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初岡栄治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
初岡榮治から転送)
初岡栄治
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 茨城県
生年月日 (1930-06-22) 1930年6月22日
没年月日 (2015-01-08) 2015年1月8日(84歳没)
身長
体重
170 cm
60 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手外野手
プロ入り 1950年
初出場 1950年
最終出場 1955年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • 日本通運浦和

初岡 栄治(はつおか えいじ、1930年6月22日 - 2015年1月8日[1])は、茨城県出身の元プロ野球選手投手外野手)。

来歴・人物

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下妻中では1947年に4番・投手として夏の甲子園茨城大会で優勝し、北関東大会に進出するも初戦で敗退。卒業後は東京鉄道局に進み、シュート、ドロップを武器に主戦投手として活躍。

その後は専修大学を中退し、1950年に新球団の国鉄スワローズへ入団。球威はないものの変化球や制球が良かったため高橋輝に次ぐ主戦投手として期待されたが、結果を出せずに2年目の1951年からは外野手に転向。3年目の1952年には規定打席に到達するが、佐藤孝夫の外野転向と安居玉一の入団、町田行彦の成長もありレギュラーから陥落。1955年退団。

退団後の1956年藤田宗一古谷法夫と共に日本通運へ入社。創部1年目の浦和野球部へ主将として入部し、1959年限りで現役を引退。

引退後は稲葉誠治監督の下でコーチ(1960年 - 1969年)→助監督(1970年)を務め、1964年都市対抗優勝に貢献し、竹之内雅史榊親一を送り出した。一時は社業に戻ったが、1974年に監督として現場に復帰。在任中は都市対抗に出場できず、日本選手権も1度(1975年)のみと期待に応えられなかったが、関東孝雄村上之宏を送り出した。1976年退任。

2015年1月8日、死去。84歳没。

詳細情報

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年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1950 国鉄 13 11 11 0 4 0 0 0 4 0 0 0 0 0 0 0 0 6 0 .364 .364 .364 .727
1951 92 287 267 28 66 8 2 0 78 20 15 4 5 0 15 0 0 25 5 .247 .287 .292 .579
1952 114 394 372 28 97 14 3 4 129 33 6 7 6 0 16 0 0 37 6 .261 .291 .347 .638
1953 59 95 90 5 16 1 1 0 19 2 0 1 0 0 4 0 1 6 4 .178 .221 .211 .432
1954 37 79 76 1 17 0 0 0 17 3 1 0 2 0 1 0 0 5 1 .224 .234 .224 .457
通算:5年 315 866 816 62 200 23 6 4 247 58 22 12 13 0 36 0 1 79 16 .245 .278 .303 .581

年度別投手成績

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W
H
I
P
1950 国鉄 6 4 0 0 0 0 3 0 0 .000 64 11.2 28 3 5 0 0 1 0 0 22 20 15.00 2.83
通算:1年 6 4 0 0 0 0 3 0 0 .000 64 11.2 28 3 5 0 0 1 0 0 22 20 15.00 2.83

背番号

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  • 12(1950年)
  • 25(1951年 - 1955年)

脚注

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  1. ^ OB NEWS Vol.65” (PDF). 公益社団法人全国野球振興会(日本プロ野球OBクラブ) (2015年4月). 2015年7月23日閲覧。

関連項目

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