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初加勢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
初加勢
『日本近世造船史(明治時代)』第169図
基本情報
船籍
運用者
建造所 三菱長崎造船所[1]
改名 初加勢→ドロシー→初風
経歴
起工 1901年5月
進水 1902年10月4日
竣工 1902年10月25日
最後 1950年3月18日座礁、船体放棄[1]
要目
総トン数 80.0 トン[2][1][3]
排水量 131英トン[4]
全長 31.32 m[1]
または109 ft (33 m)[4]
18 ft (5.5 m)[4]
喫水 前部:5 ft (1.5 m)、後部:8 ft (2.4 m)[4]
機関方式 4連成レシプロ機関[3]
ディーゼル機関
ボイラー 宮原式水管ボイラー[3]
出力 230 馬力[1]
速力 11.38 ノット[1]
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初加勢(はつかぜ)は、大日本帝国皇室ヨット英語版[1]日本のレジャーボートとしては初期のものの1隻[1]。 加勢は風の古い用法で、 初風は「その季節に初めに吹く風」の意味[5]

1902年明治35年)、三菱造船所(後の三菱重工業長崎造船所)への行幸記念として岩崎久弥から当時の皇太子(後の大正天皇)に贈られた2蒸気船[1]。 内装は日本の美術品を用いていた[1]

船歴

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長崎の三菱造船所で1901年(明治34年)5月に起工。翌年10月4日進水。同月25日に竣工。翌月に宮内省から海軍に移管、雑役船「初加勢」とされた。

1905年(明治38年)の観艦式には皇室ヨットとして使用された。

1921年大正10年)からは高松宮海軍兵学校で使用した。

1945年昭和20年)の敗戦により米軍が接収し、「ドロシー」と改名された。 1949年(昭和24年)に日本に返還され[1]志摩航運に売却。「初風」と改名され観光船となった。この時、機関を蒸気機関からディーゼルに換装している。 1950年(昭和25年)3月18日に鳥羽沿岸で座礁し、船体放棄された[1]

脚注

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出典

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参考文献

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  • アジア歴史資料センター
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0386-9 
  • 造船協会/編『日本近世造船史 明治時代』 明治百年史叢書 第205巻、原書房、1973年(原著1911年)。 
  • 庄司邦昭「日本の海事工学に関する博物館について(その6) : 九州・沖縄地方」『東京商船大学研究報告. 人文科学』第52巻、東京海洋大学、2001年、47-72頁、ISSN 0493-4466 
  • 日本財団『企画展「世界のロイヤルヨット今昔物語」報告書https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2004/00466/contents/0014.htm 

関連項目

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