出口直吉
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出口 直吉(でぐち なおきち、1871年1月21日(明治3年12月1日[1]) - 1929年(昭和4年)7月30日[2][3])は、明治から大正時代の政治家、実業家。染色家。衆議院議員。神奈川県高座郡鶴嶺村長。
経歴
[編集]出口彦四郎、ウタの三男として神奈川県高座郡今宿村(鶴嶺村、茅ヶ崎町を経て現茅ヶ崎市)に生まれる[1]。1892年(明治25年)東京工業学校染工科を卒業し、1896年(明治29年)横浜市高島町に染色工場を開設した[1]。以後、改良機械の導入、モスリン無地染色、羽二重精練などで業界を率いた[1]。1912年(明治45年)には横浜輸出織物染色同業組合を設立し、政府助成を得て岡野町に共用利用工場を設けた[1]。また、横浜商業会議所議員[4][3]、横浜撚糸織物専務取締役を務めた[5]。
政治家としては、鶴嶺村長、神奈川県会議員、同参事会員を歴任[2][3]。1920年(大正9年)5月の第14回衆議院議員総選挙では神奈川県第5区から憲政会所属で出馬し当選[3]。衆議院議員を1期務めた[3]。墓所は茅ヶ崎市信隆寺[2]。
親族
[編集]- 長兄:出口彦太郎(江陽銀行監査役)[5]
脚注
[編集]- ^ a b c d e 神奈川県県民部県史編集室 1983, 499頁.
- ^ a b c 神奈川県県民部県史編集室 1983, 500頁.
- ^ a b c d e 衆議院、参議院 1962, 322頁.
- ^ 神奈川県県民部県史編集室 1983, 499-500頁.
- ^ a b 人事興信所 1928, テ3頁.
参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。
- 神奈川県県民部県史編集室 編『神奈川県史 別編1 人物』神奈川県、1983年。