利休蔵
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この記事は広告・宣伝活動のような記述内容になっています。 (2017年6月) |
種類 | 特例有限会社 |
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本社所在地 |
日本 〒590-0950 大阪府堺市堺区甲斐町西3丁-3-4 北緯34度34分44.3秒 東経135度28分11秒 / 北緯34.578972度 東経135.46972度座標: 北緯34度34分44.3秒 東経135度28分11秒 / 北緯34.578972度 東経135.46972度 |
設立 | 1899年 |
業種 | 食料品 |
法人番号 | 4140002001094 |
事業内容 | 日本酒の製造販売 |
代表者 | 西條裕三 |
外部リンク | https://sennorikyu-nihonshu.jp/ |
有限会社利休蔵(りきゅうくら[注釈 1])は、大阪府堺市に本社を置く酒造メーカー。
沿革
[編集]かつて大阪府堺市は酒の銘醸地であり、明治時代には100軒近くの酒造所があったが、水や土地の不足、大阪大空襲の影響などにより衰退。1971年(昭和46年)に最後の蔵元が灘の業者と合併し、以後酒造は途絶えていた[3]。
同市では酒造会社の元社長などを中心に酒造を復活させようとする動きがあった[4]。酒類免許の新規所得は安定して大量生産できる業者に限られていた事から、灘の酒造会社の協力を得て、2014年12月22日に酒類販売免許を取得[5]。2014年12月、堺泉酒造(さかいいずみしゅぞう)有限会社を設立[6][7]。同市での地酒の酒造は44年ぶりとなる[6]。
2015年に料亭の跡地を利用して、醸造所を新設し、同市出身の茶人千利休にちなんだ銘柄「千利休」を生産開始した[8]。酒蔵は「利休蔵」と名付けられた[9]。2016年10月、酒造場を新築移転[6][7]。
2017年には火入れ酒を主力とするなどの戦略をとったが[10]、経営は苦戦を強いられたという[1]。2019年にあらたな蔵主(蔵の運営担当者)を迎えるとともに[1]、2020年2月1日に商号を有限会社利休蔵に変更したと発表[11][注釈 2]。茶と日本酒のリキュールの販売に乗り出した[1]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e “復活の酒蔵 日本酒×抹茶リキュールで反転攻勢 大阪・堺”. 産経WEST. (2020年12月22日) 2021年10月13日閲覧。
- ^ a b “有限会社利休蔵”. 法人番号公表サイト. 国税庁. 2021年10月13日閲覧。
- ^ “堺の酒造り、半世紀ぶり復活 新たな蔵お披露目 今月にも新酒出荷”. 産経WEST: p. 2. (2016年11月11日) 2017年8月19日閲覧。
- ^ 「堺の地酒復興を! 西條裕三さん」『キットプレス』2006年11月18日。2021年10月13日閲覧。
- ^ “堺に「酒蔵」が44年ぶりに復活...ゼロからの再起実る”. Jタウンネット 大阪府. (2015年4月18日) 2021年11月13日閲覧。
- ^ a b c 「堺泉酒造、日本酒の生産能力10倍に 堺の本社を移転・新築」.『日本経済新聞(近畿B)』.2016年10月22日付朝刊、10面。
- ^ a b “酒処、堺の復活を 堺泉酒造が新築移転”. 食品新聞社. (2016年10月26日) 2017年8月19日閲覧。
- ^ 「堺、昔は酒所、40年ぶり酒造復活、純米吟醸「千利休」発売へ。」.『日本経済新聞(近畿B)』.2015年3月14日付朝刊、10面。
- ^ 堺酔人酩物伝 2 ~現代の堺に酒蔵が蘇る~ 堺泉酒造『利休蔵』蔵開き - つーる・ど・堺(2015年5月21日)
- ^ 堺泉酒造、「火入れ」を主力に 常温で流通しやすく『日刊工業新聞』2017年6月29日(中小企業・地域経済面)
- ^ 「堺泉酒造、「利休蔵」に社名変更」『日本食糧新聞』2020年2月17日。2021年10月13日閲覧。