円山町 (北海道)
表示
(円山村から転送)
まるやまちょう 円山町 | |
---|---|
廃止日 | 1941年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 円山町 → 札幌市 |
現在の自治体 | 札幌市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 北海道地方 |
都道府県 | 北海道 石狩支庁 |
郡 | 札幌郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
16,724人 (1940年) |
隣接自治体 |
札幌市、 札幌郡豊平町、琴似村 |
円山町役場 | |
所在地 | 北海道札幌郡円山町 |
座標 | 北緯42度59分14秒 東経141度19分58秒 / 北緯42.9872度 東経141.3328度座標: 北緯42度59分14秒 東経141度19分58秒 / 北緯42.9872度 東経141.3328度 |
ウィキプロジェクト |
円山町(まるやまちょう)は、かつて北海道札幌郡に存在した町であり、現在の札幌市中央区・南区・西区の一部地域に該当する。
地名は、1871年(明治4年)にこの地に札幌神社を建立する際、岩村通俊が京都市祇園の円山にあやかって命名したもの[1]。
歴史
[編集]- 1870年(明治3年)- 石狩川支流琴似川上流の円山山麓に、酒田県(第一次。現在の山形県)の農民30戸・90人が入植し、庚午三ノ村が成立[2]。
- 1871年(明治4年)- 庚午三ノ村が円山村と改称。札幌神社(現・北海道神宮)移建。
- 1874年(明治7年)- 山鼻村が開村。
- 1880年(明治13年)- 円山村および山鼻村の戸長役場が山鼻村の戸長宅に置かれる(後に山鼻簡易小学校校内へ移転)。開拓使により円山養樹園(現在の円山公園の前身)が設置される[2]。
- 1890年(明治23年)- 戸長役場の独立庁舎が新築される。
- 1893年(明治26年)- この頃から近隣農家による朝市が始まる。
- 1906年(明治39年)
- 1910年(明治43年)2月 - 大字山鼻村の一部が札幌区に編入、札幌区字山鼻町となる(1925年〈大正14年〉に南3条 - 南30条となる範囲。南14条までは西19丁目、南15条 - 南24条は西15丁目、南25条 - 南30条は西12丁目が境界となる)。役場を当村(現在の南1条西24丁目)に移転する。
- 1913年(大正2年) - 上田万平により、円山に登山道が作られる。
- 1938年(昭和13年)4月15日 - 一級町村制を施行、円山町となる。同年2大字を廃止、大字円山村は字円山、大字山鼻村は山鼻、八垂別、白川の3字に再編。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 札幌市へ編入。同年、町内の4字が以下のように再編される。
人口
[編集]- 1880年(明治13年) - 山鼻村1,135人、円山村235人。
- 1902年(明治35年) - 山鼻村3,214人、円山村795人。
- 1921年(大正10年) - 大字山鼻1,628人、大字円山1,856人。
- 1938年(昭和13年) - 大字山鼻2,512人、大字円山13,158人。
- 1940年(昭和15年) - 16,724人(国勢調査)。
歴代村長・町長
[編集]- 初代 中川寅三(1906年〈明治39年〉-1907年〈明治40年〉)- 藻岩村長
- 2代 御子柴五百彦(1907年〈明治40年〉-1919年〈大正8年〉) - 元・根室支庁事務官
- 3代 吉田新也(1919年〈大正8年〉-1924年〈大正13年〉)- 前・初山別村長
- 4代 桜井秀夫(1924年〈大正13年〉-1926年〈大正15年〉)
- 5代 佐藤正三郎(1926年〈大正15年〉-1928年〈昭和3年〉)
- 6代 古瀬猛二(1928年〈昭和3年〉-1930年〈昭和5年〉)
- 7代 相馬徳三郎(1930年〈昭和5年〉)
- 8代 佐藤正三郎(1930年〈昭和5年〉-1938年〈昭和13年〉)- 前・白石村長
- 9代 飯田識一(1938年〈昭和13年〉-1941年〈昭和16年〉)- 途中から円山町長
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “特集 中央区ぶらり地名めぐり 円山と藻岩山の深い関係” (PDF). 広報さっぽろ. 札幌市 (2002年9月). 2023年10月2日閲覧。
- ^ a b 札幌市教育委員会編 編『開拓使時代』北海道新聞社〈さっぽろ文庫50〉、1989年、148-151頁。ISBN 4-89363-049-0。