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利用者‐会話:ケイ・ハラタニ

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2021年ウィキメディア財団選挙の候補者を紹介します

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こんにちは!

2021年ウィキメディア財団選挙が8月に始まります。今年の理事会選挙は、2021年8月4日から17日まで実施されます。ウィキペディア日本語版の編集者を含むウィキメディア・コミュニティのメンバーは、3年の任期で4人の新しい理事を選出する機会があります。理事会選挙の開始に先立ち選挙運動期間が設けられており、この期間中にコミュニティが候補者と顔を合わせる機会があります。

  • ウィキメディア財団における理事会の役割は何ですか?
理事会の簡単な説明はこちらをご覧ください
  • 候補者紹介
今回の選挙には20名の立候補者がいます。候補者についてはこちらをご覧ください

理事選挙をサポートするファシリテーター チームは、選挙運動期間中にいくつかの活動を用意しています。
7月31日(土)の19:30(JST)から、日本を含むアジア・太平洋地域のユーザーが候補者と交流できるオンラインイベントが開催されます。日本語による同時通訳も提供される予定ですので、どうぞお気軽にご参加ください。

こちらのフォームから事前に参加登録をお願いします。
フォームのプライバシーポリシーをご確認ください。

その他の活動については、メタウィキの理事選挙ページをご覧ください。

ご質問がございましたら、ファシリテーター選挙ボランティアまでお問い合わせください。

選挙ボランティア一同 2021年7月24日 (土) 15:02 (UTC)

このお知らせは2021年ウィキメディア財団理事会選挙ボランティアにより作成され、botにより配信されました。 •フィードバック •購読解除

卓球選手の成績について

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初めまして。卓球選手のテンプレートで金銀銅といった成績を上から並べ替えていらっしゃるのを拝見しました。しかし、Template:卓球選手ではそのような規定はありませんし、他の選手の記事でも年代順になっています。一旦手を止めて頂ければ幸いです。--Yapassi会話2021年8月5日 (木) 14:07 (UTC)[返信]

まもなく終了 理事会選挙へ投票のお願い

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ケイ・ハラタニさん

こんばんは。お忙しい時間帯に恐れ入ります。

2021年ウィキメディア財団選挙は最終盤に入っております。これまでご協力いただいた皆様、ご投票いただいた皆様に心より御礼申し上げます。

もしケイ・ハラタニさんが投票をお済ませでなければ、ぜひこちらから清き一票をお願いいたします。

ウィキペディア日本語版の運営にも深く関与する理事会の候補者の選出に際し、投票資格をお持ちの数少ないユーザーの一人であるケイ・ハラタニさんのご意見を反映することは非常に重要だと考えています。

投票いただくに際し、まず19名の候補者からケイ・ハラタニさんが支持する方をお選びください。 支持する候補者を選んだら、支持する順に候補者の名前を選び、投票ボタンを押すだけです。 所要時間は5分未満で、完全な匿名性が保証されます。

投票は、日本時間の9月1日(水)の朝9時に締め切られます。

ウィキメディア財団の運営にウィキペディア日本語版コミュニティの意見を反映させるために、ケイ・ハラタニさんのご協力を重ねてお願い申し上げます。

どうぞよろしくお願いいたします。

--選挙ボランティア一同 2021年8月31日 (火) 11:09 (UTC)

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編集合戦はおやめください

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編集合戦はやめてください。編集合戦はやめてください。これ以上続ければ、ウィキペディアの編集ができなくなる投稿ブロックの対象となります。ご注意ください。

大川宏洋における編集についてです。編集合戦に陥ってしまっているとお気づきのようでしたら、一旦編集の手を止めて、当該記事のノートにて議論を提起してください。--Mt.Asahidake会話2023年3月18日 (土) 09:59 (UTC)[返信]

大川宏洋について

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Information icon 印象操作はお止めください。記事主題と直接利害関係にある場合、記事を直接編集せず、ノートにて編集依頼をおこなってください。

大川宏洋における編集について、

  1. 全般的に主題自身のYouTube等での発言に内容が偏っています(Wikipedia:SELFPUBLISH)。 信頼できる情報源や、二次情報の両論併記を心がけてください。
  2. 裁判における判決内容は客観的に検証可能な事実です。単に事実のみを記載してください。
  3. 「副学長の役職に就任させられており」など、記事主題の主観や感情に基づく記述が散見されます。中立的観点での編集を心がけてください。この場合「副学長の役職に就任し」とすれば十分です。
  4. 記事主題自身によるYouTube等での主張については、一時的に節「宏洋自身による主張」に退避しています。「虚偽の流布の疑い」を争点とした係争中の人物であり、選挙前でもあることから、両論併記を心がけてください。また、当該節の見出しレベルを上げて目立たせるなどの操作はお止めください。
  5. 動画において黒川氏が「ではやっぱり核シェルターで運動不足になるからテニスコートがついている?」と半ば理解を示しながら質問したのを「なぜ核シェルターなのに中にテニスコートやプールがあるのか?」と出典とはニュアンスが変えられており、さらにプールについての質問を実際にはしていないのに書き加えられています。 出典の内容を歪めて引用しないようにしてください。 実際の動画 - https://www.youtube.com/live/sWIOK3qkRPI?feature=share&t=1050 あなたの加筆内容 - https://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E5%A4%A7%E5%B7%9D%E5%AE%8F%E6%B4%8B&diff=prev&oldid=94547337&diffmode=visual#mw-diffpage-visualdiff-cite_note-72
  6. 宏洋氏が「大川隆法の霊を自身に入れて語っている」と主張している内容を、あたかも事実であるかのように記載しないでください。(追記)

--Cadenza025会話2023年3月30日 (木) 14:47 (UTC)[返信]

Cadenza025さん、はじめまして。この記事に関しては、宏洋側のSNSの主張、教団側のSNSでの主張が真っ二つに割れており、大変難しい所だと思います。
Wikipediaのルール上、中立を保つ為にも第三者にあたる大手メディアが報じている情報のみを記載するべきだと思います。
本来、宏洋のSNSも教団の公式サイトの出典も自己発表の一次資料や記事主題の関係者による情報源になる為、好ましくないです。1ヶ月前のこのページでは教団側の自己発表による出典がほとんどで、かなり偏りが出てていた為、宏洋のSNSから発信された情報も追記しました。
文の印象操作については、歪めているつもりはありませんでしたが、気をつけます。--ケイ・ハラタニ会話2023年3月30日 (木) 15:18 (UTC)[返信]
通常の記事とは異なり「大手メディアが報じていること」は、残念ながら本件では確定的な判断材料とはならないと思います。幸福の科学の係争相手は宏洋だけではなく、彼の著書を発刊した文藝春秋社、インタビューを掲載した新潮社が含まれること、そして事実関係が争点であることが主な理由です。文藝春秋社は虚偽を掲載したことで、謝罪記事を広告した経緯もあります。過去には講談社と係争関係にあった経緯もあります。従って本件においては大手メディアと言えども「第三者」ではなく、「利害関係のある当事者」です。貴方が大量に引用されている「たかまつなな」のインタビューやFRIDAYのインタビューなどは、いずれも講談社系ではないでしょうか。
幸福の科学の公式発表や事実をよく知る内部の人物の発言を頭から全て「偽」として、あるいは偽と見えるように印象操作をして、一方で宏洋のように私怨を抱いている人物や、事実関係に疎い外部の人物の発言のみを「真」とする態度は、結果として事実を歪め、むしろ中立性を欠きます。
本件については大手メディアだからと言って安易に一方の主張のみを記載するのではなく、双方の主張の両論併記を基本として頂くよう、重ねて要望します。幸福の科学はインタビュー映像の公開収録や、それを元にした書籍も発刊しており、誰でも書店で入手することができ一定の検証が可能です。宏洋に関するこれらの資料も一方の主張として参照し、双方の主張を歪めることなく率直に両論併記した上で、事実の判断はWikipediaの読者に任せるべきです。--Cadenza025会話2023年3月31日 (金) 03:07 (UTC)[返信]
Cadenza025さん、返信ありがとうございます。
宏洋側の主張も教団側の主張も真実かどうかの判断は難しい所です。
言った言ってないのイタチごっこになっています。
本来、Wikipediaには記事の人物やその関係者を悪く書くのは非常に好ましくないです。
さらに、裁判などのセンシティブな内容は特に
一次資料や記事主題の関係者による情報源を使うのは好ましくなく、もし一次資料で載せたとしても、読者は第三者の大手メディアが言っていると誤解しかねないので、そういう場合は、例えば「幸福の科学の公式サイト」では、や「宏洋のSNSでは」とつけなければなりません。
面倒だと思いますが、出典まで確認しない読者もいるので、配慮が大切です。
一次資料を使うにしても、例えば簡単なプロフィールや趣味、どこどこに所属をしていたなど、は良いかと思いますが、
こういう、双方の争いの記事に関しては、慎重にならねばなりません。
事実に関しても、それは本人達にしか分からず、それをWikipediaで一次資料だけで書くのは印象操作になりかねません。
もし書くのでしたら、Wikipediaでは無いサイトに書くようにして下さい。
教団側の記事に関しても、大手メディアが書いている記事ならWikipediaにどんどん載せても良いと思います。
大手メディアの書く記事に関しては賛否両論あるかと思いますが、基本、第三者の出典です。
利害関係については明確な証拠は無く、推測になってしまいます。
また、大手メディアの出典に関して、一次資料による自己発表より、社会的に信用に値する出典元になります。
幸福の科学の公式サイトや教団系列のサイト、本による一次資料の出典も、宏洋側を一方的に悪く書いて、印象を操作している個所ばかりです。
そうした場合、中立性を保つ為に宏洋側の一次資料の出典も載せなければなりません(本来、宏洋のSNSでの主張も事実かどうかは分からないので、教団側の自己発表の出典と共にWikipediaには載せるべきではないですが)。
Wikipediaは中立性が本当に大切なので、大手メディアの記事の出典の箇所と、一次資料でも争いになっていない部分は残して良いと思いますが、争いになっている部分は完全に争いが終わるまで、載せるのは控えたほうが良いと思います。--ケイ・ハラタニ会話2023年3月31日 (金) 06:32 (UTC)[返信]
当然ですが、「幸福の科学側」とは代表役員の大川隆法本人のみではなく、教団やグループの関係者、信者などを含みます。それと同様に、「宏洋側」とは宏洋本人だけでなく、その関係者も含みます。また、先に示した通り、係争関係という関係性においては、文藝春秋社や新潮社、講談社などの「大手メディア」も「宏洋側」に含まれます。
> 宏洋側の主張も教団側の主張も真実かどうかの判断は難しい所です。
同意します。ですから、一方の主張だけを載せるのは望ましくありませんので、両論併記した上で、真偽の判断はWikipediaの読者に任せるべきです。
繰り返しになりますので、シンプルにまとめます。
  1. 係争関係にある双方の主張を、両論併記してください。
  2. 幸福の科学と大手メディアは係争関係にあります。
--Cadenza025会話2023年3月31日 (金) 07:08 (UTC)[返信]
Cadenza025さん、返信ありがとうございます。
大手メディアに関しての認識にちょっと違いがあるようなので、そこの所を書かせて下さい。
Cadenza025さんのおっしゃっている意味も分かるのですが、大手メディアは第三者であり、Wikipedia的にも社会的にも中立のスタンスです。
たとえ、大手メディアが何処かと係争中でも、大手メディアとしての社会的信用に関わる事なので、大手メディアは基本、第三者の立場として記事を書いています。それぞれの大手メディアによって見解が違う所もあると思うので、その場合、Wikipediaでの文章作成の際、教団側の主張を書いている別の社会的に信頼されている大手メディアの出典も使えばいいです。
文藝春秋社や新潮社、講談社から過去に多数の著名人が本を発刊したり、インタビューに答えています。
その著名人らに関して、例えば「過去に講談社から本を発刊したり、インタビュー記事が出ていたから、講談社はその著名人側の大手メディアで、そこから出ている記事は、その著名人のWikipediaのページにおいて、一次資料の出典になる」とはなりません。
係争中とはいえ、大手メディアは第三者であり、記事の内容に書かれていなくとも、可能な限り双方を取材をして、社会的信用を重要視して、中立の立場で記事を書いています。
なので、文藝春秋社や新潮社、講談社が明確に宏洋側の大手メディアとは判断できないところが現状です(この場合、上記の3社以外の社会的に信頼されている大手メディアが、宏洋とこの3社が繋がっていると記事に書かないかぎり、文藝春秋社や新潮社、講談社は宏洋側と判断するのは、推測や独自の主観・研究になってしまいます)。
また、今回の件に関しますと、宏洋がそれらの出版社に所属していたり、出資していたりするなら、一次資料と判断できる所もありますが、現状はこれらの大手メディアの記事を宏洋側の大手メディアとして一次資料扱いにはできません。
例え、係争中であろうと、一般的に大手メディアはきちんとした社会的信用をもった、第三者、中立的立場の存在である為、社会において、主観でどちら側について批判することはありませんし、間違った場合はきちんと謝罪をしてます(もちろん賛否両論があるのは理解してます)。
現状、Wikipediaにおいて、宏洋のSNSや本、教団系列のSNSや本の出典より、第三者の立場の大手メディアの記事に勝る出典はありません。
もちろん、編集者さんによって、色々な考えがあると思いますので、なるべくそれらの認識・考えを尊重します。
ただ、他の事と違い、こういうセンシティブな話題では、宏洋のSNSや本、教団のSNSや本など、一次資料からの双方の一方的な主張に関して、文を書く場合はよりいっそう印象操作に気をつけなければならない点と、
両論併記し、その出典元が一次資料の場合は、主張の食い違う個所の文の初めか終わりに一次資料の出典元を明確書き、中立性を保ったバランスの良い文章になるようにしないといけません。
こういう作業なども行わないといけないのと、文章の匙加減も大手メディアのプロの記者達と違い、ボランティアで、一般の編集者たちでやらないといけないので、かなり難しいです。
その為、Wikipediaでは特に双方の争いに関する内容での一次資料の出典が好まれてません。
不特定多数の読者がいるWikipediaでは第三者が見て、客観的に内容を考えられるように、文の構成をしていかなければなりませんので、面倒だと思いますが、読者に誤解を与えないように、一次資料に関しては、出典元を文章に明記するべきです。
宏洋側、または教団側が発信している情報のどちらかが事実だとしても、現状は第三者の大手メディアが発信しないかぎり、Wikipediaを含む情報社会では事実だと認定されない状態です(ここの点も賛否両論あるとは思います。)。
読者が出典まで確認せずに、Wikipediaの文章を読み、SNSで間違った情報が広まってしまうケースも多いです。
Wikipediaには不特定多数の編集者と読者がいる為、本当に難しい問題で、あくまでWikipediaの編集者達はボランティアみたいなものなので、なるべく不快になってしまうような細かいことは言いたくないのですが、他の内容と違って「争い」に関しては、非常にセンシティブな個所です。
争いになっている個所は、大手メディアの出典を使って下さい。
どうしても一次資料を使う際は出典元を文章の中に必ず明記してください。
客観的に見て、宏洋個人のSNSと本、教団系列のSNSと本は自己発表にすぎず、双方共に同じ扱い(信用に欠ける一次資料)です。
上記の3社(文藝春秋社、新潮社、講談社)も含め、大手メディアは社会的信用の責任のもと、(係争中であろうとも)第三者として記事を発信しているため、1番強い信頼出来る出典という扱いです(それぞれ思う所など、賛否両論があるのは仕方がない部分ですが)。
私の方も、Cadenza025さんの言うように両論併記のバランスにはより一層気をつけます。
文藝春秋社や新潮社、講談社が宏洋側かどうかの認識に関して、お互いにちょっと違いがあったので、書かせて貰いました。
長文失礼しました。--ケイ・ハラタニ会話2023年3月31日 (金) 16:18 (UTC)[返信]
WP:YESPOV Wikipediaが目指すところは、論争を記述することであり、論争に加わることではありません。
1.「大手メディア」の中立性について

宏洋がそれらの出版社に所属していたり、出資していたりするなら、一次資料と判断できる所もありますが、現状はこれらの大手メディアの記事を宏洋側の大手メディアとして一次資料扱いにはできません。

目的は中立性を担保することです。「大手メディアを第三者として扱うこと」は目的ではなく、中立性を担保するための手段の一つです。あなたは「大手メディア」の出典にこだわっていますが、「それによって中立性を欠くのであれば、本末転倒である」ということを知ってください。
あなたは「中立性が大事」と言いながら、杓子定規に「大手メディア」にこだわるあまり、中立性を毀損しています。以下に理由を示します。
2.「著者・出版社・著者が告発している組織」の関係について
本件における出典が一次資料かどうかの判断基準は「大手メディアかどうか」ではなく、「記事主題との利害関係にあるかどうか」だと思います。

例えば「過去に講談社から本を発刊したり、インタビュー記事が出ていたから、講談社はその著名人側の大手メディアで、そこから出ている記事は、その著名人のWikipediaのページにおいて、一次資料の出典になる」とはなりません。

勿論そうです。しかし、この喩えは今回のケースのごく一部しか表しておらず、まったくもって無意味な比喩です。もしそれに気づいていないとすれば、ここが、あなたが本件の本質を捉えきれていない原因です。あるいはもし、恣意的にこの比喩を持ち出したのだとすれば、あなたは中立性を保とうとしていません。
正しく例えるならば、このようになります。
「ある著名人のインタビューの内容が、その人物の所属組織や出身組織に対する告発や私怨であり、かつインタビュー内容と著者の自己発表の内容がほぼ完全に一致しており、当該組織と出版社が内容の真偽について係争関係にある場合、当該組織の主張はWikipediaから削除されるべきであり、第三者である出版社の主張のみを掲載するべきである」
この主張が正しいとは全く思いませんので、あくまでも両論併記を要望します。
3.「大手メディア」の社会的信用について

例え、係争中であろうと、一般的に大手メディアはきちんとした社会的信用をもった、第三者、中立的立場の存在である為、社会において、主観でどちら側について批判することはありませんし、間違った場合はきちんと謝罪をしてます(もちろん賛否両論があるのは理解してます)。

週刊文春は謝罪広告の次のページから4ページにわたり、延々と謝罪広告に対する反論記事を掲載しています。

「謝罪広告の文面は、本誌の自発的意思で書かれたものではない。(中略)本誌は今でも記事の内容に確信を持っているが、法治国家において定められた最高裁の決定に反することはできない」

つまり、判決で「週刊文春は、嘘の記事を書いたので、謝りなさい」と命じられ、記事を取り消して謝ったものの、直後に「でも、あの記事は正しい」と言って、改めて事実無根の記事の内容を書き連ねているわけですが、これが「社会的信用を重要視した組織」の謝罪の態度なのでしょうか。あなたは何か、「大手メディアは聖人であり、宗教は悪人である」という信念をお持ちのようですが、その固定観念が双方の主張の両論併記を妨げているのではないでしょうか。
4.帰属化について

不特定多数の読者がいるWikipediaでは第三者が見て、客観的に内容を考えられるように、文の構成をしていかなければなりませんので、面倒だと思いますが、読者に誤解を与えないように、一次資料に関しては、出典元を文章に明記するべきです。

「意見」については帰属化が必要ですが、裁判の判決は検証が可能な「事実」ですので、いちいち帰属化する必要はありません。事実を帰属化して書くと、実際にはありもしない疑念や異議が存在しているかのような印象を読者に与えることになるためです。それが印象操作だと言っているのです。WP:SUBSTANTIATE
あなたは中立性が大事だと一貫して仰っていますが、やっていることは真逆で、中立性を毀損しています。あなたが大量に引用したインタビュー記事の論点も、ひとつひとつ検証する作業が必要で、膨大な作業です。ボランティアと仰るなら、むしろそちらをお手伝いいただきたいです。しかし、それどころか、あなたはさらに宏洋自身の主張を加筆するばかりで、行動から、全く中立性を保つ意思が見られません。こんな事を言うのは気の毒ですが、正直に申し上げて、最早この記事の編集に関わらないで頂きたいです。--Cadenza025会話2023年4月1日 (土) 06:32 (UTC)[返信]
Cadenza025さん、返信ありがとうございます。
Cadenza025さんの認識、考えていることは分かりました。
「「大手メディア」にこだわるあまり、中立性を毀損しています。」の個所ですが、私が言っている中立性とは、一次資料(宏洋のSNS・本、教団系列のSNS・本)を使用する場合です。社会的に信頼されている大手メディアなどの第三者出典の場合は中立どうこうより、事実(または暫定的事実)の記録としてWikipediaに追記されていきます。
週刊文春に関してですが、「記事を取り消して謝ったものの、直後に「でも、あの記事は正しい」と言って、改めて事実無根の記事の内容を書き連ねているわけですが、これが「社会的信用を重要視した組織」の謝罪の態度なのでしょうか。」の個所ですが、一般社会やWikipediaでは全ての大手メディアは社会的信用と責任を持っている第三者という認識です。その為、大多数の人が大手メディアの記事を読みます。「謝罪の態度なのでしょうか。」とCadenza025さんの思う所も分かりますが、私怨で週刊文春が教団の記事を書いているというのは推測、独自の研究になってしまいます(別の大手メディアが週刊文春は私怨で何々に対し偏った記事を書いていると批判する記事を出していれば、推測や独自の研究では無くなります。)。
「あなたは何か、「大手メディアは聖人であり、宗教は悪人である」という信念をお持ちのようですが、その固定観念が双方の主張の両論併記を妨げているのではないでしょうか。」の個所については、私は大手メディアのことを聖人とも、宗教は悪人だとも思ってませんし、双方共に良い所もあれば、問題がある所もあると思ってます。しかしWikipediaにおいて、社会的に信用されている方の情報が優先されます。
そして大手メディアの出典が1番強く信頼されている出典です。
特に双方の争いの個所については、編集者は感情や主観を捨てて、信頼出来る第三者の大手メディアの出典から引用しないとなりません。
Cadenza025さんも、1ヶ月ほど前の教団側に偏りすぎているページをご存知かと思います。
「あなたはさらに宏洋自身の主張を加筆するばかりで、行動から、全く中立性を保つ意思が見られません。」と申しておりますが、ここについて、前までの宏洋のページでは一次資料による教団側贔屓の偏りがあまりにも酷かった為、同じタイプの一次資料から宏洋の反論を載せました。本来なら双方の食い違っている主張の部分は大手メディアの記事になっていないなら削除、または、どうしても一次資料から引用するなら、読者の為に出典元を文章に明記しなければなりません。
「裁判の判決は検証が可能な「事実」ですので、いちいち帰属化する必要はありません。事実を帰属化して書くと、実際にはありもしない疑念や異議が存在しているかのような印象を読者に与えることになるためです。それが印象操作だと言っているのです。」の個所ですが、裁判に関しても、宏洋のSNSや教団のSNSのような自己発表の一次資料では無い、社会的に信頼されている第三者の大手メディア(文藝春秋社、新潮社、講談社以外の大手メディアでも全然良いので)からの出典をお願いします。
まだ、大手メディアから出ていない裁判関連の情報に関しては第三者の大手メディアの記事が出るまで待ちましょう。
「(明記すると)実際にはありもしない疑念や異議が存在しているかのような印象を読者に与えることになるためです。それが印象操作だと言っているのです。」の個所ですが、一次資料の出典の場合は文章に明記しないと、それこそ誤解を読者に与えます。一次資料によるただの「自己発表」がWikipediaにそのまま書かれていた場合、あたかも第三者機関である大手メディアがその自己発表の内容の記事を書いているかのように勘違いや、いらぬ誤解を読者が招いてしまいます。争い(裁判以外も含む)の個所に関して、一次資料の場合は特に「どこの所属の誰がどのサイトで何を言っている(発表している)」を明記しないと、それこそ「意図的な印象操作」になります。きちんと教団側のSNSからの発表と明記し、客観的な文にした上で、それを読者が読んで判断するのが、公平です。
そもそも、教団が社会的に信用されているきちんとした団体なら、明記しても何も問題はないはずです。逆に明記することで、読者はより客観的に見て、「どこどこの大手メディアは良くない事を書いているが、社会的に信用されている教団の公式サイトが発表しているなら信用に値する」と判断する人もいます。また、読者から見て、教団が社会的に信用に値すると判断できる情報も第三者機関から出ているはずです。
一次資料出典の双方の発表・主張に関して、文に明記することによって「疑念や異議が存在しているかのような印象」が生まれるのは仕方がないことです。争いに関して一次資料を使うということは疑念や異議は当然出てきます。
裁判以外の双方の見解に関しても、一次資料のみを使用するなら「宏洋が脱会後に教団が言っているのか」「教団の経営に関わる幹部職員が言っているのか」の明記は読者が客観的に読む上で、非常に重要な所です。
また、「論争を記述することであり、論争に加わることではありません。」とは第三者の信頼できる大手メディアなどの出典を元にWikipediaに載せるということです。けして一次資料から長々と論争を記述することではありません。また一次資料を使用する場合は読者に誤解や混乱を生まないように細心の注意をしなければなりません。
「事実」だとしても、出典が一次資料だけだと、Wikipediaにおいて「自己発表」扱いになります。
また、私は裁判だけで無く、宏洋の経歴の双方の見解の所の事も含めて「争い」と言っています。文の出典も全部自己発表による一次資料である為、もっと簡潔に書かないと読者も違和感を覚えます。
一次資料から引っ張ってきた双方の見解が長々と書かれている個所をWikipediaに載せることは好ましくないです。
Wikipediaは一次資料を用いて双方の誹謗中傷を書く所ではありません。
また、一次資料を用いて、宏洋を援護して教団を下げる、教団を援護して宏洋を下げるなどの行為をする場でもありません。
Wikipediaでは宏洋側または教団側の有利不利関係なく、特に争い(裁判以外も含む)に関しては第三者として信頼されている大手メディアに報じられた事実と認定(暫定も含む)されているものを載せなければなりません。
また、社会的に信頼されている大手メディアなどの第三者機関による記事で、この争いになっている件(裁判以外も含む)に関して、公平な取材の元、教団側の良い記事が少ないのは、それだけ教団のやってきた事を良い事だと判断できる材料が少なく、教団が第三者機関である大手メディアや一般社会から批判されてしまう判断材料が多いということになりますので仕方がないです。そうでなければ、文藝春秋社、新潮社、講談社以外の社会的信用のある大手メディアなどの第三者機関が教団に関して良い記事を書きます。
まず、大手メディアは自社の今まで積み重ねてきた社会的信用をかけた大きなリスクを背負って、プロの記者達がキチンと双方を取材し、客観的に判断し、記事にしています。
間違った個所を掲載した場合は謝罪文を出し、社会的責任のある立場として、係争中に関しても、それはそれ、これはこれと分けて、第三者として客観的に記事を書いてます。
それをどう思うかは個人の自由ですが、社会やWikipediaでは、きちんとした第三者機関の大手メディアとして扱います。
Cadenza025さんのおっしゃりたい事も分かりますが、Wikipediaや社会の性質上、明確な証拠となる記事が別の大手メディアから出ないかぎり、係争中だからといって、文藝春秋社、新潮社、講談社が宏洋側というのは「推測」になってしまいます。また、「大手メディア同士が繋がっている」というのであれば、それも推測、独自の研究・主観となります。また、「記事主題との利害関係にあるかどうか」も信頼のおける第三者機関が記事を出さない限り、独自の推測という扱いになってしまいます。一般社会やWikipediaでは、大手メディアは社会的信用と責任を持って、大きいリスクを背負って記事を書いているということになっている為、係争中であろうとも大手メディアが第三者として扱われるのは仕方がないことです。これは私の意見では無く、社会やWikipediaでそうなっています。
Wikipediaの中立性とは、一次資料(自己発表)を出典とした場合、「争い」による双方の食い違いの部分を平等に書くことです。社会から信頼されている第三者機関の大手メディアが書く記事に関しては、事実(または暫定的事実)として(ページの内容が全体的に片方に偏ってしまっても)Wikipediaに書きます。
もちろん第三者機関である大手メディア同士の記事の内容がそれぞれ逆の内容なら、それは公平に両方の記事を文に書くべきです。
そこの所の認識もお互いに少しズレがあったようなので書きました。
編集者同士で意見が違うことはよくあることなので、別に良いのですが、さすがに、「こんな事を言うのは気の毒ですが、正直に申し上げて、最早この記事の編集に関わらないで頂きたいです。」は言ってはならないことです。
「争い」に関する一次資料の取り扱い方や出典の認識など大変難しく、非常にセンシティブな内容で不快なお気持ちになるのはわかりますが、Wikipediaでは匿名とはいえ、大勢の人が見ています。
今回の議論もお互いの出典への認識のズレから生まれてしまっただけなので、私はCadenza025さんに対して責めたり、教団を意図的に悪く書いたりするつもりは無いです。
裁判や経歴の見解などの争いに関しては社会的に信頼されている第三者機関の大手メディアの出典を使いましょう。
それ以外の単純な経歴や趣味、交友関係くらいの軽い情報に関しては一次資料の出典でも構わないと思います。と言いたいだけです。
長文失礼しました。--ケイ・ハラタニ会話2023年4月1日 (土) 17:15 (UTC)[返信]