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利用者‐会話:ジャグジャグ

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南京事件 (1937年)

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こんにちは。記事南京事件 (1937年)への投稿内容についてですが、現在の投稿されました形式では「百科事典としての体裁をなしていない」ためリバートしてあります。おそらく貴殿が南京事件 (1937年)をお読みになって、非常に問題があり、間違っている箇所があると(ご自身の知見から)考えられてコメントを挿入されたのだと考えますが、Wikiepdiaは百科事典ですので、第三者の訪問者(読者)が読んで百科事典とわかる体裁が必要になります。間違いのある現行記述については本文でそのあやまりを指摘する形式(「果たしてそうなのだろうか?」などで始まる一文)ではなく、引用元を明示のうえ記述を加筆するなり適切に修正して下さい。くりかえしますが貴殿が投稿されました「内容について問題がある」のではなく「体裁」の問題です。ある話題やtopicを記述するためには、信頼できる引用元を参照するかたちで「充分な」記述が必要です。ジャグジャグさんの参加を歓迎し、編集活動をもってWikipediaに貢献頂き楽しんでいただけることをお祈り申し上げます。--大和屋敷 2011年3月3日 (木) 18:20 (UTC)[返信]

  • こんにちは。わざわざ丁寧にメッセージを頂きありがとうございます。編集については、正直、初心者であまりよくわからない部分もあるのですが、「体裁」とか「充分な」という表現は、一見明確に見えて実は、あいまいで個人個人で基準が異なります。Aさんはそれらの基準を充たしていないと考えても、Bさんには充たしていると考えることもあるでしょう。あえて思いっきり邪推をすれば、結局は俺が「体裁」と認めない限りリバートし続けるという宣言ということでしょうか。また「体裁」に問題のない箇所も削除する手法(リバート)には疑問があります。一箇所でも「体裁」に問題があるから全部をリバートでは、編集者を全否定し感情的にさせてしまうのではないでしょうか?例えば、一例として「投降の便衣兵」という記述ありますが、便衣兵の問題は正規兵が投降をせずに便衣兵となってゲリラ化し安全区に侵入しそれを日本軍が掃討した問題だと理解しています。語句自体に矛盾がある表現です。このような的確な修正さえも取り消してしまうリバートには問題があると考えます。問題の解決のためには、いきなりリバートをせずに、問題のある「体裁」をあなたが百科事典とわかる体裁に修正し、認められる記述は残して編集する方法の方が、編集合戦に陥らないよい方法だと思うのですがどうでしょうか?リバートは最終的な手段として(できれば使用しないよう)お願いしたいです。--ジャグジャグ 2011年3月4日 (金) 01:03 (UTC)[返信]