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内部生命論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

内部生命論」(ないぶせいめいろん)は、北村透谷評論作品。1893年明治26年)5月、『文学界』第5号に発表された[1][2]

人間の存在やすべての価値は「人間の根本の生命の絃」に触れるか否かで決まると説いた論文。

概要

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『文学界』は、透谷自らが借金を背負って設立した雑誌だった。

透谷はこの年、山路愛山の主張する「文学効用論」を批判する論陣を張り、愛山との間で論争となった(この論争は透谷が最初に愛山を批判した評論「人生に相渉るとは何の謂ぞ」(同年2月)から、「人生相渉論争」と呼ばれる)[3][4][5]。その一環として透谷が執筆した評論である[3][5]

透谷は、自身の自由民権運動への挫折感と自己批判をし、江戸時代から明治時代にかけて続いた、封建制度や体制のような他者や身分家柄など外的な部分に命を懸けた世の風潮とは相対して、生命は各々の内部に宿り、肉体的生命よりも内面的生命(想世界)における自由と幸福を重んじるという世界を提唱した。

この評論は、文学界にある種の革命を引き起こした[要出典]

脚注

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  1. ^ 内部生命論 - 青空文庫
  2. ^ 北村透谷 (1956). 内部生命論. Heibonsha 
  3. ^ a b 水上勲「「人生相渉論争」をめぐる二、三の問題」『同志社国文学』第7巻、同志社大学国文学会、1972年2月、64-74頁、doi:10.14988/pa.2017.0000004850NAID 120005632664 
  4. ^ 岡部隆志「近代の発生・北村透谷論-「人生相渉論争」を読む-」『明治大学日本文学』第16号、明治大学日本文学研究会、1988年8月、6-19頁、ISSN 0289-2995NAID 120001441461 
  5. ^ a b 陳璐「北村透谷における文学と社会 : その接点と距離」『東京外国語大学日本研究教育年報』第21巻、東京外国語大学日本専攻、2016年、55-72頁、ISSN 2189-311XNAID 120006356910 

外部リンク

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