利用者‐会話:古鳥羽護/私家版フィギュア萌え族草稿
このノートの本文は、986氏による編集が加わる前のフィギュア萌え族の写しです。 Wikipediaの記事に求められる、中立性、検証可能性、正確性をクリアする為の推敲を重ねる為に、主著者であった古鳥羽護のワークスペースに置かれています。このページには、その時のノートを保存しています。よって、このページは、ノート:フィギュア萌え族の2006-05-18T15:35:00の版[1]の履歴を継承しております。
大谷昭宏の項目にあった時のノート
[編集]発言と高崎小1女児殺害事件との関連について
[編集]220.213.100.108です。 222.158.119.232さん、高崎小1女児殺害事件についての加筆ありがとうございます。 ただ、大谷が「フィギュア萌え族」(仮)を言い出した時には、まだ高崎小1女児殺害事件の公判は進んでおらず、被告の趣味がフィギュアである事が取り上げられてはいましたが、検察官による「フィギュア放棄要求」は発生していません。後に大谷がこの話題と奈良小1女児殺害事件を関連付けるコメントをした事から、大谷の念頭にあった事は覗えますが、「フィギュアを取り上げた背景」ではフィギュア趣味が報じられていた事に留めて、「フィギュア放棄要求」には触れない方が時系列に合っていると思います。それと、いずれはフィギュア趣味が受けた批判も含めて、高崎小1女児殺害事件の項目を執筆する必要があると思います。220.213.100.108 2005年10月15日 (土) 10:43 (UTC)
別項目にしますか?(「フィギュア萌え族」からのリダイレクトを解除して別記事にする。)
[編集]「フィギュア萌え族」(仮)の概要以外が削除されたので復活させました。確かに、この項目の文量が多すぎてバランスを欠いていますし、大谷昭宏氏について知る上では概要のみでも充分です。しかし、「フィギュア萌え族」(仮)の詳細記事は、「有害コミック騒動」との関係や、批判者がマスメディアの在り方を論じた事などの、「論争それ自体を記述する」という観点に立った知識としての意義はあると思いますので、「大谷昭宏」とは別項目で取り上げてはどうかと思います。文章自体は、私が大幅に加筆しましたが、詳細部分には初期の記事の表現を残してありますし、外部リンクから写したものでもないので、記事としては成り立つと思います。220.213.97.71 2005年10月21日 (金) 05:55 (UTC)
- 「フィギュア萌え族」を別項目にして、詳細の記述を移すべきだと思います。ただ、この記事「大谷昭宏」には、「フィギュア萌え族」からのリダイレクトが設定されていますので、まず「Wikipedia:リダイレクトの削除依頼」を通す必要があります。ここで提案されて、賛同が集まらない事には、リダイレクトが解除されず、独立した記事にする事ができません。ここでの賛同があれば、Wikipedia:リダイレクトの削除依頼に持ち込みますが、どうでしょうか?古鳥羽護 2005年10月21日 (金) 14:12 (UTC)
- 意見を拝見したが、自分も『フィギュア萌え族(仮)』からのリダイレクトを外し、両方を独立した記事にすることを希望する。大谷の活動は警察汚職告発など多岐にわたっていたはずだが、この一件で人権侵害を推進する側にまわり、ジャーナリストとしての信用を著しく低下させたことは否定しようがない。しかし、人物紹介のうちに入れるにはどうしても多くの記述を必要とするため、別項にすることが望ましい。--222.15.68.200 2005年10月22日 (土) 17:07 (UTC)
- 私も「フィギュア萌え族」を「大谷昭宏」とは別項目にするべきだと思います。「フィギュア萌え族」の一件は確かに責められるべき行為ですが、だからといって大谷昭宏氏のこれまでの活動を全否定するような事になっても、また問題かと思います。「フィギュア萌え族」は大谷氏の説明の中では概要だけにとどめ、新たに別項を作った上で今年大きく巻き起こった「オタクバッシング」の引き金の事例として位置づけるべきかと思います。AMI「報道被害」管理人 2005年10月28日 (金) 10:19 (UTC)
- Wikipedia:リダイレクトの削除依頼 2005年11月で訊いてみた所、フィギュア萌え族の大谷昭宏へのリダイレクトページを編集して普通のページにする事で記事を移す事はできるのですが、記事の履歴の継承をしないといけないそうです。今日はもう遅いので、明日以降に、手続きを頭に入れてから、再度行おうと思います。古鳥羽護 2005年11月12日 (土) 16:28 (UTC)
- 私も「フィギュア萌え族」を「大谷昭宏」とは別項目にするべきだと思います。「フィギュア萌え族」の一件は確かに責められるべき行為ですが、だからといって大谷昭宏氏のこれまでの活動を全否定するような事になっても、また問題かと思います。「フィギュア萌え族」は大谷氏の説明の中では概要だけにとどめ、新たに別項を作った上で今年大きく巻き起こった「オタクバッシング」の引き金の事例として位置づけるべきかと思います。AMI「報道被害」管理人 2005年10月28日 (金) 10:19 (UTC)
その後、分割していただきました。ありがとうございました。古鳥羽護 2006年4月28日 (金) 12:39 (UTC)
986氏による大幅な削除について
[編集]最近は殆ど私一人で編集しておりましたので、大幅な削除であっても、編集は大歓迎です。「やっと他の編集者が現れてくれた」とさえ思っております。「不特定多数に編集される。」という事が、Wikipediaの真実性を担保しているのですから。私は大谷昭宏氏と直接論争した立場ではありませんが、発言問題に関わるまとめサイトを作成した関係上、当事者ではあります。ただ、削除された内容が、個人的意見やバッシングに過ぎないものか、「フィギュア萌え族」にまつわる論争を記述したものであるのかという点については、他の編集者の判断を待ちましょう。また、内容のバランスが崩れてしまった節などについては、私が編集・加筆を入れる事もありますので、どうぞお手柔らかにお願いします。古鳥羽護 2006年5月14日 (日) 18:40 (UTC)
例えば、内容のバランスが崩れてしまった部分としては、「犯行の動機」や「被疑者の人間像」の部分です。ここでは、大谷昭宏氏と斎藤環氏との間に生じた論争が再現されなければなりませんが、大谷氏の見解の中の妥当な側面のみが残されており、尻切れトンボになってしまっています。古鳥羽護 2006年5月14日 (日) 18:45 (UTC)
ヘイトスピーチ的な寄稿を含む、986氏の編集履歴を見て考えが変わりましたので、第三者による調停をお願いします。
この件に関して、私がこの事象に関するまとめサイトを作った事もあるので、「私の立場はNPOV的である」と、私からは主張できません。
この事象に首を突っ込んだのも、私に事件の被害者と同年齢の姪がおり、かつ私が、フィギュアおたくであるが為に、姪の父である兄との関係が険悪になるという実害を受けたからです。
しかし、まとめサイトを作った事によって、この事象に関する先行研究を行った者の一人であるという事は主張できます。 私はむしろ、この舌禍事件について、それが何故引き起こされ、どうして自分たちがストレスフルな状況に置かれてしまったのかを解明したいが為に研究を行ってきました。大谷昭宏氏が、発言の真意について、「当方の著作、記事、評論、コメントにて判断するべきものと考えます。」と応えているからです。つまり大谷氏は、これが大谷氏に関する研究が必要な事象であると認めた事になります。
それらを、NPOV的な表現でWikipediaに還元できればと思って、執筆をしておりました。
よって、表現に多少の棘があるにしても、この事象の背景と、私以外から持ち上がった批判を記述し、また、大谷氏の主張の部分的な妥当性についても言及する様に努めてきたつもりです。
しかしながら、「萌えオタ」という項目について、明らかにNPOV的ではない寄稿を行った986氏によって為された大幅な削除は、文章の構成を破壊し、また、私が大谷氏の主張の妥当性に言及した所から後の節を削除し、私以外から持ち上がった批判についての言及を隠す等して、明らかに大谷氏やこの事象の様な主張をするものを利する方向性で行われています。
誇りある言論人として、大谷昭宏氏ご本人はこの様な介入を望まないでしょう。
なお、986氏が削除した、ネット上に「○○萌え族」という用法が見られる様になった事象について、大谷氏の造語のセンスに対する揶揄や皮肉、および自虐的な表現を好むオタク文化という背景があったという事は、多少表現を改めれは充分にNPOV的な事象の解説になると思います。
また、私が「真の問題点」としてまとめた部分は、確かに意見的ではあります。しかし、大谷氏の共演者からも批判が生じたという事、にもかかわらず、殆どの者が面と向かっては批判を行わなかった事を指摘し、何ゆえに、この事象に関してネット上とマスコミ上に温度差が生じているのかを問題提起したいが為に記述しました。
なお、削除されてしまった外部リンク「今、そこにあるオタクの危機」は、事件当時にマスコミにも精通した人によって書かれた論文であり、先行研究資料として十分な価値があると思います。
「有害コミック騒動」との関連性について、986氏は無関係として削除しましたが、事象の性質や構造が酷似しているという事は付記しておきます。なお、986氏は他の項目についても、関連項目として妥当と思われるものをことごとく削除しております。
986氏は、「萌えオタ」が「表現の自由」を盾にして女性蔑視的な表現を行っているという自身の主張にとって、都合の悪い事を削除したいだけではないのでしょうか?
私はWikipediaが研究発表の場では無い事は充分存じております。
しかしながら、「フィギュア萌え族」という語彙や事象は、2004年度の「日本オタク大賞」にて、ラジー賞やイグノーベル賞的な意味合いで岡田斗司夫賞を受けており、また、2005年度のネットランナー誌による「常習者サイト」の「話題になったサイト」部門のノミネートも受けております。
よって、「フィギュア萌え族」問題は、記事を書くに充分に足りる事象であります。また、一連の情報を取り纏めていると認められた私が執筆に加わる事には意義があると思います。
以上について、第三者の裁定を仰ぎたくお願い申し上げます。古鳥羽護 2006年5月15日 (月) 11:38 (UTC)
- (コメント)コメント依頼から来ました、Saeと申します、横から失礼いたします。
- 鳥羽氏と986氏の投稿を拝見しました。非常によくまとまっている記事で、量も多く、古鳥羽氏の丁寧な調査に感服いたしました(私も見習いたいです……)。ただ、古鳥羽氏ご本人も仰る通り、少々POVな表現があり、加えて、「問題提起」やいわゆる「真の問題点」はやはり百科事典にはそぐわないのではないかと思います。大谷氏が「フィギュア萌え族」と称し、オタクバッシングのようなことを行ったと言うこと、それにインターネットを中心に反発が起こったと言う事実は時系列に沿って詳細に記述するべきですが、「ジャーナリズムとはこうあるべきだ」と言う記述や「疑いがある」「推察されている」等の主体の不明な記述は避けるべきかと思います。
- 私も個人的には大谷氏の発言に疑問を持ちまして、当時は非常に憤ったものですが、986氏の削除は一部を除いて概ね妥当なものではないかと思います。986氏の他の投稿が反オタクPOV(非常に乱暴な括りで申し訳ないです)であったためヘイトスピーチと感じられたかもしれませんが、削除された部分にはやはり主観的な記述が入っていたかなと思います。POVを削りさらに構成が崩れた個所を書き直せば、さらに良質の記事になると思います。--Sae 2006年5月18日 (木) 12:44 (UTC)
- コメント下さり、ありがとうございました。私自身、殆ど一人で書き続けているという状況下で、テンパっていたのだと思います。どこかで修正を加えてくれる存在を望んでいた事は確かです。私自身、大谷昭宏氏自身を貶めたいのではなくて、「権力のウォッチドッグ」を自認するなど、大谷氏程に庶民派として親しまれているジャーナリストが、何故突然に、事実に反するコメントの繰り返しや、日本が法治国家である事を無視する様な発言に至ってしまったのか? そこに横たわるオタク文化への誤解や、利害関係がどういうものであったのか? また、その後に大谷氏が加わる「子供の安全」を巡る議論に、どうして「ミーガン法vsオタク文化規制」というおかしな対立軸が作り出されてしまったのか? ネット上のみならず有識者からも、大谷氏の共演者からさえも批判が上がっているのに、何故殆ど誰も面と向かっては反論できなかったのか? 過去や現在の類似する事象との共通点からこの事象を分析できないか? という事を考えていたわけです。故に、新たに発見したり考察されたりした事柄について、百科事典的であるかどうかへの配慮を怠ったままで加筆していってしまった事は、私としては強く反省しなければならないと思います。ただ元々私は、大谷氏と公開質問状を通じて対決したNGO-AMIとは立場を異にしておりまして、この事象に介入したのはむしろ後になってからなのです。「中立的記述」とは、「対立する両者の中間の記述をする事」ではなく、「両者がどの様に対立しているのかを書き記す事」だと思います。また、986氏のレトリックにある様に、「全てがそうという訳ではない。」と書きさえすれば何を書いても良いというものでもありません。私にとってのそしてWikipediaとしての幸運は、ようやく「フィギュア萌え族」に修正を加える機会が訪れたという事であり、また、私にとって、またWikipediaにとっての不幸は、それが「捨てハンドル」と思しき986氏の乱暴な編集の中で行われてしまった事でしょう。秀逸候補にもなった「おたく」の項目から986氏が削除した、「オタクだからこそ女の子を守ります宣言」に関する記述は、模範的なNPOV記事であり、また、「フィギュア萌え族」論争の背景を説明する上でも、有用な記事でありました。それ故に、私は986氏を「善意の共著者」として歓迎はできないと考えたのです。今後、「良き共著者」を、せめて「積極的なオブザーバー」を得る事ができれば、「フィギュア萌え族」は良い記事になると思います。記事本文については、敢えてしばらく放置させていただきます。良き共著者が現れて加筆や復刻をして下さるか、私が内部で熟成させた新稿によって置き換えられるかする事で、リニューアルされる事になると思います。今後とも、よろしくお願いします。古鳥羽護 2006年5月18日 (木) 15:35 (UTC)