切田太郎
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切田 太郎(きりた たろう、1876年3月1日 - 1937年7月4日)は、日本の商学者。第6代台北高等商業学校校長。
人物・経歴
[編集]岩手県盛岡市生まれ。1900年高等商業学校(現一橋大学)卒業。1902年同専攻部卒業。大倉高等商業学校講師、国民英学会講師、日本大学講師、明治大学講師、善隣高等商業学校講師、同教授、大倉高等商業学校教授を経て、1910年から東京高等商業学校教授を務める傍ら、中華民国政府の招きで京師大学堂講師を務め、同大学に商学部を設立した。1918年中村組ニューヨーク支店長。1919年台湾総督府台北高等商業学校教授。1929年同校長事務取扱。1930年同校長[1]。1937年退官[2]、叙正四位[3]。同年鉄道事故にて負傷し死去し、学友の上田貞次郎らが弔問に訪れた[4]。
著書
[編集]- 『幾何学教科書 : 商業学校用』(安藤兼三郎と共著)普及舎 1903年
- 『初等商業教本教員用書』開発社 1904年
- 『英語商業用文教科書』(松村吉則と共著)三省堂書店 1904年
- 『英語商業用文初歩』(松村吉則と共著)三省堂 1906年
- 『英文商業実践』(古館市太郎と共著)松邑三松堂 1911年
- 『英語商業通信』三省堂 1917年
- 『商業用文』三省堂 1918年
- 『分解的研究商業英語と商業通信』松邑三松堂 1927年
- 『簡易英文商業実践』松邑三松堂 1929年
- 『英文貿易實踐』松邑三松堂 1937年
脚注
[編集]- ^ 日本人名選 : 職名別 昭和12年
- ^ 台北高等商業学校一覧 昭和13年度
- ^ 官報 1937年05月03日
- ^ 上田貞次郎日記上田貞次郎日記刊行会1963
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