別府商工会議所
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別府商工会議所(べっぷしょうこうかいぎしょ、英称:The Beppu Chamber of Commerce and Industry)は、主に大分県別府市内に事業所を置く企業・団体で構成・運営されている商工会議所である。略称は別府商議所。
沿革
[編集]- 1929年(昭和4年)10月4日 - 別府商工会議所として設立認可される[1]。大分県下で最初に設立[2]。
- 1931年(昭和6年) - 秋祭りの「温泉市大売出し」から従来の温泉市と切り離し、温泉に対する感謝祭として「温泉祭り」を提唱、強く市当局に働きかけて開催を実現[1]。
- 1935年(昭和10年) - 納涼煙火大会を別府商工会議所主催で挙行[1]。
- 1937年(昭和12年) - 別府公園で別府国際温泉観光大博覧会が開催される[1]。
- 1937年(昭和12年)8月-市内浜町に商工会館を新築・移転[1]。
- 1943年(昭和18年)9月 - 大分県商工経済会別府支部に編成替え[3][4]。
- 1946年(昭和21年) - 「社団法人別府商工会議所」として再出発[1]。
- 1947年(昭和22年) - 別府商工会議所を中心に別府国際観光港設置期成会発足[1]。
- 1951年(昭和26年) - 全九州商工会議所大会を別府で開催[1]。
- 1952年(昭和27年)〜1954年(昭和29年) - 商工業実態調査を実施。本調査を契機に、市商工業界に地域別、業種別組合が急速に生まれる[5][3]。
- 1954年(昭和29年)10月 - 新:商工会議所法施行による「別府商工会議所」に改組。
- 1956年(昭和31年) - 中小企業相談所を創設。経営指導員が配置される[3]。
- 1957年(昭和32年) - 別府温泉観光産業大博覧会を開催。80万人動員[1]。
- 1958年(昭和33年) - 別府国際観光港に3000トン級バース完成[1]。
- 1961年(昭和36年) - 別府商工会議所婦人会が誕生(会長・横山キク(杉乃井ホテル)、副会長・甲斐コウメ(雅叙園)、野口久恵(有田陶器店])[1]。
所在地
[編集]- 大分県別府市中央町7番8号 別府商工会館(3代目)(2015年8月~)
過去の所在地
- 別府市北浜2丁目9番1号トキハ別府店7階(2010年4月~2015年7月)
- 別府市光町22番19号NTT別府ビル5階(2007年9月~2010年3月)
- 別府市楠町17番5号 別府商工会館(2代目)(1988年3月25日~2007年8月)
- 別府市北浜9番43号別府国際観光会館3階(1975年8月10日~1988年3月24日)
- 別府市浜町2番1号 別府商工会館(初代)(1937年12月8日~1975年8月9日)
- ※別府市浜町195番地の4(1954年10月8日現在の表記)
歴代会頭
[編集]代数 | 氏名 | 在任期間 | 出身企業・団体 |
---|---|---|---|
初代 | 高橋欽哉 | 1929年〜1936年 | 大分県農工銀行(現・みずほ銀行大分支店)[6] |
第2代 | 西原左太郎 | 1936年〜1941年 | タナベ屋 |
第3代 | 藤原勝 | 1941年〜1943年[7] | 肥後屋 |
第4代 | 藤沢徳太郎 | 1946年〜1948年 | 新紙屋 |
第5代 | 八阪真兵衛 | 1948年〜1952年 | 国際館 |
第6代 | 西田熊太郎 | 1952年〜1963年 | つるみ観光 |
第7代 | 首藤克人 | 1963年〜1969年 | 協栄産業、R・C映画 |
第8代 | 河村友吉 | 1969年〜1976年 | 別府市助役 |
第9代 | 友永文月 | 1976年〜1997年 | 旭商会 |
第10代 | 津末武久 | 1997年〜2004年 | 大鵬レジャー産業・大鵬会館 |
第11代 | 高松右門 | 2004年〜2008年 | 大分みらい信用金庫 |
第12代 | 千壽健夫 | 2008年〜2016年 | 別府地獄組合 |
第13代 | 西謙二 | 2016年~ | 西石油 |
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 別府年表 別府商工会議所
- ^ 河村友吉「私の履歴書」『別府史談』第16号、別府史談会、2002年12月、57-65頁、NAID 120001798362。
- ^ a b c 別府商工会議所のあゆみ 別府商工会議所
- ^ 「商工経済会法」公布に伴い、全国144の商工会議所が解散。従来の都市単位から各都道府県を単位とする「商工経済会」が誕生した。
- ^ 1954年(昭和29年)4月1日を基準日とした特定商工業者基準該当法人519名、個人963名、計1,482名
- ^ 高橋欽哉と聴潮閣 聴潮閣高橋記念館
- ^ 戦争の影響により1943年9月から大分県商工経済会別府支部に編成替え。藤原会頭が支部長に就任(1946年9月に商工会議所が復活)。