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円光寺 (世田谷区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
圓光寺
所在地 東京都世田谷区大蔵2-2-1
位置 北緯35度38分1.3秒 東経139度36分54.3秒 / 北緯35.633694度 東経139.615083度 / 35.633694; 139.615083 (円光寺 (世田谷区))座標: 北緯35度38分1.3秒 東経139度36分54.3秒 / 北緯35.633694度 東経139.615083度 / 35.633694; 139.615083 (円光寺 (世田谷区))
山号 月輪山
宗派 浄土宗西山禅林寺派
本尊 阿弥陀如来
創建年 明治20年(1887年)【大師堂設立年】
開基 安井隆道
中興年 明治41年(1908年)【寺号公称年】
公式サイト 浄土宗西山禪林寺派・圓光寺
法人番号 3010905000124 ウィキデータを編集
円光寺 (世田谷区)の位置(東京都区部内)
円光寺 (世田谷区)
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圓光寺(えんこうじ)は、東京都世田谷区にある浄土宗西山禅林寺派寺院。浄土宗西山禅林寺派としては東京都内で唯一の寺院である[1]

歴史

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浄土宗の一派「浄土宗西山派」(現在は西山浄土宗浄土宗西山禅林寺派浄土宗西山深草派の「西山三派」に分裂している。)は、歴史的経緯もあり、関東以東の東日本には所属寺院が一つもなかった。愛知県碧海郡渡村(現・岡崎市渡町)の善国寺住職の安井隆道は、東京に寺院を設立すべく単身上京した[2]

そして1887年明治20年)、伝馬町牢屋敷跡地に寺を創建した。ただ当時の国策で寺院新設が禁止されていたので、光明寺にあった円光大師(法然)と見真大師(親鸞)の両大師像を祀る「大師堂」という体裁で創設したという。1908年(明治41年)にようやく寺号公称が認められ「圓光寺」を称することになった[2]

伝馬町牢屋敷跡地は、他にも刑死者の菩提を弔う寺が置かれていた[3]こともあり、当寺には専属の墓地がなかった。そのため、せっかく法縁を結んでも、家族の墓のために別の寺の檀家になるケースが相次いでいた。そこで1916年大正5年)、東京府北多摩郡砧村大字大蔵(現・東京都世田谷区大蔵)の現在地に墓地を設けた[2]

1923年(大正12年)の関東大震災に罹災したため、1930年(昭和5年)に当寺の墓地がある現在地に移転した[4]

交通アクセス

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脚注

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  1. ^ 圓光寺の紹介圓光寺
  2. ^ a b c 圓光寺の歴史圓光寺
  3. ^ 大安楽寺身延別院など。
  4. ^ 『せたがや社寺と史跡(その三)』世田谷区教育委員会、1970年、12p

参考文献

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  • 『せたがや社寺と史跡(その三)』世田谷区教育委員会、1970年

外部リンク

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