報道に有識者がかかわった事で「伊勢大神楽が逮捕」という報道は見送られましたが、仮にこのような報道が出た場合は、伊勢大神楽講社は基より、伊勢大神楽教を含む全国の同種類ノ業の活動全てに多大なる影響を及ぼしたと推察されています。 桑名側が、これまでの教団の発信に起因するこれまでの権利侵害を改めて問う事は致しません。あくまで今後是正がされぬ場合は、上記のような危機を回避するべく、然るべき対応を検討せざるを得ない状況にある。そうご認識下さい。


大神楽太郎様が仰っている

「大神楽教の回壇の方法や技法は伊勢大神楽講社を基にしているのですから 全く関係ないとは言えない。つまりは桑名発祥の大神楽に由来する」

このあたりは登記や証書上、伊勢大神楽講社の社家が認可した文書や交流を証明する登記が一切確認されないことから、私の立場からは教団側の主張を参考にされている研究者様と同意見に統一する事は難しいかもしれません。

逆説的に申し上げますが、当Wikipedia内で固有名詞を出しております、奈良県「曽爾村の獅子舞」や大阪府「西代神楽」尾鷲市「山城修社中」は「技術を継承・指導・交流」といった明確な記書きが存在し、尚且つ近年実施された現地調査において一定の確証が得られた為、現在の伊勢大神楽講社が否定しようとも、公には「由来・何らかの技法を継承する団体」と認められるわけです。 つまり、「当事者達がどのような心持で技術の修得を行ったか?」ではなく「登記上証明される事実が存在するか」が公に認知される実情が関与しています。 上記の痴漢で逮捕の担い手が実際には、数十年に渡る活動をしておりながら、主張の全てが公には自称と解釈され、同義付けして報道されなかった点に集約されているかと思います。


以下にまとめます。

〇「伊勢大神楽の歴史=伊勢大神楽講社+神道伊勢大神楽教」といった歴史を混同した発信(権利侵害)の是正。「歴史の言及(他者の歴史)→変容する過程の説明(他者と自身を結びつける理由付)→現状の形(自身の歴史)」左記はあくまで参考ですが、両者の混同を避けて言及する事を提案致します。

〇大神楽教の回壇の方法や技法は伊勢大神楽講社を基にしているのですから全く関係ないとは言えない。つまりは桑名発祥の大神楽に由来する。に関しては、こちらからは推奨できませんが、大神楽太郎様が拘っておられるように、教団側の意義であれば敢えて否定はしません。 ですが、(1.「回壇の方法や技法」に関し大神楽教は伊勢大神楽講社の認可を受けている訳ではないと認知して発信している)(2.「回壇の方法や技法」に関し登記・文書・証書など客観的に証明できる記録がない)(3.その上で、敢えて由来付けしている)1.2.3に該当する発信である事を改めてご理解下さい。

現時点でこのようにまとめましたが、相違はありませんでしょうか?

--s20400343会話2017年12月18日 (月) 11:55 (UTC)[返信]


S20400343様

ありがとうございます。 おそらく近日中にHP変更の動きがあると思います。

--大神楽太郎会話2017年12月19日 (火) 14:10 (UTC)[返信]


大神楽太郎様、教団関係者様への取次感謝致します。 しばし静観致し、更新に合わせこちらも文言の再考を致します。

--s20400343会話2017年12月20日 (水) 19:01 (UTC)[返信]