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利用者‐会話:ごまふあざ

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ノート:安部公房/過去ログ1について

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過去ログ化されたようですが、ノート:安部公房からの履歴が継承されていないため削除の対象です。Wikipedia:過去ログにあるように移動機能を用いるか、履歴を継承するか、履歴へのリンクを用いてください。--端くれの錬金術師 2006年3月11日 (土) 04:46 (UTC)[返信]

大変もうしわけありませんでした。熟読し、やり直します。ごまふあざ 2006年3月11日 (土) 04:50 (UTC)[返信]

投稿姿勢について

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ごまふあざさん、問題ありと思われますがどうなんでしょうか。--以上の署名のないコメントは、Soto 999会話投稿記録)さんが 2008年2月3日 (日) 1:20 に投稿したものです(ごまふあざによる付記)。

はじめまして。Soto 999さん。どのように問題でしょうか。具体的にご提示いただき、その内容が得心のいくものであれば、行動を改めるには、やぶさかではありませんが…。なお、Soto 999さんの削除依頼テンプレート剥がしも、投票の権利がないのに投票されることなども、問題だと思いますよ。また、会話ページには署名をしてください。wikipediaには、いくつか決まりごとがあります。それを遵守して、ご投稿いただければ幸いです。--ごまふあざ 2008年2月2日 (土) 16:34 (UTC)[返信]

勝手に人の投稿を編集しているあなたの姿勢とはどうなんでしょうか。?--Soto 999 2008年2月2日 (土) 16:49 (UTC)[返信]

人の投稿の編集とは、どの編集でしょうか。標準名前空間であれば、wikipediaである以上、人の編集の上に手を加えるのは当然ですよね。ノートで、他者の発言の改竄をした記憶はないし、私自身の投稿記録も見返したのですが、みあたらないようです。なお、上記の、Soto 999さんの発言への署名付記は、Wikipedia:ノートのページでは投稿に署名をするにもとづいて行われる、通常の編集行動ですよ。--ごまふあざ 2008年2月2日 (土) 17:28 (UTC)[返信]

ノート:坂上田村麻呂について

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こんにちは。

単なる荒らし、というか、騒ぎを聞きつけて書き込みにきたいたずら書きとしか見えない、議論になんの関係もない発言をリバートしましたが、なにか問題ありましたでしょうか。

再度リバートしておきます。無駄な編集履歴を増やさないようお願いします。 --Hatukanezumi 2008年10月1日 (水) 14:08 (UTC)[返信]

こんにちは。わざわざお手間をおかけして恐縮です。議論に関係ないといえばないですが、むしろ「削除する理由」が見当たらないと判断しました。混乱を生じるほどでもないですしね…むしろ他者の発言削除は、相当の理由がないとするべきではないと考えます。どんなものであっても。たいした影響がないものを削除するほうが、「無駄な編集履歴」だと理解しますがいかがでしょうか。ノートで編集合戦をするのもなんなので、これ以上やりませんが、いかに議論に関係がないと思えても、軽々に他者発言を削除するのは私は賛成できません。--ごまふあざ 2008年10月1日 (水) 14:15 (UTC)[返信]
残すほどの発言ではないという点で理解が得られたのだとすれば、特にご意見に異存はありません。 --Hatukanezumi 2008年10月1日 (水) 14:20 (UTC)[返信]
んー、「残すほどではない」ですが、私としては「消すほどではない」ことを重視してほしいということだったのですが…より深刻な事態になるわけでもないでしょうし、この削除行為について見解の相違はあることだけはとりあえず述べておきたいと思います。--ごまふあざ 2008年10月1日 (水) 14:28 (UTC)[返信]

メールをお送りしました。

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海獺と申します。Wikiメールをお送りしました。ご確認いただければ幸いです。(この書き込みは除去していただいて構いません)--海獺 2009年4月6日 (月) 14:18 (UTC)[返信]

お返事しました。ご確認くださいませ。--ごまふあざ 2009年4月6日 (月) 14:50 (UTC)[返信]
ありがとうございます。蛇足ですがもう一度返信いたしました。--海獺 2009年4月6日 (月) 15:04 (UTC)[返信]

この節について、多少補足説明を加えておきます。海獺さんから、私のパトロールマークの付け方について、念のため確認という趣旨のメールをいただきました。確認だけで、特に何かがあったというわけではなかったのですが、透明性を確保するため、また、私自身の議論のポインタとして、どのような趣旨のメールだったのかをここに明記しておくと同時に、一応、念のため私の利用者ページにパトロールマークの付け方の方針をちょっとだけ書いておくことにします。これは、ここの会話ページの内容について、みなさまに明示しておくための措置であり、説明です。私自身のわがままとこだわりで海獺さんにご承諾をいただきました。--ごまふあざ 2009年4月7日 (火) 16:33 (UTC)[返信]

安宅丸について

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私の立項した記事への加筆有難う御座います。「なぜ今まで無かったのか」と思っていた項目なので、ごまふさんに充実させていただいて嬉しい限りです。新記事の立ち上げに右顧左眄している状態ですが、また精査いただけたら欣幸の至りです。--MiyazakiMango 2009年6月20日 (土) 11:49 (UTC)[返信]

Miyazakimangoさま、はじめまして。わざわざ会話ページにまでお礼いただき、ご丁寧にありがとうございます。わざわざ来ていただいたのに、このようなことを申し上げるのはなんなのですが…恐れ入りますが、以下の点ご確認ください。まず。私は、今の自分の「改稿後」の項目のできを65点だと思っています。つまり、人様にお見せするには恥ずかしい水準ではあるが、かろうじて不合格にはならないレベルであるものという自覚が、先の記事にはあるということです。本来は、以下の要件を満たして、はじめて一項目となりうると思います。
1.安宅丸とは、歴史的にどのような位置づけのものであるのか
巨大なだけなら、まあ、そうですね、という程度のものでしょう。それなら、御座船なりの中の一節でもよいのではないかという判断もありえるようなものだと思います。そこは、Wikipediaを小項目主義でとらえるのか、大項目主義でとらえるのかによって、だいぶ差が出てくるでしょう。しかし、調べてみると実際にはさまざまな伝承が生まれていて、実態が見えるテキストがその伝承の中に隠れてしまうようなものです。伊豆近辺には、関連する逸話なども多くあり、観光案内にのっているところもあるようです[1]。歴史的には、徳川政権初期の運営の中で、もしくはそれに関わった地域の中でそれなりの歴史的な意義づけがなされていると思うのですね。その説明が必要です。
以下は推測です。江戸期に多くの逸話が生まれたのは、その巨大さもさることながら、家光による軍事拡大の方向性と奢侈性、そしてそれがあっさりと転換され、引き締め政策の中、たいしてつかわれもせずに壊されてしまうという、「壮大な無駄」へのある種の皮肉が込められているのだろうな、と推測します。江戸時代でも後期ならありそうな話ですし。
2.結局、船舶技術としてどこに位置づけられるのか。
安宅丸って、どんな船なのでしょう。私は船舶技術などに明るくないので、いまひとつよくわかりません。ただ、安宅船の系列とも、西洋式軍船ともいえないと思います。この船は、結局どのような技術を用いて作られて、どのような技術的影響を後世に与えたのでしょう。それとも、これはある種の技術的「どん詰まり」で、後世何にもならない時代のあだ花だったのでしょうか。その辺も、まだ調べないといけないと思います。リサーチしましたが、私には関連文献を見つける余力がありませんでした。江戸期の船舶技術史の専論に目を通すべきでしょうね。
3.民俗事例がない。
怪異・妖怪データベースでも、4件の事例があります。おまけに、水木しげるの漫画にも出てくるようですね[2]。おまけにこいつは「フナダマ」としても扱われるようで、非常に民俗事例が多いようです。しかし、それらに対して、十分なリサーチがなされていません。
本来、これらの情報が充実して、はじめて「一項目」になりうるのではないでしょうか。私はそのように考えました。そこで、今回、最低限であっても、以下のようにしました。1.歴史的な位置づけについては法政大学の紀要で論文の一部で触れられているものを援用しました。2.船舶の構造概要については『国史大辞典』のデータの中から重要そうなものをピックアップしました。3.民俗伝承は、本来は一番多くの稿を割かなければならないようですが、その力が足りず、怪異・妖怪データベースで「事実の摘示」のみとなりました。今のところ、この三つを満たして最低限の情報が確保でき、今後の記事発展の骨組みにかろうじてなりえるかなと自覚しています。専門の人にとっては、まるで物足りないと思いますので、まだ、お見せするには恥ずかしい水準ですが。
翻って、Miyazakimangoさんの初稿、いかがでしたでしょうか。そのようなリサーチをされた上で、何が必要か確認の上、作成されましたか?歴史というのは、専門の学問領域です。その専門領域の学術文献をいくつか確認したうえで、最良のテキストとして、あの参考文献を採用する判断をしましたか?私には講談社+α文庫は読み物レベルであり、百科事典の主たる材料とするには不足に見えます(蛇足ですが、上記のURLのサイトも、加筆の根拠とするにはもうひとひねり必要だと思いますので、私は直接的には使っていません。)。「辞書を書く」ということは、このように大変なことなのです。見たものをすぐに加筆できるわけではありません。ミスリードをしないよう、世の中の事象の最大公約数とはどのようなものかを考え、多くの情報の中から厳選して書くべきものです。しかも、その情報は、歴史項目であれば、できるかぎり歴史プロパーの人(歴史学の内部で認められた論文を執筆した人)が書いたものとすべきでしょう。歴史プロパーとはどのようなものか、どのようなリサーチをすればそこにたどり着けるのかがわかって、はじめて歴史項目は書けるのです。それが、Miyazakimangoさんにできていたでしょうか。そのあたりにもう少しご配慮をいただけると幸いです。利用者ページでは「日本史に明るい」と書かれておりますね。その「得意」に恥じないような御執筆を期待しております。わざわざコメントいただいたのに、苦言で恐縮ですが、ご自身の余力とのバランスを冷徹に見据えつつ、今後の執筆の方向性をお考えいただけると幸いです。長々と失礼しました。--ごまふあざ 2009年6月22日 (月) 16:32 (UTC)[返信]
    • Miyazakimangoです。高尚な理念をお示し頂き有難う御座います。
ごまふあざ様の提示される「安宅丸」という記事が百科事典に載せるに値する内容であるかの基準(仮に「G基準」としましょう)は、認識的様相に鑑みてなんら疑問点はありません。ただ、自分は、Wikipediaの記事となるべきものは、軒輊あれど、「専門家」から見た出来映えのG基準ではなく、G基準を満たした上で「素人」が見て理解出来る事が重要と考えています。もし、専門的な辞書作りがしたいのでしたら、「ヌーペディア」(あるいは「コトバンク」)のような物を「お作り」下さいとしか言いようが有りません。しかし、これらと「Wikipedia」、そして「紙の辞典」は明らかに異質なものです。『国史大辞典』のような。「紙の辞典」を基礎にすること自体に対する反発も一部ではあるでしょう。理想を渾然一体とするには幾許かの妥協も必要かもしれませんね。
安宅丸に関しては「本来あるべき記事」と考えた故の、当座の立項でした。出典は、歴史を学ぶものなら誰もが知る歴史研究家、加来耕三氏監修(当該箇所は作家の楠木誠一郎氏執筆)の書き下ろし著作を事実のみ引用したかたちです。その際「参考」は「参考文献」であって、「独自研究」ではありません。ごまふさんが素晴らしい史料を提示して下さったので無論文句は無いのですが、日本史に関する記事は「出典不明」及び「検証不可」の群集であり、これ自体を排斥することこそが不文律(むしろ成文律)ですので、私は自分の領分を改める心算はありません。
最大公約数の話と被るかも知れませんが、ウィキペディアの編集とは、最初に不要な文章や乱雑な内容が書かれた記事でも、誰かが鋭利な剃刀で梳っていく事ができる。即ち切磋琢磨されていく物で、初版記事の品質基準は保障できないのです。その中で優れたものとして見込まれれば月間新記事賞を授与されることもあり、あるいは辞典を超えた品質を生み出せるかもしれません。ですが、足りないものは気づいた時に埋めるべきです。「完璧なウィキペディア記事とは…」では「 ほとんど全ての記事は、「本当に」優れているならば、少しでも良くなるために長くなっていきます。 」ともあるんですが、ウィキペディア全体俯瞰でも言える事です。
最後に、これからもごまふ様の執筆活動を応援させて頂きます。私も記事に基準を持たせることを留意したいと思います。--MiyazakiMango 2009年6月23日 (火) 21:00 (UTC)[返信]
お返事ありがとうございます。で、ですね。決定的な誤解が二点あるようです。
  1. Wikipediaは、「素人向け」を目指してはいないと思います。井戸端でも議論されていますが、百科事典というのは、わかりやすく書くことは求められていても、素人目線に落として書くことを求められていません。ある程度のレベルが求められることが前提となっています。それは、「質も量も最大の百科事典」を目指す以上、Wikipediaでも同じですね。基本方針に賛同すればだれでも書けるということと、レベルを下げるということは同義ではありません。で、私は専門家向けの辞書としてではなく、普通の百科事典としての特筆性と、何が必要かという話をしたのです。これが高尚だといわれると少しつらいなあと思います。
  2. やはり、日本史について大きな誤解をされてると思います。「歴史を学ぶものなら誰もが知る歴史研究家、加来耕三氏監修(当該箇所は作家の楠木誠一郎氏執筆)の書き下ろし著作を事実のみ引用した」これは、専門家ならずとも、歴史をかじったことがある人は絶対に言わない話です。加来氏は歴史での物書きさんではあれども、歴史プロパーの人とはみなされません。さらに言えば、百歩譲って加来氏のものを認めたとしても、その中で「作家」が書いた文章を引用することは、ありえません。通常、作家さんが書かれるものは、読み物としての面白さを重視するわけで、アカデミックな事実の成否は、検証されていないことが普通です。それは、専門家でなくとも、歴史に詳しい人なら知っていることです。大学でも1回生(1年生)レベル―つまり「入門のレベル」―での話です。ご自身が「何が得意」というのを止めることはできませんが、私としては、Miyazakimangoさんが恥をかかないためにも申し上げたつもりでもあります。今後、Miyazakimangoさんがどのように言われるのも結構ですし、どの方向性ですすまれるのも結構だと思いますが、上記のような認識のままで、かつ、それに加えて「とりあえず最初だからいいのだ」と言っているとMiyazakimangoさんの評判をどんどん下げるだけだと余計な心配をしてしまうわけです。「日本史に関する記事は「出典不明」及び「検証不可」の群集であり」というところは、私も賛成し、憂慮するところですが、だからと言って、Wikipedia:信頼できる情報源ではないもの、もしくはお示しいただいたWikipedia:検証可能性のなかでも「信頼性に乏しい情報源」に近いものを延々加えられるのであれば、事態はたいして変わりません。とりあえずにもなりません。今回の出典で、歴史の専門項目が書かれるのは、出典なしとどちらがましかといわれると微妙なところなのですが。まあ、「この項目の中身は信用できないな」と思わせる根拠があるだけまし、というレベルの差でしかないです。その辺、もう少しご検討いただければと思います。--ごまふあざ 2009年6月24日 (水) 14:19 (UTC)[返信]

「第45回衆議院議員総選挙」の党派別議席数表の記述について

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ごまふあざさん、nadeorosenseiです。私が作成した党派別議席数表の「前回」の項目部分ですが、実は「議席増減(公示前)」と書かなければならない箇所を誤って書いてしまったので、修正しておきました。--Nadeorosensei 2009年8月31日 (月) 15:30 (UTC)[返信]

わざわざご連絡ありがとうございます。拝見しました。前回の選挙で取った議席数・解散時・公示段階とで少しずつ違っていて、どれを念頭に書いておいた記事なのかわからなかったので、そのままにしてしまいました。わかりやすくなったと思います。--ごまふあざ 2009年8月31日 (月) 15:54 (UTC)[返信]

九州王朝説

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この項目は多元王朝説九州王朝一元説の区別が付いていません。古田武彦の説以外は学説ではないので、記してはならないとおもいますが、対応をお願いします。--日野智貴 2010年3月5日 (金) 07:51 (UTC)[返信]