内藤正範
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内藤 正範(ないとう まさのり、延享4年(1747年) - 没年不明)は、江戸時代中後期の旗本、歌人。政次郎。通称、外記。官途は従五位下安芸守、甲斐守。内藤政利の次男として生まれ、内藤正雄の末期養子となった。妻は松平忠寄の娘、後妻は内藤信庸の娘。
江戸に生まれた。明和6年(1769年)9月5日に養父・正雄の跡を継ぐ。安永3年(1774年)10月4日に定火消、天明6年(1786年)閏10月21日に小姓組番頭(天明7年(1787年)8月21日辞任後、寛政5年(1793年)5月12日に再任)、寛政8年(1796年)6月5日に書院番頭、寛政11年(1799年)12月17日に大番頭となる。文化2年(1805年)8月21日に駿府城代となり、文化4年(1807年)1月29日に辞任した。
冷泉家、日野家門下に和歌を学び、石野広通、横瀬貞臣と合わせて近世武家の三歌人といわれた。家集に「春草」がある。ほかに享和元年(1801年)、東海道を通り江戸から難波に赴いた紀行文「蘆の仮寝廼記」がある。
参考文献
[編集]- 日本人名大事典(講談社)
- 寛政重修諸家譜 巻第八百十二
- 『寛政譜以降旗本家百科事典』第4巻(東洋書林、1998年)p.1897